Web版 有鄰

481平成19年12月10日発行

谷内六郎と海、そして観音崎 – 2面

立浪佐和子

観音崎公園の中に建つ横須賀美術館・谷内六郎館

横須賀美術館(左端が谷内六郎館)

横須賀美術館(左端が谷内六郎館)

平成19年4月28日にオープンした横須賀美術館・谷内六郎館は横須賀市鴨居にある県立の観音崎公園の中に建っています。自然豊かな立地で、前方は海、後方は山に囲まれた景勝地であり、『週刊新潮』の表紙を26年間描き続けた、谷内六郎(1921年−1981年)が約32年前にアトリエを構えた地とは目と鼻ほどの距離にあります。

谷内六郎は大正10年東京に生まれ、まだ10代のうちから漫画雑誌や新聞に投稿入選を重ね、昭和31年からは、『週刊新潮』の表紙絵を創刊号から担当した作家です。表紙絵以外の仕事も多く残した谷内ですが、とくに創刊号から亡くなるまで約26年間描き続けた表紙絵の数は1,300余点にものぼり、その尽きぬアイデアには心底感心させられます。

そうした素晴らしい表紙絵のほぼ全てが、平成10年に、ご遺族より横須賀市へ寄贈され、その感謝の意を込めて、また多くの人にその画業を知ってもうために横須賀美術館の敷地内に常設展示の場として建てられたのが谷内六郎館です。

現在、谷内六郎館では『週刊新潮』の表紙絵原画を創刊号から順番に余すことなく展示しています。とはいえ、展示室の面積にも限界がありますので、1年分ずつ順番に展示していますが、情熱を持って通いつめて下されば、1,300余点の原画をすべてご覧いただくことができます。

そうして通いつめるうちに、海がたびたびモチーフとなっていること、その海にも、さまざまな表情があることに、皆様もお気づきになるでしょう。そうした海の描写に注目しながら谷内と海、谷内と観音崎の関わりを紹介いたします。

御宿、観音崎――それぞれの海との出会い

「上総の町は貨車の列 火の見の高さに海がある」 昭和31年 ©Michiko Taniuchi

「上総の町は貨車の列 火の見の高さに海がある」 昭和31年
©Michiko Taniuchi

まずは、記念すべき『週刊新潮』創刊号の原画「上総の町は貨車の列 火の見の高さに海がある」という長い題の作品です。谷内は、生まれつき体が弱く、小さい頃から喘息を患っていました。

それは晩年まで続く、谷内にとっては宿命のような病気でしたが、17歳の頃にとくに病状が悪化したため、谷内は兄が借りていた千葉・御宿でしばらく療養していたことがあります。それまで世田谷などの野原や河川に触れ合うことが主だった谷内は、この地で海の魅力に気が付いたようです。

「ボクは潮騒の音をきいているだけで幸せだったし、ポケット一パイに貝殻を拾ってたいへんな財産を得たような意味あり気な満足感でありました」、「貝のモチーフと海辺の絵なら一生描いてもあきないとボクは今でも思っています」(「貝殻から飛び出したはなし」『新婦人』1961年)。

いずれも、谷内の残した言葉です。上総の海は谷内にとって、生涯のテーマとなる海の魅力を教えてくれた原点でもあるのです。初期の作品には、御宿を思わせる漁村の風景が多く見られます。

では、対して、観音崎の海はどうでしょうか。そもそも谷内が観音崎の海を訪れるようになったのは長女の療養がきっかけだったといいます。ただ、同じ療養でも上総の海との出会いとはまた違うエピソードが残されています。

『週刊新潮』のグラビアページにはたびたび谷内が特集されていますが、その撮影を担当したこともある平川嗣朗氏は、谷内と観音崎との出会いに関して、次のように回想しています。

「子供たちの歳が近いこともあって、小学生のころの夏休みには神奈川県の三浦半島−三戸海岸の会社の海の家にしばしばご一緒しました。しかしながら、三浦半島は岩場が多く、干潮になると沖に出るとき、子供たちには足の裏が痛く沖に出て遊泳するにはあまり適していませんでした。ある時、子供たちが安心して泳げるところはないかとお尋ねがあり、ふと気付いたのが確か観音崎京急ホテルにプールがあったはずだということです。それでは早速行ってみようということになり、行ってみるとあるではないですか。水を得た魚とはこのことでしょう、子供たちはクタクタになるまで泳いでいました。観音崎京急ホテルでの泳ぎが切っ掛けになって広美さん(谷内家長女)の喘息性アレルギーが改善されました。」

谷内と観音崎との出会いは、このような何気ないものだったようです。しかし、観音崎からは浦賀水道(東京湾の入口、三浦半島と房総半島との間の海峡)を行き交う船が一日中絶えることなく見え、近くには日本初の洋式灯台といわれる観音埼灯台があります。

少し足をのばすと、ペリーが来航した浦賀があり、そこには日本最大の乾式ドックである浦賀ドックがあります。谷内にとっては、初めて目にするモチーフが多かったのでしょう。

谷内一家は、次第に季節を問わず観音崎に訪れるようになり、昭和50年には、観音崎にアトリエを構えます。自然とそれと前後して、『週刊新潮』表紙絵にも観音崎の風景がモチーフとしてあらわれるようになりました。

美術館周辺に残る谷内が歩いた足跡

「ドックの祝日」 昭和51年 ©Michiko Taniuchi

「ドックの祝日」 昭和51年
©Michiko Taniuchi

「ドックの祝日」は、ドックの進水式をテーマにした作品です。作品に書き添えられた、谷内六郎筆「表紙のことば」からは浦賀ドックのことはもちろん、谷内が浦賀水道を行き交う船に圧倒され、興味を持っていたことがわかります。

「(浦賀水道には)あらゆる型の船が出入りしています、中にはあれが船か?と思うようなものすごいクレーンをつけた工場の箱のようなものも来ます、水面スレスレに砂利をつんだかなりコギタナイ船も入ってきますが、コギタナイ労働船ほど収入がいいのだと聞いたりもしました、アラビアの方に行く石油のタンカーもきりもなくとおります、浦賀、黒船来るの時代は遠いまぼろしです。」

「光を使う燈台の子」 昭和52年  ©Michiko Taniuchi

「光を使う燈台の子」 昭和52年
©Michiko Taniuchi

はるか異国から来た、色や形もさまざまな船たちは、さぞかし谷内の想像力を刺激したことと思います。

「光を使う燈台の子」では「この表紙のことばもK燈台から帰って来て書いております、だいぶ前にぼくが一日燈台長をやらせてもらったところです、そこにはぼくの絵が燈台長室に飾ってあり、時々お茶を御馳走になりに行く燈台です。」とあります。

表紙絵の原画に限らず、灯台をモチーフにした詩やスケッチが残っていますし、観音崎の町内会会館にも作品が保管されています。

美術館周辺には、谷内が歩いた足跡が今も残されているのです。

家族との楽しい思い出が伴う観音崎の海

谷内にとって、上総・御宿の海が、病身の17歳の不安を伴った、やや郷愁誘うものであったとしたら、観音崎の海は、つねに家族との楽しい思い出が伴う、夏休みの高揚感に似た感情を起こさせるものだったのではないでしょうか。観音崎がテーマとなっているだろう作品を見ていると、そのように感じます。

また、谷内の長女・広美さんが書かれた季刊誌『よこすかの四季』という連載からもその様子をうかがい知ることができます。海辺の近くの八百屋さん、双眼鏡から覗いた浦賀水道、初詣へ行った鴨居神社、フグをつついて遊んだ磯など、父親(家族)と過ごした観音崎はキラキラとした思い出が詰まった宝石箱のように書かれています。

『週刊新潮』の表紙絵原画に限らず、谷内の作品には、誰もが共感できるような田舎の風景とは別に、その土地土地のイメージを作品としたものがあります。北海道を描いた作品にはアイヌの民と雄大な自然や時の流れを感じさせる大樹の年輪が、といった風に。誰もが土地に対するイメージ、あるいは思い出を持っています。訪れた時の天候、もしくは一緒に訪れた人との思い出、その時の体調、そうした要因で大きく変わるものです。

胸の奥のイメージ――谷内作品の魅力

谷内六郎も、画家らしい鋭敏かつ繊細な感覚で、それぞれの土地に対するイメージを持っていました。本人によると、景色をスケッチして作品にするというよりは、その景色をしばらく胸にしまって寝かせておき、そのストックを時に応じて開いては、作品にしていたようです。胸にしまっておいた分、イメージはより熟成されて、匂い立つような確実な旨味を得るのでしょう。

紹介した観音崎や御宿だけでなく、谷内はさまざまな土地を絵に描いています。誰もに共通するような、近所の友だちとの楽しい放課後、留守番や夕暮れ時の不安などが描かれた作品を見て、自分の昔を懐かしむ方法が一つ。

それとは反対に、自分のものとは違う、谷内だからこその独特の目線やアイデア、風景といったものを、1,300余点の作品から感じとるといった見方が一つ。

谷内作品を楽しむ方法はさまざまで、きっと何回訪れても、そのつど違う発見があるのが谷内六郎館です。

立浪佐和子氏
立浪佐和子 (たちなみ さわこ)

1980年富山県生まれ。横須賀美術館学芸員。

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