佐江衆一
高齢の両親を介護する、還暦間近の夫婦の葛藤を描いた『黄落』から12年。両親は亡くなったがその姿は追憶によって返す返す現れる。
「父が97歳で亡くなり介護が終わると、ホッとして英会話を始めてカナダに留学したり、ピースボートで世界一周の船旅をしたりしていました。それが70歳前後で、私自身が老いを自覚するようになり、初めて分かってくることがあって、なぜ生きているうちに理解してあげなかったんだろうと、特に父に対して慙愧の念が生まれてきました。私の意識の中に生まれてくるものを、いろいろな形で書いていきました」
収録する7篇のうち、父親を主題にしたものは「風の舟」と「橋の声」である。
「97年の『風の舟』に比べ、最近作の『橋の声』はただ素直な気持ちで突き抜けるようにして書きました。12年前の長篇『黄落』は、介護の経験を受け止め、文学として正直に表現しようと努めましたが、今回の短篇集は、言葉、文体を強く意識したものと、素直な気持ちで書いたものの2種の短篇を収めています。父のしもの世話をするような経験は辛く、普通は忘れてしまいますが、老いという切実な問題を受け止めるのは文学しかない。それで作家は追体験し、再確認して、とても深いところから自分の気持ちを吸い上げて言葉にします。うまく行けば、共感していただけるものができる」
「橋の声」は、練達の1篇である。古希を過ぎて東京を歩く「私」は、父の幻影を見る。昭和20年3月10日、家族を田舎に疎開させ、ひとり東京に残っていた父は、大空襲の猛火に耐え、生き延びた。父が死の直前に遺した呟きを手がかりに、「私」は遠い日に父が望んだことを考える。父を書きながら、東京大空襲という国民の記憶、亡くなった人たちの潰えた夢も短篇の中に込められている。
「私は疎開していて、東京大空襲を直接経験していません。しかし、死んだ友人もいるし、日本の共同体験ですから、生きている私がきちんと書かなければ、という思いがあります。読者一人ひとりに、現場に立ち、その日の風に当たってもらいたい。この本は『黄落』よりも優しさが出てきています。『風の舟』は父に対する慙愧の念です。老いるとはこんな気持ちなのか、今だったらもっと優しくやれるよ、もう一度オムツを取り替えさせてくれないか、という思い。それから10年後の『橋の声』は、さらに肩の力が抜けた文体です。小説家ですから、年をとることにともなう文体の変化をいつも気にしていて、10年経ってここまで来たな、文体は痩せていないなと思っています」
表題作は、夜中に目覚めて茫々と思いをめぐらす静かな短篇。「赤い珠」は、老年の性について書いた。そのほか元出版社編集長、元医療機器メーカー部長らリタイア後の男たちが、若い女性講師を囲んで浮き浮きと料理を手習いする「おにんどん」というユーモラスな短篇もある。
「老いはこっけいなところもありますから。ゲラゲラ笑うのではなく、ちょっと笑いを誘うような、ほろ苦い雰囲気を書きました。人物は想像です。それと、非常に切実なことなので、これまで書くのが苦手だった性について、思い切って真正面から書きました。老年の性については川端康成の『眠れる美女』という凄い作品があります。あと数年のうちに、超えるほどの作品を書きたいですね」
1934年東京生まれ。コピーライターを経て、60年、「背」で新潮社同人雑誌賞を受けデビュー。90年『北の海明け』で新田次郎文学賞、95年『黄落』でドゥ・マゴ文学賞、96年『江戸職人綺譚』で中山義秀文学賞。『わが屍は野に捨てよ−一遍遊行』『士魂商才−五代友厚』など著書多数。古武道杖術師範、剣道五段。神奈川県藤沢市在住。現在、茨城県の古河文学館で、「佐江衆一展」が開催中(2007年11月25日まで)。
「無名だけれど職人として一流、努力する中で自分を見つけていった人々を書くことで共通しています。そんな人物に私の思いを投影し、人間の生き方について知ってもらいたい。市井の名もない人たちの物語を、エンターテインメントの時代小説で書こうと思っています。今回は、久しぶりの現代短篇集。『風の舟』『橋の声』の間に10年もの歳月があり、我ながらあきれるスローペースですが、さらにゆるりとした歩みで、命ある限り小説を書き続けたい」
(青木千恵)