Web版 有鄰

495平成21年2月10日発行

書店員から作家になって – 特集2

大崎 梢

書店を舞台にした『配達あかずきん』でデビュー

『配達あかずきん』・表紙

『配達あかずきん』
東京創元社

書店を舞台にした短編連作集『配達あかずきん』でデビューし、この5月で丸3年になります。元書店員で、こちらは13年ほど勤めました。働くようになったきっかけは、近所で見かけた「スタッフ募集」の張り紙から。結婚前は事務職だったので、販売も接客業もはじめてでした。

飛びこんでまず驚いたのは、その作業量の多さ。日曜祝日をのぞくほぼ毎日、雑誌や書籍は入荷してきます。梱包をほどいて検品し、所定のジャンルに陳列。余分なものは返本。営業時間中はレジ打ちやら、お客さまの問い合わせやら、注文品への対応などがあり、企画展示コーナーの検討、発注も待ち受けています。

1週間、1か月、1年と、なんとか仕事を覚え慣れていきますが、いつまでたってもうっかりミスや思い違い、物忘れ、情けないドジはなくなりません。

そんな日常、笑うに笑えない失敗談を、あるとき友人に話したところ、たいそう受けました。自分にとっては当たり前の付録組み作業も、まったくの裏方仕事のため、初耳だったようです。付録のある雑誌は紐でくくられた状態で、出版社から送られてくると思っていたとのこと。カバーをかけるか、かけないか、といったお客さまとのやりとりも、やや誇張気味に話すと吹き出してくれました。

書店の日々の業務をミステリ仕立てに

喜んでもらえたのが嬉しくて、ふと、これを書いてみたらどうだろうかと思うようになりました。その頃私は、趣味で小説を書いていたので。こちらのきっかけはパソコン購入です。インターネットをつなぎ、あちこちのぞいているうちに、小説サークルのようなものをみつけました。互いの作品を読んで感想を出し合い、なにやら楽しそうな雰囲気。好奇心から参加し、書くことのおもしろさにすっかり目覚めてしまったのです。

職場を題材に。名案のような気がしましたが、私が働いていたのはスーパーの中の小さな店や、駅ビルの中にある100坪程度の中規模店です。流行の先端を行くようなディスプレイも、山積みのベストセラーも、美麗な高額本もありません。客層もご近所の主婦やお年寄り、学校帰りの学生、仕事帰りの会社員、あるいは休憩中のショップ店員などなど。

非常に庶民的で、よくいえば地域密着型。おしゃれでかっこいい話はどう転んでも無理そうです。でも、日々の業務紹介ならばできるかも。

そんな気持ちで、まずは短編から書き始めました。せっかくなので、もうひとつ挑戦して、ミステリ仕立ての名探偵もの。自分でつけたキャッチフレーズは、「本屋の謎は本屋が解く」です。語り部役の主人公を20代半ばの女性社員とし、探偵役はアルバイトの女子大生を設定しました。ミステリも名探偵もずぶの素人でしたが、愛着のある売り場や本をめぐっての話は楽しく、調子にのって何本か書き上げました。欲張って、地方書店を舞台にした長編も。

3冊の「成風堂書店事件メモ」シリーズ

『晩夏に捧ぐ』・表紙

『晩夏に捧ぐ』
東京創元社

それがなんとか仕上がった時期、私は趣味で書くというスタンスから、プロとして本を出したいという夢を持つようになっていました。叶えるためにはどうすればいいのか。出来上がった出版物を売ることは毎日していても、原稿を本にするのは門外漢です。書店員として出版社に窓口はありますが、書き手としては伝手などまったく皆無。

そこで、登竜門と呼ばれる新人賞の公募をめざすことにしました。書店の話は実在する出版社名や書名が頻繁に出てくるので、出版社の主催する賞には向かないと、早々にお蔵入り。もっぱら送ったのは児童書の新人賞です。

ところがカルチャーセンターの受講が縁となり、東京創元社の元編集者さんが短編のひとつに目を通してくれました。他のも読んでみたいといわれ、まとめて全部送付。翌2006年の5月、デビュー作である『配達あかずきん』へとつながりました。

『サイン会はいかが?』・表紙

『サイン会はいかが?』
東京創元社

児童書のジャンルで入賞し、いつかどこかの編集者さんに持ち込みし、日の目を見せてあげたいと思っていたのですが、私のもくろみを無視して、主人公たちの方が外の世界に飛び出してしまった気分です。

短編と一緒に送った長編は同じ年に『晩夏に捧ぐ』という本になり、さらに翌年、もう1冊の短編集『サイン会はいかが?』が出ました。この3本が、「成風堂書店事件メモ」と名付けられたシリーズ本になります。

いただいた反響の中で思わず頬がゆるんだのは、やはり「本屋さんってこんなに仕事があるんですね」という感想です。どの職種ももちろん大変ですが、本好きの方たちが書店に興味を持ち、親しみを感じ、さらに少しでも応援する気持ちを寄せてくださったら、こんなうれしいことはありません。

都会育ちの人間が持つ地方への郷愁を作品に

そんなふうに、ひょんなことからデビューにこぎ着けた私ですが、編集者さんにとっても新刊書店の舞台裏は興味津々だったようで、その後、いくつかの出版社に声をかけてもらいました。ありがたいことにジャンルのこだわりもなく、いたってフランクに「何かやりたいものはありませんか」と。

そこで、温めていたアイディアを話しました。どれもが都会育ちの人間が持つ、地方への郷愁にからんでいます。私は東京生まれの神奈川育ち。祖父母たちも近隣に住んでいたため、いわゆる「田舎」を持ちません。帰省という言葉とも無縁できました。子どものころは、夏休みにおじいちゃんおばあちゃんの家に長逗留し、海で貝殻を拾い、山でカブトムシを捕まえるという小学生がほんとうに羨ましかったです。

私が本好きの要因のひとつには、「ここではないどこか」への憧れが強くあります。退屈で長々しい夏休みに、田んぼや畑、野山のたたずまいに思いをはせたように、「ここではないどこか」は常に魅力に満ち、ぜひとも連れて行ってほしい。

そこで、物語世界の中で追体験すべく書いたのが『片耳うさぎ』です。東京近郊のマンション住まいの女の子が、父の実家である地方の旧家に移り住む話。

古い大きなお屋敷には、真っ暗な屋根裏と、隠し階段、隠し部屋がつきもの。そして、あやしげな昔話がからみ、片耳の切り取られたうさぎのぬいぐるみとともに、女の子2人のどきどきの数日間がはじまります。

かわって、昨年の夏に出たのは、高知が舞台の『夏のくじら』。「田舎」を持たなかった私ですが、結婚相手が高知出身。はじめて帰省を経験しました。みかんや干し柿、味噌、お餅をダンボールに詰めて送ってくれる、実家ができたのです。そして、さまざまな感慨と共に目にしたのが、真夏の「よさこい祭り」でした。

高知「よさこい祭り」 2007年8月

高知「よさこい祭り」 2007年8月

南国ならではの明るくポップな祭りは、とても新鮮で素直にびっくり。さっそく友人たちに力説したのですが、ほとんど取り合ってもらえません。口だけの説明ではその良さがどうしても伝わらず、長いこと、惜しいなあと思っていました。

編集者さんとの雑談の折に熱く語ったところ、「いいですねえ」と大いに乗ってくれたので、これ幸い。

最近では日本各地で行われるようになった「よさこい祭り」ですが、高知の一番の特色は参加者が自分の所属するチームを自由に選べるという点にあると、私は思っています。

毎年新しくチームが結成され、参加者募集がはじまり、祭りが終われば解散。これをくり返し、昨年の参加者がよそに流れても気にしない。戻ってくる人に関しても、こだわりなくウェルカム。簡単なようでいて、じっさいはなかなかむずかしいのでは。

人は人と思い切る潔さは、繊細な気配りや、相手の意思の尊重、自分を律する強さが不可欠なのだと、書き上がった今でもあれこれ思う日々です。

小説そのものは大学生の男の子を主人公にした、青春ストーリーです。南国の風と真夏の太陽と、地元の方たちにお墨付きをいただいた土佐弁に、ぜひとも触れてみてください。

サスペンスタッチのものや児童書も

新作としましては、2月末に角川書店より『スノーフレーク』という本が出ます。一転して冬の函館が舞台。タイトルは花の名前です。「田舎」を持たない私ですが、何を隠そう、北海道に5年半ほど住みました。なんでもやっておくものです。

こちらはリリカルでピュアな、恋愛がらみのミステリ。主人公は卒業を目前に控えた女子高生です。発売時期と作中の季節がぴったり重なり、粉雪舞い散る気分で手にとっていただけると、非常にありがたいです。

今後は3月下旬に、デビュー作『配達あかずきん』が文庫化となり、年内にもう1冊、「ここではないどこか」へ連れて行ってくれる、サスペンスタッチの物語を上梓するのが抱負であり、課題です。合わせまして、当初の公募が生きて、児童書も刊行されています。ポプラ社ポケット文庫『天才探偵sen』シリーズです。どうしてもやってみたかった一念がとおり、少年名探偵が主人公。

2月上旬にシリーズ3作目の『呪いだらけの礼拝堂』が出まして、こちらも年内にもう1冊書いて、店頭に並べてもらうのが目標です。

oosakisan
大崎 梢 (おおさき こずえ)

東京生まれ。作家。
著書『配達あかずきん』 東京創元社 1,500円+税、『片耳うさぎ』 光文社 1,500円+税、『夏のくじら』 文藝春秋 1,619円+税、ほか。

※「有鄰」495号本紙では4ページに掲載されています。

 

横浜開港150年・有隣堂創業100年
横浜を築いた建築家たち(8)

ジェイ・ハーバート・モーガン
Jay Herbert Morgan (1873−1937)
――横浜で最も親しまれている外国人建築家

吉田鋼市

根岸競馬場

根岸競馬場

J・H・モーガンは、大正15年に横浜に設計事務所を開いてから、昭和12年に山手の外国人墓地に眠るまで、横浜に珠玉のような遺産をいくつも残してくれた米国出身の建築家である。旧根岸競馬場(昭和4年〜12年、一等スタンドが現存、二等スタンドは昭和63年解体)、関東学院中学校(昭和4年)、横浜山手聖公会(昭和6年)、ベーリック・ホール(昭和5年)、山手111番館(大正15年、旧ラフィン邸)など、おもな現存作品をあげるだけでその重要性がわかるだろう。

残っている作品の多さとその作品の知名度からして、横浜随一の外国人建築家といってよい。

横浜での活動はわずかに11年間であるが、その間に30前後の設計を行い、うち20は横浜の建物である。横浜以外でも、東京の立教大学4号館、仙台の東北学院大学本館、神戸のチャータードビルがしっかり残っているし、2度の不審火にあった横浜市境に近い藤沢の自邸もある。

彼の作風には、押しつけがましいところや奇矯なところがない。教会や学校には中世風を、銀行には古典風を、そして住宅にはスペイン風をなど、スタイルは当時のオーソドックスな選択を行っている。しかし、どの建物にもなにかしらモーガン自身の作風が刻印されており、クールでありながらも温かく気持ちがよい。多くの彼の建物が、長く使い続けられてきているのもその魅力のゆえであろう。

大正9年に、当時の米国有数の建設会社フラー社の建築家として来日。東京の丸ビルなどの仕事をした後、東京で自営、そして横浜に来た。その横浜での最初の事務所が、旧露亜銀行(現在保存修復中)だったという。その後まもなく、自ら設計した今はなきユニオンビル(後に大沢工業ビル)に移っているが、彼の足跡は横浜の歴史と縁が深い。

来日前にはニューヨークで設計事務所を営んでおり、順風そうな履歴をもつ50歳近い米国人がなぜ横浜にとどまって仕事をしたか、不思議な気もするが、ともあれ立派な働きをした。

横浜の建築史上かけがえのないモーガンではあるが、その正確なフルネームをはじめ米国時代の経歴があまりよくわからなかった。しかし、米国のご遺族からの調査等を盛り込んだ水沼淑子氏の近刊の著書で判明するであろう。ちなみに、タイトルのフルネームは氏のご教示による。

吉田鋼市 (よしだ こういち)

横浜国立大学大学院教授。

※「有鄰」495号本紙では4ページに掲載されています。

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