Web版 有鄰

495平成21年2月10日発行

[座談会]「食の安全」と食文化を考える

ノンフィクション作家/島村菜津
株式会社グッドテーブルズ代表取締役社長/山本謙治
ライター・本紙編集委員/青木千恵

右から、山本謙治・島村菜津・青木千恵の各氏

右から、山本謙治・島村菜津・青木千恵の各氏

はじめに

青木ここ数年、「食の安全」にまつわる事件が相次いでいます。産地偽装、消費期限改ざん、中国製品不信、事故米の不正転売など、数え切れないほどです。昨年は、中国製の冷凍ギョーザに高濃度の殺虫剤が混入されて中毒を起こすという事件が起き、消費者も「食の安全」について改めて考えさせられていると思います。

また一方で、イタリアで始まったスローフード運動が日本でも浸透しつつあることからも、食に対する関心は高まってきていると言えます。

本日は、「食の安全」についてのお話を中心に、近年起きている食品関連の事件の問題点、現在の日本の農と食の姿や、イタリアをはじめとするヨーロッパとの違い、さらに、これからの農と食と安全についてお話しいただければと思います。

ご出席いただきました島村菜津様は、ノンフィクション作家でいらっしゃいます。2000年に出版された『スローフードな人生!』は、日本でもスローフード運動が一般にも知られるきっかけになったといわれています。イタリアをはじめとする各地の豊かな食の思想を日本に紹介されています。

山本謙治様は、農産物流通・ITコンサルタント、食生活ジャーナリストとして、産地のマーケティング調査やプロモーションの支援をしていらっしゃいます。慶應義塾大学在学中に、湘南藤沢キャンパスの中で畑をつくるなど、行動派として知られ、現在も「よい食事」とは何かを追求するために日本の食の現場を巡り歩き、ブログ「やまけんの出張食い倒れ日記」などで紹介されております。

伝統的な食文化を大切にするスローフード運動

青木そもそも、スローフードとはどういうものなのでしょうか。

島村ただ単にファストフードの反対語であると考える人もいるようですけれど、それは間違いなんです。スローフードというのは、その土地の風土に合った、伝統的な食文化や農業、食材を見直し、大切にする運動あるいはそうした生き方のことです。

発祥はイタリアで、1980年代の半ば、ローマのスペイン広場にファストフード店が開店して、イタリアの食文化が侵されるという危機感が高まったんです。運動が始まったのは1986年、その後、イタリア北部のピエモンテ州にあるブラという片田舎の町に本部ができた。

ベースにあるのは、草の根的なイタリアの文化復興運動組織で、土着の文化や人のつながりを大切にする精神があるんです。現在では世界の多くの国や都市にスローフード協会があります。

大量生産、大量流通、世界的な食のグローバル化のなかで、伝統的な食文化を大事にする。そのために良いものをつくってくれる小生産者を守る、子どもを含めた消費者の味の教育、ほうっておけば消えそうな味を守る。結局は、自らの暮らしを食から変えていこうという哲学です。今も本部はブラで、現在、世界中の会員が約8万人を越える会に育っています。

添加物を使わないイタリアの食文化

『スローフードな日本!』・表紙

島村菜津
『スローフードな日本!』
新潮社

青木島村さんはどんなことから食に関心を持たれたのですか。

島村大学のときに体を壊したんです。いろんな病院のたらい回しにあって、西洋医療に非常に不信感を持ちまして、じゃ漢方医療に行ったかというとそんなお金もない。美術史を専攻していて、1年ぐらい休学もして、卒論を書くためにイタリアに留学したんです。そうしたら治らないと言われた病気が、何年か経って気がつくと治っていたんです。そのとき、多分食生活だと思った。食べ物の素材やつくった人が見えていたり、個人店が元気で、いろいろ聞きながら買い物ができる。イタリアでは化学調味料は一切使わなかったと思いますね。

そういうことから、食べ物と、食をめぐる考え方は、当時の時点で日本とイタリアは随分差があるな思った。その後、スローフード運動があることを聞かされて、わざわざ取材に行ったんです。それをきっかけに、食べ物をつくっている人に話を聞き始めました。私自身、サラリーマンの家庭で育って、親戚に農家がいたりはしたんですけど、食べ物をつくっている現場に全く無知だったんです。大学時代は、何にも考えずにファストフードを食べに行ったりしていましたから、そういう意味では、意識が変わったのは大分後のほうになってからですね。

山本イタリアの食生活で治ったというのがすごい。

島村添加物をとらないから。だって既製のドレッシングなんか使わないもの。

山本オリーブオイルとワインヴィネガーと塩ですよね。

島村そう。で、自分でつくれという文化。そのときの体調に合わせて、お酢を入れたくなければ使わない、既製のドレッシングが入れない文化圏ですね。

高校の食堂のキャベツの甘さで農業に目覚める

島村山本さんは大学のときに実際に野菜をつくることに目覚めたんですか。

山本僕は実は高校からなんですよ。埼玉県の飯能にある、自由の森学園という校則がない学校で、僕は2期生だったんですけれども、当初から数学科とか、英語科と同列に食生活部というのが存在して、寮生とか、通学生に何を食べさせるかということをきちんと選んで、食堂を運営するという部があったんです。そこの学食がすばらしくて、契約栽培の農家からの減農薬米や野菜、無投薬の豚とか、亜硝酸塩を使っていない肉加工品とか、そういうもので食卓を構成していたんです。当時、心ない学生たちは「まずい」とか「高い」とか言っていたけれども、今から考えると450円で薬膳料理を出していたんです。そういう食への取り組みはずっと続いていて、今はさらに進化して、製めん機もあって、内麦でうどんをうったり、天然酵母のパンも自分たちで焼いたりしています。化学調味料は一切使っていない。

ある日、食堂のおばちゃんが「山本君、あんたいつもたくさん食べるから、これ食べなさい」と言って、キャベツの葉をむしってくれたんですよ。それを食べた瞬間にものすごく甘かった。あのときの甘さが今でも記憶にあるんですよ。それで「おばちゃん、この農家さんを紹介して」と言って、当時は千葉県の館山にあった「ぽっこわぱ農園」を紹介されて、僕は行った。バイオダイナミック農法を日本で唯一きちんとやっているところです。

島村今は熊本県ですね。

山本阿蘇の長陽村というところにあります。フランス人のドニーさんと、その奥さんのよし子さんが日本に帰ってきてやっているんです。それで目覚めたんですね。

キャンパスの空地を耕して畑をつくる

島村大学でも野菜をつくったんでしょう。

山本大学は、アドミッションズ・オフィスという自己推薦制度で「俺は農業を新しくしたいんです」みたいなことを言って環境情報学部に入ることができた。まだ2年目の学部だったのでキャンパスに体育館や大学院の建物が何にもないんですよ。だけど、ここに俺の畑があるじゃないかと思って、入学して3日目に「畑をつくるので土地を貸してください」と言ったんです。3か月ぐらい教授会などに根回しをして、1ヘクタール借りられた。

島村大学の敷地でやっていたの。1ヘクタールも。

山本だけど実際は産業廃棄物がたくさん入っていて、耕し切れない。結局二反歩ぐらいの畑でしたけれども、80種類ぐらいはつくりましたかね。だから、一応僕はトマト生産歴8年と称しております。やがてそこに大学院が建つことになって、現在は近くの農家の人に農地を借りているんですが、今でもそのサークルは続いています。

島村なるほど。つくっているとやっぱり強いですね。

山本つくるということを知らない人があまりにも多過ぎますからね。

輸入食品には多かれ少なかれリスクが

青木最近の「食の安全」にまつわる事件についてはいかがですか。

島村中国製ギョーザ事件のときは、結構ギョッとしたけれど、ああいうことは多分起こるだろうと思っていた。

秋田では、ハタハタの漁獲量が激減して、県民が箱買いしていたのが、1匹食べられるかどうかということになったとき、平成4年から6年まで、3年間禁漁して回復させたんです。その間、北朝鮮から輸入したんですね。その時、魚の口の中に鉛玉が入っていたという事件がありました。それを、秋田県水産振興センターの杉山秀樹さんは、漁師さんのレジスタンスじゃないか。つまり、自分の国には飢えている子供がいるのに、国は国益で現金になるからと言って輸出する。それに対する抵抗運動じゃないかと言ってましたね。

山本それは、目方増量のためだったりしないかな。

島村一般的にはそういわれているので、杉山さんの独特の解釈かもしれない。でも輸入食品は、すべてとは言わないけど、多かれ少なかれ中国製ギョーザのようなリスクを背負っていると覚悟したほうがいいんじゃないか。

たとえばシチリアのクロマグロも、本当は8割ぐらいは地元に残したい。だけど漁業権を持つ富豪は、日本人が高く買うから地元にはまわさないんです。市場原理主義のひずみです。生産者の思いと国益がすごくずれている部分があって、何か起こってくるだろうと思っていたんです。

山本それは食品をあまり輸出していない日本においては、体験していないことかもしれませんね。

最近の事件は中間流通にも問題がある

『実践 農産物トレーサビリティ』・表紙

山本謙治
『実践 農産物トレーサビリティ』
誠文堂新光社

島村山本さんはトレーサビリティ(追跡可能性)について、あえて専門家向け、地元の人向けに本を2冊も書いているでしょう。そのプロが見て、こういうもろもろの事件はどう思いますか。

山本中国製ギョーザ事件だけでなく、事故米の話があったりして、大きい観点で見ると、今まで余りスポットの当たっていなかった中間流通の分野に問題があるということがようやく出てきた。

トレーサビリティはトレース(追跡)とアビリティ(可能性)を合わせた言葉で、簡単に言うと、ある商品を生産から消費までの全過程で特定できること、と理解してもらえばいいと思います。詳しく言うと、もっと深いレベルまで細かくなりますが。

生産段階だけではなくて、流通の段階もきちんと追わない限り、トレーサビリティでも何でもないわけです。日本の消費者の意識が低かったのもあるんだけど、生産者が、この農薬が何回ですとか公表して、こういう人がつくっています、産地はここですという情報だけで安心していたという部分もあった。

島村甘かったのね。

山本甘かった。モノがどう移動しているか、その中間にいる人たちが何をしているかということには、メスが入ってこなかったわけです。

島村多分、考えもしなかったでしょうね。

山本雪印事件などが発覚した2000年や最初のころのトレーサビリティ問題、食の安全問題の危機と、昨年から起こっている危機とは次元がちょっと違っている。生産製造段階のことが云々されていたけれど「間」にもやっぱり問題があるんじゃないかと言われているのが今回の話だと思うんです。

食品偽装が生まれる構造に視点を転じるべき

山本謙治氏

山本謙治氏

山本食品偽装の諸悪がやり玉にあげられているけれども、それが生まれる構造は何なのかというところに視点を転じない限り、この話は絶対になくならない。何で彼らは偽装するのか。それは偽装しないで生きていけるだけの十分な収益が与えられていないからだと思うんです。

多くは取引先から「特売に協力しろ」と言われて、3割減ぐらいの価格での納入を迫られたりする。断ると、もう次から取引がないという危険にさらされている人たちばかりなんですよ。

島村小売側から強制されるということですね。

山本はい。殊さら小売を悪に仕立てる気もないんですけれども、今、消費者の直前にいる外食、小売、そういう人たちが生産段階に対して圧政を強いているわけです。そこに問題があると思う。

島村本では、そんな構造は変わりようがないんじゃないかと書いていましたよね。多分消費者はそういうことは思いもしていないし、イメージもなかった。しかし本の結論では消費者は強いって書いていましたね。私はそれが一番好きでしたね。(笑)

安全性を担保するには、家族制の農業が一番

山本いろいろな食品の事件が指し示しているのは、家庭内手工業的な家族制の農業こそ一番だということじゃないかと思うんです。

ギョーザ事件の天洋食品は中国では最もエリート的な食品会社で、ISO22000シリーズもHACCPも、社会的に難しいと言われている食品認証をすべて取っています。外から見たら完璧に安全な企業のはずなのに、ああいうことが起こった。株式会社が運営したほうが安全だとか効率的だとか言うけれども、社会や経済のシステムで安全性を担保することは結局できないんですよ。倫理を守る人の心しかあり得ない。

株式会社というシステムに人の心を本当にプラスのほうに作用させる力が今あるかということなんです。もしあれが家族制のものだったら「うちの息子にこれはさせられない」という抑止能力が働いたはずなんです。その抑止能力がないのが今の株式会社の姿じゃないですか。

株主が利益を得るための仕組みが株式会社だから、安全性は絶対担保されないと僕は思っています。これは声を大にして言いたい。

島村正しい。私は、「安全」という言葉が実はきらいなんです。映画の『いのちの食べかた』にあったように、サケがバキュームみたいなもので吸い込まれて、あっという間に切り身になって、センサーで完璧に管理された、あのレベルの安全。だから、味もそれなりだし、食べ続けて体にいいかもわからない。

作っている人の心意気が安心ブランドになる

島村イタリアだって、パルマの一番おいしいハムは地元でしか食べられない。つくっている人の心意気自体が安心ブランドで、「安心」というものを食べる人が納得できればそれでいいと思う。結局“人”だと思うんです。今、山本さんがネットでやろうとしているのは、多分そういうことでしょう。

山本そうですね。なし崩し的にそうなっているだけなんですけどね。

島村やっぱり、生産地から気持ちが遠くなっているということですね。

山本消費者がいるということは、その対極にモノを生産している人がいる。あなたが1円でも安く買えるということは、生産している人からそれをむしり取っていることだということが、全く理解されていない。人の存在というのが今全く無視されているんですね。そこに人がいるよということを伝えていくのが、今は一番必要なことかなと思っています。

島村みんなが情報をもうちょっときちんと受け取ることができれば、実感としてわかると思うんですけれど。

地元のモノを買い支えるヨーロッパの消費者

島村ヨーロッパでは、消費者がパワフルなんですよ。フランスなんかは、農村がだめになって100ヘクタールとかつぶれたら景観が変わるから、消費者がNPOをつくって買い取って守っている。

イギリスも、狂牛病のトラウマがかなりあって、ある地域だと農家の3分の1、つまり3軒に1軒は狂牛を出した。名前をつけて育てた牛を泣く泣く処分したのを間近で見ているから、普通のおばさんが「オーガニックを買うのよ」とか、「どんなことがあっても市場で知人から買うのよ」とか、買い支えるのが流儀になっている。それを考えたら、日本の消費者はまだまだ意識が低い。もっと自覚的に食べれば、ずっと暮らしもエコになる。

山本そう思いますね。この間テレビで、スイスは耕地面積も日本より全然小さいけれども、自給率は日本よりは上で、それは国民が支えるという意識を持って、スーパーマーケットで安い輸入品じゃなくて、スイスの国産のモノを優先して買うという話をしていたんですよ。フランスもそういう気概がありますね。

ヨーロッパの食べ物の価格の決め方は、基本的にコスト積み重ね型で、生産コストに利益を乗せてこのぐらいになりますというのを、比較的のんできた歴史がある。日本は小売りが希望する安売り価格に合わせなきゃいけない。これは変なんですね。

島村おかしいですよね。でも、じゃあ誰かをたたこうというのではなくて、食べる私たちが変わろうという結論はいいなと思う。誰かをたたくのは簡単で、古いジャーナリズムにはそれがあったと思うんです。大手メーカーが悪いとか、外材だからと言うのは簡単だけど、戦いの手法としては正しくないですよ。

市民の意識がコミュニティを変えていく

島村ヨーロッパでは、コミュニティ論が今すごく盛んで、それは市民の意識がコミュニティをどれだけ変えられるかとか、そこにかなりポイントが当たっているんです。ドイツ的に景観法とか法律で規制していくような方法じゃなくて、ちょっと楽観過ぎるとも言われているんだけれども、コンセンサスとか生活の美意識が、コミュニティや政治をどれだけ変えていくかという論が真ん中なんです。私も最近ちょっとかぶれかけてきているんですけど。

山本今の日本は、自分の住む町にどうかかわっていくかという視点が、どこにもないところが多いじゃないですか。昔ながらの村落はその正反対で、共同体があっての自分だったわけです。共同体の作業にかかわらなかったら、つまはじきにされて生きていけない。

ところが今は、自治にはほとんどかかわりません、町内会の掃除はしかたなくやるけれども、みたいな時代になってしまった。戦後に崩れてしまった価値観を、どうやって再構築するかという大きな話の中に、消費者の食に対する意識があると思うんです。そこは政策を変えようが何だろうが絶対変わらない。やっぱり人の意識だと思います。

食に対する意識の変化は広がりつつある

『そろそろスローフード』・表紙

島村菜津
『そろそろスローフード』
大月書店

山本イタリアでは、チェンジするタイミングが80年代にあった。日本でも、芽はやっぱり出ていると思っていて、70年代、80年代は有吉佐和子さんの『複合汚染』に影響を受けた一部の意識の高い人たちや、「大地を守る会」とか「らでぃっしゅぼーや」のユーザーを中心に運動が起こってきた。

でも、80年代後半以降、そういう意識の高さとは関係なく、食に対してはある程度お金を払ってもいいという人たちが出てきたという流れもあると思うんですよ。

イトーヨーカドーが「顔が見える野菜。」というのをやっています。ほとんどが減農薬・減化学肥料の特別栽培農産物なんですよ。彼らの全青果物の売り上げは年度で1千億円ぐらいで、そのうちの70億円は特別栽培農産物が占めている。これは今までのスーパーだったらあり得ない話なんです。それを一般の人が買っているというのは、80年代までの市民運動的なものとはちょっと違うと思う。一般の人たちに門戸が開かれてきていると感じますね。

島村ちょっと遅れたけれど、日本もいい土壌ができたということですね。

山本ただ、多くの一般の人たちの意識は、「私の安全のために」だと思うんです。

島村私の町、子供たちの世代というところまでは行っていない。

山本日本を支えるという意識にはなっていない。そこをどうするかですね。

「豊かな」田舎に再生されたトスカーナ

島村イタリアかぶれとしてお話ししますと、国が連合軍と戦争して負けたのは、日本も、ドイツも一緒ですね。その後、勝った国の食文化がなだれ込んできたというところもある程度似ている。ちょっと極端なタイプの人は、「ケチャップ帝国主義」なんて呼んで嫌がったりしています。

古代ローマから続いた地方分権の誇りはずうっと健在だと私は思い込んでいたけれど、50年代、60年代に、フィアットとかの工場に吸い込まれて、劇的に農村からの人口流出が起こる。それは日本以上にひどくて、その時期に、かなりの地域で一たんぼろぼろになるわけ。

トスカーナでさえ本当に人がいなくなって、みんな農家を継がずに工場に働きに行ってしまった。それが、85年ぐらいから、子育てにはこういう環境がいいと言って、外国人や都市住民が移住してくる。そこから意識がちょっと変わって、80年代後半からは、伝統食や在来種の見直しみたいなことが起こった。観光地としても崩れかけていたから、そこのてこ入れを試みた。93年のEU統一から後は、なおさらそこに力が入って今に至っているんです。

トスカーナは今、世界のあこがれる「豊かな田舎」で、私が行ったときも、どこに行っても、自分の村は世界で一番美しいと自慢する人ばかりだったけれど、それは結構短いスパンでつくられた。

山本ということは、日本にもチャンスがある。

島村と思います。

意識を変えるにはクライシスが必要

山本今のを聞いていてよくわかったんですが、やっぱりクライシスがないと変わらないんですね。ところが日本は神風が吹くんですよ。平成5年に、稲の大凶作があったでしょう。あのときに僕は実はよかったと思った。これで米の大切さがわかると思ったんです。タイから高級な米が来たのに、「まずい」とか言って、タイの人たちは怒っていたでしょう。

島村失礼な話よね。

山本そうしたら翌年、平年値を100とした作況指数が110ぐらいの大豊作になった。みんながのど元まで出かかっていたものがグーッと下がっちゃって、誰も全然言わなくなった。だから、今来ている食糧危機に関しては、僕は神風は吹かないほうがいいと思っているんです。海外のものがすごく高くなって、工業も危うい、お金もなくなって輸入品が買えないという事態になって初めて、自国で食品を生産するって大切なことなんだと気づくいいチャンスなんです。このチャンスを活かしたいんですよ。

食べ物に関しては性善説だった日本

青木消費者が、日本の食がどうなっているかわからない。イタリアでは、80年代ぐらいに伝統が見直されてリセットされたけれど、日本ではそれが起きていない。どうして庶民の運動にならないのでしょうか。

島村いくつか理由はあると思いますが、一つには、食品メーカーと広告業界の力が肥大化し過ぎているんじゃないか。たとえば、コーヒー業界は、五つの指に入る企業が世界のシェアの7割を占めていて、市場をコントロールできるんです。

山本そういう企業が広告費に莫大な投資をして、マスコミに統制をかけている。

島村情報は、かゆいところに手が届くようで、行き渡っていないんです。

山本歴史的に日本という国は、食べ物に関して性善説だったと思うんですよ。

島村疑わない。

山本そう。雪印事件と、山形のダイホルタン問題、狂牛病とかが出てきた段階で、あれっ、俺たちは、生産しているおじいちゃんやおばあちゃんはうそをつかない感覚だったけれども、そうではないんだということが、ようやく明るみに出たんだと思うんです。性善説だったから、スーパーに並んでいる野菜や豆腐にそれほど情報がなくても、みんな買っていた。それが一気に180度変わって、今みんな、謝る必要もないことまで謝罪広告を出すような状況になっているでしょう。だから、今は過反応だと僕はちょっと思っているんですよ。

食に対する関心が持たれたのはバブルの頃から

山本性善説というのは、食べ物に対する関心があまりなかったということでもありますね。「料理の鉄人」みたいな番組が出てきて、食べ物がエンターテインメントになったのはバブルの頃じゃないですか。雑誌の『dancyu』の最初の頃のキャッチフレーズに「食こそエンターテインメント」というのがあって、あの辺からようやく食というものが楽しみの一つになった。今、我々がこうやってけんけんがくがくしているのは、本当に黎明期にいるような状態なんだと思います。

島村それから、明治以来の伝統で、食べ物のことをとやかく言うのは潔くないみたいなところがある。そういう意味では、食には、民俗学的な側面、感情とつながる心理学的な側面、家族関係など社会学的側面、文化的に非常に豊かで複雑な要素があるのにそのとらえ方が極めて狭い既成概念に縛られているような気がしますね。

青木例えば「スローフード」という言葉がピタッとはまると、多くの人が気づくということもあるわけですね。

島村そうですね。食べ物って、限りなく奥が深い。塩田雄大さんみたいに言語学で掘り下げてもいける。反面、芸大で美術史をやって、どうして食べ物の本なんか書くんですかと言われることもあって、モナリザは高くて、食べ物は低いのかみたいな謎の価値観がある。不思議ですね。

食べている人たちの力が世の中を変える

島村菜津氏

島村菜津氏

島村結局は食べている人の世の中を変える力ってすごく強いと思うのね。だから、今はそこが一番変わっていくしかないと思う。

外食でも、旅行先のホテルの朝食でも、おいしくなかったら、どんどん突っ込めばいい。「何で地元の農家がこまっているのに使わないの」とか、「こんなところまで来ておいしくないマグロは食べたくないの」とか、もっと言うべきだと思うのね。

山本日本の消費者はモノを言わないですよね。

島村一見順応しているようだけれど、不満をためているから揚げ足取りはすごい。つぶすまでしてしまう。

山本無理なくお金を払って楽しんで満足してくれる消費者層をつくっていくというのが、今一番ソフトにできる運動だと思いますね。

島村中食、外食と、温泉の旅館の食事、ホテルの朝食、そこら辺から切り込んでいくのが効果的ですよね。

山本まだまだこの辺はやりようがありますね。

完全有機・無農薬が一番

青木有機農業についてはいかがですか。

山本有機に関しては、中国や韓国のほうが進んでいますね。中国は有機農業を国策として農業の中の一番上に位置づけていますし、韓国も完全に環境保全型ということで、有機が一番いいと国策で言っています。日本だけが、一般農法もあって、エコファーマーもあって、有機農業もあって、表示が違うだけですよみたいな、わけのわからないことを言っている。だから、みんな有機農産物の価値が明確にわからない。消費者は「有機農産物っていいんだよね。安全なんだよね。でも、私たちはこっちかな」と言っている。でも、そうじゃない。有機農産物はやっぱり尊い営みですと言いたい。

僕は、無農薬というより、肥料が何かということに本当はこだわりたいんです。味に直接かかわりがあるのって肥料ですよ。「無農薬だからおいしい」というシェフがいたりするけれど、見識を疑う。そうじゃなくて、植物体が餌にしているもので味が決まるんです。それは食べ物全般に共通することで、卵だって、豚だって餌が何かで味が変わる。そこの部分を何で誰も言わないんだろうって腹が立つんですよ。正しいことが伝わっていない。伝えようという人がいない。みんなステレオタイプのことばかり言う。

島村バランスをとり過ぎる文化はちょっと気になる。有機農業運動をやっている人に強く言われたのは、これは価値観を変える文化活動だ。戦後のヨーロッパもそうでしたが、効率とか利潤とかに偏り過ぎて、子供たちの体を犠牲にしてまでそっちに走っている。その価値観を変える最先端の文化の戦いだと。だから、有機農業を農業の技術の話だけにおさめないでほしいということですね。

完全有機でなくてもおいしさに説得力があればいい

島村山本さんが各地を回って会っていらっしゃる生産者の方たちは70年代の『複合汚染』なんかに刺激を受けて農村に入ったりした人が多いでしょう。今は地元のドンになっているけれども、昔は農水省からも、村からも変わり者扱いされて。

山本つまはじきですよ。

島村この何年かで確かに変わってきて、農水省の若い人もそういうところに通い始めたりしていますね。今が頑張り時ですね。

山本まさにそうですね。ここ何10年もの間、本流の農水省関係とか、農学の研究・学術の世界でも、有機はタブーだったんですよ。

農学の世界で「有機」というものを本当に技術的に正当に研究している人なんて、この日本にいなかった。だから今、「らでぃっしゅぼーや」の会とか「大地を守る会」とかで地道にやってきた亜流の人たちの技術しかないんです。そういう人たちを大切にしなければいけない一方で、この国の保守・本流の人たちが、きちんと有機の技術を勉強し始めたらもっとよくなるのにって残念でならない。

僕は、本筋は完全に有機じゃなくても、別にいいと思っているんです。もちろん、一番尊いのは完全有機・無農薬かもしれないけれど、うちはこういう気候で、こういう品種をつくりたいから、堆肥やボカシ肥をこのぐらい、化学肥料をこのぐらい使いましょう。防除のための農薬はここまで抑えましょう。これが我々のやり方ですという意識を持った上でやれば、それでいいと思う。そして、できたもののおいしさに説得力があればいいわけです。

島村山本さんはそういう現場を知っている。でも、実際の日本の農政は、机上の空論で、農家の人も翻弄されることが多かった。

文化人類学者で環境運動家の辻信一さんや、国の機関の人だけど秋田の杉山秀樹さんなどは、スロー学者と呼べると思うんです。そういう、現場主義、人間主義の人たちがもうちょっと表に出てくるといいですね。

山本今、マスメディアで取り上げられている学者の中では、生物学者の福岡伸一さんなんかはすばらしいと僕は思っています。

日本の食はこの10年が基盤のつくり直しの時期

島村農村の状況を現場で見て、流通の人とも直接つき合っていらっしゃると、この10年ぐらいが勝負かなという感じはしません?

山本それはあります。どんどんなくなっていくものがある中で、なくしたほうがいいものと、やっぱりとっておいたほうがいいものがあって、外資だとか、財界とか経済界の中でせめぎ合っている。本当にこの10年が、その先の50年、100年ぐらいの日本の食の基盤のつくり直しの時期になると思います。

まず第一に、今、生産者の7割が65歳以上ですので、この人たちはどう考えたってあと10年したらリタイアするわけです。その段階で、今までの3割ぐらいの人数で食料生産をしていかなきゃいけない。ここが第一次クライシスですね。その中で恐らく耕作放棄地が大量にでてきます。最近では、平成15年から17年の間に急激に放棄地が増えた。それまでは横ばいだったんです。つまり、リタイアする人は、隣の農家に「うちの土地でやってくれないか」と貸すことができた。でも、これからは集落みんなが65歳以上になっちゃって、誰もやれない。

島村イタリア人の「有機農業の父」と言われているジーノ・ジロロモーニさんという人が日本に来たときに、こんなに農地を放っているところはないと言った。イタリアでも、山間部の問題とかは同じように抱えているのに、それがすごく違う。

メディアも消費者も生産者のプライドを保てるようにすべき

ブログ「やまけんの出張食い倒れ日記」

ブログ「やまけんの出張食い倒れ日記」

山本今、専業農家であればあるほど食生活は破綻しているという事実が実はあるんですよ。農繁期にはコンビニ依存率が異様に高くなる。朝食、昼食、それに十時と三時のおやつはコンビニ、夜だけ店屋物みたいな。

あと、嫁不足の問題があります。今どき嫁姑のトラブルなんか一切起こらない。来てくれるなら離れを建てて、好きなようにやりなさい。かまどは別になる。伝統食の文化はそこで途切れる。かつ、若い者が持ってきたピッツアっておいしいなって、おじいちゃんやおばあちゃんまでが都市部の西洋化された食文化に感化される率が高い。

そういう意味で、農村や漁村に伝統的な食文化が保存されているはずだと思うのは危険。能動的に守るということをしない限り消えますよ。

島村消えますね。一応楽観主義を私の旨としていますが、それに関しては危機感があります。

イタリアの有機農家に行くと、調味料はもちろん、ヨーロッパ中にネットワークがあるから、ドイツの有機ビールが出たりするんです。自らの仕事と生活の美意識を、センスよくアピールするすべてを心得ている。そういうプライドをもう一回思い起こさせるには、生活モデルの格好よさのベクトルを変えていくような発信が、すごく大事だと思う。

これが環境にもいい、日本のふるさとも守れる生活のありようだということで、農村で頑張っているお母さんなんかをもっともっと表に出してスターにして、私たち都会に住む人間がもり立てていかないと、かなり厳しいんじゃないかな。

山本アウォードじゃないけれど、あなたはすばらしいと言ってあげないと、農村の人たちは今プライドを保てないですね。メディアはそれをやらなきゃいけないし、消費者はそれを受け入れて、拍手するだけでいいと思う。

島村二極分化はよくないと思うんです。超グルメでお金がある人はお取り寄せでおいしいものを食べる。そうじゃない人はファストフードに頼るというのは、美しくないし日本人らしくない。でも行き過ぎたマスメディアに左右されない、自分なりの価値観を持っている層は結構いて、その層がどう膨らんでくるかが大事なんです。その層が、自分が納得した農家や漁師さんを買い支える。いい職人さんを買い支えるという意識になってくれば違うと思うんです。そこに期待したいです。

高くても日本のモノを買えば日本にお金が残る

『日本の「食」は安すぎる』・表紙

山本謙治
『日本の「食」は安すぎる』
講談社+α新書

山本経済学の大著、アダム・スミスの『国富論』ならぬ、『「民」富論』という朝日新書が出ています。著者の堂免信義氏は、経済の地産地消が一番いいと、明確に言っているんです。僕らが100円ショップで安くモノを買ったりすると、そのお金は中国にほとんど行く。ひとつひとつは安くても、それは膨大な金額のまとまりとなって日本の外に出てしまう。それで、中国産ならネット一つ買える値段で、割高だけれど青森県のニンニクを一玉買う。そのお金は日本の流通業者と生産者に行きますから、日本に滞留して、いずれ我々に戻ってくる可能性があるわけです。

高くても日本の中で生産されたモノを買えば、日本にお金が残るという話なんです。僕は全くそのとおりだと思います。ただ、日本の場合は、株式会社が会社の利益を増やすという方向に走っちゃっているから、お金が日本の市場になかなか放出されないという問題はあるんです。でも、そういう基本的な考え方を、何で誰も言わないんだろうと思いましたね。

島村多分、次の世代の人たちはそういうことを言いかけている。社会学の分野でも食文化やコミュニティと言い始めているし、「経済」という言葉の概念もそろそろ変わってくると思いますね。

山本ほんとに変えてほしい。変わってきますかね。

島村変わってこないとまずいですよね。

青木きょうはどうもありがとうございました。

島村菜津 (しまむら なつ)

1963年福岡県生れ。
著書『スローフードな食卓を!』 ちいさいなかま社 1,400円+税、『バール、コーヒー、イタリア人』 光文社新書 720円+税、ほか。

山本謙治 (やまもと けんじ)

1971年愛媛県生れ。
著書『やまけんの出張食い倒れ日記 東京編』 アスキー1,238円+税

※「有鄰」495号本紙では1~3ページに掲載されています。

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