Web版 有鄰

491平成20年10月10日発行

有鄰らいぶらりい

美女という災難
日本エッセイスト・クラブ:編・著/文藝春秋:刊/1,762円+税

表題を見ると、美女の話ばかり出てくるのか、とも思えるがそうではない。副題は「08年版ベスト・エッセイ集」。

文筆業だけでなく、主婦業も含めた各種の職業人の多彩な随筆を集めている。自ら“美女”と名乗っているのは有馬稲子。宝塚のスターから映画界に入った女優だから異論はない。しかし、かつて美女の代表のように言われていた彼女は、このレッテルがいやでたまらなかった、という。

美女とは目がぱっちりしたオードリー・ヘップバーンやデボラ・カー、日本なら原節子のこと。全く違う顔立ちの自分は美女ではない、と固く思いこんでいたからである。

また、宝塚から演技のイロハも分らないまま、小津安二郎、内田吐夢など世界的巨匠が居並ぶ世界に飛びこんだコンプレックス。今井正監督には「待って」というだけのセリフを1日100回も言わされ、以後、美女アレルギーがついて回ったという。

鹿島茂「独裁者コレクション」は毛沢東、スターリン、金日成などが自分を崇拝させるために残した肖像画、記念切手、貨幣などを集める趣味の話。こういう大物のイコンは数が多いので、手に入れやすいが、レアものは東欧の小型スターリンたちのもの。

先年、チェコスロバキア時代、ゴットワルト大統領などの記念メダルを手に入れた場所はチェコのプラハの「共産主義ミュージアム」であり、経営者はどうやらロシア・マフィアらしかったとか。

ふたり旅』 津村節子:著/岩波書店/1,900円+税

吉村昭没後に出た『ひとり旅』の表題をつけたのは津村さんであり、「あくまでも現地に一人で赴き、徹底的に独自な調査をする執念を書いたもの」と、これは『ふたり旅』の「あとがき」に記している。

もとは『津村節子自選作品集』(岩波書店)の巻末に掲載した「私の文学的歩み」を書き継いだもの。したがって自伝的要素もあり、軍需工場で働いた女学生時代、疎開した埼玉県の入間川町に米軍が進駐した時の話、父母を亡くした三人姉妹で洋裁店を始める話など興味深い。

吉村氏は、観光などしても小説を書く足しにはならないと、仕事以外の旅行はせず、夫婦で旅行したいときには津村さんが吉村氏の仕事についていくしかなかったという。

新婚早々、吉村氏がはじめた商売に失敗、不渡り手形代わりに貰った大量のセーターを東北から北海道と売り歩くという二人旅もある。巻末に雑誌『旅』の昭和45年7月号に掲載された「夫婦対談」が採録されている。

日本の果てに来たというわびしい思いの妻と、変化の日々が楽しかったという夫の対比がおもしろい。夫は芥川賞候補に4回、妻は直木賞候補に3回あがっては落ちる、という苦節の日々が、味わい深く語られている。

上を向いて歩こう』 ヒキタクニオ:著/講談社:刊/1,700円+税

堅気になって、会員制でバーつきの湯屋を開いている元スジモン(やくざ)が、狂言回しとなり、8話を収めた連作短編集。珍しいことだが、冒頭に小説のモチーフを語っている文章「序オヤジバナシ」がある。昭和一桁世代の自分の父親の話から、次のような文章が並ぶ。

「オヤジは本能に従って家族を養う、馬鹿にされたり、疎まれたり、臭いと言われながらも、その本能をまっとうしている。がんばったから自分にご褒美なんてふざけたことを言うこともなく。働いて営々と労働の対価である金を家族にもたらしている。働いて家族がひもじい思いをしないだけで有り難いと思ってしまう」

「近頃の若い男は、彼女に別れ話を持ち出されて泣くらしいが、これは男が泣くのではない。ただの子供がうまくいかなくてぴーぴーと泣いているだけだ」

「親父は家族を養うための仕事では泣かない。泣いたって何も変わらない」

「オヤジは黙って家族を養う」

「もしも、親父が泣くときがあるとしたら、それは養うべき家族が自分より先に逝ってしまったときだと私は思う」

小説の方の父親像は様々だが昔ながらの仁義や侠気を残した筋ものが出てくる表題作が一番、こうしたモチーフにそっているようだ。

父の戦地』 北原亜以子:著/新潮社:刊/1,400円+税

『父の戦地』・表紙

『父の戦地』
新潮社:刊

昭和16年、著者が数え年4歳のとき出征、昭和20年、ビルマ(現ミャンマー)で戦死した父親が、子供の著者宛に送った葉書は七十数枚に及ぶという。

それも現地で見聞したことを子供が喜ぶような絵(マンガ)で描かれており、スコールらしき風景には「俄雨」、道端で何か食べている光景には「露天そば」と書き添えてある。「ビルマノメイブツ、ミヅマツリ」と但し書きのついた絵には人力車に水をかける子供たちが「ヤアイ、メイチュウダ、バンザイバンザイ」かけられた方が「トホ……アリガタイガ、ツメタイナ、モウケッコウ、ゴメン、ゴメン」と言っているせりふが、いずれも吹き出しに入っている。

葉書の片隅に「ケフハ、ウレシイミズマツリ、オトナモ、コドモ、モ、ウレシナ」とか「ヨシエ(著者の本名、美枝)チャン、ゲンキデアソンデ、オリマスカ、オトウチャンハ、マイニチゲンキデス」といった文章が付けられている。

東京・新橋の家具職人の長男に生まれた父親は、家業があまり好きでなく、イラストや漫画を子どものころからよく描いていたという。それにしても、戦地で克明な絵を描くには相当の時間が必要なはずで、父親の娘に寄せた愛情がそくそくと伝わってくる。

(K・K)

※「有鄰」491号本紙では5ページに掲載されています。

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