Web版 有鄰

467平成18年10月10日発行

山口蓬春と葉山 – 特集2

橋 秀文

昭和24年、葉山に邸宅を購入し移り住む

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画室で制作する蓬春 (昭和39年)
山口蓬春記念館提供

日本画家山口蓬春(1893年-1971年)と神奈川県、特に葉山との関わりは、戦後に始まることになる。東京の世田谷に居を構えていた山口蓬春は、昭和20年の春に、より詳しくいえば、東京大空襲ののち、身の危険を感じて、家族で、山形県の赤湯に疎開する。そして終戦。その後、東京近郊に引っ越すことを考え、実業家山崎種二所有の葉山堀内の別荘2階にとりあえず仮住まいするのが、昭和22年の春先であった。

いつ葉山に引っ越してきたのかははっきりとしていないが、神奈川県立近代美術館所蔵のひらめを写生したスケッチの右下には「二二、三、二三、葉山ひらめ」の年記やメモが残っている。この時期から山口蓬春と葉山の関係が始まっていたのは確かだ。

山口蓬春は、葉山がすぐに気に入ったようで、昭和23年には、終の住処となる広い庭のある邸宅を一色三ヶ岡に購入し、移り住む。そして、そこは、現在、山口蓬春記念館となっており、山口蓬春の芸術を顕彰し、広く紹介する美術館となっている。

山崎種二の別荘から最初は、すでに建造されていた建物に引っ越し、5年後の昭和28年に、東京美術学校時代の同窓生で、戦前の世田谷のアトリエも依頼したことのある吉田五十八の設計によるアトリエ増設がなされた。

古い家屋の二階で描きあげられたモダニズム絵画

このアトリエは、山口蓬春の芸術に調和したとてもモダンなしゃれた画室となっており、いかにも、蓬春特有の戦後のモダニズム絵画は、こうした現代的なアトリエの雰囲気の中から生まれたように感じられたが、実は、《山湖》(昭和22年)やマティスの版画集『ジャズ』(1947年)の影響が顕著な《榻上の花》(昭和24年)、《浜》(昭和25年)、《夏の印象》(昭和25年)、《卓上》(昭和27年)など蓬春のモダニズムの代表作といわれているもののほとんどが、古い家屋の二階で描きあげられたのであった。

先入見というものは恐ろしいもので、モダンな画室で、多くのモダニズム絵画が次々と生まれていったと思っていたが、真夏には、日本家屋の二階のゆだるような暑さのなかで、蓬春はふうふう言いながらほとんど下着に近い姿で、涼を呼ぶ傑作を描き出したのであった。

葉山での日常を淡々と書きとどめた日記類

「山湖」 1947年

「山湖」 1947年
松岡美術館蔵

山口蓬春が葉山でどのような生活を送っていたのか、彼の残した日記類を読むとその状況が良くつかめる。頻繁に日記をつけていたわけではないが、その日記が山口蓬春記念館の方々によって、現在、翻刻中で、それは『山口蓬春日記』として刊行され始め、その全貌が明らかになりつつある。戦前から日記をつけていたが、定期的に長くつけていたのは戦後、葉山に引っ越してきてからのことである。

日々のことが記録されているのが日記なのであるが、例えば、フランス19世紀に活躍した画家ウジェーヌ・ドラクロワ(1798年-1863年)の日記のように、死後、他者に読まれることを意識して、哲学的ないし、思弁的なことを多く執筆したものとは異なり、山口蓬春の日記は、他人に見せるつもりなどなく、淡々と日常の記録をとどめているに過ぎない。

日記を読んでいて、山口蓬春も人の子であると痛感させられるのが、病気などで苦しみを吐露している個所が出てくるところである。歯医者通いなどの項目を目にすると、絵を描く際に歯痛が気になって仕方がなかったのではないか、などと要らぬ心配までしてしまう。

他人の日記を読むのに気兼ねしながらも、ついつい読み進めて行くと、いつの間にか夢中で読んでいる自分に気付く。困ったものである。山口蓬春はなにを食べていたかなど、様々に興味を抱くわけだが、とくに気になったのが、山口蓬春の書籍への関心のありかたである。

万巻の書というにふさわしい〈山口蓬春文庫〉

山口蓬春は、日本画家の中でも、生前から読書家として知られ、蔵書家としても著名であった。約20年前の1984年に、県立近代美術館は、山口蓬春未亡人春子夫人から、膨大なデッサン・素描類とともに、蓬春が愛蔵していた書籍類の寄贈を受けた。これらを美術館では〈山口蓬春文庫〉と呼んでいる。それらは、和書はもちろんのこと漢籍類、洋書類と様々の書籍が集められており、まさに万巻の書というにふさわしい。

若き日に書籍を集めはじめ、東京の代々木から世田谷代田へ引っ越し、疎開先の山形県赤湯を経て、葉山に落ち着いた山口蓬春ではあったが、その間、膨大な絵画、素描、デッサン、スケッチ類をはじめ書籍類まで持ち運び続けたことの心労と労力の大きさは想像を絶するものであろう。

もちろん、その書籍が、若いときから、つねに増え続け、そのまま移動し続けられたとは想像しがたい。書籍のなかには、引っ越しの際、処分されたものもあれば、若いときには購入できなかったものを、後に古本屋から買い入れたものもあったであろう。

山口蓬春は北海道生まれだが、江戸趣味があり、文学では永井荷風を好んでいたようで、春陽堂版、中央公論社版それぞれの全集を揃え、さらに、初版本も買い揃えていた。初版本の見開きには、古本屋のシールが貼ってあるので、後から買い求めたものなのであろう。

「浜」 1950年

「浜」 1950年
個人蔵

ところで最近、山口蓬春が、戦後すぐ、友人であった木村荘八(1893年-1958年)の蔵書の一部を譲り受けたという話を、県立近代美術館前館長の酒井忠康氏からうかがった。

昭和5年に、山口蓬春は、福田平八郎といった日本画家や、中川紀元といった洋画家、さらに、横川毅一郎といった美術評論家らと共同で「六潮会」というグループを結成したが、そのなかに木村荘八もメンバーの一人として加わっていた。木村荘八が亡くなるのは、昭和33年のことである。

山口蓬春が蔵書を譲り受けたのは、木村荘八の没後のことなのか、それとも生前のことなのか、判然としない。岩波書店から昭和12年に刊行された永井荷風著木村荘八挿画の『ぼく東綺譚』は、もちろん、山口蓬春文庫に加わっており、その初版本の見開きには、墨書で木村荘八の山口蓬春に対する献辞が記されている。友人であることから、自著は当然山口蓬春に献呈されたのであろう。

では、洋書などはどうであろうか。木村荘八が持っていたかもしれないマティスの版画集『ジャズ』を山口蓬春が譲り受けたと推論するのも興味深いが、かなり可能性は低い。山口蓬春の日記には、木村荘八から書籍を譲り受けたということなど、何一つ触れられていない。山口蓬春文庫の中から旧木村荘八蔵書を見分けるのは至難の業である。これについては、今後の検討課題となろう。

ピカソ、ブラックの洋書の画集や豪華美術雑誌『ヴェルブ』も

山口蓬春の日記でよく出てくるのが、洋書を購入する記事である。購入先はほとんどが、丸善と明治書房である。丸善は、最近、丸の内に大きな店舗を作った洋書を扱う老舗である。明治書房も洋書取り扱い業者であるが、大勢のお客を相手にする店舗は持っていなかった。

山口蓬春が洋書を購入する場合、もちろん、丸善に立ち寄って、店頭で書籍を購入する時もあっただろうが、多くの場合、営業の人が、このような洋書が手に入りましたといって、自宅に持ってくるのである。一定期間預かり、気に入れば購入するだろうし、気に入らなければ、引き取ってもらう。こうしたやり取りが行なわれていたことであろう。

ピカソやブラックなどの画集が集められた。豪華美術雑誌『ヴェルブ』も揃っていった。マティスの版画集『ジャズ』にいたっては、オリジナルの箱仕立てでは、何度も見るのに手間がかかるのを嫌ったのか、版画が傷つくのを恐れてか、すぐに版画を取り出して見られるような特製の箱を職人に作らせるといった凝りようであった。

葉山のアトリエを根拠に、日本画のモダニズムを展開

戦後、山口蓬春は、葉山の自然を愛し、葉山の海からあがった魚介類や四季折々に自邸に咲く花々を用いて静物画などを描き出した。そうした表向きの生活の裏では、あらゆる種類の書籍を取り寄せて、勉学に励んでいたことも忘れてはならない。

山口蓬春が葉山に居を構えたのは、偶然が重なったものであろうし、引っ越してきてもそこが気に入らなければ、すぐにほかへ移ることもありえたはずだ。葉山のアトリエを根拠に、蓬春が西洋画の表現方法を摂取しながら日本画のモダニズムを展開したことで、葉山は、戦後の新しい日本画の発信地となり、戦後の美術史上忘れられない場所になった。

10月21日から12月24日まで、県立近代美術館の葉山館で「山口蓬春展」が開催される。

この機会に、山口蓬春の芸術に触れて、この画家の偉大さを再認識していただければ幸いである。

橋 秀文
橋 秀文 (はし ひでぶみ)

1954年兵庫県生れ。
神奈川県立近代美術館専門学芸員。
著書『水彩画の歴史』美術出版社 2,500円+税、『ドラクロワとシャセリオーの版画』岩崎美術社(品切)など。

※「有鄰」467号本紙では4ページに掲載されています。

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