Web版 有鄰

465平成18年8月10日発行

横浜、カッパが似合う町 – 特集2

横山泰子

美しい自然の象徴として描かれている近年のカッパ絵本

21世紀に入ってから、カッパの活躍が目ざましい。

特に目立つのは、児童文学の世界での彼らの活動だ。仕掛けが楽しい『エノカッパくん』(スズキコージ:作絵、教育画劇、2004年)、『おおきなおおきなねこ』(せなけいこ:作絵、金の星社、2004年)、『カッパのごちそう』(阿部夏丸:文、渡辺有一:絵、童心社、2004年)、『カッパがついてる』(村上康成:作絵、ポプラ社、2006年)などなど、彼らが登場する絵本が次々と刊行されている。

近年のカッパ絵本は、カッパを川で遊ぶ子どもを守る存在として描く傾向がある。『カッパのごちそう』と『カッパがついてる』では、カッパは川でおぼれそうになった子どもを助け、水中での遊び方を教えて、水と人との望ましい共生関係を示している。

これらのカッパは、美しくかけがえのない自然の象徴として描かれているのだが、かつてのカッパが都市と結びついていたことも思い起こしておきたい。何しろ、江戸時代には、カッパが半蔵門近辺や赤坂など、大都市江戸の中心部で出没した記録がある。また、芥川龍之介が『河童』を書いたのも、作家自身が隅田川近辺のカッパ伝説に親しんでいたことと関係する。

そして、多くの東京都民は、10月1日の都民の日にカッパのバッジをつけて外出すると、都の施設が無料になったという思い出を持っている(この制度は1997年まで)。だから、カッパは東京人にとって、自然というよりは町の象徴でもあったのだ。

『キミちゃんとかっぱのはなし』

『キミちゃんとかっぱのはなし』

『キミちゃんとかっぱのはなし』
ポプラ社

筆者は東京出身だが、横浜に転居してから、折にふれて、横浜のカッパ伝承や横浜のカッパを描いた文学作品を探してきた。まず、第一に紹介したいのが、『キミちゃんとかっぱのはなし』(神沢利子:作、田畑精一:絵、ポプラ社、1977年)。これは、絵本作家の五味太郎氏が「横浜に住んでいる人にはとくにおすすめの絵本」と絶賛していた名作(『絵本をよんでみる』平凡社、1998年)である。

この物語は、もとは1968年の神沢利子:著『フライパンが空をとんだら』に所収されていたので、それ以前の横浜を舞台にしていると考えられる。

お話は、横浜の水上生活児童のキミちゃんの前にかっぱが現れ、水中に来ないかと誘うというもの。キミちゃんの気をひくため、かっぱはおもちゃの犬を水中に引き入れ、「コーヒー屋を出したら、来てくれるか」とたずねる。キミちゃんが「エスカレーターのあるコーヒー屋なら、いいわ」と言うと、かっぱはエスカレーターを知らなかった。キミちゃんは、デパートにあると教えると、かっぱは水に飛び込む。

キミちゃんがお父さんにデパートへ連れて行ってもらうと、エスカレーター上でおめかししたかっぱとすれ違う。その後、かわりにおもちゃの犬が本物の子犬になって帰って来たが、キミちゃんがかっぱに会うことはなかった。

この作品のかっぱは、水中で気ままな生活を楽しんではいるが、さみしいらしく、しきりに少女にちょっかいを出す。小さな女の子に対して、「コーヒー屋に来ないか」なんて、いかにも都会の不良青年のような誘い方だ。元来カッパは女性にいたずらをしかける好色な妖怪だが、その性格をこの作品のかっぱも継承しているのだろう。

横浜に水上生活・児童がいた頃のハイカラな昔話

伊勢佐木町界隈 (1963年ころ)

伊勢佐木町界隈 (1963年ころ)

石井昭示:著『水上学校の昭和史』(隅田川文庫、2004年)によると、高度経済成長期にトラック輸送が舟運や鉄道輸送にとってかわり、水上生活者も減少した。横浜の水上生活児童のための学校「日本水上学校」も、児童減少のため1967年に閉校したという。だから、キミちゃんとかっぱの出会いは、横浜に水上生活児童がいた頃の、「横浜の昔話」なのである。

だが、ひなびた田舎の昔話と異なり、この横浜の昔話は実にハイカラだ。主人公のかっぱなんて、キュウリはピックルスにして食べるそうだし、デパートに出かける時も青いベレー帽に青いシャツで決めている。

ところで、キミちゃんが出かけた「エスカレーターのあるデパート」とは、どこだろう。作中でかっぱは、ヨシノチョウで豆腐屋を始めた友人の話をしていたが、ヨシノチョウ=南区吉野町とすると、その近場のデパートがふさわしいように思う。この絵本を横浜在住50年の連れ合いに見せたところ、絵の雰囲気からして、伊勢佐木町の野澤屋(現・横浜松坂屋)ではないかとのことだった。そうなると、かっぱやキミちゃんは、有隣堂本店の前を歩き、向かいの野澤屋に入っていったことになる。ゆえに、私は、伊勢佐木町の有隣堂と松坂屋の前を通る時、絵本の中のおしゃれなかっぱの姿を思い出さずにはいられない。

『カッパのカールくん』

『カッパのカールくん』

『カッパのカールくん』
(「こどものとも」2002年8月号)
福音館書店

次にとりあげるのは、油野誠一:作絵『カッパのカールくん』(福音館書店、2002年)である。やまおくのカッパぬまにカッパたちが住んでいたが、カッパのカールくんは水の流れを見て「いったいどこにながれてゆくんだろう」と思い、流れにのってどこまでも行ってみることにする。滝から落ちたり、釣り人に魚の居場所を教えたりして、上流から下流へと川を下り、人間の服を着て町に出る。ヒカルくんという男の子と友達になって海を見ている時、一人の子どもが水に落ちた。カールくんが子どもを助けると、「カッパがいる」と大騒ぎになった。カールくんはあわてて川に逃げ、カッパぬまに戻るというお話である。

さて、これのどこが横浜と関係があるのかというと……海でカールくんをとりまく群衆の中のおばさんが持っている買い物袋に、YOKOHAMA TSURUMIと書いてあるのだ。手元の『油野誠一展』図録(横浜市民ギャラリー編、1991年)によると、油野氏は横浜市鶴見区在住と記してあるので、「カールくん」も横浜の海と川を念頭に置いての製作ではないかと推測する。

そして、初めて海を見たカールくんが「わあうみはひろいなあ。かわはこうしてうみにつながっているんだな」と驚く場面、ヒカルくんと一緒に「うみのむこうにはなにがあるんだろうね?」とカモメやヨットを眺めている場面は、外国に通じる国際港のイメージがあり、横浜の雰囲気が感じられた。

また、横浜市鶴見区の『広報よこはま鶴見区平成14年1月号(増刊号)』によると、鶴見川には99匹のカッパが住んでおり、次郎ガッパといういたずら者がいたという話があるそうだから、カッパのカールくんが流れていった川を鶴見川とみても不都合はない。

もっとも、こうした解釈は、筆者自身が鶴見川ぞいに住んでいるがゆえの深読みにすぎない。だが、これらの絵本を眺めるうち、東京とは別の意味で、横浜も「カッパが似合う町」のような気がしてきたのである。

ハリー・ポッターの「教科書」はカッパを日本の水魔と紹介

さて、21世紀の英語圏の児童文学作品でカッパが出て来る例もある。イギリス発の児童文学作品で、全世界的に売れているJ・K・ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズがある。この作品は、魔法使いの少年ハリーが魔法学校で勉強しているという設定だ。本編とは別に、ハリーが学校で使っている「教科書」(J・K・ローリング:著、松岡佑子:訳『幻の動物とその生息地』静山社、2001年)も刊行され、熱心なファンは、ハリーとともに学んでいるような気分を味わっている。

この魔法使い向け教科書で、日本のカッパが「日本の水魔で、浅い池や川に生息する。魔法使いは河童をだましてお辞儀をさせること」などと、紹介されていた。これを読んだ全世界のポッタリアン(ハリー・ポッターのファン)の間で、カッパに関する知識が広まったに相違ない。

それにしても、ローリングはなぜ日本のカッパを知っていたのか。もしかして、キミちゃんと別れたかっぱやカールくんが、横浜港からイギリスに渡り、ローリングさんに会って、自分たちカッパ族について教えたのではないだろうか? 港横浜に住まうカッパなら、国際派のはず。日本のあちこちにカッパ伝承はあるけれど、海をこえて外国まで行きそうなカッパとなると、やっぱり横浜カッパがふさわしい。

横山泰子
横山泰子 (よこやま やすこ)

1965年東京生れ。
法政大学工学部助教授。日本文化史・比較文化専攻。
著書『四谷怪談は面白い』 平凡社 (品切)、
綺堂は語る、半七が走る』 教育出版 1,500円+税、ほか。

※「有鄰」465号本紙では4ページに掲載されています。

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