Web版 有鄰

460平成18年3月10日発行

有鄰らいぶらりい

容疑者Xの献身』 東野圭吾:著/文藝春秋:刊/1,600円+税

『容疑者Xの献身』・表紙

『容疑者Xの献身』
文藝春秋:刊

1月に決まった直木賞の受賞作。ミステリー評論家、愛好家の間で前評判が高く、6回目の候補ということもあって有力視されていた。

離婚してアパートに住んでいる母娘が、執拗に復縁を迫り金をせびる前夫を殺してしまう。その隣室に住み、かねて母親に思いを寄せていた高校の教師で、大学時代は数学の天才といわれた石神が、二人を救うため、巧妙なトリックを仕掛ける。

警察の捜査は、石神の思惑通り進むが、大学で男の天才性を知っていた友人で物理学の助教授・湯川が石神のトリックに疑問を抱く。この事件の担当は、同じ大学の同窓だが社会学部出で刑事になっている草薙。以前から何かと湯川に相談をもちかけている。この草薙と石神、湯川のからみあいが微妙にスリリングであり、結末の意外性は息を呑ませる。

選考会では、最初から高い投票を集め、とくにトリックの卓抜さが認められたが、ヒューマンな感情に欠けるという意見が出て、「非常に激しい議論となった」(阿刀田高・委員)という。作品中に出てくるホームレスが殺される話などが問題になったらしいが、謎解きを主眼とする本格ミステリーには、いささか見当違いの論に思える。

一日 夢の柵』 黒井千次:著/講談社:刊/1,900円+税

表題2作ほか10編を収めた短編集。いずれも繊細な感性で、日常性の中にひそむ奇妙な現象をとらえた点に特色がある。

「一日」がとくに印象的だ。作者と等身大と思われる主人公が、冷たい秋の雨の一日、外出する話である。用件の一つは病院に入院中の老母の見舞い。この日、母は95歳の誕生日だ。が、母は93歳とカン違いしている。その認識の齟齬に由来するおかしさと愛情が快い。

病院を退出した主人公は、友人の息子が銀座のギャラリーで開催中の写真展を見に行く。到達するのももどかしい小さなギャラリーだ。展示されているのは奇妙な作品ばかりだった。人物を入れ込んだ風景写真だが、人物はすべてブレている。シャッター時間を1秒にしたのだという。静止と異動。そのズレに読者も関心を誘われる。

「夢の柵」はもう少し奇妙な題材だ。これも作者と等身大の主人公。市役所からの案内で高齢者健康診断に、近くのクリニックを訪ねる話だ。案内状の余白にボールペンで「夢を見た直後は診察を受けないように」と注意書きがあった。主人公はその朝、ある女性とのなまめかしい夢を見て記憶も残っていたのだ。診察を終えた主人公に何が起きたか……。

国家の品格』 藤原正彦:著/新潮新書:刊/720円+税

日本は第二次大戦で壊滅的な打撃をこうむったにもかかわらず、見事、復興を成し遂げた。しかし、バブル崩壊により、その繁栄も水泡に帰してしまった。残ったものは、犯罪の横行、家庭の崩壊、倫理の喪失である。著者の言葉でいえば“国家の品格”を失ったのである。

どうしてこうなったのか。それは今もとうとうと続けられているアメリカナイゼーション、論理優先主義、競争原理だという。たしかにそうである。家族主義も、長幼の序も、あうんの呼吸も、つまり日本的な美学は、競争原理の現代には通用しないものとなった。それが荒廃をもたらしているのだ。

日本を代表する数学者として、アメリカやイギリスの大学で教鞭をとり、多くの知識人と交わり、見聞も広めてきた著者は、日本的なよさを復活させるにはどうしたらいいのか、具体例をあげて説く。日本的なよさとは何か。たとえば、桜を美しいと感動することである。秋の虫のすだく声にあわれをもよおすことである。

そこで著者は、“武士道精神”を持ち出す。いきなり武士道といわれると、「死ぬことと見つけたり」を想起してしまうが、そうではない。これは、日本的な美学なのだ。

君に書かずにはいられない』 中丸美繪:著/白水社:刊/1,800円+税

サブタイトルに、<ひとりの女性に届いた四〇〇通の恋文>とあるように、ある女性が学生時代から結婚まで、一人の男性から400通以上にのぼる恋文を寄せられ、結婚した物語。フィクションではない。著者が前著『杉村春子—女優として、女として』の取材のなかで偶然出会った女性から知ったドキュメントである。

この女性に400通もの恋文を届けた男性といえば、モノマニアックな感想が先立ってしまうが、東京高等学校(旧制)から東大へ進み、学生時代はサッカーの選手として活躍、極東オリンピックにも出場したスポーツマンだ。本名篠島秀雄。

女性の名は春枝。広島の地方都市で二人は出会った。旧家の出身の春枝は、そこの親戚の家で花嫁修業中だった。義兄の親友だったのが、篠島秀雄だ。

篠島は東大卒業後、九州の炭鉱地帯に就職し、後に転職して一時、軍隊に召集されたものの除隊、三菱化成をへて財界の大立て者となる。後に日経連副会長。池田勇人とも親友だった。

春枝の生家は旧家なだけに恋愛など御法度で、もちろん恋文など自由にやりとりできなかったが、義兄の仲だちで交渉が続いた。夫の病没後もその遺骨を枕許に置いて寝ているという。――世の男女はかくの如く愛し愛されたいと思うに相違ない。

(K・F)

※「有鄰」460号本紙では5ページに掲載されています。

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