Web版 有鄰

457平成17年12月10日発行

有鄰らいぶらりい

東京飄然』 町田 康:著/中央公論新社:刊/1,800円+税

「片雲の風に誘われて、漂泊の思ひやまず」と、奥の細道行脚に出たのは松尾芭蕉だが、平成の文人となるとそうはいかない。「風に誘われ花に誘われ、一壺を携えて飄然と歩いてみたくなった。」までは同じだが、「仕事の約束が幾つかあるし、方々に借銭もある。(中略)通信販売で磁気腹巻と紅芋チップスを注文してしまった。」と世知辛くなる。

しかし、旅には出たいと、悩んだ著者が思いついたのが日帰りの旅。年少の友人、慶西に「それってでも旅じゃなくて散歩っていうんじゃないですか。」とけなされながら、彼をお供に飄然の旅に出る。

家の近くでほとんど乗ったことのない地下鉄の駅を見つけ、乗り込んでベンチ様の座席に腰を下ろすと隣の女性が「迫害されたヤモリのような目をして」見る。風邪をひかないよう厚着して布団のようなダウンジャケットを着ていたせいだが、暖房の暑さにたまりかねて降りた所が「早稲田」駅。都電荒川線を見つけて乗り、飛鳥山から王子へ。

大阪へ行ったとき串カツ定食の串が一本足りなかった悔しさを忘れかね、串カツ屋を探して新橋、銀座へ。飄然と縁遠いこの行為を反省、芸術に触れんと上野の美術館へ出かけ「俗世間の人情丸出し」の絵に辟易…といった具合。飄然の旅がいずれも俗にまみれ、絶望に終わるユーモアは、芭蕉というより東海林さだお氏のエッセイに似通って楽しい。

アンボス・ムンドス』 桐野夏生:著/文藝春秋:刊/1,300円+税

「アンボス・ムンドス」というのはキューバで「両方の世界」という意味だそうだ。新旧、表裏、東西……主人公の女性が、不倫相手の男性とハバナで泊まったホテルの名前でもある。学習塾の講師をしている主人公は、かつて小学校教師をしていた折、教頭の男性教師と不倫の仲になり、夏休みを利用してハバナへ飛んだ。だが、夢のような休暇を過ごして帰国した二人を待っていたのは地獄であった。

当時、主人公が担任していたのは小学5年生だった。その同級生の女生徒5人が、川へ遊びに行き、サユリという女の子が崖から転落して死亡したのであった。サユリはクラス中で最も突っぱった女の子だった。一緒に行った仲間たちも、親友という間柄ではなかった。

サユリは突き落とされたのではないかとも思われたが、警察は事故として処理した。しかし担任教師と教頭の不倫の旅行中に起きた不祥事だけに、問題は残った。教頭は辞任した後、自殺する。主人公も退校を余儀なくされたのだった。そして事件の本質は謎のままとなる。

作者は主人公の女性が、ある小説家にざんげする形でこの1編を描いている。鋭い感性で現代の暗部に切り込んだ傑作。他に6編。

告白』 C・R・ジェンキンス:著/角川書店:刊/1,200円+税

『告白』・表紙

『告白』
角川書店:刊

拉致被害者の曽我ひとみさんと北朝鮮で結婚し、日本に移住したジェンキンスさんの波瀾に満ちた過去を告白した手記。兵士でありながら韓国から北朝鮮に脱走した経歴の持ち主だけに、拉致問題とは食い違う違和感もあるが、拉致被害者の実態や北朝鮮の実情を知るうえでは貴重な証言である。

著者はアメリカで貧しい家庭に生まれ育ち、州兵を経て陸軍に入隊したわけだが、韓国駐留中、次はベトナム(戦争中)に派遣されるらしいという情報におびえ、国境を越えて脱走したという。

曲折はあるものの、北朝鮮では英語の教育などに当たらせられた。北朝鮮の国民の大部分は飢餓、栄養失調、強制労働、そして裁判なしの投獄や処刑などに直面しているのだから、それからみれば、著者は”特権階級”だった。

といっても、電気は消え、トイレはバケツの水で流し、ひもじい生活も余儀なくされてきた。曽我ひとみさんは、そんな中で妻として割り当てられた女性だった。夫婦の暮らしは一般からみれば、やはり”特権階級”だったが、その内面の地獄ははかりしれないものがあったろう。米国で入獄も免れた著者は、日本での今日がいちばん幸福なのではないだろうか。伊藤真訳。

夜明け時代のTVプロデューサー
佐々木欽三:著/悠飛社:刊/1,600円+税

ことしは放送開始以来80年。その肥大した体質に由来するようなスキャンダルが相次いでいるが、本書はテレビ草創期の頃の、理想と情熱に燃えていたプロデューサーの自伝。一読して、今日のテレビ、ラジオがいかに堕落しきっているか痛感させられる。

1953年にNHKに入社した著者は、すぐに広島放送局に赴任するが、そこでラジオの農事番組を担当させられた際、破天荒な企画を提案する。毎日の天気予報を農作業に結びつけて案内するのだ。広島気象台の予報課長は協力を快諾した。そこで県の農政関係者を訪ね、これも了承。ただし、開始と同時に著者は毎夕5時、365日、電話で取材して放送原稿をつくることになる。入社わずか2年目の新人の仕事だ。

当時はラジオ全盛時代だったが、テレビが始まると、次々とスタッフはテレビに異動させられる。ラジオの担当者は1年後には5分の1にまで激減、一方テレビは丁稚奉公の新人がアシスタントでないディレクターとされた。著者はこのころ「靖国神社」「創価学会」「日本のなかの沖縄」などを制作する。若さと意欲がうかがえる中で、テレビ嫌いで有名だった志賀直哉を出演させた経緯は涙ぐましい。

(K・F)

※「有鄰」457号本紙では5ページに掲載されています。

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