Web版 有鄰

456平成17年11月10日発行

奥泉 光と『モーダルな事象』 – 人と作品

童話作家の遺稿をめぐる殺人事件の謎に挑む

okuizumisan
奥泉 光
文藝春秋提供

謎が合理的に解かれる本格ミステリ

推理小説界に「社会派」の風を起こした松本清張は、純文学の賞、芥川賞を受けている。奥泉光さんも芥川賞作家だが、新刊は本格ミステリの長編だ。『「吾輩は猫である」殺人事件』(平成8年)など、ミステリ・SF風の小説も書いてきて、ミステリの依頼が増え、書いたという。

文藝春秋のシリーズ「本格ミステリ・マスターズ」の1冊。童話作家の遺稿をめぐって連続する、首なし殺人事件の謎解きが楽しめる。

「一口にミステリといっても幅は広い。従来のミステリから逸脱する展開も浮かびましたが、本格ミステリの様式に敬意を表そうと、謎が合理的に解かれる『本格』らしい納め方を選びました」

関西の短大で文学を講じる桑潟幸一助教授(通称・桑幸)は、編集者の猿渡から、童話作家・溝口俊平の遺稿の解説を頼まれる。遺稿発見は話題になり、「泣ける童話」として出版されるや大ブームが起き、桑幸は「時の人」となる。ところが、猿渡が首なし死体で見つかり、もう1人も――。童話出版に関わったライター兼歌手の北川アキは、別れた夫の諸橋倫敦と〈元夫婦刑事〉のコンビを組み、一連の謎に挑んでいく。

「事件をどう広げて謎を合理的に解いていくか、中盤からが難しかった。僕はどの作品でもエンタテインメントを意識しています。殺人と謎解きというミステリは、読者を楽しませるのに有力な方法。ミステリ好きの僕が読んで、面白い!と思うミステリを書いたつもりです。」

〈元夫婦刑事〉が、ある場所を訪ねるとヒントが見つかり、ドミノ倒しのごとく次に繋がる――という、松本清張が『砂の器』などで使った技法を取り入れた。死体発見を報じる新聞や雑誌記事を模して挟み込み、大学講師陣の人間関係を皮肉ったり、〈御世話になります〉で始まる編集者独特の手紙文を入れたり。笑える趣向も満載だ。

「世の中にある色々な“ボイス”を組み合わせて構築するのも、小説ならではの面白さなんですよ。否定するわけではなく、ちょっと皮肉ってしまう……。笑いながら泣いているような複雑な感覚をすくい上げて読者を刺激するのが、小説の醍醐味です。泣ける小説=いい小説という風潮がありますが、泣くというのは、慣れ親しんだ感動パターンをなぞっているだけで、反復運動に新しい発見があるかというと疑問ですね。泣くことは読書以外でも、例えば、きれいな景色をみても泣けますから。パターンから逸脱した複雑さで読者を揺さぶってこそ、小説による本当の感動だと思います」

仕掛けは他にもある。『鳥類学者のファンタジア』(13年)の主役が脇役で登場している。この、ある作品の主要人物が顔を出す“スピンオフ”の手法など序の口。『「吾輩は猫である」殺人事件』から始まるSF・ミステリ風の小説世界を通して、「宇宙オルガン」建設に邁進する宇宙生命体、太古の地球文明に存在した「光る猫」の種族というモチーフを密かに繋げてあり、「奥泉作品」を読むほどに謎が増す構想になっている。

自分の小説の優れた読み手であることも必要

昭和31年、山形県生まれ。国際基督教大学大学院修了。近畿大学教授。61年、初めて書いた小説「地の鳥天の魚群」でデビュー。平成5年、『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞。6年、『石の来歴』で芥川賞。妻の江戸馨さんが主宰する「東京シェイクスピア・カンパニー」に戯曲を書き下ろし、フルートも演奏する。ジャズミュージシャンとしてデビュー、ライブ活動もする――。

「基本的には小説を書くことと読むことが本業です。こういう小説だったら自分は読むぞ、と思う小説を書こうとしていますが、簡単なことじゃないですね。書き手のチャレンジと読者のエンタテインメントをどう両立させるかは常に課題で、自分の小説を冷静に読み、批評できる、優れた読み手であることも、書き手には必要です。僕の父は数学教師で、父の書棚にあった松本清張や高木彬光、古典ミステリを中学時代に読みました。その後、SFが好きになり、20歳前後でカフカやドストエフスキー、日本の小説を大量に読み、そして社会科学一辺倒となり……。ゲーテの『ファウスト』は、ここ10年くらいかけて思い出しては読み続けています。作家になる前後で、小栗虫太郎や久生十蘭をずいぶん読みました。僕は小説を本当の娯楽だと思っていて、究めて、書いていきたいわけです。」

(青木千恵)

『モーダルな事象』・表紙
モーダルな事象
奥泉 光/文藝春秋/1,857円+税

※「有鄰」456号本紙では5ページに掲載されています。

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