Web版 有鄰

564令和元年9月10日発行

月村了衛と『悪の五輪』 – 人と作品

東京オリンピック公式記録映画と映画業界をめぐる長編クライムノベル

月村了衛
月村了衛
撮影:松井雄希(講談社)

映画好きな変人ヤクザが奔走する

1963年、東京オリンピックの記録映画をめぐって若きヤクザが奔走する。長編クライムノベルである。

「講談社のアンソロジー『激動 東京五輪1964』(2015年)で短編を書いたとき、鉱脈を見つけた感触があって、人物をもっと掘り下げて長編化したいと版元に話しました。そのまま他の仕事に追われていたら瞬く間に年月が過ぎて、『長編、2020年のオリンピック前に出した方がいいんじゃないですか?』と言われ慌てて着手、刊行に至りました」

1963年3月。元戦災孤児のヤクザ、人見稀郎は、来年に迫った東京オリンピックの公式記録映画に関する特命を命じられる。黒澤明が降板した監督の後釜に、錦田欣明という男をねじ込めというのだ。稀郎は、映画業界に足を踏み入れることになる。

「主人公には時として著者の人となりが投影されるもので、“映画好きな変人ヤクザ”という稀郎は私そのものかもしれません(笑)。映画と芸能界は社会問題や人間のエゴイズムといったものをごく短期間に体験できる場で、足を踏み入れたら面白くてやめられなくなる。稀郎が体験するのは、言ってみれば芸能界の地獄めぐりです。この設定なら昭和史の裏側に分け入ることができ、物語を広げていけるように思いました」

大物ヤクザの花形敬、大映社長の永田雅一らと知り合った稀郎は、芸能界で一目置かれるようになる。錦田と共にのし上がろうとするが、世の中は利権が絡み合い、一筋縄ではいかなかった――。

「史実に反しない範囲で実在の人物を登場させ、当時の空気を反映したフィクションにしようと考えました。J・エルロイや山田風太郎の手法です。ただ出すだけでは小説として意味がないので、人物の内面について造形を徹底して深めました。たとえば一人のヤクザが無意識的に戦後日本の痛みを背負っている、というふうに。黒澤明の降板後、市川崑が総監督を務めたのは史実ですから、稀郎が夢を描いても結果はわかっている。ただそこにどんな人間模様があったのか。この頃を境に撮影所システムが衰退し、日本映画の黄金時代が終わりを告げますが、映画を一つの象徴として、当時の人と社会を描いてみたかった」

昨年刊行の『東京輪舞』(小学館)では警察官を主人公に、ロッキード、地下鉄サリン事件など、昭和・平成の裏面史を描いた。図らずも同時期に、昭和の裏側に迫る物語を書くことになった。

「個別の仕事で偶然でしたが、『東京輪舞』『悪の五輪』と書く流れの中で、昭和という時代の奥行きの深さを感じ、自分の作家生活において新しい局面、言わば第2期が開けつつあるなと明確に自覚しました。昭和の闇の部分がいかに現代に結びついているかを実感する毎日で、調べるほどに恐怖を覚えました。昭和を書くことで今の社会構造が見えてきたものですから、今後も昭和史を題材にしていこうと決意を新たにしています」

現実に追い越される時代にフィクションを書く

1963年、大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部文芸学科卒業。2010年、『機龍警察』でデビューした。

「小児ぜんそくで苦しみ抜いていた子供の頃、唯一の慰めが本でした。学校図書館の本を片端から読み、山中峯太郎による『名探偵ホームズ全集』には夢中になりましたね。中学になると山本有三、志賀直哉、当時は各社から出ていた落語の文庫なども大好きで、高校の頃に山田風太郎の文庫が続々刊行されて、それも片端から。その頃には作家になることを意識して、文学部に進学しました」

12年に『機龍警察 自爆条項』で日本SF大賞、13年に『機龍警察 暗黒市場』で吉川英治文学新人賞、15年に『コルトM1851残月』で大藪春彦賞、『土漠の花』で日本推理作家協会賞を受賞。8月刊の『欺す衆生』は、『東京輪舞』『悪の五輪』に続く、月村了衛・第2期の3作目となる。

「山上たつひこ『光る風』など、子供の頃に読んでいた漫画や小説で示唆されていた未来が、作品を通してうっすらと恐怖を覚えていたことが、気がつくと現実になっている。現実に追い越されているのは困ったことで、今の小説家はその上でフィクションを書いていかなくてはならない。書きたいことは無限にあるので、いかに現代の読者に伝えていくかが課題です。自分にできるやり方で時代と切り結んでいくしかないなと、日夜表現というものに取り組んでいます」

(青木千恵)

『悪の五輪』・表紙

悪の五輪
月村了衛/講談社/1,600円+税

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