Web版 有鄰

449平成17年4月10日発行

70歳のピースボート —地球一周の船旅をして—

佐江衆一

「男のロマン」を乗せ東京港を出港

東京港晴海埠頭を出発

東京港晴海埠頭を出発

古稀の記念に、若いころから夢だった地球一周の船旅に出た。

2004年7月14日、世界各地のNGOとも交流できるピースボートのトパーズ号で、98日地球一周の船旅に東京港を出港した。トパーズ号は船齢50歳の蒸気船で、総トン数31,500トン。

参加者は定員ぎりぎりの950名。3ヵ月余の長期間だから、働きざかりの年代の人はほとんどいなくて、学生かフリーターか職をやめて参加した若者たちが半分、あとの半分は定年後の老夫婦や私のような年配者の男女で、「青年と老人の船」といったところだが、出港は音楽と7色のテープに送られて実に華やかで、私も友人たちから「これぞ男のロマン」と大書した横断幕で見送ってもらった。

日本文化に関心が深いギリシャ青年画家の武道の先生に

トパーズ号は、17ノット(時速約30㎞)のゆったりした速度で東シナ海を南下し、最初の寄港地、台湾の基隆にむかった。その船内で、私はギリシャ青年画家と親しくなった。彼は広島と長崎の平和の火をアテネ・オリンピックに運ぶピースアンバサダーの1人だが、日本文化に関心が深く、おどろいたことに宮本武蔵の『五輪書』の英訳本を読んでおり、山本常朝の『葉隠』のことまで知っていた。剣道の竹刀を2本持参していた私が、船内での運動に毎朝素振りをしていると話すと、ぜひ教えてほしいといい、私は剣道と古武道の護身術を教えることにした。船内での英会話教師のアメリカ女性なども弟子になったから、私は「武道の先生」で知られるようになり、海が荒れて多くの乗客が船酔いをしたインド洋でも船酔いを感じなかったのは、その緊張のせいだったろう。

電気も水道もない村にホームスティ

ベトナムのダナン、シンガポール、スリランカのコロンボと寄港し、私はダナンとスリランカでは電気も水道もない村にホームスティをした。たった1つの質素な竹製のベッドを私に使わせてくれた、内戦3年後のスリランカの村の若夫婦の笑顔を忘れることはできない。

紅海西岸のアフリカの小国エリトリアは、エチオピア侵攻の戦禍がなまなましく、国民の生活向上を願ってゴードン佐藤博士が立ちあげたプロジェクトを訪問した私たちは、植樹されたマングローブの雑草とりに50℃の炎天下、汗を流した。

金メダルの柔道をアテネのオリンピック・スタジアムで観戦

スエズ運河を丸1日かけて通過すると、海の色が明るいブルーに変わる。地中海だ。ポートサイドに寄港したトパーズ号は、地中海をギリシャのピレウス港へむかい、ピレウス入港は8月13日で、アテネ・オリンピック開会式の当日だ。港にはフランス大統領をはじめ要人の豪華客船が幾隻も停泊していて警備がきびしく、上空には警戒の飛行船が2隻、ゆっくり旋回していた。

その日、下船した青年画家の家を私は訪問し、美しいフィアンセの手料理をご馳走になった。そして翌日、午前中は卓球を、午後はヤワラちゃんと野村選手の金メダル獲得の柔道の試合をオリンピック・スタジアムで観戦した。

アテネを出港してから、「先生、寂しそうですね」と幾度も声をかけられたのは、親友になった弟子と別れたからだった。武道のけいこを当分休みにして、シチリア島を観光、ジブラルタル海峡を通過してモロッコのタンジェの街を歩き、大西洋を北上してイギリスのドウバーに寄港したのは東京出航後1ヵ月9日目だった。

対立と相互不信が深刻な北アイルランド

ドウバーからロンドンまではバスか列車で2時間ほどだ。私はロンドンでもホームスティをした。それがなんと美しい未亡人の独り住まいの住居だった。

「Do you think how old I am?(私を幾つだと思う?)」と月の光の夜、2人きりのとき突然聞かれて困惑し、

「I guess you are fiftyfive years old.(あなたは55歳かな)」と答えると、彼女がニコリしていった。

「I’m fiftysix years old.(私、56歳よ)」

その一夜は生涯忘れがたい。

ノルウェーのベルゲンの街並み

ノルウェーのベルゲンの街並み

ドウバーを出港したトパーズ号は、ノルウェーのおとぎの国のような建物の街ベルゲンに寄港した後、北極圏まで北上してから、9月1日、北アイルランドのベルファストの港に碇を下ろした。ようやく船旅の半分だ。

訪問国の政治情勢などは、前もって乗船してくる「水先案内人」と称する各国のNGOメンバーなどがレクチャーするのだが、北アイルランドの事情は複雑だ。イギリス領に反対しアイルランドのように独立を主張するカソリック・ナショナリストとイギリス領賛成のプロテスタント・ユニオニストの対立と相互不信が深刻で、市内のコミュニティには強い政治的主張の壁画が描かれ、紛争を防ぐ「ピースウォール(平和の壁)」と名づけられた高いコンクリートと鋼鉄の塀が両コミュニティを分断している。いつこの壁が壊されるのだろう。

9月11日、ニューヨークで追悼の鐘をつく

そのベルファストを出港したトパーズ号は、大西洋を横断してニューヨークへむかった。多くのアイルランド移民が新大陸を目ざしたコースだ。大西洋は海が荒れ、私も船酔いしたが、アメリカNGO女性メンバーの助手をして「アメリカと国連軍縮」についてのレクチャーを手伝い、気力と体力を回復した。

8日目の朝、行く手の海上に朝日のきらめく摩天楼の林立するニューヨークが近づき、自由の女神像を甲板から間近に見上げたときは、これまでの移民の人々の歓喜のどよめきが聞えてくるようだった。しかし、林立する高層ビルの一画に剥ぎとられたような空間があって、貿易センタービルはないのだ。

翌日、あの同時多発テロからちょうど3年後の9月11日、私は高い金網のフェンスに囲われた、廃墟のままのグランド・ゼロに1人で行った。

広場の中央に巨大な星条旗が掲揚され、奥の建物では遺族と関係者による追悼の行事が行われているらしく警備がきびしく、金網のフェンスにはおびただしい犠牲者の遺影と花が供えられ、多くのニューヨーク市民が思い思いにテロリストを憎む平和の催しをして祈りを捧げていた。私も追悼の鐘をついた。

船と別れてダーウィンのガラパゴス諸島へ

ガラパゴス諸島ヘノベサ島ダーウィン湾のアシカ

ガラパゴス諸島ヘノベサ島ダーウィン湾のアシカ

カリブ海をクルーズする船と一時別れて、私はニューヨークから空路、南米エクアドルのグアヤキルに飛んだ。これまで夢だった、ダーウィンの進化論で知られるガラパゴス諸島を訪れるのだ。諸島はグアヤキル西方約1,000㎞の赤道直下、太平洋上にある。3泊4日のクルージングで、ユニークな動物や鳥たちに手を触れんばかりの近さで出会った。体重200㎏もある巨大なゾウガメ、イグアナやアシカの群れ、折から繁殖期で、オスはのどを真赤な風船のようにふくらませてメスにアピールする軍艦鳥、求愛のダンスに夢中の青足カツオ鳥やアホウ鳥、あるいはペリカンやダーウィン・フィンチ…。この火山諸島には太古そのままのように生物が棲息している。

コロンビアでトパーズ号に合流して、かつて奴隷だった黒人が逃亡してつくった村ペレンケを訪ね、ここでもマングローブの植栽に村人と汗を流した。そしてパナマ運河を通って太平洋に出て、グアテマラでは中米最大のスラムを訪問し、子どもたちと遊んだ。

脚本・監督・主演のミステリー映画を制作・上映

太平洋を北上してバンクーバーに寄港すれば、ようやく旅も終わりに近い。私は呼びかけて、私が脚本・監督・主演のミステリー映画をつくった。映画づくりも夢の1つだった。

バンクーバーを出港すると太平洋に大低気圧が幾つも発生して時化の日がつづき、最後の寄港地ロシアのカムチャッカをあきらめ、針路を変更したトパーズ号は木の葉のように揺れながら16日間、太平洋を横断して一路東京へむかった。

この間、制作のミステリー映画を上映し、英語のスピーチコンテストではギリシャ青年画家との交友を話した。そして時化のおさまった日はデッキに出て、作曲家の長男が私の船旅のために作曲してプレゼントしてくれたピアノ曲「午後の航海」や武満徹の「海へ」やドビッシーの「小舟にて」などの曲をMDで聴きながら大海原と空を眺める至福の時を過した。

地球市民としての生きる晩年のエネルギーと若さを

98日間・18ヵ国訪問の地球一周ピースボートの船旅は、優雅というより忍耐を必要としたが、私は世界の紛争と不平等に改めて注目し、出会った人々と七つの海から地球市民としての生きる人生晩年のエネルギーと若さをもらった。

長い船旅の1人の時間は、70年の人生の追憶にふける充分な時間であり、同時にこれからのあまり残されていない人生を考える貴重な時間だった。70歳の私は、新しい経験と冒険をして、小説を書く意欲に充たされて航海を終えた。

佐江衆一 (さえ しゅういち)

1934年東京生れ。
著書『わが屍は野に捨てよ』 新潮文庫 438円+税、『黄落』 同630円+税、他多数。

※本航海につきましては『地球一周98日間の船旅』として、祥伝社から発売中です。1,400円+税。

※「有鄰」449号本紙では4ページに掲載されています。

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.