福井晴敏
映画「ローレライ」の公開を前に、福井晴敏さんの原作長編『終戦のローレライ』(講談社)が、全4巻で文庫化された。福井さん=大長編作家の印象があるが、初の中短編集『6(シックス)ステイン』で、短編も書ける実力をみせた。
「登場人物の群像それぞれの動きを細かく追う長編と比べて、短編は、ある人物に寄り添い、その人物が何色になるかをみていく媒体なんですね。長編用の素材を入れた冷蔵庫を開け、あり合わせの材料でジャジャッと炒めた炒飯みたいなものですが、書く枚数が少なくても費やす労力は長編と同じ。書き上げたときは、精神的に相当削られた感じがあります」
6編を収録。「市ヶ谷」と呼ばれる秘匿された組織、防衛庁情報局で働き、歴史に何がしかの染み(ステイン)を残した人々を描いている。子供をかばって元工作員が敵弾の中を走る「いまできる最善のこと」、旧ソ連の機密を握って死んだ男とその妻との愛情「畳算」、狙撃対象を待つ老運転手と若いガンナー(狙撃手)のやりとり「920を待ちながら」など、危地に身をさらす人々の思いを、抑制の利いた文章で書いた。
「なぜ国を守らなくちゃならないの? というところに登場人物たちは立っている。ある人物に寄り添って心の動きを追うと、大義や使命感よりも、身の回りに命がけで守りたいものがあるために彼らが決断し、行動することがみえてくる。極限状態におかれた人が、どう行動するか。工作員を描いたアクションサスペンスですが、彼らの話は、われわれ一人ひとりに置き換えられる話だと伝えたかった」
昭和43年、東京都生まれ。千葉商科大学中退。警備会社に入り、「たまらなく暇で、お金をかけずに長くできる遊びが小説だった」と、20代半ばから書き始めた。
処女作から大長編で、原稿用紙5,000枚を書いた。2作目を1,500枚ほど書いたところで中断し、3作目の『川の深さは』を江戸川乱歩賞に応募し、平成9年、最終候補に残る。翌10年、『TwelveY.O.』で江戸川乱歩賞を受賞。11年刊の『亡国のイージス』で大藪春彦賞、日本冒険小説協会大賞、日本推理作家協会賞をトリプル受賞し、人気作家になった。
「元々あほな学生で、プロの作家になる気持ちはなかった。自衛隊を小説の題材にして調べ始め、国防の現実を知って驚愕しました。民主主義国家の国民であれば、最低限知ってなければいけないことを、これほどまでに知らなかった――という驚きは、本当に大きかった。外国が攻めてきたらどうするか、俺たちは何も教わっていない。これは相当異常なことです」
6つの短編は、前世紀末から今世紀初めにかけて書かれたが、「戦争」はその間、日本人にとって、より切実なテーマになった。1990年代後半、北朝鮮による日本人拉致がはっきりと明るみに出た。米中枢同時テロ事件、イラク戦争など、国家間、民族間、宗教観の紛争が続く。
「“なってしまった”という感じですね。戦争というテーマが切実でない方が本当はいいんだと思いながら、うかつなことが書けない分、やりがいはある。戦争は、非常に複雑でわかりにくい力学から起きてしまう。アニメ『機動戦士ガンダム』で知られる富野由悠季さんの影響を受けましたが、どういう時代を経て今こうなのか、万人に1人でも考えるきっかけになるものを小説でやってみたいと思いました。自分なりの意見を持たないと、過激なことを言う人にすぐ踊らされてしまう。考えるきっかけになる話を小説で書き、若い人から縁遠くなっている小説の世界に新しい血を入れ、リストラクションしたい思いがあった」
3月5日、映画「ローレライ」が公開。続いて、6月に「戦国自衛隊1549」、夏に「亡国のイージス」の映画公開が控えている。原作が1年に3本も映画化、公開されるのは、極めて珍しい。
「俺の小説は、すごく映画化しにくいはず。1枚ずつぺージを繰らせるために、小説ならではの仕掛けを大量に取り入れているからです。工夫を凝らした長編で勝負し、小説という媒体を生き残らせることが本来の仕事だから、これからも、映画化は到底無理と思われるようなものを手加減せずに書き、それを押さえ込むように映画化してもらえたら嬉しいですね。本にまとめたら、短編にも可能性があると知った。短編も探っていきたい」。
(C)
※「有鄰」448号本紙では5ページに掲載されています。