平岡陽明
バブル崩壊後、景気の悪化で求人倍率が落ち込んだ1990年代半ば~2000年代前半に社会に出た世代は、「ロスジェネ(失われた世代)」と呼ばれている。本書は、ロスジェネの男性を語り手にした連作短編集である。
「連作にする予定なく、小説誌に短編を1作書いたのが始まりでした。2話目も同じ語り手にした時点で連作を意識しましたが、共通のテーマがありませんでした。3話まで続け、語り手の“僕”って何者だろう、ロスジェネの人だねと思いついて4~6話を書き、全6話を書き直しました。結果、ロスジェネの僕と愉快な仲間たち、という感じの短編集になりました」
語り手の吉井は、40歳のフリーライター。ある日、かつての同僚と再会する。72歳の元同僚カンちゃんと交流し、吉井は「そろそろ本当の自分の人生を起動したい」との思いを深めていく。
「カンちゃんという実在の知人を書いてみたかったのが始まりだったので、彼と交流する吉井を書き手の僕とほぼ等身大の人物にしました。モデルがいると物語の道しるべになってくれますが、小説はストーリーや人間関係をどう描くかだから、モデルを設定した時点の完成度は15%程度。歴史小説で坂本竜馬を主人公にするような、モデルありきの短編でした」
別居中の妻を想うカンちゃんを見て、自分も恋をしたいと吉井は思う。女性漫画家と仕事をし、やくざライターになった友人から本の企画を持ち込まれ、なにやかやと出来事が起こるのだ。
「1人でしかいられない女性と2人で生きていきたい男性との“文明の衝突”を設定したら、短編でも大きなドラマが生まれるのではと思って書いたのが2話目です。3話目は、ロスジェネ男たちの空気感ですね。語るべき武勇伝や起伏が自分の人生に乏しいことに、ロスジェネ男は不満を抱いている。わざわざドラマを求めにいって、そんな自分を恥ずかしく思ったり。システムエンジニアをしていたのが男らしい世界に飛び込む、やくざライターかなと、そんな風に発想しました」
婚活パーティに誘われて出かけ、有名進学校に通う少年と“文明の衝突”をする。吉井は、本当の人生を起動させることができるのか。
「俺の本当の人生、と男が言う場合は、もっとお金持ちになりたい、社会で認められたい、成功したいということですから。大体の男は、本当はこんなもんじゃないんだぞとふっと思って、そんな思いを心のうちで水に流すということを日に3回くらいやっていると思います(笑)。僕自身は、自分をロスジェネと強く意識したり定義したことはありませんでした。どの人も、そんなレッテルでは収まりきらない。世代の違うカンちゃんにも不満はあると思うし、僕も屈託しましたが暴発しないで生きてきた。ロスジェネというと暗い話を期待するかもしれませんが、この本の男たちはみんなふわふわして空を見上げています。スタート地点で敗れて沈黙した人間の、心の態度を書いたのかなと思います」
1977年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。出版社勤務を経て、2013年に「松田さんの181日」で第93回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。ほかの著書に『ライオンズ、1958。』『イシマル書房編集部』などがある。
「野球が好きで、子供の頃は野球漫画をよく読みました。中学1年の時に有隣堂の本店で司馬遼太郎さんの『関ヶ原』を買って戦国ものが好きになり、司馬作品を繰り返し読んでは、自分は作家になれると思っていました。高校の時、ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんの本を読んだら、全然違う、これも小説? と。司馬遼太郎と大江健三郎は大衆文学と純文学それぞれのチャンピオンだと自分の中で決めて、いろんな作家を読むようになりました」
デビュー6年。次は「週刊ポスト」で小説を連載する。
「いろんな作家がいる中で自分が提供できるのはこれだと思えるまでは、下手な鉄砲じゃないですが、書けるものを書いていくしかないと思っています。自分と読者の接点を今は模索しているところですね。小説は、世界でいちばん難しい散文形式。描写と叙述と会話、この3つで人間関係のダイナミズムを表現して、現実の社会でいろんな思いをしている大人を感動させるのは難しい。だから僕は小説に恐れを抱いていて、書くのが遅いかも(笑)」
(青木千恵)