Web版 有鄰

445平成16年12月10日発行

津島佑子と『ナラ・レポート』 – 人と作品

説話・説教節から浮かび上がる日本の裏面史

津島佑子
津島佑子

大仏を見て恐怖したことがきっかけに

「奈良の大仏」をみて、どんな思いを抱くだろうか。慈悲、荘厳、癒し、伝統などだろうか? 津島佑子さんの場合は、「恐怖」だった。

「前作『笑いオオカミ』の取材中、たまたま万灯会(お盆に行われる法要)で、ライトアップされた東大寺の大仏をみたんです。威圧的で、怖くて、悪夢にうなされる感じがありました。この怖さは何だろう…が、『奈良』の小説を書くきっかけでした」

物語は現代の「ナラ」で始まる。2歳の森生を残して死んだ母親が、10年後、奈良で暮らす12歳の少年・森生の前に、ハトに転生して現れる。

森生は、<今は、ナラのふつうの人たちが大昔の、シカを人間よりも大切にしたえらい人たちにそっくりになっている。/あの大仏! あれを倒せばいいんだ。/ぼくはあれがずっとこわくて、いやでしかたなかった>と、ハトに刺激されたイマジネーションを駆って、「ナラの大仏」を破壊する。大仏が壊れると、権力者により作られてきた正史と違う日本の裏面史、庶民の物語が、すっくと立ち上がってくるのである。

「説話や説教節にみられる正史にないところが、面白くて、書きたかった。『女人結界』を設けて女の入山を禁ずるなど、男たちが作った正史と寄り添って仏教があったのなら、政治や宗教の正史からはじかれたことを説話や説教節から読めるのではと予想したんですね」

『萬葉集』『今昔物語』『日本霊異記』、稲葉伸道『中世寺院の権力構造』――。巻末に、取材した引用・参考文献をあげている。

「以前ある絵巻をみたら、平安貴族の住まいの外側になんと竪穴式住居が描かれていたんです。ああそうか、と目からウロコが落ちました。貴族が、『源氏物語』などを読んでしゃなりしゃなりと暮らしていた時代、少し外には深い森が広がり、自然と繋がって生きる人たちがいた。人工的な生活を送る貴族には、自然とそこに生きる人々の反抗が恐怖で、宗教的な権威を作って抑えたのではないか」

村に災いを起こすと疎まれ、娘が夜泣きする赤ん坊を殺す「タカマド山」。最下層出身の少年アイミツ丸が、権力者ジンソンの稚児になり、ほんろうされる「カササギ」。説話、説教節に取材し、津島さんが物語ると、大仏=慈悲、癒しなどの単純な図式が崩れ、さまざまな視野を読者に提供する現代文学になる。

歴史をいろいろな角度から眺める視点を

昭和22年、東京生まれ。父(津島修治)は作家、太宰治である。1歳のときに父を亡くす。「自分自身にまつわりついていた秘密を誰のものでもないものにしてしまおう」が、小説を書き始める動機のひとつだったという。

『草の臥所』(昭和52年)で泉鏡花文学賞、『寵児』(昭和53年)で女流文学賞、『火の山−山猿記』(平成10年)で谷崎潤一郎賞と野間文芸賞など受賞多数。海外の作家と積極的に交流し、1991年10月から1年間、パリ大学で日本の近代文学について教えた。独特の視座で世界をみ、小説を書く。

「大仏をみて、『慈悲の心に包まれるようで、心休まりました』といえたら普通になれるのかもしれないが、自分はごまかせない。私は、現代人の奢りがいやなんです。時代とともに人が進化して、よくなってきたと思うのは単純で、いつの時代も迷信や幻想に凝り固まって人が生きている感じがする。女を入れるとバチがあたると『女人結界』を作るなど、権力側の迷信で封じ込められた真実は多いだろうし、特に今は、物事を相対化して眺める視点を持つことが重要だと思います。熊野古道=世界遺産などと単純に思い込まず、歴史をいろいろな角度から眺める視点を持たないと、本当のことはわからないと思います」

今、小説を書くのは、「好奇心」からという。

「イモほりみたいな作業です。この場所にイモがありそうだと、まず直感が働く。書いて探してみたい好奇心が真っ先にあって、とりあえず土を掘ってみる。すると、何か磁石じゃないけれど、イモづる式にいろいろと関連事項が引き寄せられてくる。それを次々に書いていく」

日本に厳然と存在する古都を書くきっかけは、大仏をみて「恐怖」したごく自然な感触から。優れた小説家は、どこか自然と繋がっているような感じがある。<えらい人たち>による正史と違う物語を紡ぐ想像力を、自然から受けている。説話を残した人々と同じ力、なのだろうか。

(C)

『ナラ・レポ−ト』・表紙

ナラ・レポ−ト
津島佑子/文藝春秋/1,900円+税

※「有鄰」445号本紙では5ページに掲載されています。

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