Web版 有鄰

444平成16年11月10日発行

出口裕弘と『太宰治 変身譚』 – 人と作品

なぜ変身しつづけたのか?をさぐるユニークな評伝

出口裕弘
出口裕弘

譚作りの名人だった太宰治

昭和23年、玉川上水で入水心中した作家、太宰治の小説は、読み継がれ、新たなファンを増やしている。『人間失格』(新潮文庫)は昭和27年刊行で、今年3月に重版、なんと150刷である。

昭和3年、東京に生まれた出口裕弘さんは、26年に東大仏文科を卒業。一橋大学教授を務めるかたわら、作家・フランス文学者として多くの本を書いてきた。東大仏文科中退の太宰治とは先輩後輩の間柄で、「太宰の小説は、10代の頃から雑誌に発表されるや“追っかけ”るように読んでいた。折に触れて全集を読み返してきたが、何か本を書こうという気はさらさらなかった。30代の時と10年ほど前の二度、40枚ほどの小論を書いただけでしたね」。

ところが一昨年、『三島由紀夫・昭和の迷宮』(新潮社)を発表した後のある日、

――三島を書いたんだから次は太宰ですよね。

と、編集者の小山晃一さん(飛鳥新社)にいわれた。

「ああ、そうね、と素直に相づちを打った。三島も好きだが太宰も好きというのが口癖になっている以上、はぐらかすいわれもなく、17歳で文学に首を突っ込んでから、同国人なら三島と太宰、外国人ならランボーとボードレールが気になる代表格だったから、正面から渡りあって書こうと心に決めました」

昨年暮れから始め、今年7月に書き上げた。小説、評論、翻訳を手がけてきた“円熟”のエネルギー。好きで読み込んできた個人的資産から、「変身譚」というユニークな評伝文学が完成した。

「ああでもない、こうでもないと考えていたら、昔の流行歌がふっと頭に浮かんだ。歌には花売り娘が登場するが、太宰の短編『葉』にも日本橋のネルリという花売り娘が登場する。太宰は譚作りの名人で、あきれるほど嘘がうまい。嘘話にだまされるのは文芸に関わる人間の至福です。瞬間的に嘘がひらめく太宰の精神構造が無類に面白く、催眠術にかけられるのが楽しかった。その譚について、同じ作家の僕が“譚す”構想で、筆がのりました」

三島由紀夫と共通している演技者意識

太宰は昭和11年、処女創作集『晩年』を刊行した。短編『葉』はその2年前の9年に書かれた。初めて「太宰治」の筆名で小説を書いたのはその前年、8年のことで、さらにそれ以前、太宰はカフェの女給、田辺あつみと心中を図って生き残り、自殺幇助罪に問われて起訴猶予となった。昭和5年のことである。

太宰が生き残ったこの「七里ヶ浜心中」に出口さんは注目し、事件について、<太宰治という小説家をどう考えるか、立ち向かう者の主観次第でさまざまに色合いを変える>と、書く。

「“偽装”説もあるが、心中や自殺はそう偽装できるものではないという人生観が僕にはある。太宰は、妖精のような少女を殺してしまった罪悪感にさいなまれて生きたと思う。業苦が、彼の自我・自意識を支えている。いつも誰かにみられているように感じ、誰もいないのに演技をする演技者意識は、三島と共通しているね。2人とも、普通の歩幅で歩けないの。烙印を押されたように急いでいる」

『地主一代』『学生群』など、普通の小説を書いていた青年が、心中事件から2、3年を経て独自の小説を完成させ、太宰治として登場した。亡くなる半年前、雑誌『ろまねすく』発表の短文「かくめい」の書き出しを、出口さんは引く。<じぶんで、したことは、そのやうに、はつきり言はなければ、かくめいも何も、おこなはれません>。

「太宰は、自分のしたことをはっきりと人に伝えたのだろうか? なぜカメレオンのように何度も体色を変え、変身を得意としたのか? 僕は共産党運動をしたことも女性問題もなく、お金持ちの子でもなくて、太宰とは全く違う人間で、身につまされる感じはないんです。桜桃忌に行くような、のめり込む感覚もありません。ただ、この人の嘘のサービスがべらぼうに面白くて、暗記してしまうくらい読んできた。大学紛争で、教員として自分の意思を決めるとき、人間は最後は個人でしかない、<じぶんで、したことは>…のような太宰の姿が思い浮かんだ。小説は、元来役に立たない物なのに、人生のさまざまな転機に太宰の言葉に助けられたのは不思議なことだなあ。彼の嘘は悪質な精神ではない。嘘の癖が文学に繋がっちゃったけた違いの天才だね。太宰文学の後継者はいないですよ。小説の“こしらえ方”の度が過ぎる」

(C)

『太宰治 変身譚』・表紙

太宰治 変身譚
出口裕弘/飛鳥新社/1,700円+税

※「有鄰」444号本紙では5ページに掲載されています。

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