Web版 有鄰

444平成16年11月10日発行

[インタビュー]
瀬戸内寂聴さんに聴く――
源氏物語、そして幻の一帖「藤壺」

聞き手・有隣堂社長 松信 裕

瀬戸内寂聴氏

瀬戸内寂聴氏

はじめに

松信日本の古典文学の中で、もっともよく知られている作品は何かといえば『源氏物語』を挙げるかたが多いと思います。

『源氏物語』の作者、紫式部は、973年(天延元年)ごろ、中流貴族の娘として生まれました。本名は定かでなく「紫式部」という呼び名は、『源氏物語』の女主人公「紫の上」に由来するといわれます。998年(長徳4年)に藤原宣孝と結婚しますが、3年後に夫と死別、そのころから『源氏物語』の創作を始めたとされています。

今日、お招きいたしました瀬戸内寂聴先生は、『源氏物語』の現代語訳全10巻を発表され、平成の「源氏ブーム」の火付け役となったことは記憶に新しいところです。また全五十四帖の『源氏物語』に、実はもう一帖があったのではないかとお考えになられ、このたび、新しく「藤壺」をご執筆なさいました。

本日は、『源氏物語』における愛について、そして11月に刊行が予定されております新作小説「藤壺」についてお話をうかがいたいと思います。

世界でもっとも早く書かれた長編恋愛小説

瀬戸内寂聴訳 『源氏物語』 全10巻

瀬戸内寂聴訳 『源氏物語』 全10巻
講談社

松信『源氏物語』が書かれたのは今から千年以上前ということになりますね。

瀬戸内「物語」というのは、今の言葉に訳しますと、「小説」ということですね。『源氏物語』は、千年前の宮廷を舞台にした大恋愛長編小説です。当時、世界にはまだどこの国にも、そういう恋愛小説、しかも、長編はなかったんです。世界でどこよりも早く、しかも、今読んでも文学と認められるほどの立派な大長編恋愛小説が書かれたのは、日本なんですよ。それを書いたのが、紫式部という子持ちの、30にならない若い寡婦だったんです。

そういう意味で、紫式部はもう天才中の天才です。日本の女の天才を一人挙げよと言ったら、まず紫式部でしょうね。その長編小説の中で、さまざまな愛の形が書かれております。

松信紫式部はどんな生い立ちなんですか。

瀬戸内紫式部のお父さんの藤原為時という人は、大臣級の最上級貴族ではありませんが、非常に漢文が上手で、時の天皇に漢詩でほめられたりしたことがある。教養があって、宮廷でも文学的なことで仕えている家系だった。そういう家庭で、家には本がたくさんあったでしょうね。

頭がよくて文学少女だった紫式部

瀬戸内紫式部は、小さいときからそれを読んで、大変な文学少女で、文学的素養は十分にあったんですね。お母さん(藤原為信の娘)の家系も文学的で、その両方の素質を血の中に受けて、それが紫式部の勉強と相まって、おそらく少女のころから物語を書いていたんでしょう。

紫式部は、そういう学者のうちに育って、小さいときから非常に頭がよかった。為時が息子に漢文を教えていたとき、お兄さんか弟かどっちかわからないんですが、あまり頭がよくなくて、なかなか覚えない。ところが、女の子の紫式部が横で聞いていて、全部覚えてしまった。それでお父さんがびっくりして、「ああ、この子が男だったらよかったのに」と言ったというんです。ということは、私は、紫式部は器量が悪かったんじゃないかと思うんです。

松信それはどうしてなんですか。

瀬戸内当時の貴族のうちでは、高級であろうが、中級であろうが、男の子が生まれたって喜ばないんです。女の子が生まれることを非常に喜ぶ。女の子が生まれますと、小さいときから一生懸命皇后教育を施しまして、それで、ツテを求めて後宮、つまり天皇のハーレムに送り込むんです。

天皇がもしも自分の娘に目をつけて愛してくれて、天皇と自分の娘の間に子供が生まれる。それが男であれば、その子は皇太子に、さらには天皇になる可能性がある。自分の娘の産んだ子、つまり、自分の孫が天皇になれば、その男は外戚と呼ばれまして、あらゆる政治的権力を掌握することができるんです。ですから、貴族の男は何とかして女の子を得たいと思っている。

ですから、紫式部のお父さんが、「男に生まれればよかった」と言って、せっかくの女の子なのに、そこを期待しないということは、よっぽど色が黒いとか、髪が縮れていたんじゃないかと、私は思うんです。当時は、まっすぐで長くて豊かな黒髪が美人の第一条件でしたからね。しかし、彼女はすばらしい頭を与えられまして、千年前の時代では最高の小説家になったのです。

不器量で意地悪な女性だったのではないか

瀬戸内紫式部が結婚したのは27、8歳ぐらいなんですね。当時の27、8歳は、今で言えばもう晩婚なんですよ。12、3歳から女は結婚していいということになっていて、後宮には、上級貴族の娘が11か12のときから入れられていた時代に、27、8まで結婚しないということは、これはよほど不器量だったとか、意地悪だったんじゃないか、と私は想像いたします。

紫式部と夫の藤原宣孝との結婚生活は2年半ぐらいなんですが、宣孝という男は大変なドンファンで、紫式部のお父さんのお友だちで、お父さんぐらいの年だったんです。ですから、もちろんすでに奥さんが何人もいて、何人も子供がある。その後で紫式部と結婚しているんです。

宣孝は非常にもてた人ですから、女はもう飽き飽きしていたころでしょう。そのころに不器量な、小説ばかり書いている、そういう変わり種の女もおもしろいと思ったんじゃないでしょうか。それで紫式部と結婚するんです。賢子という女の子を一人得ましたけれども、宣孝は疫病になって、すぐ死んでしまう。紫式部は30歳ころに、もう未亡人になってしまうわけなんです。

回し読みや書き写し、朗読で評判が広がる

松信そのころ、物語はどんなふうに書かれていたんですか。

瀬戸内当時は和紙に筆と墨で書くわけです。貴族のところには唐紙と言って中国から紙が入ってきた。和紙よりもずっと上等で、とても高かった。でも和紙も量産できないから高かったんですよ。

和紙に書いた小説を、身近な人に見せます。紫式部にはお姉さんがいたので、まずお姉さんに見せたと思います。そのお姉さんが、「あら、これはとてもおもしろいわよ。いとこの何子ちゃんに見せてあげましょう」といって、いとこに見せる。そのいとこが読んで、「おもしろいわ。お友だちにも見せましょう」ということで、回し読みをしたんですね。

そのうちに、一つしかない原稿ですから、「私に写させてちょうだい」と言って、それを写す人がでてくる。「じゃ私も」と、その小説をそっくり写していくんですね。そんなふうにして世の中に行き渡ったわけです。

それから、今はほとんど黙って読みますけれど、昔は声に出して朗読したんです。一人が読めば、そこにいる、例えば10人ぐらいの人がその話を聞けるでしょう。だから、声のいい、朗読の上手な人が選ばれてよく読んだんです。

後宮は特にそうです。天皇のハーレムで紫式部の小説を誰かが読む。それはもう声のいい、そして朗読のうまい、今で言えば幸田弘子さんみたいな人が読む。それを天皇や皇后、お供の女官たちや天皇のお付の者、そういう人たちが来て聞いている。

そして、天皇が感心なすって、「これはなかなかおもしろい」というふうな言葉を言われると、それは最高の評価を得たということになって、バアーッと評判が広まるんですね。

清少納言のエッセーに対抗してスカウトされたノベルスの紫式部

松信『源氏物語』は、どのような状況で書かれたのでしょうか。

瀬戸内紫式部は『源氏物語』を、後宮の女房になる前から、すでに幾らか書いていたんだと思います。それをみんなが読んで、写したり、音読したりしてたくさんの人が聞いて、そういう形で口コミで、紫式部が何かおもしろい小説を書き始めたよという噂が広がっていた。それを時の最高権力者である藤原道長が聞いたんですね。

道長は自分の娘の彰子を後宮に入れました。一条天皇の時代です。でも、まだ12歳くらいで、女としての魅力がない。一方には道長のお兄さんの藤原道隆の娘である定子が入っています。この人は、非常に美しくて、教養があって、一条天皇はとても愛していた。そこに女房として清少納言がいたわけです。

清少納言は随筆がうまくて気がきいて、ウィットに富んでいるので、中宮定子のところへは、天皇について上達部たちがいっぱい遊びに来るのね。

松信サロンみたいな感じですね。

瀬戸内それが道長としては悔しくてしようがない。それで物語を書く紫式部に目をつけた。向こうがエッセーなら、こちらはノベルスでいこうというわけね。(笑)

それで、ちょうど、子持ちの未亡人になっていた紫式部を彰子の女房にスカウトしたんです。そして、今書いているおもしろい小説の続きを書かせて、それを餌にして、一条天皇を自分の娘の部屋にお呼び寄せしたということじゃないかと思うんです。

紫式部は、「私はそういう華やかなところに行くのはいやだ」と日記には書いておりますけれども、いやなら断ればいいのに、行っているんですよ。

道長がパトロンになり一条天皇も絶賛

松信道長がスポンサーになるわけですね。大きなスポンサーですよね。

瀬戸内部屋も与える。参考書も、紙も、硯も筆も買ってやるというふうにして、大変なパトロンになったでしょう。それでできたのが『源氏物語』だと思う。

道長は「今度雇った女房は大変小説が上手ですから、どうぞ一度、彰子のお部屋にもおいでください」と天皇に頼んだでしょう。

天皇は、義理もあるから行ってみた。そこで、『源氏物語』を、声の美しい、朗読の上手な女房が読んだでしょうね。文学趣味だった一条天皇は非常に感心なすって、「この作者はすばらしい。この作者は昔の歴史から、中国の歴史から全部、勉強している」と絶賛するんです。それで、「これはおもしろい、この後はどうなる」なんていわれるので、「じゃ、またいらしてください」と。

そういうことで、一条天皇は彰子の部屋へ『源氏物語』につられて通っていらっしゃるようになる。

中宮や女官たち読者の声を取り入れながら執筆

瀬戸内寂聴氏(右)と松信裕

瀬戸内寂聴氏(右)と松信裕
パレスホテル(千代田区)で

松信読まれるのと同時に次々に物語ができていったんですね。

瀬戸内どんどん書いていって、読まれていくうちに、天皇や中宮や女官たちの「この人とこの人はかわいそうだから、結婚させて」とか「この人は憎らしいからどうかして」とか、そんな読者の声が聞こえてくる。それを取り入れながら書いたんじゃないかと、私は思うんです。

現代で言えば、新聞小説とか、週刊誌の連載小説とか、そういう形だと思ってください。私は、『源氏物語』はそういうふうにしてできたと思います。

その長い『源氏物語』が仕上がるまでに、まるで子供みたいだった中宮彰子が、『源氏物語』の中の女たちの恋愛によって性教育をされます。それで非常に心も、体も成長する。そういう彰子に一条天皇が興味と愛を感じ、彰子が皇子を産みます。道長の野心はここで完結します。

別人の作とも言われる「宇治十帖」は出家後の紫式部が執筆か

松信そうして『源氏物語』は完結したんですね。

瀬戸内私は『源氏物語』は、帝が死ぬまでを書いて一応完結したと思うんですよ。ですけれど、その後は紫式部が出家してから書いたと思います。

松信紫式部は出家しているんですか。

瀬戸内『枕草子』を書いた清少納言は、出家しています。ライバルだった和泉式部も出家している。2人の出家は文献にあります。

紫式部は出家したというのはどこにも書いてない。だから、わからないけれど、あの当時、あの立場の人が出家しないはずはないと考えられます。

彰子が、道長の希望どおりに皇子を産んだことは、道長としては、やっと自分の望みがかなったと喜んだことでしょう。そのとき、恐らく道長は、それまでは必要だった紫式部を必要としなくなったんじゃないでしょうか。これは私の小説家的想像ですけど、そのとき、紫式部ほどの敏感な人がそれを感じないわけはありません。「道長に自分は利用された。もう用はないんだな」と感じたと思いますね。それでは彼女のプライドが許さない。自らリタイアしたと思います。

女房をやめてどうしたか。私は出家したと思うんです。出家して、嵯峨野か宇治のあたり、都の外に庵を構えて、静かに尼さんとしての生活を始めた。

しかし、彼女は根が小説家ですから、書くのがやめられない。やっぱり続きを書きたいと思うけれども、もう源氏は物語の中で死んでいる。まさか源氏を生き返らせるわけにいかない。そこで考えて、源氏の子供や孫の代を舞台にして書いたのが「宇治十帖」なんですね。

源氏が死ぬまでの本文と言われるものと、「宇治十帖」とは筆が違うというのが学者の間で問題になって、別人だと言われたんですよ。ですけど、何か科学的に文章を調べたら、やっぱり同一人物だということです。私もそうだと思いますね。たしかに、「宇治十帖」に入るところの初めの三帖ぐらいが何かもたもたしているんですよ。それはしばらく書かなかったから。

松信ブランクがあったからということなんですね。

浮舟の出家の次第は私が出家したときと同じ

瀬戸内なぜ紫式部は出家したと私が断言できるかと言いますと、「宇治十帖」には浮舟という若いお姫様が出てきます。この人が、心ならずも2人の男に身を任せてしまう。そのことに悩んで宇治川に身を投げるけれども、死に切れなくて、横川の僧都というお坊さんに助けられて、その人にすがって出家するんです。その剃髪の場面が、それまでの『源氏物語』の女君たちの出家の場面とまったく違って、事細かく式次第が書いてある。それまでにない描きかたなんです。

そこを読んだときに「あ、紫式部も出家して、この式次第を受けたんだな」と思ったのです。『源氏物語』の中の仏教というのは、比叡山の天台宗なんですが、私も天台宗で出家いたしました。私と、浮舟の出家の式次第は全く同じなんですね。同じ順序で同じ言葉を言って、同じお経、同じ動作なんですよ。ですから、私には非常によくわかったんです。

魅力最高の光源氏が次々に巻き起こすラブ・アフェア

松信『源氏物語』はその後、『更級日記』の菅原孝標女とか、江戸時代の本居宣長とか、広く長く読まれています。その魅力はどんなところにあるんでしょうか。

瀬戸内やっぱりおもしろいからでしょうね。『源氏物語』は、ご承知のように”光源氏”という大変なハンサムで、すべての才能を兼ね備えたスーパーマンみたいな人が主人公ですが、その光源氏が非常に色好みで、次から次に女を誘惑していって事件が起こる。ラブ・アフェア、それを書いた小説ですね。

光源氏が誰にでも調子のいいことを言うのはいやだなんていっても、みんなおもしろがって一応読むんですよ。今「冬のソナタ」がすごいブームになっているでしょう。あれはやっぱり中年のおばちゃんたちが、男性からやさしい言葉を聞きたいからですね。源氏は面と向かったら、必ず女がうれしがるようなことしか言わないんですよ。こっち向いて、「あなたを愛しています」、反対を向いてまた、「あなただけを—」なんて。(笑)

松信誠心誠意。それが光源氏の絶えない魅力なのでしょうね。

瀬戸内そのときは一生懸命なの。そんなのきらいと言いながら、女はやっぱりそう言ってほしいのね。結局、男女の愛というものは千年前も今もそんなに変わってない。若い子は変わったとか、結婚の感じも変わったとか言うけれど、妻と愛人の葛藤とか、同じじゃないですか。

ただ、それが後のほうになってくると、恋愛だけじゃなくて、もっと暗い、人間性の陰の部分までも書き込まれていきます。

『源氏物語』は、何百人という登場人物が出てきます。しかし、どの登場人物、どんな端役でも、みんな性格を備えているんです。それぞれの心があるんです。それを紫式部は書き分けております。それも魅力でしょうね。

現代語訳は中学生から読めるよう長い文章は短く

松信『源氏物語』の現代語訳(全10巻)を出そうと思われたきっかけはどういうことだったのですか。

瀬戸内とにかく私は、一人でも多く日本の国民に読んでもらいたいという熱意で訳をいたしました。

ご承知のように、『源氏物語』は、与謝野晶子さん、谷崎潤一郎さん、円地文子さんという、大文豪の方たちが現代語訳をすでになさっていらっしゃいます。

谷崎さんの現代語訳は、非常に原文に忠実で、文章のセンテンスまでも現代語訳に写そうとなさいました。『源氏物語』は、非常にセンテンスが長いんです。それを現代語で同じ長さにお訳しになるのは、大変な苦労をなすったんですけれども、そのために読んでいても途中で眠くなるんですね。ということで、あんまり今の人に読まれない。

円地さんの現代語訳は、お三人の中で私は一番傑作だと思うんです。非常に名文で、美しい文章でお訳しになりました。しかし、その名文でさえ、もう今の人には難しくなっているんです。

それで私は、もっとわかりやすい、中学生から、できれば、頭のいい子なら小学校の上級から読めるくらいの、そういう『源氏物語』の現代語訳にしたいと思いました。

私の訳は原文に忠実ですけれども、文章のセンテンスまでは忠実ではありません。長い文章は、切って短くしました。でも、内容には全然手を入れておりません。

五十四帖のほかに「藤壺」の帖があったはず

松信そして今回「藤壺」を書かれたわけですね。

瀬戸内『源氏物語』は、光源氏の誕生を描いた「桐壺」の帖のあと、「帚木」の帖が源氏が17歳のときに、ラブハンターとして一人前になったというところから始まっているんですが、その中に、藤壺との関係について、「去年そういうことがあった」というのがあるんです。

でも、去年あったことは書かれずに、2度目の藤壺との密会から事が始まる。だけど一番最初があったはずだと、私だけではなくて、いろいろな人が昔から思っていたんです。そこのところを、もしあればどうかなというので、私はそこを書いてみたかったんです。

松信それが「藤壺」の幻の一帖の執筆の最初の動機ということですね。

瀬戸内はい。古注に「かがやく日の宮」という一帖があった。しかし、それが今はないとあるんです。でも「かがやく日の宮」というのは、ほかの題に比べて長いでしょう。ほかのはみんな「桐壺」とか、「帚木」とか。

松信短いですね。

瀬戸内そういう2、3字の題が多いのに、「かがやく日の宮」というのは違和感があります。もしそれがあったとすれば、「藤壺」くらいかなと。

松信現代語訳をされているころから、書きたいとお考えだったんですか。

瀬戸内そう、ずっと前から書いてみたいなと思っていましたけど、先に原文みたいな古文で書きかけたら、難しいからなかなか進まない。そしたら丸谷才一さんが『輝く日の宮』という素晴らしい本をお出しになったでしょう。やっぱり同じようなことを書いていらした。それで私も急がなければと思って。

亡き母の面影にそっくりな藤壺を追い求める源氏

松信「藤壺」の帖は全体の中ではどういう意味あいがあるんでしょうか。

瀬戸内『源氏物語』では源氏が次から次に女をかえていきますね。それは、3歳のときに死んだお母さんの面影を追い求めるという源氏の母恋の心情があって、母の面影を求めて、どんどん女がふえていく。その原点といっていいエピソードですね。

松信源氏にとって藤壺は特別の女性だった。

瀬戸内物心がついたときに、周りの人みんなに「藤壺は、あなたのお母さんとそっくりですよ」と言われるし、ほかのお妃たちはみんな年を取っているのに、なぜこの人はこんなに若くて美しいんだろうと思う。それが自分のお母さんとそっくりだったら、やっぱり慕いますね。

源氏と藤壺は5つしか年が違わないんです。藤壺は15で入内していますから、そのとき源氏は10歳で、もうちゃんとした少年です。だから、母恋の気持ちが初恋に移るということはあっても普通じゃないかと思うんです。当時はませていましたから。

松信その思いを遂げるのを王命婦が手助けする。

瀬戸内藤壺の女房です。寝所には女房の手を借りないと絶対忍んでいけなかったんですよ。ほんとうは女房が主人を守るべきなのに守らないから、あんな不倫が起こるんです。柏木と女三の宮の場合もそうでしょう。女房がわざといなくなるから、入って行かれる。

松信藤壺という女性はどういうところが魅力だと思われますか。

瀬戸内私はあまり好きじゃないんです。母になると自分の子供を皇位につけるために一生懸命になるでしょう。それで、結局うそを突き通す。相当強い女ですよね。けれども『源氏物語』の中では結局、源氏の永遠の女性というのが藤壺ですから、なくてはならない。どの女と仲よくなっても、藤壺がいいと最後まで言わせていますからね。六条御息所も紫の上も、どこかに藤壺を得られないかわりというようなところがある。

存在したはずの一帖を外したのは誰か

松信当時、「かがやく日の宮」、あるいは「藤壺」という一帖が実際にあったとお考えですか。紫式部が現実にそれを書いていたと。

瀬戸内私は、紫式部は書いただろうと思いますよ。じゃあ、なぜそれを外したかが問題で、丸谷さんもそこを随分と考えられて、道長が外したとおっしゃるんですよ。何で外すんですか。一番そこがおもしろいと思うんですけどね。

松信編集者的な判断ということなんでしょうか。多分一番肝心な場面なんですけれど、かえってないほうがいいんじゃないかという。

瀬戸内私は天皇じゃないかと思うんです。そういうことをできるのは天皇しかいないんじゃないですか。物語とはいえ不謹慎な行為が余りと言えば余りだから、ないほうがいいと言われたんじゃないか。道長が省くとしても、そういう遠慮からでしょうね。

松信天皇家の密事が書かれて、世の中に出るのはちょっとまずいという判断も。

瀬戸内みんな認めているけれど、生々しく書いちゃいけないというところでしょうね。ほんとは書かなかったかもしれないけど、今の小説家としては、そこを書いてみたいんじゃないでしょうか。

松信読者も、そこを読んでみたいと思いますよね。

瀬戸内でも、書いてしまったら、やっぱりなくてもいいのかなとも思うんですね。

松信もし瀬戸内さんが紫式部で、あの場面を書いたとして、その後に、やっぱりなくてもいいかなと思って外したかもしれない。

瀬戸内かもしれない。わからないですね。

背丈より長い髪は「女の命」 剃髪は大変なこと

松信『源氏物語』は光源氏の恋の遍歴の物語ですが、女性たちが実に魅力的に描かれていますよね。

瀬戸内光源氏に愛された女たち、光源氏よりももっと魅力的に書かれた女たちですけれど、物語の中で、次から次に出家していくんです。7割方が出家している。私も自分が出家するまでは、そういうものだと思っていました。千年前の貴族の女たちは、ある時期が来たら出家するのが女の生き方の一つのパターンだと思って読んでいた。与謝野さん、谷崎さん、円地さんのどの訳も、そこをすらっと通っていますし、原文にも、古注にも、特にそれについて書いてあるところはないんです。それが当たり前のように扱われている。ところが、私は、自分が髪を落としたことで、いかに剃髪ということが女にとって大変なことかが身をもってわかりました。

平安朝の出家は、私のように坊主にはせずに、肩口で切りそろえる程度だった。それを「肩そぎ」あるいは「尼そぎ」と申します。そのころの女の人たちの髪の毛は背丈よりもずっと長い。それが美人とされて、「女の命」と言われるほど大切だったんです。

昔は、たとえ貴族の家でも油がもったいないので、夜はほとんど明かりをつけなかった。ですから、密事を行うときも真っ暗な中でしたんですよ。手探りでね。そのときに手にさわるものが、髪の毛だったのね。長い髪の手ざわりで「この女は、髪が長くて、つやつやしていて、いいな」って、男がなでたんですよ。ですから、愛撫のために非常に女の髪の毛は重要な役目をしただろうと思います。その髪を肩まで切るんですから大変なことですよね。

愛されたために嫉妬に苦しむ女たち

瀬戸内寂聴氏

瀬戸内寂聴氏

松信瀬戸内さんが出家されたのはずいぶん前ですね。

瀬戸内私は中尊寺で出家して髪を切ってからもう30年になります。剃髪は『源氏物語』に出てくるような優雅なものではなくて、お坊さんがちょんちょんと日本かみそりを当てて、その後、別室で電気バリカンでバアーッとやられて、あっという間に坊主になってしまいました。

そんな味もそっけもない剃髪でしたけれど、着せられていた白いシーツみたいなものに、髪の毛がフワーッと落ちてくるのを薄目で見ていて、やはり感慨がありました。

私は改めて『源氏物語』を読み直しました。出家の場面が、それまでわからなかったことがいろいろわかってきたんです。

なぜ彼女たちは出家したのか。誰も喜んで出家はしていません。源氏に愛される喜びももちろんあったでしょう。しかし、愛されると同時に、愛されたがために、それまで知らなかった苦しみを伴うんですね。愛イコール苦しみと言っていいと思います。

愛は独占欲がありますから自分だけを愛してほしい。ところが、浮気な夫や恋人は、自分以外の人も愛している。自分のところにいないときに男が何をしているかと想像すると、苦しみが始まるんですね。これは嫉妬です。ジェラシーね。この嫉妬の情にかられて、女は苦しむんです。

松信当時の結婚は通い婚ですね。

瀬戸内一夫多妻の上に、男が女の家に通うんです。結婚しても、夫は自分のうちに住んで、毎晩お嫁さんのうちに通って、朝になると出ていく。ずうっといるのはだらしがないと言われるんですね。さらに一夫多妻ですから、一人の男がたくさんの妻を持ってもいいという習慣だった。夫が通ってこなくなると、これは捨てられたということになるんです。

乗り物は牛車です。牛が引く車が、ガラガラ、ギシギシと音を立てていく、その音を妻はじっとうちの中で聞いて待っている。貴族の車が行くときは先払いというのがありまして、「何々様のお通り」と、家来が声をかけていくんです。自分のところに来てくれると思って、一生懸命お化粧して待っているのに、自分のうちの門の前を牛車はガラガラと通り過ぎて、どこかよその女のところに行ってしまう。悔しくてたまらない。源氏物語の女たちも、みんなそういう思いをしていた。

恐らく紫式部にも、現実の生活の中でそういう経験があったんだと思います。小説というものは、経験を即書くものではありません。でも、心に経験しないことは書けません。自分は実際に殺さないけれども、人間誰にでも殺してやろうと思ったことはあると思うんです。

その、殺してやろうと思って憎んだときに、あの手でやろうか、この手でやろうかと眠れないままに思うこともあったと思うんです。そういう思いを、殺人の思いを心に経験すれば、その小説の中の殺人は生きてくる。だからそれが人の心を打つんですよ。

出家した瞬間に「心の丈」が高くなる源氏物語の女たち

瀬戸内『源氏物語』の世界では、光源氏が次から次に女を愛するけれども、愛された女たちは一人も幸福になっていないんです。これは大変なことだと思います。天下一のハンサムに愛されるんだから悪くないです。ぜいたくもさせてもらう。しかし、心が十二分に、あるいは十分にでも満ち足りたことはない。必ず源氏には自分以外の女がいて、それを耐え忍ばなければいけない。これは女にとって大変つらいことです。

その苦しみから逃れるために女たちは出家したんです。どの女も、源氏に言わないで出家していく。出家したとわかったら、源氏は飛んで行って、女にとりすがって「出家したいのは自分だ。私は前から出家したいと思っているけれど、あなたを愛しているから、あなたを守らなければいけないから出家しないのに、あなたは私を捨てて、なぜ先に出家したか」なんて言って泣くんですよ。どの女が出家しても同じ言葉で泣く。

松信どの女性も、源氏に相談したらとめられるということを分っていたんですね。

瀬戸内源氏に相談したら源氏は絶対とめます。その当時、千年前はまだ仏教の戒律が生きておりました。出家者は結婚できなかったんです。結婚だけではない。女とそういうことをしちゃいけなかったんです。源氏のような色好みで、女たらしでも、やはり仏教の戒律は怖かったんですね。仏教の戒律に畏怖、恐れを抱いていたんです。

だから、源氏に相談したら絶対とめますね。女たちはそれをよく知っている。必ずとめる。だって出家したらセックスができなくなるから、源氏にとっては都合が悪いから絶対とめるんですよ。

男は、自分の女が出家して尼さんになったら、もう絶対手をつけられなくなる。つけたっていいんですけど、やはり仏様がどこかから見そなわしていらっしゃいますから、罰が当たったら怖いと思うんでしょう。だから、絶対に自分の妻や恋人に出家されては困るわけなんです。

しかし、女たちはもう来てくれなくていいというところまで心が離れていますから、源氏に相談しない。出家すると、源氏はよよと女にとりすがって泣くんですけれども、女は毅然としている。

出家後、何事にも動じない姿を知って現代語訳を決意

瀬戸内そのとき「女の心の丈」ということばを、私は発明いたしました。心にも背丈があると思うんですよ。出家した瞬間に「女の心の丈」がさっと高くなるんです。『源氏物語』を丁寧に読みますと、紫式部はそれがちゃんとわかるように書いてあるんです。

しかし、それはどなたも気がつかなかった。私は自分が出家したからわかりました。私も、出家しないでと、よよととりすがられた覚えがあるようなないような、もうあいまいになりましたけれども、思い切って出家しました。その瞬間にそういう迷いがほんとに吹っ切れるんですよ。解放されるんですね。我慢しているんじゃないんですよ。自由に、もうほんとに広々と心が広くなって、心の丈が高くなって、「何であんな男にほれたのかな」って、そういう気持ちになるんですよ。

『源氏物語』の中の女たちは出家した瞬間、心の丈がさっと高くなって、源氏を見下ろすような立場になって、源氏に幾らとりすがられても動じないんです。どの女も動じない。これは見事に描かれているんですよ。しかし、それについての論文は余り見たことがありません。

それで私は、ここから『源氏物語』を訳してもいいんじゃないか。私に『源氏物語』を訳すカギが与えられたと思いました。

それでお三人の天才文豪に対抗して、私のようなものが源氏の現代語訳をするという恐ろしい仕事を、やってもいいという許可を得たと思ったんですよ。それで自信を持って訳したのが、私の『源氏物語』なんです。

女たちは愛されることの苦しさの余りに出家して源氏との縁を切っていく。なぜ彼女たちが出家していくか。なぜ光源氏がよよと泣くか。私はそこがわかるように書いてある(笑)。何となく。

情熱を持続した朧月夜も最後には出家

松信物語では、最初に出家するのは藤壺ですね。

瀬戸内源氏はすごくショックで、なぜ出家したか、どうしてこんな大事なことを自分に言ってくれなかったかと泣く。藤壺としては、出家したら、源氏の身も守れるし、それから不倫の子の東宮の身も守れる。

源氏との恋愛で喜びもあるけれども、苦しみも多い女たちが、たまらなくなって自分の身を守るために選ぶ道は出家しかないんです。それで次から次に出家していく。朧月夜のような人でも最後には出家する。

松信東宮の婚約者でありながら、光源氏と不倫する朧月夜というのはどういう女性ですか。

瀬戸内朧月夜は、ぱあっとあたりが輝いてくるような華やかな人ですね。私は、初めから好きなんですよ。朧月夜を好きと言うと、みんなびっくりする。丸谷さんも、断然、朧月夜がいいとおっしゃる。非常に育ちがいいし、わがままで、かわいがられている。自分のしたいことをしていますよね。

『源氏物語』の中で一番意志的な人なんですよ。そして非常に情熱の持続がある人ですね。それでも出家したら、源氏がとりすがっても知らんと言って突っ放す。あそこはとてもおもしろいです。

松信それほど情熱的に源氏を愛していた人でも、出家したらその後は一切関係しない。それぐらい覚悟が決まっていたということですね。

女も出家すれば成仏できる「男はだめね」

瀬戸内「宇治十帖」にでてくる浮舟も、出家のあと、恋人の薫が、過去のことは許すからまた自分と仲良くしようと、わざわざラブレターをよこすんですが、浮舟はその手紙を、お人違いだったら困りますと突っ返してしまう。

その返された手紙を見て、薫は浮舟には男がいるんだなと想像する。そうして、この長い、長い『源氏物語』が終わるんです。

浮舟はお姫様だけれども、田舎で育って教養も余りなくて、恋人がいるのにほかの男に身を任せてしまう。出家しても、数珠をどう持っていいかわからないし、お経もろくに言えない。読者としては、大丈夫かなと思うように書いてあるんですね。その浮舟が見事に薫の誘惑を退けた。出家者としてそこで全うできるんですね。それこそ心の背丈がぱっと高くなっているんですよ。

つまり紫式部は、女人は成仏できないというふうな仏教の教えでしたけれど、そんなことはない。女だって救われるよ。本気で出家すれば、女もきっと成仏ができるということを彼女は言いたかったんだと思う。そして「男はだめね」ということも言いたかったんだと思うんですね。

松信先生のお話はたいへん面白く、興味深いことばかりで、時間が何時間あっても足らないように思います。実は、11月24日(水)から26日(金)に「第6回図書館総合展」が文部科学省などの後援で、みなとみらいのパシフィコ横浜で開催されます。図書館の運営・管理や情報検索システムなどを展示・紹介するもので、有隣堂もお手伝いさせていただいておりますが、瀬戸内先生は記念の講演会をなさいます。

『源氏物語』について、お話しはまだまだ尽きないようですが、講演会の会場でその続きなどもお聞かせいただけるものと思います。

本日は、長時間、ありがとうございました。

※「有鄰」444号本紙では1~3ページに掲載されています。

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