Web版 有鄰

444平成16年11月10日発行

有鄰らいぶらりい

「夕刊フジ」の挑戦
馬見塚達雄:著/阪急コミュニケ−ションズ:刊/1,600円+税

サラリーマン層に、広い読者を持っているタブロイド紙「夕刊フジ」はどうやって創刊され、読者の心を掴んだのか。1969(昭和44)年の創刊時に、産経新聞の東京社会部から出向、報道部長、編集局長などを勤めた著者がその内幕などを忌憚なく語った本。忌憚なく、は決まり文句の褒め言葉ではない。

最初の役員会で「おれは床屋で読むような新聞を作るために産経にきたのではない」と反対した就任早々の鹿内信隆・産経新聞社長が、成功した後年には「作ったのはおれだ」と誇っていた話。

編集トップに指名された大阪社会部長(のち夕刊フジ代表)は、「ふざけるな! おれに、こんなエロ新聞が作れるか」と、東京で作ったテスト版をデスクにたたきつけた話。販売店に代わる売り場になる鉄道弘済会からは「場所を取る新聞よりビールやジュースを売った方がよほど儲かる」と鼻であしらわれたといった創刊時の四面楚歌。

事件の本筋のほかに、その渦中にいる人に重点を置いた本音の編集が共感を呼んだいきさつ。東大紛争で逮捕されたが完全黙秘、留置場の番号から「菊屋橋101」と呼ばれていたナゾの女の身元を突き止めた話をはじめ、当時の特ダネや逆の失敗話など、率直な語り口が興味深い。

サムライたちの遺した言葉』 秋庭道博:著/PHPエル新書/760円+税

乱世を生きたサムライたちは、死にのぞんで感動的な辞世の言葉を遺した。それらは現代の男たちにも、強い迫力を感じさせずにはおかない。なぜなら、それは、男の美学の結晶だからだ。本書は、そうしたなかから45人のサムライの辞世の言葉と、その背景を紹介している。

辞世の言葉といえば、真先に思い浮かぶのは、織田信長の本能寺の変における幸若舞の「敦盛]」の一節、「人間五十年、下天のうちをくらぶれば……」であろう。だが著者はその直前、森蘭丸が光秀の謀叛を告げたときの一語を取り上げている。「是非に及ばず」という呟きだ。何といういさぎよさか。いさぎよいといえば壇ノ浦で果てた平知盛も立派だ。安徳天皇の入水も見届けた上、「見るべきほどの事は見つ。いまは自害せん」と言って海に入った。

新旧の時代のはざまに生きた長州の高杉晋作の「おもしろきこともなき世をおもしろく」のたくましさ、「四十九年一睡の夢 一期の栄華一盃の酒」といった上杉謙信の心意気など、いずれも胸にしみる。好きな言葉を脳裏にとどめておいて、折に触れて思い出してみたいものだ。

幻覚』 渡辺淳一:著/中央公論新社:刊/1,600円+税

『幻覚』・表紙

『幻覚』
中央公論社:刊

人間を意外な行動に駆り立てる性の深奥の闇を照射した力作長編。語り手の僕は、ある病院に勤務する31歳の男性看護士。院長は36歳の精神科の女医で、都内に、本院とは別のクリニックを開設。僕はそこのカウンセラーに抜擢される。

僕が氷見子先生と慕うこの院長は二代目で、まだ独身。秀才の誉れ高く、しかも稀代の美貌で、僕は心底から敬愛してやまない氷見子先生の言うことなら、すべて絶対として受け止める。そんな僕を、氷見子先生も好意を抱いてくれてか、食事に誘い、バーに案内し、さらにはホテルや独身ぐらしのマンションにも。だが、氷見子先生は燃えなかった。やがて先生は、患者として知り合った若い売春婦とも、同性愛の関係にあることを知る。

しかし問題なのは、そのことではない。クリニックに入院してきた中年男性と、人妻の女性を薬漬けにしてしまうのだ。家人から退院の申し出があっても、耳をかそうとしない。患者の家庭環境に、氷見子先生は何かを嗅ぎ取っているのだ。そしてそれは、氷見子先生の心の闇に照応するものがあったのだ。薬漬け治療はやがて裁判沙汰に発展していく……。性の秘密を描いた、この作者ならではの傑作である。

雁行集』 安岡章太郎:著/世界文化社/2,000円+税

著者がこれまで各紙誌に発表したエッセーを収録したもので、少年時代の思い出から昨今の身辺雑記的なものまでさまざまだ。それらのなかには、他のエッセーで触れた話柄もあるが、しかしそれにもかかわらず魅力を失っていないのは、この著者のもつ巧まざるユーモアと、気どらない告白などのせいだろう。

著者は陸軍軍医少将の一人息子に生まれ、父の転勤に伴い、幼少から転々とし、このため学校の成績も秀才と劣等生の間を往復。中学に入ってからは弁当を持って青山墓地で暮らした毎日もあったという。

こうした人生の歴史が吐露されているわけだが、やはり面白いのは遠藤周作、吉行淳之介ら第三の新人と呼ばれた作家仲間たちとの交流で、登場人物一人一人がすべてユニークな役者ぞろいだ。

ちょっと趣が違って興味深いのは「介山のいる風景」で、『大菩薩峠』の中里介山が小学校教師時代に住んだ寺に、著者も劣等生の特訓の場として収容されたことがあるという因縁に由来するが、それを手がかりに介山の若き日を訪ねるエッセーが、両者の人格がミックスされて、とても面白い。介山が勤めていた小学校の子供たちは、父の名はほとんど知らないが、母の名は「オイ」というと答えた挿話など、腹を抱えるほどだ。

(K・F)

※「有鄰」444号本紙では5ページに掲載されています。

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