Web版 有鄰

442平成16年9月10日発行

[座談会]横浜美術館・開館から15年

横浜美術館長/雪山行二
アートディレクター/浅葉克己
武蔵野美術大学助教授/岡部あおみ
横浜美術館学芸部企画課長/猿渡紀代子
有隣堂社長/松信 裕

※は横浜美術館蔵・提供

左から、猿渡紀代子・雪山行二・浅葉克己・岡部あおみの各氏と松信裕

左から、猿渡紀代子・雪山行二・浅葉克己・岡部あおみの各氏と松信裕

はじめに

横浜美術館グランドギャラリー

横浜美術館グランドギャラリー

松信横浜美術館が1989年(平成元年)に、みなとみらい地区に開館してから、ことしで15周年を迎えました。開館準備の時期を含めますと、その歴史はすでに20年以上を数えます。横浜美術館では、数々の大規模な企画展が開催され、横浜の文化を語るうえで欠くことのできない美術館として、横浜市民はもとより、世界的にも注目を浴びております。

本日は、横浜美術館開設の基本構想や、それを反映したコレクションについてご紹介いただきながら、その魅力や、現代における美術館のあり方などについて、お話をお聞かせいただければと思います。

ご出席いただきました雪山行二様は、国立西洋美術館学芸課長、愛知県美術館副館長を経て、2002年4月から横浜美術館長をお務めでいらっしゃいます。スペイン美術、とくにゴヤについてお詳しいとうかがっております。

浅葉克己様は、神奈川工業高校図案科をご卒業後、デザイナー、アートディレクターとしてご活躍で、横浜美術館のロゴマークや、企画展のポスターのデザインも担当され、7月には横浜赤レンガ倉庫で個展を開催されました。

岡部あおみ様は、パリで専門教育を受けられ、開館直後のポンピドゥー・センターの研修生第1号となり、その後、同センターで特別研究員となり、さまざまな研究や展覧会の企画をされ、世界の美術館に精通しておられます。

猿渡紀代子様は、横浜美術館で、開館準備の段階からお仕事をしていらっしゃいます。近代美術史を幅広くご研究され、「幕末・明治の横浜展」(開館10周年記念展)や「アジアへの眼-外国人の浮世絵師たち」などの展覧会を企画されていらっしゃいます。

国際的な視野と横浜の歴史を意識した収集

松信1989年(平成元年)3月に横浜博覧会が開催され、横浜美術館はそのときに仮オープンし、11月3日に正式に開館されますが、開館されるまでの経過を、まずご紹介いただけますか。

猿渡私は1982年(昭和57年)に横浜市の嘱託学芸員として採用されたのですが、その前年には横浜市美術館基本構想委員会ができていました。今はお亡くなりになられた国立西洋美術館の元館長の山田智三郎先生、その後、横浜美術館長や理事長をなさった河北倫明先生、そのお2人が市長の文化顧問という形でさまざまなアドバイスをされ、高階秀爾先生を始めとする有識者の方々によって、基本構想案が立てられました。

当時は「民活導入」が唱えられ、横浜も例外ではなかったわけです。民間の資金も募って、パブリックな面と、両方のよさを取り入れた美術館運営にしましょうということが基本構想委員会の答申の中に述べられています。

横浜は日本近代美術の一つの出発点

高橋由一「愛宕山より品川沖を望む」

高橋由一「愛宕山より品川沖を望む」※

松信どういうコレクションをもつとか、どういう美術館にしようという骨格づけがそこでなされたわけですね。

猿渡まず、国際的な視野に立つ美術館にという一方でコレクションについては、横浜という町が成り立った歴史的背景を非常に意識した収集方針になっています。

開館するときに、『横浜美術館コレクション選』と、図版とデータだけを載せた『横浜美術館所蔵品目録』(二分冊)をつくりましたが、そこに掲載されているように、作品群が収集方針を体現しています。

横浜の港が開かれたのは1859年(安政6年)でしたので、それ以降、つまり19世紀の半ばから現代までの美術作品を所蔵する近・現代美術館です。

現代美術の展開を示すような作品も、もちろん入っていますし、関連の企画展も数多く開催しています。開港のころに目を移すと、横浜は日本最大の居留地になって、そこに欧米各国から商人とか、宣教師とか、旅行者とか、さまざまな人たちがやってきました。

その居留地に住んでいたイギリス人で、特派員兼画家のチャールズ・ワーグマンから高橋由一や五姓田義松らが油絵の技法を教えられて、明治初期の洋画が誕生したように横浜は日本近代美術の一つの出発点となりました。

岡倉天心と原三溪にゆかりの院展の画家たちの作品

今村紫紅「伊達政宗」

今村紫紅「伊達政宗」※
(原範行・會津子寄贈)

猿渡コレクション収集方針の特色は他にもあります。横浜生まれの岡倉天心と、彼が創立した日本美術院の運動を物心両面にわたってサポートした人として、原三溪がいます。本牧の自邸の庭園を三溪園として、早くも明治39年から市民に開放した方でもあります。その原三溪と岡倉天心の両者にかかわりのある美術ということで、近代日本画のなかでも院展を中心とする画家たちの作品を集めることになったわけです。たとえば、横山大観、下村観山、今村紫紅、安田靫彦、小林古径、前田青邨といった方々の作品です。

松信初期洋画も近代日本画も横浜が発祥といっても間違いありませんね。

写真発祥の地としてトータルに見られる写真コレクション

猿渡あと一つ、忘れてはいけないのが写真です。これも西洋人から日本人に伝授されたものですが、下岡蓮杖が日本で最初期の営業写真館を1862~63年ごろ、横浜で開いています。上野彦馬がいた長崎と並んで、横浜は日本における写真発祥の地の一つとされています。

それまで写真は、日本の美術館の収集対象にはほとんど入っていなかったのですが、横浜美術館の大きな特徴として、写真をコレクションし、写真専用の展示室をつくりますというのが、大きな柱として掲げられました。

横浜写真については、1981年(昭和56年)に横浜開港資料館が「下岡蓮杖と横浜写真」という展覧会を開いていました。

横浜美術館の写真コレクションでは、西洋で写真術が発明された19世紀の前半から今日に至るまでの写真の流れを、国内外あわせてトータルに見られるように、という構想でした。現在、7,900点の所蔵品がありますが、そのうちの3,700点近くが写真作品です。

それから、横浜浮世絵も横浜にとっては特徴的な美術品ですけれども、それは、質量ともに随一の丹波コレクションが神奈川県立歴史博物館に入っています。

写真も浮世絵も、すでに横浜にあるものは、重ねて集めなくてもよいのでは、ということになったわけです。

「観る」「創る」「学ぶ」機能を基本理念に

市民のアトリエでの制作

市民のアトリエでの制作※

猿渡それまでの美術館は、まず、常設展や企画展を開催して、作品を見ていただく場所でした。それを、見るだけではなくて、学ぶ機能やつくる機能という3つの機能を兼ね備えた、みんながそこで楽しむ美術館、あるいは開かれた美術館にしようという理念が掲げられたわけです。

具体的には、市民や子供のアトリエ、そして美術情報センターと図書室が加えられました。パリのポンピドゥー・センターには子供のアトリエ(アトリエ・デ・ザンファン)がありますけれど、そういったものをモデルとしていました。

雪山私が横浜の美術館の建設計画を初めて聞いたのはたしか昭和57年ごろでした。当時、私は上野の国立西洋美術館にいましたが、横浜市が新美術館に300億円をかけるというので、すごい計画だなと驚いたことを覚えております。

それまでの美術館というのは、とにかく見せる、あえて言えば「見せてやる」という姿勢がありました。それが、1970年代後半から80年代にかけてたくさんできた公立美術館では、市民参加といいますか、開かれた方向に変わってきた。横浜美術館は、それらのなかでは後発組なんですが、その集大成という感じがしましたね。

松信他の都市にくらべ、横浜市に美術館ができるのは遅かったですね。

猿渡1964年(昭和39年)に横浜市民ギャラリーが桜木町駅前の旧中区役所の建物を使ってオープンし、10年後に現在の教育文化センター内に移っています。その間ずっと「今日の作家展」をはじめとする活動を続けていますが、「横浜に美術館を」という声は根強くありました。

横浜は東京のベッドタウンとして人口が増え続けてましたので、まずは学校とか、上下水道の整備など都市のインフラづくりに追われてしまったんですね。1970年代の後半から、全国各地で美術館建設がラッシュのように始まっていましたけれど、横浜はそういう点では非常におくれたスタートだったわけです。

ポンピドゥー・センターはアートの複合施設

ポンピドゥー・センターの外観

ポンピドゥー・センターの外観
(岡部あおみさん提供)

松信岡部先生は、今お話しに出ましたポンピドゥー・センターでお仕事をされていたわけですが、これはどういうところなんでしょうか。

岡部ポンピドゥー・センターは、パリの国立近代美術館が一つの核になっている複合施設です。国立近代美術館の歴史は非常に古くて、19世紀にできたリュクサンブール美術館を前身に、国立現代芸術センターと合併しました。そこに公共情報図書館と、音響音楽研究所(IRCAM・イヤカム)などが同居してます。ですから、美術館というよりは文化センターです。それから、もとの国立近代美術館にはなかった、デザインや写真のコレクションがあります。

1977年のオープンなんですが、美術館には見えないハイテックな建物でしたので建築もすごく話題になりました。図書館があり、シアターみたいなホールがあり、パフォーマンスや音楽会もでき、映画も見られるなど、いろんなアクティビティーが行われています。それに並行して、美術館の活動がある。現代の生活のなかのいろいろな芸術的な活動の一つとして位置づけられているのですね。

フランスでも、それまで美術館は権威的な感じで、一般の人が行くにはえりを正すみたいなところがありました。そこで、芸術の殿堂というだけではなくて、もっと日常的で身近な施設、社会的な機能を持つものとして組みかえたわけです。

1997年に、ポンピドゥー・センターをいったん閉めて改修することが決まったときには、みんな青い顔になってしまったぐらい市民生活の一部に溶け込んでいるわけです。そういうことが大事で、それがまさに文化のあり方で、偉大な気がします。

浅葉美術館のすごいところは、どうしてもキラキラしているみたいなところ、パリに行ったら、絶対ポンピドゥーに飛んでいきたいと思いますね。あそこに行くと大道芸をやっていたりして、市民が集まっていますね。すばらしいなと思った。ルーブルとオルセーとポンピドゥー、一観光客として行くんですけどね。

「観る・創る・学ぶ」のコンセプトを表現したロゴマーク

浅葉克己デザイン「横浜美術館ロゴマーク」

浅葉克己デザイン
「横浜美術館ロゴマーク」

松信浅葉先生は横浜美術館のロゴマークをデザインされているわけですが、どんなイメージでつくられたのですか。

浅葉「観る・創る・学ぶ」という三つのコンセプトがありますね。それが横浜の「Y」の字になっているんです。

猿渡赤・緑・青の三色ですね。

浅葉三色です。名刺の印刷代が高いんですよ(笑)。僕はシンボルマークに色は使わないんですけど、このときだけは三色使いたいなと思ったんです。

雪山そのとき、「観る・創る・学ぶ」はもう打ち出されていたんですか。

浅葉開かれた美術館というのは決まっていましたね。「Y」という字を書いたら、ちょうど三つに開かれているみたいな感じがあって、ぴったりだった。

猿渡『横浜美術館ニュースRGB』のタイトルはレッド、グリーン、ブルーの三原色の意味で、ロゴマークから来ています。すべてがここから始まったみたいなところがあって、浅葉先生のロゴマークで、こちらとしてはすごくラッキーだったと思います。

松信浅葉先生は、横浜美術館の展覧会のポスターもかなり手がけていらっしゃいますね。

浅葉そうなんです。6点つくっています。89年の「ニューヨーク・ニューアート チェースマンハッタン銀行コレクション展」「東山魁夷展」などがありますが、その前に横浜博覧会のポスターをつくっているんですよ。

猿渡横浜博覧会のポスターもそうなんですか。

浅葉ええ。「宇宙と子供たち」というテーマでした。榎本了壱さんがプロデュースをして、字は亀倉雄策さんがつくって、イラストレーションはタナカノリユキさんが描いたんです。

「横浜に美術館が欲しかった」

浅葉克己デザイン「ニューヨーク・ニューアート チェースマンハッタン銀行コレクション展」ポスター

浅葉克己デザイン
「ニューヨーク・ニューアート チェースマンハッタン銀行コレクション展」ポスター
🄫ADAGP,Paris & JVACS,Tokyo,2004

松信先生は横浜のお生まれですね。

浅葉僕は県立神奈川工業高校の出身ですが、学生時代は1950年代ですから、まだ焼け野原ですよ。横浜には美術館がないですから、東京に見に行きましたね。「東京都横浜区の考え方でいなさい」と先生が言うんです。よく上野まで行かされました。横浜にあれば横浜で見るんですけどね。何で横浜に美術館がないのかなって、欲しかったですよ。

一番お世話になったのは、山下公園通りにあったアメリカ文化センターでしたね。あそこにアメリカの情報が集まっていたので、全部の本を借りましたよ。アメリカのデザイナーのハーバート・バイヤーの「世界地図」という傑作があるんですよ。それを繰り返し借りて、結局返さなかったんです(笑)。督促状が何回も来た。

岡部ブラックリストに載っていますね。

浅葉そうですね。この間亡くなったカメラマンの横須賀功光も横浜出身なんです。彼が本を借りようとすると、必ず「浅葉克己」と書いてある(笑)。全部先に見たのかと。

『Vogue』とか『Harper’s Bazzar』とか、『Art Decoration』とか、雑誌の一番新しいのも来ていましたから、毎週行ってましたよ。学校に行っても資料は全然ないですからね。

岡部特に海外のはね。

浅葉ええ。海外のはなかったので、そこばっかり行ってましたね。横浜に戦後すぐにできたのですが、随分助かりましたね。

8万冊の蔵書を揃え利用者も多い充実した図書室

浅葉だから、横浜美術館に行っても必ず図書室には行くんです。結構珍しい本がありますよ。図書室はすばらしいですね。

雪山今、蔵書は8万冊ほどあります。首都圏では東京国立近代美術館、東京都現代美術館、そして私どもの横浜美術館が、大体同じぐらいでしょうか。

それから定期講読をしている雑誌については、横浜美術館は特にすぐれていると思います。

猿渡著名な方もたくさんいらしていて、執筆などの助けにされているようです。

浅葉そうですよね。コピーをとってもらえるし。8万冊ですか。

雪山利用者も年間約1万5千人と随分多いし、また喜ばれてもおりますが、昨今の財政難でどんどん予算がカットされると、こちらは収益がなくてかせぎようがありませんので、大変苦しい立場にあるんです。

美術館がもたらす波及効果を都市の戦略に

松信その辺は、ポンピドゥー・センターはどうなんですか。

岡部もともと、かせぐことを第一には考えてないですね。一番大きな組織である公共情報図書館はすべて無料です。

ただ、フランスの場合、特にパリは観光客が多く、現在ルーヴル来館者の60%が観光客です。つまり、各施設の収支が合わなくても、フランス全体では収益が上がる。結局、文化国家の魅力というのが非常に重要な要素なので、文化予算を基本的な投資と考えることができるわけです。

雪山美術館というのは、単体としては採算なんて成り立ちっこない。ですが、ことしの1月から2月に「東山魁夷展」をやったとき、ちょうど、みなとみらい線の地下鉄ができて、2月からお客さんがわっとふえました。アンケート調査の結果をみると、これから元町や中華街へ行くという方が多いんですね。

それと、みなとみらいの幾つかのホテルで、宿泊と展覧会の観覧券をセットにしたものを売り出した。そういう点ではみなとみらい、元町、中華街といった地域に対して、かなりの経済的な波及効果があったと思います。

それに、数字では出せないことなんですけれども、やはり美術館が存在することで、地域の文化的、精神的なレベルアップに貢献していることは間違いありません。だから、もうちょっと明確に都市の戦略のなかに美術館を位置づけていただきたい。美術館が地域の発展に役立つことだけははっきりしていますね。

アーティストが住める需要をつくる

岡部横浜に在住のデザイナーとか、アーティストはどのぐらいいらっしゃるか、ご存じですか。

浅葉結構いるんですが、みんな東京に行っちゃうんですよ。

猿渡今また、そういう人たちに、横浜に住んだり、アトリエや事務所を開いていただいて、芸術文化を都市づくりの核に置こうという構想を中田市長が立ち上げています。

岡部芸術構想を持っていらっしゃるみたいですね。

雪山でも、アーティストが横浜で食えなきゃだめなんです。だから、横浜に呼び戻そうとかいろいろやっていますけれど、横浜でそれだけの需要をつくらないと、ほんとのところはだめでしょうね。

岡部美術館が、横浜出身者とか在住の人をフォローしていけば、若いアーティストにとって横浜が魅力的になるんじゃないでしょうか。

猿渡そうかもしれないですね。

岡部ポンピドゥー・センターは国レベルですけれどもたとえば、リニューアル・オープンしたら、フランスの現代作家をバーンと押し出します。そんなふうに横浜の現代作家を押し出すとかもしたらいいと私は思います。バックアップしてもらえたら、アーティストはうれしいですし。ただ、フランスの場合はものすごく文化政策が強いので、やり過ぎて頼られてしまうこともある。でも、日本の場合はその辺がまだ弱いから、積極的にしてもいいと思いますね。

雪山アートは付加価値が高いから、国や都市の戦略としてうまく活用すれば、地域の発展とか収入につながる。日本ではそこまで考える政治家はいないですね。

浅葉日本ももうちょっとで来ると思いますよ。

猿渡そういう点で、「横浜トリエンナーレ」などを戦略的に使えばいいと思うんです。3年おきに開催される国際的な現代美術展で、2回目が2005年に予定されています。

岡部今、私たちの未来や世界がわからなくなってきているなかで、きちんと発言しているのはアーティストやデザイナーですから、そういう人たちを自信を持って支持する必要がありますね。

地場産業とアートが結びついた歴史がある横浜

猿渡横浜は明治期、生糸の輸出が盛んで、原三渓もそれで実業家として成功されたわけですが、実は素材だけじゃなくて、絹のハンカチなど加工品もたくさん輸出されていました。横浜スカーフも有名です。

横浜には、ツーリストアートと呼んでいいような、美術というジャンルのなかに入れてもらえないようなお土産品としてのアートがあるんです。「幕末・明治の横浜展」で取り上げましたが、絹地に外国人や日本人の肖像を非常にリアルに描いた、いわゆる「横浜絵」は、外国人が喜んで注文して持って帰った。

また、日本の典型的な風景や風俗などを、ちょっとビクトリアン調に描いた水彩画が輸出されていたようです。

横浜写真という彩色された写真については、横浜開港資料館を中心に研究が進んでいますけれど、これも、明治20年代から30年代初めにかけて横浜の港から積み出されて、欧米に相当輸出されています。地場産業とアートが結びついた歴史というのが横浜にはあるんですね。

「お願いしたい新人作家の発掘」

猿渡横浜美術館の基本構想に示された収集方針のなかにも、実は、現代の市民生活と密着した分野として工芸、デザイン、建築などが掲げられていますが、そこがまだ弱い部分かなと思います。

横浜は、商店街のモール化による活性化など、都市デザインの点で他都市に先行してきました。美術館とか、地場産業とかいうものが、うまく有機的に結びついて、一つの大きな動きになるといいですね。

浅葉僕が入っている日本グラフィックデザイナーズ協会では、デザインキャラバンをやっているんです。東京のデザイナーと地元のデザイナーが組んでモノをつくる。そこから結構ヒット商品もでています。そういうことはできると思いますよ。

岡部その中から新しいアーチストがあらわれるという可能性もありますよね。

浅葉新人の発掘、これを強烈にお願いしたいですね。

社会的要求も広がり、改革・変身を迫られる

松信岡部先生はミュゼオロジーがご専攻ですが、それはどういうことをする学問なんですか。

岡部ミュゼオロジーは、いわゆる博物館学ですが、私がやったのはむしろ美術館学です。美術館の歴史、国際的なレベルでの比較、現在の美術館のあり方を学び、あるいは、これから先どうなっていくのかとか、それに芸術はつねに動いているものですから、それをどういうふうにシステムに落とし込むか。また、システムそのものをどう変換できるのかということを大きな視野とヴィジョンで、客観的に研究する学問です。

猿渡美術とか文化の問題が、ただ単に、美術館とか博物館の問題ではなくなっています。

現代美術自体も、博物館や美術館という、いわゆる箱というか、建物のなかで展示したり、何かつくるということだけではなくなってきました。むしろ、もっと別の場所で、大がかりにインスタレーションが行われたり、あるいは人が参加することによって初めて成り立つ作品とか、終わってしまえば何もなくなってしまうようなものなど、大きく形態が変わっていますから、横浜のまちづくりのなかで、美術館が果たす役割のようなものも、確実に変質をせざるを得ないわけです。

ですから、横浜市のほうも美術館だけではなくて、トリエンナーレをやるとか、あるいは古い銀行の建物を使って展開する「バンカート」といった新しい形の活動を立ち上げているんです。

美術館の「塀」の外の人たちとどう手を組むか

雪山美術館は本当に大きく変わったと思います。私が美術館に入ったころ、学芸員の仕事というのは、とにかくいいコレクションをつくること、いい展覧会をやること、それに尽きる。そのために調査研究をする。それ自身、私は間違っているとは思っていません。未来の世代に残すべき文化財を公開し、保存するということは大変重要なことだし、美術館活動の根幹だと思っている。けれども、美術館に対する社会的な要求もどんどん広がってきたし、現代美術も変わってきた。

美術館の役割も、その占める位置も変わってきた以上、美術館も、自分たち自身の改革、変身というのが迫られています。

私は美術館に28年もいて、要するに美術館の塀の内側で暮らしてきた人間です。それが今、塀の外にたくさんいる非常に優秀な人たち、美術活動を一生懸命やっている人たちとどうやって手を組んでいけばいいのか。要するに内側に住んでいる人間としては、組み方がわからないというのが率直な感じですね。

蓄積されたコレクションをどう活用するかが大切

岡部日本の美術館はある意味で急速に進歩しました。しかも、全国に点在してますね。この数と、コレクションの蓄積を見てみると、ものすごい量のコレクションが日本にあることがわかる。ですから、今までと同じように収集活動も大事ですけれど、これからはそれをどう活用するかに目を向け、頭を少し切りかえてもいいように思えます。

猿渡1994年の「モネ展」や2002年の「印象派とその時代展」では国内コレクションが大いに活用されてます。

雪山横浜美術館もいいコレクションを随分持っているんですけれども、もう少し、見せ方に工夫の余地があると思いますね。

展示室の面積が狭いものですから、年に3回展示がえをしているんですけれども、ほんとはいいものはいつでも並べておかないと、美術館のイメージがつくれないんです。そこに行けば必ずその作品がある。そういう展示も必要でしょうね。

ジャンルや時代の枠を取り払いテーマで見せる

小林古径「菓子」

小林古径「菓子」※
🄫小林古径保存会

猿渡横浜美術館では、この春、開館15周年の記念事業の第1弾として「イメージをめぐる冒険」という、コレクション中心の展覧会を行いました。これまで集めてきたものを、常設展とは別の観点から紹介しましょうということで、開催したものです。

ふだんですと、日本画、日本洋画、写真というように展示室ごとに分けているんですが、そういうジャンルとか、時代とかを全部取り払ってしまって、4つの世界をめぐる冒険に見立てて展示したものです。

たとえば「パノラミックワールド」という空間には広々とした景色を描いたものを並べました。すると、ダリの大きな絵と國領經郎さんの砂丘の絵とが隣り合わせで展示される。工藤甲人さんの日本画と、マックス・エルンストの油絵が思わぬ共通点を見せる。見るほうもそれを発見することができる。

岡部すごくおもしろかったです。

猿渡入場者数は1万8千人でしたが、アンケートを読むと、皆さんがとても楽しんでくださったようなんです。「こんなにコレクションがあったんですね」とか、こちらの内情を見透かされたような「予算もなくて大変でしょうけど、頑張ってください」などという励ましの言葉をいただいてしまったり。

今年度以降は年に1回ぐらいの割合で、コレクションベースの企画展を開いていく予定です。

岡部ダリの作品も、べつのコンテキスト(文脈)で見られて、再評価し、再確認しました。テーマで見せていただけると、また別の角度から異なる読解ができます。

シュルレアリスムの作品収集は日本屈指

松信横浜美術館のコレクションのなかで珠玉のもの、お好きなものというとどのような作品でしょうか。

雪山私はやっぱりシュルレアリスムがいいですね。日本でも屈指のコレクションです。

猿渡ダリとか、マグリットとか。

岡部あと珍しいミロの作品もありますね。

雪山私が一番好きなのは初期のミロです。「花と蝶」が個人的には好きですね。

岡部初期のミロの作品はとても稀少です。

松信ルネ・マグリットもいいものがありますね。

猿渡その名も、「王様の美術館」という作品があります。

今年度の第3期のコレクション展は11月24日から来年の3月23日までで、テーマはシュルレアリスムです。この展覧会では、「シュルレアリスム 西洋と日本」とか、「シュルレアリスムと写真」とか、「シュルレアリスムと版画」とか、シュルレアリスムオンパレードで、横浜美術館のシュルレアリスムのコレクションを、いちどにいろいろ見ていただけると思います。

来年1月5日からは、企画展のほうも「マルセル・デュシャンと20世紀美術」を開催しますので、両方合わせてお楽しみいただければと思っております。

松信日本画ではどんなものがありますか。

猿渡ちょうど今、(11月14日まで)今年度第2期のコレクション展になります、開館15周年記念で購入した小林古径の、果物を描いた静物画を中心に「小林古径と院展の画家たち」の作品を展示中です。横山大観や下村観山から始まって、次の世代の今村紫紅とか、速水御舟、前田青邨、安田靫彦も含めた展示です。

お客さまが選んだ「名品選」展を来年夏に計画

下村観山「小倉山」右隻※

下村観山「小倉山」右隻※

猿渡それから、来年の夏休みに、「わたしの美術館 横浜美術館名品選」(仮称)という展覧会を計画していまして、そのために、開館記念日の11月3日まで、所蔵作品の人気投票をしていただいています。

横浜美術館のコレクションのなかで、あなたの思い出に残る作品とか、好きな作品があったら、それを教えてくださいということで、今、応募用紙を館内各所に置いたり、それから、はがきでも受け付けています。それで特に人気が高かった作品を、来年の展覧会のときに紹介することにしています。

いままでに集まった応募用紙を見ますと、たとえば、下村観山の「小倉山」をあげた方々も多いです。六曲一双の大きな屏風ですが、思い入れの深いエピソードが語られています。

雪山「わたしが選んだこの1点」で展覧会を構成するということです。お客さまの参加型といいますか、そういうことが必要なんですね。自分たちが展覧会にかかわっているんだという喜びを感じてもらう。一方的に美術館側がつくって、「さあ見てください」では、やっぱりだめなんでしょうね。

来館者にも、美術館の運営に何からの形で自分がかかわっているんだ。そういう意識を持ってもらう。これからの美術館には、それが欠かせない条件になるでしょうね。ですから、「わたしが選んだこの1点」は、大変いい試みだと思っております。大いに期待しております。

開館15周年記念展 失楽園:風景表現の近代1870-1945

松信10月9日から12月12日までは、開館15周年の企画展である「失楽園:風景表現の近代1870-1945」が開催されますね。これはどういう展覧会ですか。

雪山これは、去年の2月にやりました「明るい窓:風景表現の近代」に続いての、シリーズ第2回展なんです。

この「風景表現の近代」は、これまでのように西洋とか、日本とかに分けて風景画の様式の発展を示すのではなくて、風景とは何かということを考えてもらうというのがねらいです。つまり、風景はただ単にわれわれを取り巻く環境ではなくて、人間が眼差しを向けることによって初めて成立するものであるということなんです。

コロー「夢 - 炎上するパリ」

コロー「夢 - 炎上するパリ」※
カルナヴァレ美術館蔵

今回とりあげる作品は、フランスで印象派が登場した1870年代から、第二次世界大戦が終結する1945年までのものです。この70年あまりの間の、欧米と日本、そして極東アジアの作品を、大都市の興隆や社会主義思想の影響、近代化と反近代、2つの大きな戦争などの、この時代の社会的・政治的視点からとらえ直そうという趣旨の展覧会です。

題名の「失楽園」は、ちょっと悲観的かもしれませんけれども、結局人間は、楽園を求めながらも、そこから遠く離れざるをえない、そういうテーマの展覧会になると思います。

西洋絵画、日本画、洋画、それからそのコンセプトに合わせた写真などを的確に配置しますので、実際にそれをご覧になれば、どういう意味かご理解いただけるのではないか、なかなかおもしろい展覧会になるんじゃないでしょうか。

たとえば、戦前、台湾や朝鮮から、美術の留学生がかなり日本に来ているんですね。昔の東京美術学校(現・東京芸術大学)で随分勉強していますし、そういう人たちの絵も借りて展示するとか、あるいは満州に対する日本人の見方を示すとか。

これまでのわれわれの常識になっていた見方からはちょっと外れた視点に立って風景表現を見直そうと、そんなことを考えております。

それから、この時代に発明された映画のなかの風景表現も見ていただこうと、上映会も予定しています。

ジャンルを超えた学芸員の活動で新しい展開に期待

猿渡一つつけ加えさせていただくと、横浜美術館はやたら間口が広いと言われることがあります。特にコレクションは、日本画もあるし、西洋のシュルレアリスムもあるし、写真もあり、現代美術もあるということで、よく言えば総合的ですけれども、分別がないみたいな言い方もされます。けれど、「風景表現の近代」とか「幕末・明治の横浜展」のような展覧会は、いろいろなジャンルのコレクションをこれまで積み上げてきて、それぞれの調査研究をしている学芸員がいて、初めて成り立つ展覧会ではあるんです。

岡部いつも、すごくいい企画展をなさっているのは、やはり実力のある学芸員の方がいらっしゃるということです。しかもそうした学芸員の研究をきちんと支えてきた美術館があって、コレクションも非常に豊かですしね。今、それぞれの学芸員の人たちが自分のジャンルを超えて、一緒にいろいろやっていけるような状況になってきているので、これからの展開もとても楽しみです。

松信どうもありがとうございました。

雪山行二 (ゆきやま こうじ)

1947年冨山生まれ。
著書『ゴヤ、ロス・カプリチョス』 二玄社 3,200円+税ほか。

浅葉克己 (あさば かつみ)

1940年横浜生まれ。
著書『地球文字探険家』 二玄社 1,800円+税ほか。

岡部あおみ (おかべ あおみ)

東京生まれ。
著書『ポンピドゥー・センター物語』 紀伊國屋書店 1,900円+税ほか。

猿渡紀代子 (さわたり きよこ)

横浜生まれ。
著書『長谷川潔の世界』 有隣堂 上・中:2,381円+税、下:2,300円+税。

※「有鄰」442号本紙では1~3ページに掲載されています。

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