Web版 有鄰

438平成16年5月10日発行

垣根涼介と『ワイルド・ソウル』 – 人と作品

ブラジルに移民した日本人の魂の軌跡を描いた

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垣根涼介

方向性を見失った日本社会に異議を

熱い作風だ。

1960年代、ブラジルに移民した日本人とその子供たちの魂の軌跡を書いた『ワイルド・ソウル』は、原稿用紙1,300枚超を一気に読ませる快作である。今年度の大藪春彦賞と吉川英治文学新人賞をダブル受賞、5月に選考される日本推理作家協会賞の候補にもなっており、受賞すれば“三冠達成”となる。極上のエンターテインメント小説だ。

「僕の場合、根本とする問題はただ一つです。人間はそれぞれの“枠組み”の中で暮らしているけれど、その枠をはみ出した瞬間、最も美しいものをさらけ出す生き物ではないか…。その最も輝く瞬間を切り取って描きたい。それが小説を書く理由です」

人が輝く瞬間とは――。1971年、「衛藤」という名のひとりの男が、アマゾン水域を遡る場面から、物語は始まる。その10年前の61年、21歳の衛藤はアマゾン入植のために「サンパウロ丸」で旅立ち、日本という“枠”から一歩、はみ出した。

が、夢みた新天地は荒涼たる場所で、妻と弟は黄熱病で死に、密林で成長した少年、啓一を拾って育てる。彼、野口・カルロス・啓一が全編の主人公で、ブラジルから現在の日本に“帰還”した啓一は「棄民」とも批判される、ずさんな移民政策を行った外務省の役人たちを相手取り、犯罪にひた走っていく。

<移民の悲惨さ、絶望感が実によく書けていて、前半のブラジルの描写が傑出している。後半、軽いアクション小説になった欠点はあるが、前半のリアリティが圧倒的で、それで充分だった>と、大藪賞と吉川賞を選考した北方謙三氏は絶賛した。

家族の死という喪失、密林という過酷な環境を生き抜いてきた日系人が安穏と閉塞する中で方向性を見失ってしまった日本社会に異議を唱えていく物語。“枠”の外から投げられた情熱が、枠にぶち当たって火花を散らす。“人が輝く瞬間”を描き出す。

コロンビアとブラジルを2か月間取材

「一昨年ほど前から、“いつから日本はこんなふうになったのか”というセリフをテレビで聞くようになり、いや、日本人が変わったのではなく既存のシステムが機能しなくなっただけじゃないかと考えました。不況の中でも楽しく生きている人はいる。では、移民の人たちは悲惨な環境でどう生きたのか。そう推論して、仕事を始めました」

仕事場で、たまたまボサノバを聴き始めたのも発端だった。「小説を書くのはけっこう孤独な作業で、僕は音楽がないとダメなんです、パンクやロックのほかに何かないかなと探して、ボサノバに当たった。他人の同情を拒否するような魂のメロディーが、妙にリフレインして、悲惨な状況でも楽しく生きるプライドを、日本人も昔から備えていたはずだと思い、そこからも移民に興味をもちました」

執筆にあたり2か月間、コロンビアとブラジルを取材した。「僕は一文の得になる相手じゃないのに、現地の人はうちとけて、ドライブや飲み食いをさせてくれた。“どうしてそんなによくしてくれるんだ?”と聞くと、“あんたのことが好きだからだよ”という。人間関係が利害で繋がっている日本にくらべ、はるかにシンプルな感情からでした。“おれは以前、レバノン系ブラジル人に助けられた。そのときの気持ちを、あんたに返す。そういうふうにして世界は繋がっていく”――。そんな心の広がりも、小説のテーマになりましたね」

取材は、「圧倒的リアリティー」と絶賛された前半部の描写にまず繋がった。<現場に立った作家の筆であることに感心し敬意を持った>(伊集院静氏)とも評された。

昭和41年、長崎県生まれ。筑波大学卒業後、リクルート、商社、旅行代理店勤務を経て、平成12年、『午前三時のルースター』(文春文庫)で第17回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞し、デビューした。

<垣根が描きだす世界は、確かな質感とそこはかとない微熱をもって入り込んできた>と、作家の川端裕人さんが文春文庫の解説で書くように、何しろ、熱のある作風だ。

2作目の『ヒートアイランド』(文藝春秋)では、渋谷のストリートギャングと裏金強奪のプロとの攻防を描いてヒートアップ。続いて『ワイルド・ソウル』で、3作とも、読後に強烈な爽快感を覚える。“ああ、人間に生まれるって、本当はとにかく楽しいことなんだな”と――。

不況の中、何とか日々生きているのだろう読者に、爽快な熱を送るのである。

(C)

wildsoul

ワイルド・ソウル
垣根涼介/幻冬舎/1,900円+税

※「有鄰」438号本紙では5ページに掲載されています。

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