Web版 有鄰

431平成15年10月10日発行

吉村萬壱と『ハリガネムシ』 – 人と作品

暴力衝動を抱えている人間そのものへの恐怖心を追求

吉村萬壱
吉村萬壱
日本文学振興会提供

平成15年上半期芥川賞受賞作

変わっている。平成15年上半期の芥川賞を受けた吉村さんは、決定後の記者会見の時も、受賞式の際も丸刈り頭にカラフルなバンダナを巻いて現れた。

「一昨年、文学界新人賞を受けたあと、受賞第一作が書けなくて苦しんだとき、髪の毛が抜けはじめて円形脱毛症になったんです。それが広範囲になったんで……」

いっそのこと丸刈りにし、バンダナとなったらしい。変わっているのは、ペンネーム「萬壱」の由来も同じ。

「職場の同僚に”千三つ”と呼ばれる男がいましてね」。千三つとは、本当のことは千回に三回しかない、という意味。「その同僚とホラの吹きあいをしたんですが、ぼくがタンザニアに別荘を持ってて遊びにいく、という話をしたら、信じちゃった。それで、”万一”と呼ばれるようになって……」

もうひとつ変わっている表題の『ハリガネムシ』は、カマキリに寄生するという虫。

「子供のころカマキリを踏みつぶすと、中からカマキリより長いハリガネムシが現れて驚いたことがあります。体のなかに抱えている暴力衝動の象徴としてつけました」

しかし一番、変わっているのは作品かもしれない。なにせ、ソープ嬢とかかわりあうことになった高校のそれも倫理の教師が彼女にめちゃくちゃな暴力をふるう話である。

おまけに、吉村さんご本人の職業が高校と養護学校の教師で、高校では主人公同様、倫理を教えていたというのだから、下手をすると自分をモデルにした私小説とも見られかねない。

もっとも、倫理と聞いてすぐ戦前の道徳教育を連想するのは間違いらしい。主人公が、トルコ風呂で最初にソープ嬢と知り合ったとき、職業を聞かれる場面がある。

<「何教えてるだ? あ、ちょっと待って待って今当てるから。えっと理科だ」「ちゃう」「国語だ」「ちゃう」「えっとえっと、だはは、ちょっと待ってよ、あと何あったっけ」/冗談ではなく、高校で習う教科名がそれ以上出てこないらしい。「倫理です」「何だそりゃ」「宗教、哲学なんかを教える科目ですわ。仏陀とかパスカルとか国際平和とか青年心理とか、そんなんです……」

話し出した途端、サチコの目がワニのように凝固して瞳孔が開いたのを私は見逃さなかった。(中略)この一刹那に彼女の脳は即死したらしい>。

こういう一種のユーモアも評価されたらしい。

暴力とは無縁であるはずの教師を主人公に

「ぼくにとって暴力というのは大きなテーマなんです。だれの中にも暴力の要素があり、社会に偏在していて条件がととのえば出てくる。小心者なので、そういう人間そのものへの恐怖があります。怖いものは追求したいということです。主人公を教師にしたのは、およそ暴力とは無縁であるはずだから。ユーモアは、とくに意識してません」。

それはそうだろう、と思うのは、自殺をはかった彼女を縛って馬乗りになり、その傷口を自分で縫っているうちに興奮して、傷に指を突っ込んでねじ回しながら自涜する場面。戸外で彼女を縛っているとき、そういう趣味なんだ、と笑っているのが許せなくなり、スコップでなぐり、薄皮で覆われた傷口を破いて性交に及ぶ場面などには、ユーモアのかけらもなく、ひたすらおぞましい。

<(前略)読んでいて汚らしくて、不快感に包まれた>(宮本輝氏の選評)とか<高校教師である以上、彼を取り巻く社会的環境や職場生活それ自体のうちに、主人公を外側から締め付ける枠がある筈>なのに、<無抵抗に暴力にのめりこんで行く経過に疑問が残る>(同、黒井千次氏)といった否定的意見もあった。

しかし、全体には、<唾棄すべきこのような暴力衝動がなぜ生まれるのかを(受賞作は)丁寧にかつ非情に解き明かす。(中略)見たくはないけれど見よう。宗教が断罪することのない日本において暴力を絶つ方徒があるとすれば、「よく見て」「知る」ことしかないのだから>(同、高樹のぶ子氏)といった肯定が多くを占めたらしい。

「安易に救いに飛びつかないようにしている、というとおこがましいけど、暴力をそのまま描いてチラとでも(救いが)あればいい、と思います」

念のため付け加えると、「夜、小説を書くときは悶々としているが昼間、生徒と接すると楽しい。教師はすごく好きなので続けたいと思います」と語る作者自身は、好い教師に違いない。

(金田浩一呂)

『ハリガネムシ』・表紙

ハリガネムシ
吉村萬壱/文藝春秋/1,143円+税

※「有鄰」431号本紙では5ページに掲載されています。

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