Web版 有鄰

423平成15年2月10日発行

有鄰らいぶらりい

タクシー』 森村誠一:著/角川書店:刊/1,300円+税

主人公蛭間正は二流の私立大学を出て旅行会社に勤めていたが、倒産してタクシー・ドライバーになった。タクシー・ドライバーというのは孤独な職業だが、とくにこの主人公は時どき、幽霊にとりつかれることがある。深夜、女の幽霊が乗ってきたりして、そんな時、雨も降っていないのに、座席がぐっしょり濡れている。強盗に襲われたこともある。都心で乗った男の客が郊外の町田へ行けと言い、町田についても行き先がはっきりしないのでイライラしていると、やにわに凶器を出して襲いかかろうとした。そのときに、突然、前方にパトカーが現われて間一髪、危機を逃れることができた。主人公は、それを幽霊の親切と理解している。

ある夜、主人公は何者かに胸を刺されて重傷を負っている女性を乗せる。女は佐賀まで連れて行ってほしいと言ったが、間もなく、息を引き取る。だが、主人公は遺体を乗せてそのまま佐賀に向かう。その途次、一人の少女に頼まれ、熊本まで連れて行ってほしいと言われる。少女は母親を亡くした女だ。遺体と少女を乗せたタクシーを、何者かが追跡してくる……。

作者の生家はタクシー会社だっただけに事情通で、異色のサスペンスミステリーとなっている。

釈迦』 瀬戸内寂聴:著/新潮社:刊/1,900円+税

50歳を越して仏門に入り80歳になった著者が、同じく80歳で亡くなった釈迦の「涅槃に至る最後の旅」を描いている。

話は釈迦(文中では世尊)55歳のときから身近に仕え最後を看取った侍者、アーナンダの回顧を交えた語りの形で進められる。釈迦没後、その教えを仏典に残すため開かれた結集で生前の説法(法)を語った人物である。

アーナンダは性善良だが、少々気が弱く、たまに煩悩にもとらわれる人物。その人間的な目を通すことで、釈迦族の王子として恵まれて育った釈迦が、王や王妃(養母)妻子を捨て、衆生済度の旅に出るという一面非人間的にもとれる飛躍した行動と思想を、凡俗の徒にも分かりやすくするという狙いだろう。

すぐれた小説は必ずミステリーの要素をもつという。この小説にも、人間の平等を説き、インドのカースト制で最下級の種族の女性や、娼婦にも優しく接した釈迦が、当初自分の養母を含む女性の出家をかたくなに認めなかったという女性差別の大きな謎がある。釈迦がはじめ否定したその尼僧になった著者の、まさに切実なテーマでありモティーフに迫った記念碑的力作であろう。

小美代姐さん花乱万丈』 群 よう子:著/集英社:刊/1,400円+税

大正の末、浅草に生まれた美代子が、近くの花柳界の女性たちに憧れ、母親の反対を押し切って芸者になり、苦闘の末、小さな置屋の女将におさまるまでの一代記。

波乱の戦中戦後を乗り切っていく様は、まさに“花も嵐も踏み越えて”の観があり、表題の「花乱万丈」は誤植ではない。芳町で芸者デビュー、17歳のとき、王子製紙の課長と恋に落ちるが、駆け落ちを断って悲恋に終わる。戦時中は花街も閉鎖され、慣れぬOL暮らし。東京大空襲では九死に一生を得る。

戦後、子どものころから知っていた近所の男と結婚するが、商売の借金を残して先立たれ、二児と両親を抱えて再び花柳界へ。座持ちのよさで人気者となり、客に来ていた横山大観の前で富士山の絵を描いたり、豊道春海が書いてくれた色紙の字を、このくらいの字なら私にも書けそう、と評して取り巻きに怒られるなど天衣無縫ぶりを見せる。

巨人の長嶋さんが来ていると料理屋の女将から聞いた座敷では、当の長嶋茂雄に「長嶋さんはどちらにいらっしゃるんですか」と耳打ちする。実際の会社名や人名が出ているから、“小説より奇”なる事実を素材にした書き下ろし小説の快作といえよう。

実像・宮本武蔵』 戸部新十郎:編/廣済堂出版:刊/1,300円+税

時代が困難に直面すると、宮本武蔵ブームが起きるらしい。NHK大河ドラマ化で、またまたブーム到来である。だが武蔵には謎が多い。本書は吉川英治の『宮本武蔵』に沿いながら、その謎を解き明かしている。

武蔵は本当に強かったか。晩年に書かれた『五輪書』で武蔵自身、「国々所々にいたり諸流の兵法者と行き合い、60余度まで勝負すといえども、一度も利を失わず」と述べているが、このことについて、直木三十五は信じなかった。それがきっかけとなって吉川英治は武蔵を書き始めたのだ。

武蔵の生年についても、天正10年説と同12年説があるし、出生地も2説ある。いずれにせよ関ヶ原の戦いで雑兵として(東軍か西軍かも不確か)参加した後、兵法者としての修行にでたことは間違いない。

佐々木小次郎との巌流島の戦いは有名だが、なぜ武蔵は櫂を削った木刀で立ち向かったのか、なぜ遅れて行ったのか、などについてもさまざまな史料で検証している。その際、島に見物人が大勢詰めかけていて、小次郎が気絶した後、息を吹き返したとき殺したのは見物人たちだったとする説も面白い。テレビドラマの副読本としてありがたい1冊。

(S・F)

※「有鄰」423号本紙では5ページに掲載されています。

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.