Web版 有鄰

414平成14年5月10日発行

[座談会]横浜港大さん橋 −国際客船ターミナルの完成−

前横浜市港湾局長(現企画局長)/金田孝之
文化庁主任文化財調査官/堀 勇良
クルーズアドバイザー/上田寿美子

左から上田寿美子さん、金田孝之氏、堀勇良氏

左から上田寿美子さん、金田孝之氏、堀勇良氏

はじめに

完成間近の大さん橋国際客船ターミナルと「クリスタルハーモニー」

完成間近の大さん橋国際客船ターミナルと「クリスタルハーモニー」
(手前が象の鼻)

編集部横浜港は安政6年(1859)の開港以来、日本の海外への窓口として発展してきました。港にはその用途によってさまざまな施設が設けられていますが、大さん橋は横浜港の最も重要な「海の玄関」として、たびたび改修と整備が行なわれてきました。

この5月31日に、横浜港の大さん橋はほぼ15年に及ぶ整備事業により、日本を代表する客船ターミナルとして新しく生まれ変わることになりました。

本日は大さん橋の歴史や、新しい客船ターミナルをめぐって、お話しいただきたいと思います。

ご出席いただきました金田孝之様は、前横浜市港湾局長でいらっしゃいます。横浜港は横浜市が管理しており、客船ターミナルの再整備事業なども港湾局によって推進されております。

堀勇良様は、文化庁主任文化財調査官でいらっしゃいます。以前、横浜開港資料館にお勤めで、明治の中ごろに横浜港の改良計画を立案したヘンリー・パーマーの研究者でもいらっしゃいます。

上田寿美子様は、日本で数少ないクルーズアドバイザーとしてご活躍で、世界各地の港を訪れ、船旅の楽しさなどについて、レクチャーをしていらっしゃいます。

ペリーが上陸したのは大さん橋のごく近く

開港当時の波止場(五雲亭貞秀「再改横浜風景」部分)

開港当時の波止場(五雲亭貞秀「再改横浜風景」部分)
神奈川県立歴史博物館蔵

編集部まず横浜に最初に港がつくられたのは、現在の大さん橋の辺りですか。

確かに横浜の大さん橋の位置は、基本的には変わっていません。

横浜開港のきっかけは、安政元年(1854)にペリーが横浜に上陸し、日米和親条約を調印したことから始まります。ペリーが上陸した地点は、正確にはわかっていませんが、調べたところ、ほぼ日本大通りの突き当たり辺りであろうと思われる。大さん橋がつくられた地点そのものではないけれども、ごく近い所であろうと。そういうことを考えると、ペリーのほうも日本のほうも、横浜の港として、アクセスするのに一番いい場所は最初からわかっていたんじゃないかという気がします。横浜の港はそこを中心として発展してきたし、その象徴として大さん橋があると言えるんじゃないか。

港の要件を考えるときに、一つは、大きな船の停泊地として、それなりの広さがあるかということ。もう一つは、大きな船が泊まれるだけの水深が確保されているかということ。それから、船が泊まれる場所が容易につくれるかということ。そして、陸地のほうも港町として発展するだけの平坦地があるかということになると思うんです。

これらは結構矛盾した条件でして、後背地が広いと、海は遠浅で水深がない。逆に水深があると、急に山から海になる所で後背地がないということになる。けれども、横浜は大きな川もないし、すぐ土砂で埋まることもない。ですから、横浜は地形的に非常に恵まれている所に、うまい施設がつくられてきていると思います。

最初の本格的な港湾施設が大さん橋

横浜港と内防波堤(中央の白い部分は新港ふ頭の予定地)明治39年

横浜港と内防波堤 (中央の白い部分は新港ふ頭の予定地)明治39年

安政6年に横浜が開港したときは大さん橋の根元に2つの小さな突堤があっただけです。そこから片方の突堤に大さん橋をつくっていく工事が、明治22年に始まったパーマーによる築港計画です。第1期目の工事ですね。

そのときは、先ほど言った港の条件から言うと、まず一つは安定した港、船が停泊できる場所を確保するということで防波堤をつくる。現在の内防波堤です。

それから、大きな船が停泊できる場所ということで大さん橋がつくられ、もう一つは囲われた港湾域に土砂がたまらないように、帷子川の出口の所に馴導堤と呼ばれた堤防がつくられた。

ただ、桟橋だけでは、荷さばきが十分にできないので、荷さばきを中心とした港の施設として、大さん橋の西側に新港ふ頭がつくられる。岸壁に直接船が接岸して荷物の積みおろしができ、かつ、そこまで鉄道を引き込んで物資を速やかに運び出す。

新港ふ頭が、桟橋ではないタイプの港の施設として、日本では初めて横浜でできた。以後、山下ふ頭も、本牧ふ頭も、同じようなタイプでつくられていく。戦後のコンテナヤードができるまでは、こういうタイプのものができていった。

港の原型をたどっていきますと、本格的な港湾施設の最初のものとして大さん橋があり、第2期工事は明治32年に始まり、日露戦争で一時中断しますが、新港ふ頭が竣工する大正6年までです。

桟橋形式ではなくなった現在の大さん橋

明治後期の波止場(旅客上屋がつくられるのは大正6年)

明治後期の波止場
(旅客上屋がつくられるのは大正6年)

大さん橋の供用開始は明治28年4月ですが、最初は旅客上屋はありませんでした。大さん橋に旅客上屋ができるのは第2期築港工事の最後、大さん橋の拡張工事の際で、大正6年12月です。この最初の旅客ターミナルは木造2階建の2棟で、関東大震災の後は鉄筋コンクリートでつくられる。さらに東京オリンピックのときには建てかえられ、そして現在進行中のターミナルになっていく。

そういう流れのなかで、今回大きく変わった点は、かつては大さん橋という桟橋形式の、下は海水が流れるタイプでしたが、現在は埋め立てられているんですね。

金田真ん中の部分の約50メートルですね。

構造的な意味で言うと桟橋形式ではなくなったところが大きな違いだと思う。それからもう一つ、昔は海から大さん橋にアクセスするときには、正面奥に富士山が見え、近づくとキング(神奈川県庁)、クィーン(横浜税関)、ジャック(横浜市開港記念会館)の塔が見えてくる。富士山は自然地形ですが、町のつくり方は、大さん橋に入ってくるアプローチを意識したつくりがなされているのが、他では体験できない港なのかなと思いますね。

慶応の大火後に延長されてできた「象の鼻」

明治初期の波止場(手前が象の鼻) 三代広重「横浜海岸通之図」(部分)

明治初期の波止場(手前が象の鼻)
三代広重「横浜海岸通之図」(部分)
神奈川県立歴史博物館蔵

編集部どんどん新しく変わる反面、象の鼻のような古い遺構も残っていますね。

開港時の2本の突堤が慶応の大火後の都市改良計画にそって延長されたのが象の鼻です。沖合に船が泊まり、はしけで荷物の積みおろしをするためのはしけだまりの空間みたいなものが、象の鼻とその向かいにある。要するにその小さな水面が、国際港・横浜の最初の施設だった。そこを原点として大さん橋ができ、新港ふ頭ができた。

ベイブリッジの下に赤灯台(横浜外防波堤北灯台)と白灯台(同南灯台)がありますが、そこが横浜港の工事から言うと大正から昭和期にかけての3期目です。ですから横浜港は、象の鼻、内防波堤、外防波堤と、港の発展を示す施設がよく残っています。

初めての客船専用ターミナルとして整備

編集部大さん橋は、昭和39年の東京オリンピックのときに整備して以来、老朽化が進み、今回新しく整備されるに際しては、クルージング時代に対応できるものになるとうかがいましたが。

金田大さん橋は、客船専用バースになります。クルージングが起こったのはアメリカを中心として、所得が上がり、お客さん層ができた時代ですから、恐らく第一次世界大戦後ぐらいだと思います。それまでは客船専用というのはそんなに需要がないから、ほとんど貨客船か貨物船のどちらかで、純粋な客船は非常に少なかった。

終戦直後の大さん橋と新港ふ頭(中央は横浜税関庁舎)

終戦直後の大さん橋と新港ふ頭(中央は横浜税関庁舎)
米国防総省蔵

大さん橋も貨物船と客船と両方扱っていたし、新港ふ頭もそうでした。

だから、大さん橋は客船ターミナルとして整備されたのではなくて、あくまでも船が直接岸壁に着ける所として整備されました。

一般的には2つの荷役の仕方があります。1つは直接岸壁に着けて荷役をするのと、もう1つは、はしけにおろして、はしけで荷役をするのと、2つあったわけです。

大陸と大陸の間を往復するコストと、荷役のコストの構成比から言うと、今の荷役コストの構成比に比べて、昔は荷役コストがそんなにシェアを占めていなかったから、はしけ輸送も大きな役割を果たしていました。

大さん橋はそれまではあくまでも貨客船ターミナルであって、純粋な客船ターミナルとしては、今回が初めてなんです。大阪、神戸、東京に比べると、約10年ぐらい遅いんです。

老朽化した桟橋に12万トンの水がぶつかると危険

改修前の大さん橋ふ頭と「クイーンエリザベスⅡ」

改修前の大さん橋ふ頭と「クイーンエリザベスⅡ」
横浜市港湾局提供

金田それから明治時代につくった桟橋ですから、ものすごく老朽化している。なぜあそこが桟橋かというと、下が砂地なんです。もともと横浜の名称にある、横の浜ですね。砂地で一番杭が打ちやすい。今のような鋼管ではなくて、らせん形になっている鉄の杭ですね。それが古くなって著しく老朽化してきた。

例えば、7万トンのクィーンエリザベスIIが岸壁に着くとき、周りの水(負荷水量)が一緒に動くんです。船の排水量の半分ぐらいの水が船と一緒に動くから、7万トンだったら総量が約12万トンになり、それがドンとぶつかるという説もあります。船のそばでイルカがよく一緒に泳いでいるでしょう。あれは、船と一緒に水が動いているので、船がすぐ後ろにつくとイルカは労せずして移動できるんです。

だから、12万トンがぶつかると、古い桟橋は、まず物理的に非常に怖いんです。

それから横浜市は他港に比べると、専用の旅客ターミナルを持っていなかった。複雑な理由ではなく、シンプルなその2つが理由です。

屋上は波、2階は船をイメージして設計

編集部コンペで旅客ターミナルの設計者を選ばれたのは珍しいことなんですか。

金田別に珍しいことではありません。というのは、建築の場合は、設計者を選ぶと、設計した人が実施設計をやり、設計監理もやるんです。

横浜港のシンボルとして、また横浜市民の誇れる国際交流の場としてふさわしい施設とするため、優れたデザインを広く国際的に求める方法としてコンペで選定したんです。あのころは関西国際空港も東京国際フォーラムもコンペでした。むしろコンペでなかったもののほうが珍しいのではないでしょうか。

編集部設計者はロンドン在住のご夫妻ですね。

金田そうです。スペイン生まれのご主人、アレハンドロ・ザエラ・ポロさんと、イラン出身の奥さん、ファルシド・ムサビさんです。

編集部パンフレットの完成予想図で拝見しますと、非常に斬新なデザインですね。

金田あのスケール感は日本人のものではないですね。全体としては相当な造形感覚だと思います。あの形を鉄でつくるのは非常に高度な技術が必要ですが、デザインとしては斬新であると同時に、伝統的であるかもしれませんね。

例えばヨーロッパの教会とか、石でつくった大きな空間などは世界中に数多くありますからね。

三次元で設計したものを二次元でつくりそれをつなぐ

建築物として建築基準法とか日本の法律とか、実現するのにいろいろ苦労があったと聞きますが……。

金田非常にオープンな空間ですから、消防法の関係とかではなくて、最初は三次元的に設計してあるわけです。鉄びんとか鋳型に流し込むのは三次元でつくりますね。だけど、鉄板を加工をするときはプレスができないから、二次元で構成していく。

二次元で構成して三次元につくっていくわけですから、それはコンピューターなしにはできない。例えば折り紙があって、遠くから見ると円形に見えるけれども、よく見ると48角形になっているとか、そういうことです。

そういう意味で、三次元で設計したものを二次元でつくり、それをつなぎ合わせて、地上に固定していく。固定するのは、すごい精度が要求される。絶対的な精度です。その精度は技術的にも非常に難しい。

編集部設計者のお2人はハーバード大学でコンピューターを学ばれたそうですね。

むしろ造船関係の人につくらせたほうがつくりやすかったのかな、という気もしますが。

金田でも、造船技術をもってしてもあんなに難しいものはないと思います。造船だと、真ん中の部分の部品はほとんど一緒で、船首と船尾が違う。

ところが、今回のターミナルは同じ部品が1つもないんです。ですから、部品の並べ方からして大変だったみたいですね。当然、鉄の量もすごい。あんな大きな船はないですからね。

内部は柱を1本も使わない巨大な空間

客船ターミナル2階の出入国ロビー

客船ターミナル2階の出入国ロビー
横浜市港湾局提供

編集部工事中のターミナルを拝見させていただきましたが、内部には柱が1本もなくて、大きな空間ですね。それから屋上には芝生があって。

金田設計者のポロさんは、屋上は波を、2階は船をイメージして設計したと言っています。

桟橋は、長さが483メートル、幅はちょうど100メートルあるんですが、その地下を幅52.5メートルにわたって埋め立てています。建物は新港側・山下側の長辺方向に建物を支えるスロープを配置し、この2つのスロープに、2階の床面と天井面を架け渡しています。天井の高いところでは、約9メートルあります。

町の景観に溶け込んでいる横浜港

編集部上田さんは、お仕事の関係で海外の港もいろいろご存知だと思いますが、横浜港にはどんな印象をもっておられますか。

上田港湾局のパンフレットを拝見させていただいて、私は今まで100ぐらい海外の港に行っていますが、ターミナルだけでこんなに絵になる港は少ないなと思ったんです。

今、世界で一番クルーズ客が多いのがマイアミ港で、年間で約300万人ぐらいですが、似たような客船ターミナルがポンポンポンと並んでいるんです。今、世界最大の客船は14万2千総トンですが、それが入るときには約3千人のお客様がご利用になるので、客船ターミナルの何番と何番を合併して使うという感じです。

特に港が大きくなればなるほど、また大きい船が入るようになればなるほど機能化されているのですが、市民と港との一体感は少なくなるし、お客様も乗るためにそこにやってくるという感じの所が多くなってますね。

ただ、マイアミなどでは、客船が好きな方が多いので、港の対岸からは、客船が並んで着いている壮大な景観を見ることができたり、また航路の反対側のマンションには船好きな方たちが住んでいらして、話題の船のデビュークルーズのときなどには、ベランダから鐘や太鼓を鳴らして、「いってらっしゃい!」という声がかかったりとか。そういう意味での面白い面はあります。

私は1996年に、「おりえんとびいなす」という船の横浜ワンナイトクルーズに乗ったんです。たったワンナイトだったのですが、そのときに、ご一緒した若いご夫妻が「クルーズがこんなに楽しいものだとは思わなかったし、横浜が、こんなに海の似合うきれいな町だということも知らなかった。このクルーズで本当にリフレッシュできた。また明日から元気で頑張ります」と言われた。

クルーズと言うと、日本ではタキシードが必要みたいな堅苦しい感じもありますが、実際は若い方にとっても、普通の生活の延長上にある、ちょっとした非日常みたいな形です。私も港が町の景観にしっくり溶け込んでいる横浜のような港は少ないと思っています。

ターミナルはみなとみらいと並ぶ都市再開発の一部

金田アジアの方が日本に観光に来られて、どこを見たいかというと、北の雪祭り、温泉、ディズニーランド、それから横浜のみなとみらいに来て、ここら辺のクルーズを楽しんで、景色を見て帰られるということなんです。

だから、横浜のインナーハーバーの部分、みなとみらいから含めて一つの観光地なんですね。今回のターミナルの役割は、初めて本格的な旅客ターミナルを持つと同時に都市再開発の一部なんです。

客船ターミナルの屋上に2.3ヘクタールの広場があります。これは、元町公園と同じ面積で、7月の花火大会のときにも利用できるようにします。24時間オープンです。

この3月にできた、赤レンガ倉庫のある赤レンガパークから山下公園にいたる山下臨港線プロムナードと同じぐらいの高さで見えるので、海の見え方はすばらしいものがあります。本当に水面の上に出るような感じで見えます。

外から見ても造形物として非常に面白いし、そこに行っても面白い。

使わないときは演奏会や展示会用に市民に公開

編集部客船ターミナルはどんな使い方を……。

金田全体は2階建の建物です。1階が駐車場、2階が客船ターミナルと若干のショップなど、屋上がデッキになっていますが、いつも船が着いているわけじゃない。船が着いてないときは税関施設も要らないので、市民の方が演奏会や展示会などに使えるように、市民ホール的に公開しようと思っています。

上田世界的にも、市民の方が利用できたり、景観を楽しめたりという港は少ないと思います。港は外との関係とか、密輸とかいろんなことがあるので、なるべく必要のない人は入れたくないみたいな基本的な考え方を持っておられる場合も多いようです。

そうでない所は町としっくり溶け込んでいるような所もありますが、そういう所は、どちらかと言うと町中の小さな港だったりして、今度は機能的に、乗客の方に対して時間がかかったりなどということもあります。

編集部かなり大きな船が何隻も泊まれるんですか。

金田7万トンクラスは両側に1隻ずつの2隻泊まれます。

普通は5万トンクラスが2隻泊まるとか、3万トンクラスが4隻泊まるとか。今年は整備した後ですから入港する客船がかなり多くて、本年度上半期は、昨年度の約70%増になるんです。

編集部代表的な客船はどういうものですか。

上田4月には太平洋クルーズでクリスタルシンフォニー(5万トン)が来ました。それからチャイナクルーズでクリスタルハーモニー(4万9千トン)、あと中部太平洋横断クルーズでイギリスのリーガルプリンセス(7万トン)も来ました。

金田6月には北洋・アラスカクルーズでクリスタルハーモニーが、また入港する予定です。

編集部横浜は、市街地と港がすごく近いという一体感がありますね。

金田東京港の晴海ふ頭は竹山実さんが設計されたんです。水辺と建物が見えたり、建物の横に広い池があって、それを見ると、池と水面が一緒ですばらしい。でも、晴海ふ頭は都心からちょっと遠いんです。ですから、竹山さんもちょっと残念だったと思います。竹芝桟橋あたりにあるとよかったんでしょうけど。東京と横浜の違いはそこなんです。

しかも、今度、みなとみらい21線が、みなとみらいに入ってきます。営団線も乗り入れているので東京から地下鉄で、大さん橋のすぐ近くまで来られる。これは、なかなか珍しいことですね。

編集部みなとみらい21線ができるのは平成15年度です。駅名はまだ決まっていないようですが、元町まで延伸されますので、山手や中華街に行くのも便利になります。

クルージング――いつも海と港にふれながらの旅

編集部クルーズというのは楽しいものでしょうね。

上田クルーズというのは日本では娯楽周遊型の船旅と訳されていると思います。

客船は、例えばタイタニックとかいろいろありましたが、大西洋横断などは旅客機が出てきたので、船での移動が下火になってしまった。

それで、そのときに余った船をどうしようかという理由もあって、1950年代後半から60年代ぐらいに今のタイプの、いわゆる近代型のクルーズが出てきた。もちろん本当のクルーズのルーツはもっと古いんですが。

それは船を交通機関としてとらえるだけでなく、移動をしながら、道中で食べたり飲んだり、遊んだりしながら進んでいくという、ある意味では合理的な旅です。今のクルーズのシステムは、乗船料金にすべて入っているので、1回乗ったら、一々お財布をあけることはない。飲み物は有料の船が多いんですが、食事はコーヒータイムから夜食まで7、8回出ますし、それから船内でもイベントがたくさんあります。ダンス教室、絵画教室、次の港についてのレクチャーであるとか。

海を見ながら、のんびりもできるし、忙しくも過ごせる。とてもお客様の自由がきく旅なんです。ご年配の方や、お子様連れにもまた楽で便利な旅です。

やはりクルーズの大きな魅力は、海と港にいつも触れながら進んでいける旅ということかなと思います。

確かに、服装のちょっとした示唆があったりしますが、仕事用のスーツとネクタイ、ちょっとしたよそ行きのワンピースで世界中のどの船でも事足りるので、お気軽に楽しめる旅です。

個室にはベランダがつき、動くオーシャンリゾート

船上のプール(世界最大の客船「ボイジャーオブザシーズ」)

船上のプール(世界最大の客船「ボイジャーオブザシーズ」)
上田寿美子氏撮影

アーバンリゾートと自然のリゾートと一緒になったようなものでしょうね。

上田そうですね。ですから、最近の客船は個室にベランダつきがふえていて、動くオーシャンリゾート、動くオーシャンビューという表現もよくされるようです。ご自分の部屋でルームサービスをとりながら、ベランダで海を見ながら進んでいくような。

金田ある程度の船になると、それは動くマンションみたいなもので、横浜にも時々入って来ますが、服の数がすごかったですね。

上田いくら着飾ってもいいし、したくなければ、それなりでいいんです。おしゃれが好きでお乗りの方、食べるのが楽しみでお乗りの方もいらっしゃいます。

金田同じ期間、ホテルに泊まるのと比べて決して高くはないですね。

上田そうですね。ショーやレクチャーも込みですし。いろんなカルチャークラスに出たつもりになれば。

海から正面に町を見据えて訪問

ロサンゼルス港の客船ターミナルと「レディアンスオブザシーズ」

ロサンゼルス港の客船ターミナルと「レディアンスオブザシーズ」
上田寿美子氏撮影

編集部船に乗っている方が港に着いたときの印象などはどうなんでしょうか。

上田客船に乗っていますと、皆さん港に入る日は楽しみにして、到着の時刻より随分前からデッキに出られて、徐々に海から近づいていく景観を楽しまれています。例えば、ニューヨークに入るときには自由の女神を見て、摩天楼を正面に見据えたり、地中海ですと、寺院の鐘楼の鐘が夕暮れの町に響くのを聞きながら、港に入っていくとか。

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大さん橋周辺(「横浜インナーハーバー・マップ」から) 画像をクリックして拡大
横浜市港湾局提供

いわゆる飛行機の旅とは違う海からの、正面に町を見据えての訪問は皆さん船旅を選ばれる大きな理由の一つですね。そしてまた港、港で、いろんな親善のミス何々が出てきて歓迎してくださったり、地元のローカルなショーを見せてくださったり。

それと関係するのが港湾局が作成した地図ですね。横浜港は北向きだと言いましたが、普通は地図は北を上にしますから海が上の地図が多いんです。ところが港湾局の地図は海を下にしてある。昔の絵図などはこれが普通だったんですが、それがしばらくなくて、久々に見ました。これも大さん橋ができ、山下公園が整備されたことの一つの表れかなと思いました。

横浜駅と関内の2つの地区を結びつける町づくり

編集部山下公園にあった高架の貨物線が撤去されて港がよく見えるようになりましたし赤レンガ倉庫も商業施設としてオープンしましたね。

金田みなとみらい21中央地区と、新港ふ頭はかなりキャラクターが違います。みなとみらい中央地区は土地利用を180度変え、昔の記憶が残っている所は横浜造船所の1号ドック、2号ドックだけです。

一方、新港ふ頭のほうは、もともと歴史があるし、なるべく既存の施設を有効に生かすことにした。建物をできるだけ低層にして、オープンスペースを広くとるという考え方ですから、赤レンガ倉庫の周辺は相当広々としていますね。

赤レンガ倉庫は2棟あります。水辺の近くで、あれだけのスケール感が残っていて2棟あるのは、非常に引き締まった広場ができますね。何もない広場はすごく難しいんです。広場はある程度開けている部分と、囲まれている部分と両方が必要で、あのスケール感についてはいろいろ議論はありますが、少なくとも2つの赤レンガ倉庫があって、その間にちょっとL字型に広場がある。だから、広場の空間構成としては非常に面白いといえると思います。

横浜の都心臨海部の3分の2は再整備が完成

金田それから、象の鼻地区はまだ再整備にかかっていませんが、赤レンガ倉庫がプロムナードで、山下公園へとつながってきましたから、ようやく、みなとみらいと山下公園が一体化されてきたということで、とりあえず、横浜の都心臨海部の再整備は3分の2ぐらいは完成したと思います。

横浜駅に近い高島ヤード側は山内ふ頭とまだ接続していませんが、とりあえず、関内地区とは、1つ目は、新港ふ頭の国際橋から横浜税関脇を通り大さん橋の後へ、2つ目は、栄本町線が旧横浜銀行跡地で再開発をしている北仲通で接続されますので、みなとみらい事業の横浜駅地区と関内地区を結ぶという所期の目的は達成したと思います。

編集部それは飛鳥田一雄市長の頃からの計画ですね。

金田みなとみらいは、今は観光と国際会議や見本市などコンベンションの場になっていますが、明治以来、あそこに横浜造船所があって、その工場地帯の土地利用を転換して、2つの地区をつなげようということが出発点ですから、やっとみなとみらいの当初の目的が達成できてきたので、関内、山下公園のほうもこれで大分元気になるんじゃないかと思っています。

テレビや映画の舞台になった昔ながらの港の情景が減る

赤レンガ倉庫

赤レンガ倉庫
横浜市港湾局提供

今言われた、横浜駅から関内地区をつなげることはいいと思うんです。その先の山下ふ頭や新山下辺りがどうなっていくのか。そういうつなぎから言うと、港の二面性みたいなのがある。映画の舞台になるような空間と、整備する側から言うと、なかなかしにくいような面があって、いろいろな見方がある。そんな両方の面倒までは見られないというところが正直なところだと思いますが。

金田新山下の旧貯木場のところですね。そこと赤レンガ倉庫がテレビの露出度では昔は一番多かった。「太陽にほえろ!」や「西部警察」によく出てきた。そういう昔ながらの港の情景がだんだん少なくなってきます。

昔の裕次郎の映画とか、日活の昭和30年代の映画にはしょっちゅう出てきましたね(笑)。そういう所がなくなりますね。

編集部赤レンガ倉庫は関東大震災前の建築として、横浜の貴重な文化財ですね。

赤レンガ倉庫は、私が最初に入ったころは、半分は使われてなくてハトの巣みたいになっていた。真ん中の広場にはまだ鉄道の線路が残っていて貨物列車が止まっていたり、映画のシーンに出てくるような世界でしたね。

みなとみらいのドックヤードガーデンなども、今、見ている人は昔の造船所時代のことを知っている人は少ないと思うんです。あれなどは、もう少し港の殺風景さみたいなものを残しながらできなかったかなと。それにはいろいろな仕掛けが要るんだろうと思いますが、せっかく汽車道と呼ばれているものとつながっていた所が、ちょっと途切れるような形になっているので、そんなことを思ったりします。

金田デザインの思想ですよね。それとスケール感。

堀さんが言われたような再開発の仕方は、ボストンのインナーハーバーの再開発で行われていますね。100%きれいにしないで、古い倉庫を住宅に直したりしている。スケール感もそういうことがいえますね。

日本人には、やはりきちょうめんさがあって、公園でも何もない公園というのはなくて、ちょっとでも何かつくってしまう。新しい大さん橋のターミナルの広場が日本離れした空間になっているということなので、期待しているんです。

アジアの港に対して国際競争力をどうつけるかが課題

編集部今、横浜港の取扱い量は日本一なんですか。

金田商港としては日本一だと自負しています。コンテナが2番です。それ以外にプラント類や自動車の輸出も相当あります。

しかし、今は横浜は日本の港とではなく、アジアの港、釜山、高雄、上海あたりとの競争ですから、激烈です。特に釜山とは熾烈です。

現在の日本の港湾政策は180度変わるということで、空港もそうですが、工業製品と同じように、三次産業である港とか空港は、国際競争力をどうつけるかということになってきましたし、それが日本全体の大きな課題です。

7月20日の花火大会では屋上広場は特等席

編集部横浜港へ望むことは、何かございますか。

上田港湾局のパンフレットに、客船が主役になる港と書いてありましたし、まさにそうだなと思うんです。

私は、いわゆるクルーズライターですから、写真も撮ります。海外、国内のいろんな港でも、船をはっきりよく写せる港は少ないんです。遮蔽物があったり、対岸の駐車場まで行かなければいけないとか、四苦八苦して船の全景の写真を撮ってくるんです。そういった意味で、横浜港は山下公園をバックに写真を撮っても、きっと絵になる港になると思うので、いつかまた撮りたいなと、ワクワクしながら見ていたんです。

金田当初計画では、ターミナルの先端にもっと高い建築物があったのですが、ターミナルはもともと船が主人公なので考え方を変え、高さを相当抑えてあります。

上田機能性もCIQ(税関・出入国審査・検疫)が2時間で千人が可能とか。乗客の利便性にも期待しているんです。

金田屋上広場と内部の造形空間は、横はガラスなのでスッと見えるから、なかなかの眺望だと思います。

上田屋上の広場もすごい発想ですね。

金田7月20日の花火大会のときは山下公園辺りに台船を着けて花火を打ち上げるので、屋上広場は特等席ですよ。ただ、安全確保のため入場人数の制限をしないと。物理的な面積ではなくて、出入りするときの動線の問題がありますから、今後、警察等と相談していきますが、人数をどれぐらいにしようかと思っています。

新港ふ頭の方向で見ると、みなとみらいのスカイラインもすごくいい。屋上はお勧めのデートコースですよ。

編集部どうもありがとうございました。

金田孝之(かねだ たかゆき)

1946年京都府生れ。
共著『分権社会と都市計画』 ぎょうせい 3,000円+税、他。

堀 勇良(ほり たけよし)

1949年東京生まれ。
共著『彩色アルバム明治の日本』 有隣堂 8,800円+税、他。

上田寿美子(うえだ すみこ)

1953年東京生まれ。
著書『世界のロマンチッククルーズ』 弘済出版社 1,048円+税、他。

※「有鄰」414号本紙では1~3ページに掲載されています。

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