Web版 有鄰

412平成14年3月10日発行

山田 和と『瀑流』 – 人と作品

昭和初期の「庄川ダム争議」を背景に描いた恋愛小説

山田 和
山田 和

林業関係者と電力会社による激しい闘争

山田和氏といえば『インド ミニアチュール幻想』で講談社ノンフィクション賞を受賞したインド通のノンフィクション作家として知られる。その山田氏が長編小説『瀑流』(文藝春秋)を書いた。富山県砺波市生まれの氏が、郷里を舞台に昭和の初期に起きた「庄川ダム争議(庄川流木事件)」を背景にした恋愛小説である。

「庄川ダム争議」といっても、知る人は少ないが、岐阜県北部に源を発し、富山県を貫通して日本海に注ぐ全長150キロの庄川の電源開発をめぐって、地元林業関係者と電力会社の間で8年余にわたってくりひろげられた激しい闘争だ。

「7、80年前の事件ですから、地元で事件にかかわった人でも、もう90歳から100歳です。それに当時、事件は和解が成立したということになっていて、真相に触れることはタブー視されてきた事情もあります」

庄川の流域は木材の無尽の宝庫だった。その搬出は主として庄川の水流を利用して行われた。そこへ電力会社が何箇所もダムを建設して水力発電を行おうと計画し、着工した。川を堰き止めてダムを造られては、運材は不可能になる。関係者にとって死活の問題だ。運材業者を中心とする林業関係者はこれに猛反対、ダム建設工事を認可した行政当局も巻き込んでの法廷闘争に持ち込まれる。

作者は、この事件の証人として一人の男を登場させる。柳瀬征一郎。作者が造型したこの作品の主人公だ。代々、木材流送に従事してきた家に生まれ、若いころ大陸へ夢を馳せて中国に渡ったものの、その意を得ずに帰国、電力側の日傭(日給)取りや運材の仕事にかかわった後、地元新聞の記者となって、事件の取材に精魂を傾けるという設定だ。

その征一郎が、庄川流域の山村の旅館の若い女主人・大沢由紀江と恋に落ちるのである。征一郎には中国に残してきたまま消息も生死も不明の妻子があるが、その恋は彼の心の空白を満たした。しかし由紀江には道ならぬ恋の果てにもうけた一児があり、周囲の目は厳しかった……。

「今の恋愛はみな、命を賭けていませんので、命がけの恋愛を書いてみようと思ったんです。当時の人は恋愛にしても、真っすぐに立ち向かう力をもっていた。“昭和の恋”はこういうものだったということを書きたかった」

ただし、ここで作者が描くのは、極めて抑圧された禁欲的な恋愛である。それだけに燃え上がる恋の炎は激しい。

庄川ダム事件は、昨今のダム問題の原点といえるだろうが、電力側の狡猾さ、政官財の癒着の構造、贈収賄のあくどさなどは、昨今とくらべものにならない。作者は、その実相を裁判記録その他の資料にあたり、丹念に調べ上げてこの作品をノンフィクション・ノベルに仕立てている。ただ、歴史的に見れば水力発電は戦争遂行と結びついた産業発展に不可欠のものであったろうし、そのために林業が犠牲とされ、豊かな自然が破壊されていったのは時代の流れだったのかもしれない。

自然と文明の相剋を描くことで失われた故郷再発見を

その意味でも、この作品で随所に描かれる自然の美しさは感動を禁じえないものだ。たとえば――。

〈村は壮絶な錦秋の中にあった。

川風が止み、天地の一切が静止して、ただ荒瀬の音だけが耳に入ってくる。その微かな川音が、恐ろしいほどの無音と時の静止を感じさせた。紅葉や楓の他に、七竈や錦木、山漆や黄櫨、白膠木や空木は真紅色に、板屋楓や檀香梅や黒文字は鮮やかな柑子色に燃えていた。〉

山田氏はこの作品を書くにあたり、11回も現地取材を行った。短い時で1回3泊、長い時は1週間、森の中にテントを張って泊まった。

「恐ろしいほど真っ暗闇ですよ。川の流れの音だけ聞こえてきます。そういうところへ自分の書いた文章を持って行って読み直してみると、ああここが違うなど、わかるんです。とくにこわかったのは稲妻でした。パッと光った後は全くの闇になってしまうのですからね」

この作品は、気骨のある昭和戦前派の男の恋を軸に、自然と文明の相克を描いた壮大な規模の叙事詩だが、作者の創作意図はそれを通して、失われた故郷再発見にあったという。その意図の下に、もう1篇、姉妹篇ともいうべき作品を準備しているというから完成が楽しみだ。横浜市内の森林公園近くのマンションの仕事場の壁面には、取材先で採集してきたさまざまな木の葉のコレクションが見事だ。

(金田浩一呂)

『瀑流』・表紙

瀑流
山田 和/講談社/2,286円+税

※「有鄰」412号本紙では5ページに掲載されています。

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