Web版 有鄰

411平成14年2月10日発行

アイデアの世界遺産 一齣マンガ – 特集2

牧野圭一

“マンガ現象”が進み各分野で大きな経済効果を発揮

『マンガ』と聞いて、多くの人々が思い浮かべるのはストーリーマンガ。一般にコミックとも総称される分野の作品群だろう。社団法人日本漫画家協会には、コミック作家は無論、一齣マンガ=カーツーン作家、アニメーション作家、評論家までが加入している。しかし500人を超えるメンバーの誰も、毎日のように発行されるマンガ作品のすべてを読破する者はいない。物理的に不可能と言い切ってもよい。それほどに「マンガ」という表現法を使った作品は幅広く、深く各ジャンルに浸透し、個人の能力ですべてを検証、俯瞰できないほどに拡大した。

2001年7月に発足した日本マンガ学会でも、「マンガ」「まんが」「漫画」「MANGA」の呼称に対して議論が起こったり、アニメ、CG、テレビゲームなどをどう取り込むかが語られたりするほど、各人のマンガに対するイメージも定まらない。

そのような状況を尻目に“マンガ現象”だけはどんどん進んでしまい、各分野で大きな経済効果を発揮している。出版界はもとよりレジャー産業の分野におけるディズニーランド、テレビゲームにおけるニンテンドーやセガの活躍ぶりには目を見張るばかりである。

一方、「マンガ」に対する旧態依然のイメージに固執する人々が多いのも確かである。二者間の落差は今後ますます拡大するばかりで、(誇張が持ち前のマンガ的構図で表現するなら)拡大する一方の“時の流れが、二者間の落差に耐えきれず、轟音を立てて滝壷に落ちる”――図である。

この状況で、文部科学省は中学校美術指導要領の中に『漫画』の文言を入れ、総合学習や美術教育の現場に取り入れることを示唆した。“勉学の敵”が一挙に学園内に侵入したため、指導の先生方はその対応に正直、戸惑っておられる様子である。

日本で最初にマンガ学科を設置して唯一、マンガ文化研究所まで用意した京都精華大学には、見学者や問い合わせ、取材の申し込みが引きも切らない。私は依頼があれば公民館やマンガクラブの要請に応じ、“辻説法”の如きスタンスでマンガの本質についての私見を語り、直接伝えることにしている。結果、授業はテクニックの伝授でなくマンガによる【発想法】が中心となる。一切のタブーを排した自由な発想法が一齣の中にある。それは見方によっては【アイデアの世界遺産】と呼んで過言でない知恵の宝庫なのだと考える。

読者は意外に思われるかも知れないが、マンガ発想のエッセンスは一齣マンガに集約されている。しかも長期に渡り、世界中の作家によって“共通語”として蓄積され、現在も毎日積み上げられているのである。従来からあったものに今、何故スポットライトを当てるのかといえば、科学技術の目覚しい発達によって、コンピューター、バイオテクノロジー、ナノ・テクノロジー、素材開発等、各分野等の大きな課題が次々にクリアされ、想像の中にだけ存在した“不可能の世界”が、ぐんと現実に近づいたからである。

マンガチックな絵空事であったロボットが現実に

ロボットはその好事例である。つい、この前まで“マンガチック”な絵空事であったものが、ソニーやホンダ等の世界的企業の開発力によって、決して夢物語でないことが実証された。大切なのは、その開発担当者たちが異口同音に『手塚治虫のアトム』の強い影響を公的な場で表明していることである。これから次々と新作が発表されることになるが、実用と癒しの両面で、信じられいほどの発達をするに違いない。

すでに『腕』だけは人間の動きをそのまま学習し、ピンポンのラケット操作を見事に(人間以上に!!)やってのけるものや、表情を作るもの(アルコールを感知すると赤くなる!)、言語・翻訳機能を持ったものなど、日本各地の研究所や大学で開発している情報を総合すると、おそろしいほどの機能を備えた「次世代ロボット」の姿が浮かび上がってくる。

さらに最新情報によれば、人々が美しいとか単調であるとか感じる風景の認識データを数値化し、それをベースに「この景色は美しいですねえ!!」などと語りかけるロボット機能(東大)まで開発中であるという。

ナノ・テクノロジーの発展によって、ノートパソコンの大きさは、近近時計のサイズになると予測されているし、現在のスーパーコンピューターさえ、持ち運びが可能になるという。

虚心にこの流れを俯瞰すれば、マンガ家ならずとも科学技術の粋が何を目指して動いているか? が見えてくるだろう。そこには人間のあくなき要求や本音が注ぎ込まれ、科学者、技術者たちがさらに高度な機能を用意してこれに応えて行くサイクルができている。

社会の共通認識を形成する力を持っているマンガ

手塚氏は「メトロポリス」によってロボットの恋を描いたが、学生たちのストーリーマンガでは、共生の世界が当然のように展開する。いや、その前に【ネコ型ロボット・ドラエモン】が、動きや声や語り口、性格までを鮮明にして『共生』のシュミレーションをしていることを忘れてはならない。

絵に描いたモチが、絵から抜け出して、ドラエモンのポケットのような働きを果たし始めたのではないか? いや、マンガ表現そのものが、打ち出の小槌になっていると考えてもよい。繰り返しになるが、それはマンガが人々の本音を吸収し、普通では言い出し難く、口篭もってしまいそうな“思いつき”まで、「マンガだから……という【ユーモアの免罪符】によって堂々と発表。社会の共通認識を知らぬ間に形成してしまう力を持っているからに相違ない。

しかし、現代の“凄さ”は科学者の発想がマンガ家のそれを凌駕しそうな気配にあることだ。マンガ家のユメはせいぜい設計図どまりだが、科学者のそれは、自らの手で現実に作り上げてしまう恐ろしさをもっている。すでに独自の遺伝子を持ち、進化するロボットの原型(コンピューター・モデル?)ができたと発表した学者がいる。もう、ロボットがロボットを生んで勝手に進化? する準備は整ったと言っていい。では、ここまでくれば、もうマンガ家の出番はないのかといえば、ドッコイ! その先の強みをもっている。

論理的でない虚の世界に真を見つける作業

マキノ原画・上

マキノ原画・下

マキノ原画

一齣マンガには『発明登録マンガ』とでも呼ぶべきジャンルがある。舞台は特許登録事務所の待合室で、発明品を登録するために集まって来た人たちが並んで順番を待っている。定型の構図である。能・狂言の舞台のように、固定された一場の舞台設定のみでドラマが展開されるのだが、これだけで、世界中の新旧作品が何万、何十万あるか分からない。

その中にこんな作品がある。発明登録の順番を待つ人々の中に、薬ビンだけが空中に浮かんでいる。そして椅子に一人分の空白が示されているという作品。――これは、透明人間になる薬を発明した人の存在を暗示する表現であるが、オオカミ男が月を持って順番を待っていてもおかしくないし、ロボットがロボットの発明品を登録に来ていても痛痒を感じないのがマンガの世界である。

同様に魔女がほうきにまたがって“空飛ぶ掃除機”の特許取得を求めたり、シンデレラが、馬車に変身できる「かぼちゃ」を登録したりしてもかまわない。科学者が追いつき、追い越そうとすれば、逃げ水のように先へ、先へと進むことができる。――その構造が「マンガ」であると言ってもいい。

「発明登録マンガ」の他、「独房脱出」「孤島」「銃殺」「死刑」「自殺」など、他のジャンルでは正面から扱わないテーマがストレートに舞台になって、世界中のマンガ作家が【究極の脚本】を描いている。つまり、人間にとってこれ以上悲惨な状況は無い——という設定を敢えて選び、それを逆転させて笑いとばしてしまおうと、日々考えている人達なのである。

その解決法はほとんど現実的でなく、脱走を試みて折角切り取った鉄格子を、鉄琴に仕立てて演奏していたり、大きな重りをつけて入水した男が、海底に沈んだ金塊を発見したりする。一見、何の役にも立たない「ナンセンス・マンガ」と一括りにされる場合もある。しかし、最近流行語のように使われる【リテラシー】を改めてここに導入し、【一齣マンガ・リテラシー】を行えば、たちまち光彩を放つ【アイデアの世界遺産】の存在が見えてくるはずである。

それは論理的でない《虚の世界に真を見つける》作業でもある。前出のマンガも「独房」が象徴する最悪の状況から、悪あがきして逃げ出そうとするばかりが解決法でなく、苦心の末切り取った鉄格子の利用法を考えれば、音楽演奏=作曲という創造的活動のあることに思い至り、“独房発の音楽だからこそ”のヒットも考えられる? だろう。なにより、荒んだ心が鉄琴の音楽によってまずは癒され、再生のエネルギーが湧き上がってくるかもしれない。

ボロボロになった心はブラック・マンガによって癒される

倒産――自殺を考える経営者が海に飛び込む決意をした時、このマンガを見れば、“足もとの金塊”の存在を思い起こすきっかけになるはずだ。それは省みられず放置されていた、自社の特許かもしれないし、創業時に自ら打ち出した“居直り精神”かもしれない。「取り返しができない失敗」「人前に顔が出せない汚点」など、毎日のニュースは、人の業から生まれたとしか説明できない事件の諸相を伝えている。当事者と周辺の人々を、塗炭の苦しみに陥れるに違いない悲劇的結末だ。

毒をもって毒を制す。強酸は強アルカリによってしか中和できないが、【ボロボロになった心は、強烈なブラック・マンガによってこそ癒される】と、私は考える。劇薬を良薬に転ずるには、名医による慎重な処方が欠かせないが、適切なマンガ・リテラシーが機能した時、表題として掲げた文言が、決して“マンガ的”ではないと理解されるに違いない。

牧野圭一
牧野圭一(まきの けいいち)

1937年愛知県生れ。マンガ家・京都精華大学教授。
著書『What’s politics?』 ワコー 1,500円+税、ほか。

※「有鄰」411号本紙では4ページに掲載されています。

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