Web版 有鄰

580令和4年5月10日発行

鉄道150年と横浜 – 2面

小林光一郎

初代横浜駅(横浜市歴史博物館所蔵)

初代横浜駅
(横浜市歴史博物館所蔵)

初代横浜駅と鉄道のはじまり

我が国最初の鉄道は、1872(明治5)年6月に品川~横浜間の仮開業、同年10月12日には新橋~横浜間が開通し、10月14日に開業式が行われました。この時、初代横浜駅は、いまの桜木町駅の場所にあり開港場(外国との貿易が許された港)の周縁部にあたりました。その後、横浜から線路を西へ延ばし1889年に新橋~神戸間の東海道本線が全通しましたが、横浜駅はもともと線路を西へ延ばすことを前提に設置されていなかったため、横浜駅で全ての列車が方向転換(スイッチバック)をしなければならないというものでした。

日清戦争で鉄道での軍事輸送の必要性が高まると、軍は横浜駅での方向転換の不便を解消するため、神奈川と程ケ谷(現保土ケ谷)の間に横浜駅を通らない短絡線(路線と路線を結ぶための線路)を設けました。やがてこの短絡線を旅客線用として使う計画が起こると、横浜市内で反発の声が上がりましたが、結局、1898年、この短絡線が本線となり、横浜駅はローカル列車と貨物列車だけの発着となってしまいました。1901年、短絡線上に平沼駅を設置しましたが、横浜中心部から離れたこの駅は不評でした。

一方、路面電車である横浜電気鉄道が1904年、神奈川駅前から横浜駅前まで開通、翌年には関内地区へと延伸しました。また、京浜電気鉄道(後の京浜急行電鉄)は、1905年、品川(現北品川)~神奈川間を全通し、神奈川停留場にて横浜電気鉄道と連絡しました。これにより品川~神奈川間は東海道線と京浜電鉄の競合となり、一方はスピードと大型の汽車、もう一方は低運賃と運転本数の多い電車という構図が生まれ、軍配は京浜電鉄優勢で、多くの利用客が汽車から電車へと流れたといいます。

鉄道のひろがりと二代目横浜駅の誕生

鉄道自体の輸送量が増えるとともに東海道線の改良も進められ、線路は旅客線と貨物線を鶴見~程ケ谷間で分離。1915(大正4)年、横浜駅と短絡線にあった平沼駅の間に新しい二代目横浜駅(現高島町交差点付近)が開業し、方向転換をすることがなくなりました(初代横浜駅は電車専用の桜木町駅と貨物駅の東横浜駅に分割)。

横浜電気鉄道は1911年、終点の西の橋(元町)から本牧原までの本牧線などを開通、また、二代目横浜駅移転にともない線路の付け替え工事を1919年に完成させ、関内地域からその外部へと線路を延ばしていきました。しかし、折からの第一次世界大戦後の経済不況や、従業員のストライキなどに対する市民の反発などにより、1921年、横浜市が買収する形で、横浜市営電車に変わりました。

震災復興とターミナル化した三代目横浜駅

1923(大正12)年に起きた関東大震災により、横浜周辺も大きな被害を受け、横浜駅と桜木町駅は地震後の火災により駅舎が焼失しました。

この震災からの復興を機会に、鉄道省は東海道線のルートの改良を再度はかり、横浜駅付近で線路が迂回しているのを再び直線化、二代目横浜駅と桜木町駅を廃止して平沼駅跡に新しい横浜駅を設けようとしました。しかし、横浜市内から激しい反対があり、1928(昭和3)年、横浜駅は東海道線と桜木町への支線分岐点である現在の場所に移転され(三代目横浜駅)、桜木町駅は存続しました。

また、震災復興に際して都市インフラが整備されるとともに、横浜市営電車も三代目横浜駅前に「横浜駅前」停留所の新設や、本町線などの新路線を開通させました。

震災からの復興事業が高速郊外鉄道(私鉄)の建設ブームと重なり、東京方面から横浜駅への乗り入れとしては、1928年に東京横浜電鉄(現・東急電鉄)が、1930年には京浜電鉄(現・京浜急行電鉄)が、県内からは1933年に神中鉄道(現・相模鉄道)が乗り入れました。また、湘南電気鉄道と京浜電鉄は提携を進め、1931年黄金町駅と横浜駅を結ぶ連絡線を開通させました。

こうして、三代目横浜駅は各鉄道会社のターミナルとして機能することとなり、現在の横浜駅を中心とした交通網はこの時期におおよそかたちづくられることになりました。

戦後復興と横浜の都市交通の変革

1952(昭和27)年、GHQによる接収が解除されると、乗り換え客が中心で、周りに工場や資材置き場などが広がっていた横浜駅も、区画整理事業によって本格的に開発がはじまりました。相模鉄道が1956年、「横浜駅名品街」としてアーケード商店街や高島屋ストアを横浜駅西口にオープンさせると西口は急激に発展し、横浜の中心商店街であった伊勢佐木町のにぎわいをしのぐようになっていきました。

鉄道省直営から国(運輸省)の外郭団体で公共企業体となった日本国有鉄道(国鉄)は、1964年、桜木町までだった路線を磯子まで延長(根岸線)させ、関内地区への交通アクセスが改善されました。しかし、横浜駅周辺の成長はとまらず、結果として、横浜の都心は、商業中心地である横浜駅周辺地区と、行政の中枢機能が残る関内地区との二極に分離していきました。

1964年10月に東海道新幹線が開通、横浜市内には新横浜駅が設けられました。また、市内におけるほとんど唯一の路面交通機関であった路面電車も、1972年に廃止、同年、横浜市営地下鉄が営業を開始しました。

市内における貨物においても、1963年に京浜工業地帯の鉄道貨物輸送を行うため設立された神奈川臨海鉄道が、1969年10月、根岸駅に接続する本牧線を建設し営業を開始しました。

国鉄は、オイルショックやモータリゼーション(自動車利用の一般化)の進展などにより、1970年代に多くの欠損額を出して長期債務が増加、その結果、1987年、6つの「旅客鉄道会社」と1つの「貨物鉄道会社」へ分割し民営化されました。これにより「JR東日本」「JR東海」「JR貨物」が新たに横浜を走る鉄道会社に加わりました。

あらたなる時代へ

その後、横浜を走る鉄道会社としては、1989(平成元)年、新交通システム(自動案内軌条式旅客輸送システム)の標準化適用第一号として採択された横浜シーサイドラインが開業。同年3月に「横浜みなとみらい21」地区において横浜高速鉄道が設立、2004年2月にみなとみらい線が開業しました。この結果、横浜市内を走る鉄道会社は10社となりました。

2020(令和2)年から感染が広がった新型コロナウイルス感染症の影響により鉄道事業者の売上は落ち込みました。今後は人々の移動を前提としたサービス(輸送・流通)だけでなく、移動に基づかないサービス(情報)の提供といった多方面に活動の幅を広げていくことでしょう。しかし、鉄道会社はこれまでの横浜の鉄道の歴史でみてきたように、基本である輸送・流通事業においてもこれまで以上に質の高いサービスへとブラッシュアップを進め、今後も私たちのまわりで走り続けることでしょう。

今年は、新橋と横浜を結ぶ鉄道が開業してから150周年の節目の年にあたります。横浜市営地下鉄開業50年でもあります。また、2019年の相鉄・JR直通線、来年3月の相鉄・東急直通線の開業といった神奈川東部方面線開業や市営地下鉄の延伸、東海道貨物支線の貨客併用化等の計画もあり、今後の横浜を中心とした鉄道には大きな注目が集まっています。

鉄道開業当時に使われた双頭レール(横浜市歴史博物館所蔵)

鉄道開業当時に使われた双頭レール
(横浜市歴史博物館所蔵)

この記念すべき年に、横浜市歴史博物館では『みんなでつなげる鉄道150年―鉄道発祥の地よこはまと沿線の移り変わり―』を開催しています(~9月25日)。あらためて横浜の鉄道史を振り返り、横浜の発展の歴史を考えることもいい機会なのかもしれません。

小林光一郎(こばやし こういちろう)

1974年千葉県生まれ。横浜市歴史博物館学芸員。博士(歴史民俗資料学)。

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