Web版 有鄰

582令和4年9月10日発行

坂上 泉と『渚の螢火』 – 人と作品

強奪された100万ドルを奪還せよ。
1972年の沖縄を舞台に、琉球警察の捜査を描くサスペンス

坂上 泉
坂上 泉

琉球警察への関心から着想

本土復帰直前の沖縄で、100万ドル強奪事件が発生。琉球警察の捜査を描く、長編サスペンス小説である。

「米軍統治下の沖縄に琉球警察という組織があって、物語の舞台として魅力を覚えました。ユーロ切り替えで回収されるポンドを子供たちが拾う『ミリオンズ』というイギリス映画にヒントを得て、円への切り替えで回収されるドルを強奪されて、本土復帰の当日までに回収する話を考えました。もともとは警察ものを書いてみたかったところから生まれた話です」

1945年の沖縄戦後に組織された琉球警察は、1972年5月15日の本土復帰に伴い、沖縄県警察に改組されることになっていた。4月に琉球警察に帰任した真栄田太一警部補は、100万ドル(3億円以上)が強奪された事件の極秘捜査を命じられる。

「沖縄について僕はアウトサイダーですから、アウトサイダー的な人物を主人公にしました。佐々木譲さんの『笑う警官』のように、特別編成チームで捜査する形にしようと、ベテランの玉城、ライバル的存在の与那覇らを設定しました。キャラクターを立てることを意識して、真栄田は『Dr.コトー診療所』の吉岡秀隆さん、新里愛子は『機動警察パトレイバー』の泉野明などをイメージしながら作っていきました」

石垣島で生まれ、本土の大学に留学した真栄田は、よそ者扱いされていた。与那覇も真栄田を敵視していたが、徐々に打ち解けていく。

「捜査を通じて仲間になっていく流れは出したいと思っていました。それと、ようやく本土に復帰するまでの27年間、沖縄が背負ってきたものを抱えて去っていくキャラクターが必要だなと思いました。紙を燃やして弔うウチカビという風習が沖縄にあるのは知っていて、戦時中から本土復帰までのすべてを炎の中に葬る、そのために描いている物語だなと思ったので、境界がわからないような波打ち際で供養する、一瞬の炎となって消える意味で、火が二つの螢、『渚の螢火』のタイトルにしました」

法政大学沖縄文化研究所に通って資料を調べ、沖縄の人に方言指導を受けて、1972年の沖縄を描いた。

「佐野眞一さんの『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』を読んで戦後の沖縄に関心を抱いたのも、この小説の源流の一つです。一筋縄ではいかない、いい面も悪い面もはらんだ複雑さ、濃さが沖縄にはあって、主体的で個性のある人たちを描きたかった。東京中心の歴史観じゃないものを描きたくて、ホームグラウンドの大阪を舞台にして『へぼ侍』と『インビジブル』を出したんですけど、3作目も東京以外の目線を意識して描いたら、とても濃い味が出ました。大阪、沖縄が特別なわけではなく、おそらくどの地域にもそれぞれ別の味があるんだと思います」

物語を通して戦後史を掘り下げ、歴史化する

1990年、兵庫県生まれ。東京大学文学部日本史学研究室で近代史を専攻。2019年に第26回松本清張賞を受賞し、受賞作を改題した『へぼ侍』でデビュー。20年に刊行した『インビジブル』は直木賞候補になり、21年に大藪春彦賞、日本推理作家協会賞を受賞した。

「絵本が好きで、みんなが外に遊びに行っているときに家で本を読んでいる子供でした。小学校の頃は『日本の歴史』の漫画やシャーロック・ホームズ、小中の頃は赤川次郎さん、西村京太郎さん、中高時代はライトノベル、高校から大学にかけてノンフィクションを読んでいました。就職して3年目くらいに異動で少し時間ができ、京都の天狼院書店の小説講座に参加して、最初に仕上げた長編小説でデビューしました」

昭和の戦後史をライフワークにしたいという。

「森達也さんの『下山事件(シモヤマ・ケース)』、柴田哲孝さんの『下山事件 最後の証言』を大学時代に読み、昭和20、30年代の混沌とした社会状況に興味を持ちました。大学卒業後も戦後史を掘り下げていきたいと考えていたところに、物語を描く機会をいただきました。終戦から80年近く経っていますし、もう昭和の時代を歴史にする必要があるんじゃないか。石田三成も徳川家康も秋山兄弟も、我々は歴史小説でキャラクター化していますから、昭和史の人物にもっと踏み込んでキャラクターとして消費することが、歴史化する一歩なのかなと思います。平成生まれの僕にとっては、よくわからないままずっと地続きでいるよりも昭和を歴史として捉える方が自然で、大事なことと思っているんです」

(青木千恵)

『渚の螢火』・表紙

渚の螢火
坂上 泉/双葉社/1,870円(税込)

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.