Web版 有鄰

582令和4年9月10日発行

没後50年 私の川端康成 – 1面

荻野アンナ

読者を魅了する川端康成の手さばき

きっかけは一本の電話だった。神奈川近代文学館で川端康成の没後50周年を記念して、展覧会を開催する。その編集委員を引き受けてほしい。

青天の霹靂とはまさにこのことで、絶句した。川端読みではないからと、断りかけた。

「でも川端について、批評小説を書かれていますよね」

30年ほど前に、フィクション・クリティックと銘打って、さまざまな名作をパロディにしてみせたことがある。川端の場合は、「雪国の踊子」になった。一行目は「あたし、踊子でーす」。年増になった踊子が『雪国』を読んで、自分を慕ってくれた一高生の島村が、雪国の芸者駒子に入れ上げているのを知って憤激。彼を取り戻すべく、電車で雪国を目指す、その車中で珍妙な作品論を展開するという作りになっている。

これを読んだ上で、編集委員のお声がけをいただいた以上、断るわけにはいかない。引き受けたとたん、私の川端漬けの日々が始まった。最初に読み直したのは『伊豆の踊子』だった。作中の踊子は薫という名前を持ちながら、主人公からは徹頭徹尾「踊子」と呼ばれている。一例を挙げる。

〈「皆まだ寝ているのか。」
踊子はうなずいた。〉

これを「薫はうなずいた」にすれば、『伊豆の踊子』は普通の小説になってしまう。30年前のパロディで、踊子に成り代わった私はこう指摘している。

〈薫という生身には我もあれば欲もある。濁ってよどんで、メシ喰って息している。それよか踊子という役柄に徹しきった無色透明な幻のほうがキレイなんでしょうね。〉

その上で、薫と呼んでほしい、と私の踊子は不平を鳴らすのだが、30年経ってみると、現実の上澄みを掬い取ったような「無色透明な幻」を現出させる川端の手さばきの鮮やかさに苦もなく魅了された。

世間のモラルより高いところにある道徳観

『伊豆の踊子』の収録された文庫本の一つに、川端本人の作品についてのエッセイが載っている。作者によれば、「人物はもちろん美化してある」。たとえば、薫の兄夫婦は「悪い病の腫物に悩んでいた」。身も蓋もない言い方をすれば性病だ。作品化する際に、腫物のことに言及すべきか否か、かなり迷ったらしい。「それが書けていたらば、すこうし感じのちがった作品になっていただろう」というのだが、「すこうし」どころか、まるで違った方向に舵を切り、日本のゾラになっていたかもしれない。書かなかったおかげで、水晶の玉のような大人のメルヘンがわれわれの手中に残った。

『伊豆の踊子』は典型だが、川端康成の作品は読後感が良い。彼の作風の幅広さを考えると、これは稀有なことと言わねばなるまい。没後50年をきっかけに、新たに文庫入りした『川端康成異相短編集』がある。「異相」というだけあって、幽霊が語り手になっていたり、幻想的な夢の話が出てきたりする。中でも「死体紹介人」は『眠れる美女』の先駆とも言える初期作品で、女の死体が主人公の怪作だが、「死人って冷たいものねえ。」という一行で素直に作品を受け入れてしまう読者がいる。

代表作と言われる作品でも、作りが「すこうし」違っていたなら成立しなかったと思われるものもある。『千羽鶴』の主人公菊治は、父の愛人だった太田夫人と、出会ったその日に情を交わす。

〈(…)おそらく夫人は誘惑するつもりはなかったろうし、菊治も誘惑されたおぼえはなかった。また菊治は気持ちの上でも、なにも抵抗しなかったし、夫人もなにも抵抗しなかった。道徳の影などはささなかったと言えるだろう。〉

「道徳の影」がささずに済んだには理由がある。まだ若い菊治だが、両親は既に他界している。もしも母親が存命なら、夫の愛人と息子の行為は残酷な背徳となったことだろう。孤児であることが、この場合の菊治の行動の自由を可能にしている。

太田夫人のほうは悪女のアクはなく、いたっておっとりしている。

〈「ゆるして。ああっ、おそろしい。なんて罪深い女なんでしょうねえ。」〉

善良な魔性の女というのは矛盾しているかもしれないが、そういうありえない存在に肉体を与えるのが川端作品の真骨頂である。

「仏界入り易く、魔界入り難し」という一休の言葉を、後期の川端はよく引いている。菊治と太田夫人が魔界の住人だとすれば、魔界は仏界に通じていると思わざるを得ない。「『魔界』なくして『仏界』はありません」(『美しい日本の私』)とうそぶく川端は、世間のモラルよりも一段高いところに自身の道徳を置いていたのだと思う。

戦争の記憶と日本古来の悲しみ

今度の展覧会にはいくつかの書簡が展示されるが、昭和24年11月28日附、秀子夫人に宛てた一通が興味深い。戦後の広島を訪れた旅の委細を原稿用紙に記している。彼の想いは欄外へとあふれ、次のような言葉に結実している。

〈原子爆弾の惨禍について何としても書きたいと思ふ。人類の歴史と道徳のための仕事だ。〉

同じ川端康成が、昭和22年には以下のような意思表明をしていた。

〈敗戦後の私は日本古来の悲しみのなかに帰ってゆくばかりである。私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。現実なるものもあるいは信じない。〉

戦争中に熟読していた源氏物語の世界へ「帰ってゆく」川端と、原爆を「何としても書きたい」川端は、一見矛盾しているように見えるが、実は同じ倫理的かつ審美的な立場に立っている。

妻への手紙をしたためた昭和24年は、川端が『山の音』を執筆していた時期と重なる。この作品の主人公、尾形信吾は62歳にして自身の老いと直面し、死の予感に慄きながら、一方で息子修一の嫁、菊子に密かな思いを寄せている。しかし「不器量で、心のきめがあらい」妻の保子との夫婦仲が悪いわけではない。

表面的には平穏な日々を脅かすものとして、修一の浮気がある。菊子を軽んじるばかりか、浮気相手の戦争未亡人に対しても辛く当たってしまう彼は、戦地で心の傷を受けた復員兵であった。

作品は信吾を中心に展開し、背後の点景と見える修一だが、実は彼の心の闇を通して戦争が、一家に暗い影を投げかけている。日常を脅かす非日常としての戦争の記憶を行間に読み取る時、この作品は奥行き深く読者に迫ってくる。

『山の音』で「日本古来の悲しみ」を象徴しているもののひとつが慈童の能面だ。亡くなった友人の遺品を信吾は引き受ける。妖精の少年を表した面は、信吾が顔を近づけると、彼の老眼もあって、生きた女以上に艶かしく、「信吾は危く接吻しかかった」。

妖しい体験の後、仕舞ってあった能面を、やがて信吾は菊子に着けさせる。面の下で彼女は涙を流す。修一と別れる可能性を、考えていたのだ。

〈「別れても、お父さまのところにいて、お茶でもしてゆきたいと思いますわ。」と面の蔭ではっきり言った。〉

能面を介して、信吾と菊子がふれ合った瞬間である。成瀬巳喜男による映画化には残念ながらこの場面はないが、「思いますわ」という、現在では死語となった女言葉が活きるためには、白黒の映画画面がふさわしい。

「虹をつむぐ人」川端康成の作品世界

成瀬の映画が今となってはむしろ新しく感じられるのと同様に、川端の作品は没後50年という時代の波に洗われて、新鮮な輝きを取り戻している。「戦後の世相」を信じていない作家により描かれた戦後は、風俗であることを放棄して、永遠の相の下にわれわれの前にたち現れる。

『山の音』や『千羽鶴』を執筆していた期間は、戦前から中断しつつ書き進められていた『名人』に最終的なかたちを与えていた時期でもある。『名人』は囲碁の本因坊秀哉の晩年を描いたドキュメンタリーである。最後の名勝負に臨む名人は「扇子を握って、それがおのずから古武士の小刀をたずさえて行く姿」と見える。名人を活写する筆の動きは、川端が様々な作風を自身のうちに同居させていることを教えてくれる。

戦前までさかのぼって、新感覚派時代の実験的な作品まで視野に入れるならば、川端の構築した世界の多様性に、めくるめく思いがするはずだ。今回の展覧会には「虹をつむぐ人」というタイトルがついた。会場は虹にちなんで7部構成になる。川端の虹好きは『虹いくたび』でも明らかだが、本人の文学的営為を俯瞰するならば、虚空に浮かぶ巨大な虹となるかもしれない。

何色からとりかかるかは読者次第だが、7色が揃っても安心することはできない。読み終わったはずの作品に、またふらふらと吸い込まれていく場合が多いのだ。すでに書いたように、川端の読後感は口当たりがいい。繰り返しの読書に、しなやかに、したたかに耐える。

いくらでも食べられるピーマンのレシピを「無限ピーマン」と呼んだりする。それに倣えば「無限川端」とでも言うべき世界に、はまり込んだ人間の感想が、この一文なのである。

荻野アンナ
荻野アンナ(おぎの あんな)

1956年横浜市生まれ。小説家。
著書『老婦人マリアンヌ鈴木の部屋』 朝日新聞出版 1,760円(税込)。『カシス川』 文藝春秋 1,650円(税込)他多数。

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