Web版 有鄰

585令和5年3月10日発行

池波正太郎さんの思い出 – 1面

逢坂 剛

池波正太郎作品の挿画を担当した父

『剣客商売』新潮文(表紙絵 中一彌)

『剣客商売』新潮文庫
(表紙絵 中一彌)

今年は、池波正太郎さんが生まれて100年、亡くなってからは33年になる。享年67だった。わたしは今年11月で80歳、いわゆる傘寿を迎えるので、池波さんとはちょうど20歳年下、という勘定になる。

わたしの亡父、中一彌は〈鬼平〉〈剣客商売〉〈仕掛人〉等の、池波さんの人気シリーズの挿画を、長く担当させていただいた。そのご縁もあって、池波さんにはわたしの結婚式の仲人を、お願いしたりもしている。家内の父親が若いころ、池波さんと句会の会友同士だった、という意外なつながりもあった。結婚当時、わたしはまだ博報堂に勤務しており、作家になろうという気など、まったくなかった。ところが家内に言わせると、わたしは見合い後のデートのおりに、「直木賞を獲る」と豪語したらしい。高校時代にも、同級生に同じセリフを口にした、と後年聞かされたことがあるが、どちらも当人には記憶がない。たとえ言ったにせよ、本気ではなかったはずだ。

その後、暇つぶし(?) に書いた1,400枚余の大河小説を、なんとなく編集者に読んでもらいたくなり、とりあえず小説雑誌の短編新人賞に、応募を始めた。もし受賞すれば、大長編でも読んでもらえるだろう、と思ったからだ。

そうした新人賞の一つで、池波さんが選考委員を、務めておられた。最終候補に、二度残った記憶があるが、どちらも池波さんの選評は厳しく、あえなく落選した。応募のことを、事前にお話ししたおぼえはないが、編集者から伝わっていた可能性は、あるだろう。どちらにせよ、池波さんの選評は容赦がなかった。池波さんには確かに、妙な情実に流されない頑固さが、おありだった。しかし、それが実はわたしを鼓舞する、いわゆる愛の鞭だった可能性も、ないではないのだ。

さいわい、新人賞を獲ってから7年後、二度目の候補で直木賞を、手にすることができた。そのときも、選考委員の一人だった池波さんから、「受賞したからには、いさぎよく会社勤めをやめよ」と、発破をかけられたおぼえがある。小説は、会社勤めのかたわら書くものではない、というこれまた厳しい叱咤だった、と思う。

それからわずか3年後、1990年5月に池波さんは、亡くなられた。結局わたしは、その後7年たった1997年まで、会社勤めを続けることになった。ところが、やめて初めて池波さんの言われたことが、身にしみてきた。作家の仕事を、単なる趣味や道楽でやるなら、兼業でもなんとかこなしていける。しかし、本業としてやっていくとなると、その苦労は並たいていではない。とはいえ、それは自分の好きなことを、徹底的にやるための苦労であって、実はその苦労が楽しみでもある、と分かってくる。

今の長寿時代になってみれば、池波さんはむしろ早逝された感がある。それでも、ご存命のころの池波さんのたたずまいには、ただならぬ貫禄があった。わたしの印象では、池波さんはまさに〈文豪〉の風格が、体じゅうからにじみ出ていた。それだけに、編集者のあいだでは厳しい人、なんとなく気むずかしい人、こわい人と思われていたふしがある。ただ、わたしやわたしの妻子に対しては、そういう面を少しも見せられなかった。娘がまだ3つか4つのころ、正月にご自宅へ年賀にうかがうと、池波さんはそれこそ相好を崩して、歓迎してくださったものだ。お子さんがおられなかったせいか、なおさら身近な子供をかわいがる一面が、おありだったようにみえる。娘も池波さんには、よくなついていたと思う。

作家になって感じた池波さんの小説作法

わたしが作家になってから、池波さんはわたしの小説について、何か言われることは絶えてなかった。いくつかは、読んでくださったと思うが、作家としてデビューしたからには、同等の立場と見てくださったのかもしれない。それは、わたしもベテランになって初めて、感じたことではあった。作家というのは、ひとに小説作法を教えるものではなく、逆に教えを請うものでもないのだ。こればかりは、自分で工夫するしかない。

池波さんご自身の小説作法は、余人をもって替えがたいものがあり、どこからそれを学ばれたか、お手本を探すのは容易ではない。ただ池波さんは、長谷川伸の弟子のお一人だったから、師から学んだことは多かっただろう。ことに芝居、戯曲の脚本にたずさわった経験が、大きく影響していると思う。脚本というのは、せりふとせりふのあいだを、簡潔な〈ト書き〉でつないでいくもので、だらだらと書くわけにいかない。いきおい、くだくだしい説明抜きの、簡潔な文章になる。

ちなみに〈ト書き〉の文章は、おおむね現在形で書かれるが、以前目にした池波さんの脚本は、なんと過去形で書かれていた。わたしは、会話の勉強のためにモリエールや、ボーマルシェの戯曲をよく読んだが、たとえ翻訳にしても過去形の〈ト書き〉に、出会ったことがない。そのため、特に印象に残っているのだ。小説の場合、地の文の文末は多くの場合、過去形で書かれる。現在形で終わることは、相対的に少ない。その点、池波さんの小説の文章は、現在形と過去形をたくみにあやつって、物語をとんとんと進める独特のスタイルを持つ。ワンセンテンスも短く、リズム感をもって書き進められる。そのため、実に読みやすい文章に、仕上がるのだ。ややこしい、気取ったレトリックなど、薬にしたくもない風情である。

逢坂流の〈平蔵もの〉を書く

『闇の平蔵』文春文庫(表紙絵 中一彌)

『闇の平蔵』文春文庫
(表紙絵 中一彌)

2010年の、初夏のことと記憶する。

雑誌〈オール讀物〉の編集長から、思わぬ相談を受けた。池波さんの没後20年に当たって、長谷川平蔵を主人公に据えた短編を、現役作家の競作というかたちで実現したい。ついては、わたしにも一本書いてもらえないか、というのだ。これには、驚いた。

なるほど、長谷川平蔵は宮本武蔵や、土方歳三同様実在した人物だから、だれが書いても不都合はない。さりながら、大先輩が生み出し、育て上げた〈鬼平〉というキャラクターは、すでに不動の存在として、広く認知されている。いくら、父親との縁で結ばれた立場とはいえ、わたしには受けがたい相談だ。

しかし編集長はしぶとく、何より池波さんへの供養になるとか、わたしが引き受けなければ、ほかの作家は絶対に書かないとか、いろいろな理屈をつけながら、にじり寄ってくる。ついに根負けしたかたちで、しぶしぶ引き受けることにした。当時、まだ健在だった父親に、挿画を描いてもらえば、確かに供養にもなるだろう。

苦労したのは、池波さんが作中で生み出した、平蔵以外の登場人物(木村忠吾、佐嶋忠介、大滝の五郎蔵など)の名前、あるいは術語、用語(おつとめ、急ぎばたらきなど)をそのまま、使用するわけにはいかない、という問題だった。密偵と表記して、〈いぬ〉とルビを振るのも、池波流の書き方だ。

そのため、江戸幕府が発行した〈御仕置例類集〉などを見て、関連術語、用語を探さねばならなかった。けっこう苦労したが、それはそれで勉強になった。幕府は、町奉行所や火盗改の与力同心が、〈手先〉を使うことを禁じたが、平蔵は意に介せず使っていた。ただ、鬼平のように自由自在にあやつったかどうかは、定かでない。そのあたりは、池波さんの着想だと思われるが、これだけははずすわけにいかない。

文体もまた、池波さんのまねをするわけにいかないし、できるものでもない。開き直って、わたし自身のスタイルで書いた。活字になれば、「よくも書いたな……」あるいは、「よくぞ書いた……」の二つに、意見が分かれることは、承知の上だった。どちらにしても、肚を決めて書いたからには、どう言われようと受け止める、と覚悟していた。もちろん、どちらの意見も直接わたしの耳には、はいってこなかった。

実のところ、いちばん気になったのは挿絵を担当した、父親の意見だった。それまで、時代物を描いてもらったときも、直接わたしに感想を言うことはなかった。気になることがあれば、担当の編集者に言ったかもしれないが、それも聞こえてこなかった。何も言わないのは、まずまず及第点をつけてくれた、ということだろうと解釈した。

自分としては、〈平蔵もの〉を単発の特例として、書いたつもりだった。しかしその後も、編集者に脅されたりすかされたりして、結局シリーズになってしまった。そう長くは続けられないが、ある程度のキャリアになってからの挑戦は、大いに刺激にもなったし、勉強にもなった。

池波さんには及びもつかないが、逢坂剛流の平蔵ものを世に問うたことは、自分の中でも誇りになっている。

池波さんも苦笑しながら、許してくださるだろうと思う。

逢坂 剛
逢坂 剛(おうさか ごう)
白鳥真太郎撮影

1943年東京都生まれ。小説家。推理作家。『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞受賞。著書『平蔵狩り』文春文庫 748円(税込)他多数。

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