Web版 有鄰

592令和6年5月10日発行

厚木高校演劇部の延長戦 – 海辺の創造力

六角精児

有隣堂が駅前にそびえ立つ本厚木駅は僕が通っていた県立厚木高校の最寄駅である。この高校は昔から県内有数の進学校であり、生徒は皆んな成績優秀者ばかり。母親に尻を叩かれてギリギリのラインで合格した僕は入学と同時に授業について行けず、早々に「負け犬」感漂う高校生活が決定してしまったのであった。

しかし、一方でこの高校に通ったことが僕のその後の人生を決定付けたのもまた事実。想像だにしなかった俳優という職業への道はこの高校との縁で深く繋がっているのである。

新入生はどこかの部活に必ず入部しなければならないというルールの下、比較的気楽そうだという理由だけで演劇部に入部した。そこに2年生の横内謙介先輩(現、劇団扉座主宰)と岡本宣也先輩(岡森諦、現、劇団扉座劇団員)がいた。彼らの活動はとにかく活発で、躍進的で、特に横内先輩の書いた戯曲は当時の全国高校演劇界の概念を大きく変えた程のインパクトがあった。

しかし僕はといえば、一応、その現場に携わってはいたものの、先輩に言われるがままにやっていただけなのでその盛り上がりがどうもピンと来ない。青春にありがちな一過性の熱病のようなものだと

自ら冷静に判断を下し、演劇部の活動から遠ざかることにした。何しろ大学受験が控えているのだ。いくらバカでも大学には入りたかった。

大学に受からず浪人が決定した春、再び横内先輩が僕の前に現れた。一浪して大学に入った彼はまだ演劇の熱が冷めないようで、今度、劇団を立ち上げるので参加しないかと僕を強めに誘った。

僕「いや、でも僕は浪人生だし無理ですよ」
横「勉強には影響しないように考えるから。それに女子大生とも知り合いになれるぞ」
僕「本当ですか!じ、じゃあやろうかな」

意志薄弱な僕は流されるままに参加。そこには当然のように岡本先輩がおり、2つ上の先輩、木原実さん(現、日テレ気象予報士)までいる。

あまり積極的にはなれなかったが横内先輩のテンションにグイグイ押され、劇団活動はその後何年も続いていった。

その間、僕は大学には入学したものの、世間の様々な誘惑に負け続け、就職活動もせず大学は中退、人生をほぼ踏み外し、30歳前にいよいよ窮地に追い込まれる。残されたのは劇団員として舞台に立つことだけであった。芝居の面白さもよく分からない、どんな役者になりたいとかのビジョンもない。が、最早劇団にすがって生きていくしか道はない。そんな中、「いつか劇団からも必要とされなくなる日が来るんじゃないか」とビクビクしながらも半分遊び人のような生活をさらに10年過ごすことになる。

幸いなことに出演していたテレビドラマが話題を呼んで、僕にも少しずつ仕事が来るようになり、漸く人並みの生活が出来るようになった。しかし内実は変わらない。出演する機会は少なくなったものの、自分はいまでも劇団扉座の劇団員である。というか、横内も岡森も六角も、還暦を過ぎて尚、厚木高校演劇部の延長戦をやっているのである。

僕の人生の半分は劇団で出来ている。後の半分は適当に出来ている。

(俳優)

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