Web版 有鄰

514平成23年5月10日発行

芥川賞との因縁 – 1面

島田雅彦

デビュー作の『優しいサヨクのための嬉遊曲』が芥川賞候補に

第144回芥川賞の記者発表をする筆者(2011年1月)

第144回芥川賞の記者発表をする筆者(2011年1月)
文芸春秋提供

どういう因縁があってか、もう28年前のデビュー作の『優しいサヨクのための嬉遊曲』が芥川賞候補になって以来、作品を発表し続けるたびに候補作に上り続け、合計6回受賞レースに参加し、不名誉な最多落選記録(当時)を作ったが、うち5回が受賞作なしという結果に終わったことについては今も納得がいかない。むろん、選考というのは天候や個々の選考委員の気分など偶然によって左右されることも多いが、受賞者が出ない、あるいは出さないというのは、「いじめ以外の何物でもない」と歯ぎしりした覚えがある。

あの頃、純文学はやけに自信満々だった。小説は諸ジャンルの雄であることを疑わない偉そうな作家も多かった。今でこそ、そんな作家はほとんど絶滅に瀕しているけれども、あの無根拠な自信は何に由来したのだろう。

ある時、日本のSFの草分けともいえる星新一氏と話をする機会に恵まれた。私は星新一作品を小学生の頃から愛読していたが、氏の純文学に対する怨嗟は深かった。SFは純文学畑からは際物とか、大衆的と見做されてきたことに対する恨みを聞かされ、当惑した。思えば、私がデビューした頃、その偉そうな純文学はすでに衰退の一途を辿り始めていたのだ。

発展途上国の場合、ジェネレーションを特徴づけるのは戦争や政治的事件である。私の世代は韓国においては、光州事件世代と呼ばれる。日本でも、日清戦争世代、日露戦争世代とか、あるいは戦中派、戦後派といったように、戦争で時代を区切っていたこともあるし、60年代安保世代、70年代安保世代といったように、学生運動とのかかわりで世代が語られてきた。だが、80年代になると、「政治の季節」が終わり、ジェネレーションを特徴づけるものが子供の頃に見ていたアニメ番組などに取って変わる。ウルトラマン世代、仮面ライダー世代、宇宙戦艦ヤマト世代、ガンダム世代、エヴァンゲリオン世代……といった区切りをするようになったのは私の世代からである。

政治の季節にはまだ人々は純文学を必要としたが、もはや「政治と私」とか「政治と芸術」といった相克に悩む必要のなくなった人々は、資本の原理により忠実になり、「何でもあり」のサブカルチャーに走った。1961年生まれの私などは、サブカル元年生まれといってもいいかもしれない。

おのが奇想を存分に発揮した血沸き肉躍るエンターテイメント

芥川賞候補になったデビュー作の選評で開高健氏は「いい意味の軽さ」と評したが、私は先行世代の作品にあった純文学的深刻さなんて、本当は肌に合わなかったのだ。私が書いてきた本には「私小説」もなければ、「病気小説」もない。おのが奇想を存分に発揮した血沸き肉躍るエンターテイメントばかり書いてきたつもりである。

文芸雑誌はまだ健在だが、「近代文学」の耐用年数は過ぎた。30年前のコンテンツと現在のコンテンツとを比較すると、もう「珠玉の短編」なんてどこにもない。「文学」の営みは根本的に変わった。純文学とエンターテイメントの二項対立は消滅し、ライトノベルというジャンルが現れ、携帯小説という素人投稿が人気を博し、今は芸人や俳優、女優もこぞって小説を書く。ハードルは思い切り下がった。サブカルとの連動企画は当然、サブカルの影響を受けない作品の方が近頃では珍しくなった。

これまでは、文芸誌が主催する新人賞を受賞して、次に芥川賞を受賞して、連載小説などを量産していくという道筋が日本文学におけるオーソドックスなルートだった。私自身はデビュー当時からその道筋をみごとに踏み外したなという自覚はあった。芥川賞に嫌われたことだけが目立っているが、実は他の賞にもかなり嫌われている。高橋源一郎とともに、徹底的に文学賞とは縁が薄い。

だが、そんな怨嗟をいつまでもひきずっていても、みじめになるだけなので、自分を鼓舞する何かが必要だった。のちに自ら文学賞を作ったりすることで、当時の文学賞選考の担い手たち、つまり私をいじめて、鍛えてくれた人たちが信奉する文学観とは違うものを宣言したかった。また、それは「文学」を社会的な話題の中心に置こうという努力でもあった。

文学が社会的関心を集める装置として機能している芥川賞

90年代の時点で、すでに「文学」は社会的な話題になりにくくなっていた。90年代にそれが唯一成功したと見えるのは「文藝」(河出書房新社)が打ち出したJ文学だろう。AKB48みたいに作家をユニットで売り出そうとした。それ以降、文学が社会的な現象になることは滅多になかった。そこは芥川賞が唯一、社会的関心を集める装置として機能している。金原ひとみ、綿矢りさの20歳以下の女性のW受賞、朝吹真理子、西村賢太の美女と野獣コンビ受賞なども芥川賞がらみだった。

かつては純文学というマーケットには読者と作者の深い絆があって、かなり大胆なスタイルをとっても読者がついてきてくれるという信頼感があった。誰もが押さえておくべき文学理論とか、文学史の常識というものがあった。若い書き手はもはやそんなものに縛られる必要がなくなった代わりに、安易な感動や予定調和の波瀾万丈、シンメトリックな起承転結の構造などを伴ったウエルメイドな作品が増えた。全体として、かなり素朴な文学観に回帰した感がある。結局、それが資本の原理との関係でいえば、落とし所となるのだろう。

時代と並走しつつ一つの生の哲学を生み出すのが文学

文学は世界を認識するためのひとつのツールである。これまでの歴史観や世界観、言語観を更新してくれるような作品を求める。この時代において、変わらないもの、壊れないものなんて何一つない。だからこそ、その悲しくも残酷な実情を垣間見せて欲しい。家族だって、人格だって壊れる。貨幣も言語も元には戻らない。国家も制度もシステムも壊れることによって、また別の何かが生み出される。転換期こそ、人間の知性が試されるのであって、今がまさにその時期だ。作家の想像力、創造力が試される事件はこれまでもいくつもあった。東日本大震災もそうだし、その前には阪神・淡路大震災があり、オウム真理教のテロがあり、9・11があった。ジャーナリズムとは一線を画しながらも、時代と並走しつつ、一つの生の哲学を生み出すのが文学である。

芥川賞の後に始まるサバイバル・ゲーム

ところで、新人賞が果たしている役割というのは、作家を食べさせるという福祉的な要素があるわけだし、また文学マーケット活性化のためのカンフル剤という部分もある。その点からも作家のスカウトと作品のジャッジの両方が健全に果たされるべきだろう。

芥川賞の受賞作のレベルを一定水準に保つべきだという議論は、純文学が威張っていた時代の話で、もう成立しないだろう。いったい誰が芥川賞の水準などというものを決めるのか。そんな恣意的な基準なんて存在しない。往年の選考委員には自分の気分が絶対という人がいたかもしれないが、私はその時期に優れた作品を選ぶ、ということに尽きると思う。

作家の本当のサバイバル・ゲームは芥川賞の後に始まる。一口に芥川賞受賞者といっても、芥川賞までの人、芥川賞からの人に分けられる。ここ10年で約20人の芥川賞作家が出現したが、そのうち何人が一般読者の記憶に残っているか?いや、もっといえば、かつて選考委員だった作家で、今もその作品が本屋で手に入る人の方が実は少ない。舟橋聖一や丹羽文雄の本なんて滅多に売っていない。

芸能の世界は基本、噂話やゴシップで盛り上がっている。文壇も本来そういうものだった。実際、物書きが歴史的に果たしてきた役割には芸人的な役割、外交、社交的な役割もあった。三島由紀夫こそが模範です。彼は純文学作家兼エンターテイメント作家で、さらに劇作家で、俳優、自分の政治団体を持ち、ボディビルや剣道で自らを鍛え、ゲイ・カルチャーのアイコンでもあり、サブカルチャーの帝王でもあり、日本文化の広告塔でもあった。文学のみならず、日本社会に実に多大な贈与をした存在として、三島はおおいに尊敬されるべきだ。自分の世界に引きこもり、他者と交わろうとしない大江健三郎や村上春樹と較べても、その貢献度は計り知れなかった。

芥川賞も新人に与えられる賞なわけで、世間的な注目度が高いという意味ではキング・オブ・新人賞かもしれないが、新人賞であることにかわりはない。その時期に世間から認知されるべき人、日本語で書かれる作品世界に多様性をもたらしてくれる人、そして俳優やミュージシャンと較べても遜色のない個性と魅力の持ち主をスカウトしたい。

島田雅彦  (しまだ まさひこ)

1961年東京生まれ。作家。芥川賞選考委員(第144回−2011年1月−から)。
著書『悪貨』講談社 1,600円+税、『徒然王子』第一部・第二部 朝日新聞出版
第一部:1,500円+税、第二部:1,900円+税、ほか多数。

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