Web版 有鄰

514平成23年5月10日発行

残された時間 – 海辺の創造力

佐江衆一

東日本大震災の前日、私は東京都慰霊堂にいた。関東大震災から88年、東京大空襲から66年の3月10日、両犠牲者の慰霊祭に参加していたのだ。

私の両親は関東大震災と東京大空襲をかろうじて生き延び、「一生に2度も焼け出されて丸裸になった」と言っていたが、私は宮城県へ学童集団疎開をしていて東京大空襲にはあわなかったものの、多くの親しい人を失った。その大空襲直後の写真は、今度の大震災の被害地の悲惨な光景に酷似していて、巨大大津波の恐ろしさに戦慄するばかりである。

11日午後のあの揺れの時、私は藤沢駅にいて驚き、津波警報のサイレンが鳴り響く中、川べりの道をわが家へ急いだ。見る間に境川が川下から増水して、すごい勢いでゴミが溯上し、海鳥が異様に鳴き騒いだ。近年に嵩上げされた防潮堤は3メートルほどだから、東北の大地震級の大津波に襲われたら、少し高台にある私の家もひとたまりもなかったろう。

その海辺の町に、私は結婚以来51年間住んでいる。

1960年、26歳の夏に結婚した私は、結婚休暇を片瀬の浜と江の島の磯で遊びながら、海辺の別荘に住む孤独な少年の幻想的な物語の短篇小説『背』を書いた。これが佐藤春夫氏の目にとまり、新潮社同人雑誌賞をえて、作家として出発した。以来、小説を書きつづけてきたが、朝夕散歩する湘南の海辺で想を得た作品は多い。

老親介護の体験を描いた『黄落』は、母の死の翌日、晩秋の夕暮れの海を眺めていて書く気になった。初めての剣豪小説は、江戸時代の江の島を舞台にしているし、海への憧れは、アヘン戦争当時の南シナ海の海賊を主人公にした海洋冒険小説『クイーンズ海流』となって結実したし、『横浜ストリートライフ』は、ホームレスの老人と山下公園で横浜港の海を眺めながら書いた。歴史小説『北の海明け』は、流氷の蝦夷地の海が背景にある。

私は海が好きである。旅も船旅がいい。70歳には『地球一周98日間の船旅』に書いたように、蒸気船で7つの海を航海した。この時はガラパゴス諸島にも行ったが、東アフリカと中南米では、現地の人たちとマングローブの植栽に汗を流した。

77歳の今、やりたい遊びはほぼやりつくして、こんな歌をつくってみた。

われ死なば小舟こぎ出し骨捨てよ 千尋の海に人に知られず

いつまで小説を書きつづけられるかである。書きたいことはまだ山ほどある。だが残された時間はあまりないのだ。

明日にも大災害に見舞われるかもしれない。今というこの一刻を精一杯生きることだが、凡人の私はこの歳になってもそれができず、明日の朝も春の海辺を散策しようと、一杯ひっかけて眠りにつくのである。

(作家)

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