Web版 有鄰

484平成20年3月10日発行

あさのあつこと『ぬばたま』 – 人と作品

山を舞台に、恐怖と安穏を描いた4つの物語

あさのあつこ氏
あさのあつこ

「山」の底深さを描く

”ぬばたま”とはヒオウギの黒い実のこと。「黒」を表現する枕詞として古くから使われている。〈日が落ちればぬばたまの闇が世界を支配する〉――。新刊は、人を呑み込んでしまうような「山」の底深さを描きあげている。

「私が住んでいる岡山県の片田舎には、“漆黒の闇”と表現できるような場所がまだ存在しています。夜、山に散歩に行くと、人間の価値観と違う時間と空間を感じます。豊かとか心地よいといった言葉に置き換えられない山の闇を書いてみたいと思いました」

市役所を引責辞職し、失意にかられて山に入る男、遠い昔、山に呑み込まれた少年を探しに行く女――。4つの物語を収める。〈緑が緑に重なって、漆黒に見えるほど重なって、ざわざわと喚きたてる〉など、山の底深さを知る著者ならではの描写で、恐怖と安穏が共存するような不思議な世界が語られる。

「カツーン、カツーンと鳴る竹林の音、死体に群がる黄色い蝶など、場面のイメージが幾つかありました。山の闇を書きたいという漠然とした思いで始めると、噴き出すように物語が生まれてきました。山や場面のイメージが先にあり、追随して人物が登場してきました。山がどれほど不可思議でも、人が絡まらないと物語はできない。人がいてこそ物語があります」

黄色い蝶は飛び立つと金色の光になり、特異な匂いを放つ。山の出来事は美しいが怖い。〈人の心も山と同じだ。分け入って、分け入って、分け入っていくほどに迷ってしまう〉と、書かれている。

「初めは山の闇を書こうと思いましたが、書けば書くほど、人の心も同じように奥深く、世界には人知を超えたものが存在していると思いました。株価や偏差値など、なんでもクリアに数値化できるとわかったつもりで、実は私たちは、底深く不可解なこの世の表層あたりをうろうろしているに過ぎないと感じました。少子高齢化やリストラ、いじめといった問題は、都会と田舎の別なく存在して、現代を生きる人物を書くと、その人が背負っている事柄を書かざるを得なくなりますね」

映画化もされた児童文学『バッテリー』とは風合いが全く異なる。むしろ、経験を重ねた大人向けの作品である。

「これまでは、児童書でも大人向けの小説でも、少しでも希望がある終わり方をさせていて、一度、『死』で終わるような話を書いてみたいと思っていました。文体を変えることはせず、頭に浮かぶ言葉をそのまま書いていきましたが、あえていえば、祖母の語りに影響されていると思います。怖い、ダークな感じの人ではなく、元気なばあちゃんでしたが、年老いた人が物語る雰囲気が書きながら出てきました。今回は一般文芸の作品で、児童書に比べて制約がない分、一番ふさわしい言葉、文章を選んで書いているかと苦心しました。『死』や『滅び』による物語の閉じ方がこれでよかったのか、本が出た今も葛藤しています」

児童文学から一般文芸や時代小説まで

1954年、岡山県生まれ。青山学院大学文学部卒。小学校講師の後結婚、91年に作家デビュー。『バッテリー』のシリーズで、野間児童文芸賞、日本児童文学者協会賞、小学館児童出版文化賞の各賞を受賞。『No.6』シリーズ、『ガールズブルー』『福音の少年』『ランナー』など著書多数。10代の群像をみずみずしく描いた児童文学で知られるが、近年は一般文芸や時代小説にも幅を広げている。子供時代から本が大好きで、中学の頃はE・クイーンやA・クリスティなどの海外ミステリに夢中になった。

「コナン・ドイルを読んでロンドンを歩いている気持ちになりましたし、浸り込むようにして本を読みます。自分がいる所と違う場所や人間が、世界には複層的にたくさんあると思えるところが本の素晴らしさですね。高校時代にS・モームの『人間の絆』を読んで、男たちを翻弄するミルドレッドという人物に驚き、魅力的な悪があることを教えられました。一般教育で教えられない、坩堝[るつぼ]のようにどろどろとした人間の魅力を見せるのが物語です。私がミルドレッドに出会ったように、読者が見知らぬ場所に行き、人物に具体的に出会って、ずっと忘れずにいてもらえる物語を書こうと心がけています。人同士が濃密に関わりあってそれぞれに変化することは、とてもダイナミックな出来事です。個人は常に世界とつながっていますから、人が関わりあう姿を通して、世界や社会まで眺められる物語を書きたいです」

(青木千恵)

『ぬばたま』・表紙

ぬばたま
あさのあつこ/新潮社/1,400円+税

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