事件のニュースにまぎれ、あまり話題にもならなかったが、昨年2月、国の文化審議会から出た「敬語の指針」を紹介しながら、著者の解説、見解を披露した本。
荒っぽい方言を使う半農半漁の町に育ちながら、著者は親の方針で「正しい言葉」を身につけさせられた。そのせいで、いじめっ子たちの標的になり、敬語に対し否定的な意識しか持てなかったとか。しかしアナウンサーという職業についてからプラス面もあることを知ったという。
戦後間もなく審議会が出した「これからの敬語」は、平明、簡素を旨とし、2000年に出た「現代社会における敬意表現」は、過剰敬語を正そうという趣旨だったとか。
3度目の今回は、全体として、これまで以上に敬語表現のストライクゾーンを広げている、と著者は言う。たとえば、書店にあふれている「敬語本」が目くじらを立てている「犬にえさをあげる」は今回設けられた「美化語」として許容。やはり間違いとされている「とんでもございません」についても、正しいとされる「とんでもないことでございます」とニュアンスが違う、などの理由で認めよう、という方向とか。
一方で著者は、昨今の不祥事でよく聞く「お詫びしたいと思います」は、いまお詫びしているのではなく、未来の願望を言っているように聞こえる、などと批判している。全体に中庸を得た本といえる。
帯に「巨大監査法人はなぜ崩壊したのか?」とあり「渦中の監査法人に身をおいた著者が贈る」ともある。巻末の「著者紹介」には「中央青山監査法人でメガバンク、大手流通グループ、国営巨大公社などの監査責任者を務める」とあるから、仮名を使っても頭隠して尻隠せずである。
章題にもなっているメガバンクは、合併前のUFJ銀行であり、国営巨大公社が郵政公社、さらに章題「ムトーボー事件」のカタカナはカネボウといちいち類推できる。
帯ではまた「当局のあまりにも恣意的な検査・指導」「背後にうごめく超大国の思惑…」と謳う。この当局、金融庁の担当大臣に就任する「米国のウォール街にたくさんの仲間を持つという、マスコミで人気の大学教師」松下はどう見ても竹中だろう。経済にうとく言葉巧みな松下大臣のいいなりになっている小沼総理は、もちろん小泉元総理。二人の指示で金融庁があの手この手で銀行イジメを行う手口などが詳細に描かれる。
その背景にはメガバンクはもちろん、その融資先の大型スーパーや不動産会社、商社などを潰させて安く買いたいという米国の思惑があるという。事の真偽や出来はともかく、事情を知る人には興味津々の内幕小説だろう。
すべて「求めない」で始まる短詩約100編を収めた『求めない』がベストセラーになった著者の最近刊。戦後詩をリードした「荒地」派の詩人であり、数多い英米ミステリーの翻訳もあるが、最近では老子の「道(タオ)」を研究、実践するタオイスト、墨彩画家としても有名である。
今回の本はこの絵につける賛(画賛)の筆字をそのまま印刷、解説を加えている。賛は本人の詩や老子の言葉などが中心。たとえば「無為とは万象の内なるリズムに従って為すことなのだ」という賛には、人は自然のリズムを体に備えて生まれるが、成長につれ社会のリズムに合わせて動き、ついには忙しいリズムに巻き込まれて自分本来の生命のリズムを忘れてしまう。
そう気づいたらちょっと社会のリズムからはずれてみると、本来のリズムが甦るのを感じる。老子の言う「無為」とは「何もしないこと」ではなく、自分の内なるリズムに従ってゆったり過ごすことなのだ、といった解説がつく。
「知足者富」(足るを知る者は富む)は、『老子』第三十三章にある言葉だとかで、金や物を求めるのは心が外に向いているから、内に向かえば別の富が見えてくる、などと解説している。「求めない」に通じる言葉だろう。
『老子』最終章の最後の言葉は「不争」だという。
歳時記。1年の歴史を追って、さまざまな史実をたどるこの記録は、その該博な知識でまったく面白い。年の初めといえば、年始回り。最近はあまり行なわれなくなったが戦前までは借金で苦しんでいた人も出かけた。偉人は豊臣秀吉をはじめ、元旦生まれが多いことになっているがこれは後世の創作だろうという。
2月には立春その他の話題が多いが、今の人にはバレンタイン・デーだろう。チョコレートをやりとりして、幸せ気分になっている若い人は多い。だが、この日の由来について知っている人がどれだけいるか。西暦270年2月14日、ローマの司教バレンタインが投獄、撲殺されて殉教死した日を記念したもので、チョコレートとは何の関係もない。
春もおひなさまからゴールデン・ウィークにかけて行事が多い。今では連休も珍しくなくなったが、昔は土曜は半休でこれを“半ドン”といった。昼にドンと号砲がなるとお休みだ。太陽暦が採用されたのは明治5年からだが、官公庁が毎週日曜日休日となったのは明治9年4月からで、土曜半ドンもその日から。
その他12月まで、さまざまな人間の歴史がひもとかれ一読やめられない。座右の本に手ごろだ。