Web版 有鄰

592令和6年5月10日発行

いっさつの本があれば – 1面

小坂(高) 叡華

いっさつの本があれば(作詞:岩永嘉弘 作曲:渋谷毅 歌:小坂忠)いっさつの本があれば、地球の裏側へ旅することもできる。いっさつの本があれば、あのギリシャ時代へ旅することもできる。知らない国、知らない人、知らない世界に向かって旅立とう今 いっさつの本があれば、いっさつの本があれば *知らない国、知らない人、知らない世界に向かって旅立とう今 いっさつの本があれば、いっさつの本があれば、いっさつの本があれば、いっさつの本があれば

この有隣堂のコマーシャルソングは1972年4月に収録され放送されていました。小坂も私もこの歌がとても好きでした。そして一冊の本はなんだろうと思いました。時々新聞社や雑誌社のアンケートで、「もしあなたが無人島に行くなら、何を持っていきますか?」と言うような質問があります。今日でしたらスマホと充電器かもしれませんね。誰でもそれぞれに思い入れの一冊があると思います。私たちにとっての一冊はバイブルでした。

夫・小坂忠と聖書との出会い

小坂忠

小坂忠
(筆者提供)

私と小坂との出会いは1969年、ちょうど大学を卒業する年でした。私は学生時代から音楽イベントやコンサートのプロデュースをする、当時学生間で有名だった慶應風林火山と言う団体で活動していたので、若いアマチュアのミュージシャン達とも親しくしていました。その一人の細野晴臣さんから紹介されたのが小坂でした。長い髪とヒゲ、変わったメガネ、幅広パンタロン・・・見るからにヒッピーのいでたちで、私の周りには決して見かけない人物でしたが、育ちも環境も全く違う私達は何故か互いに惹かれ、それから付き合いが始まりました。その頃小坂は「エイプリルフール」というバンドで活動しており、その夏は1か月間、箱バンドとして八丈島に行っていました。昼間は演奏もなくあまりにも暇だったようで、緑色のインクで書かれた葉書が毎日送られてきました。帰京後は私の実家に近い渋谷の桜丘にあった東由多加さん主催のキッド兄弟商会(東京キッドブラザーズ)の公演を度々観に行っていました。そんな縁もあり出演者の大野真澄さん(ガロ)とロックミュージカル「HAIR」のオーディションを受けることになったのです。このオーディションは細野さんが小坂のギター伴奏をしたという有名なエピソードがあります。はっぴいえんどのメンバーに入るはずだったのに、と後で「松本(隆)に怒られた」と言われている場面です。小坂は出演者として、私はプロデューサー川添象郎さんのアシスタントとして、共にリハーサルや公演の準備に当たっていました。12月に東横劇場で大々的にオープンしたロックミュージカル「HAIR」は、残念なことに大麻問題で1か月で終了してしまったのです。私達の貧乏時代の始まりです。

私は「HAIR」の衣裳監修だった川添梶子さんの誘いで日本初のブティック「サンローラン・リブゴーシュ」の立ち上げの仕事に就いていましたが、小坂はなんとなく曲を書いたりライブに出演していたと思います。ちょうどその頃アルファミュージックの村井邦彦さんの呼びかけで始まったマッシュルームレーベルという新しい原盤制作会社のアーティスト第1号として選ばれ、いよいよ音楽家としてしっかりと地盤を固める状況になりました。私も再び音楽制作に関わることになりました。1971年10月、ミッキーカーチスさんプロデュースのアルバム「ありがとう」をリリースしたのです。

その1か月後に私たちは結婚しました。その後は1年に1アルバムのペースで順調な音楽活動をしておりましたが、1975年小坂のヒット作品となった「HORO」の全国27か所リリースツアーからの帰宅後、我が家に大変な事故がおきたのです。

1歳半になったばかりの娘が熱いスープを頭からかぶり大火傷をしたのです。私の祖母は孫の火傷を聞いて、遠くから駆けつけ、孫のために涙を流して祈ってくれました。祖母はクリスチャンでした。

無神論者で自分勝手に生きてきた私達にとっては藁をもつかむ思いでしたが、娘の身に不思議なことが起きたのです。病院で手当てを受けてからたった1か月でひどい火傷がきれいに癒されたのです。

この体験から私達のキリストへの思いが完全に変わりました。小坂も「HORO」の長いツアーで疲れ切っていた心にキリストの愛が彼の心を癒したのです。多くの祈りがあった事を知り、その感謝を込めて二人でキリスト教会に集うようになりました。そこで出会った一冊の本、それがバイブルです。

私達は1976年5月に独立プロダクション(株)トラミュージックを設立し6月に二人でプロテスタントの洗礼を受けて新しい人生の旅立ちを始めました。10月には同事務所の3階・4階にアーティスト・スタジオの先駆けとなったトラスタジオを設立し、77年に最初に制作リリースしたアルバムはその思いを込めた「モーニング」と名付けました。小坂忠のセルフプロデュースで細野さんや松本さん、鈴木茂さん、林立夫さんらティン・パン・アレー、ブレッド&バター、坂本龍一さんら気心の知れたミュージシャンたちが多数参加して作り上げた作品で、今も魅力あふれる日本ロック史に残る傑作と評価されています。

分厚い聖書、バイブルは読むたびに新しい出会いと新しい感性と創造力を満たしてくれました。私たちはこの本に出会ってから人生が全く変わったのです。旧約聖書の最初の創世記4章20節―22節には人類の職業が3つ記されており、その中心に音楽があることを発見して大いに喜んだものです。またクリエーターとして作曲やイベント企画に悩む思いも聖書のことばによって創造の神の力を受けてきたのです。

「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」
(新約第一コリント2章9節)

どんな人も自分にどのような能力が隠されているかを知るのは難しいのですが、小坂も私もこの一冊の本に出会って以来、悩むこと臆することから解放されてきたのです。その後、また新しい出会いがありました。ゴスペル音楽の存在です。

ゴスペルとの出会いと仲間との再会

2年後の1978年、私たちは多くの出会いと神の導きによって音楽を通して福音を伝えるゴスペル専門レーベルとしてミクタムレコード(株)を設立する事になりました。

作品ジャンルはコンテンポラリー、クラシック、プレイズ&ワーシップ、インストゥルメンタル、インポートの各分野においてクオリティーの高い作品をリリースし、評価を得てきました。同時に様々な音楽イベントや音楽セミナーを開催、後進の育成にも力を注ぎ、今年は設立45周年を迎えています。

小坂は1991年に牧師の任命を受け世界のクリスチャンネットワークを通して歌う旅人、Singer&Pastorとして10数か国を旅することになりました。ギリシャも旅し、ローマもブラジルも、韓国もイギリスも中国もこの一冊の本によって多くの人に出会って来ました。昨年10月に出版された『小坂忠アーカイヴブック 今もまだ夢の続き』にいくつかのエピソードが掲載されています。

2000年を迎えようとした秋の事です。ミレニアムの年を記念して何かを残したいねとの話の中で25年間もクリスチャンミュージックの改革に没頭していた私達でしたが昔からの音楽仲間と会う機会がありました。細野スタジオを訪ねた時に丁度ティンパンのレコーディング中で「コーラスして行かない?」という誘いから「HORO」の仲間たちと2001年リリースの「PEOPLE」制作へと導かれて行きました。私達はセキュラーミュージックとクリスチャンミュージックの2つの分野(世俗と教会)の音楽環境の中で生きる事になったのです。「PEOPLE」は「ありがとう」「HORO」「モーニング」に続く小坂の代表作となりました。

震災後の小坂の活動と闘病、天国への帰還

一方で小坂は2011年3・11の東北大震災が起きてから3週間後には宮城の教会と共に支援活動に出発し、仮設住宅を周り支援コンサートを200回以上行いました。また、コンサートにこられない方々のために東北のコミュニティFM21局をネットワークしたラジオ番組「ONEBODY」を3年間制作し続けました。2016年の熊本地震でも支援活動に駆けつけ、東北同様支援コンサートを行いました。

2017年7月30日娘のAsiahとの熊本でのチャペルコンサート中に激しい腹痛に見舞われ、帰宅後8月1日に近隣の病院で診察を受けたところすぐに大学病院を紹介され、その日に入院を言い渡されました。急性胆嚢炎と大腸癌ステージ4が見つかったのです。30日間の絶食検査の結果、他に胃癌も見つかり三臓器を切除する10時間以上の大手術になりました。しかし経過も良く2か月の入院、そして退院から3週間後には約束されていた千葉姉ヶ崎のチャペルコンサートで歌ったのです。小坂は歌う事が大好きでした。そして彼の歌には生命が輝いていました。彼の歌には人の情感以上の力が流れていました。人の人生を変える力です。被災地の10数名の仮設でも1万人の海外のイベントでも教会の中でも華やかなステージでも何の区別もなく力一杯心を注いで歌うのです。発症後3年は体調も良くCD制作やライブ、大規模イベントのゲスト等精力的に活動をしていました。

2020年コロナ禍によって活動が制限されるとYouTubeに「Chu’s Cafe Episode」を開設したり、集まれない教会のために「ワーシップ映像/M Worship Project」を無償で提供するなど、癌の転移に度々の入院手術を繰り返す合間にも活動をし続けていました。

しかし発症から5年目の2022年4月29日、自宅で家族に見守られ私と最後に互いに「愛してるよ」と言い交して一冊の本「バイブル」に約束されている天国に帰って行きました。5月7日の所沢ミューズでの追悼告別式は小坂の数々の映像に涙あり笑いありで1,000人もの友人知人、教会関係、音楽関係、被災地支援関係の方々が別れを惜しんでくださいました。小坂が自分の葬儀に歌って欲しいと細野さんと共作した「He comes with the glory」を参列ミュージシャン全員がステージで歌ってくれたのを小坂はきっと大喜びしていたと思うのです。

♪知らない国、知らない人、
知らない世界に向かって
旅立とう今♪

小坂(高) 叡華
小坂(高) 叡華 [こさか(こう)えいか]

1946年京都府生まれ。牧師。音楽プロデューサー。ミクタムレコード、トラミュージック代表。

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