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有鄰


平成11年11月10日  第384号  P3

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 100年前の横浜・神奈川 (1) (2) (3)
P4 ○俳句は悲しみを唄えるか  西村我尼吾
P5 ○人と作品  入江杏子と『檜一雄の光と影』        藤田昌司

 座談会

100年前の横浜・神奈川 (3)


  

 
横浜・伊勢佐木町のトンボヤ
横浜・伊勢佐木町のトンボヤ
横浜開港資料館蔵
だから、上田などは自分の所で全部できますが、小売りはしない。トンボヤは印刷所を持っていたかどうかわかりませんが、むしろこれは問屋的な存在でしょう。絵葉書の製造・販売に携わった人にはいろいろなタイプがいる。

それで、今回よく見てみると、それぞれの地元で絵葉書をつくっているか販売している所があるんじゃないか。そういう所があって、それなりの種類の絵葉書が出ているんじゃないか。厚木のように本屋さんが出せば、やはりそれなりの種類の絵葉書が出る。逆にそういう所がない町は名勝でもない限り出ない。

 

   さまざまな店が発行している箱根・小田原

編集部 箱根は、ものすごい数の着色絵葉書がありますが、つくられたのはやはり横浜でしょうか。

小笠原 箱根の絵葉書は発行元はさまざまです。東京日新社もあり、富士屋ホテルのすぐそばの嶋写真店も出している。それから箱根湯本の桜木商店は、写真屋もお土産屋も手広くやっていますが、絵葉書も出している。それも箱根から小田原まで出しています。

ただ、それは発行元の名称が書いてあったり、なかったり、ばらつきがあります。先ほどの小田原のパノラマ写真は、それのネガがつい最近、桜木商店のガラス乾板の中から発見された。絵葉書は六枚続きですが、そのうち四枚までネガが確認できた。でも、パノラマは桜木商店が出したのかどうかわからない。あるいはどこかに流れ出て、ある問屋さんが刊行したり、可能性はさまざまあると思うんです。あれは未熟な印刷で色をつけていますので、色のつき方は余りよくないんですが、写真としてはすごく大事です。

 

   絵付けの内職の賃金は、一日働いて絵葉書四枚分

久保木 横須賀には着色がきれいにできる技術はなかったと思うので、着色は横浜に依頼したんじゃないでしょうか。横須賀は基本的には地元の書店でつくっているから、かなりの数がある。白黒のものは、地元で十分つくれたと思いますね。

編集部 トンボヤの絵葉書にあるSの10番とかは何の略だかわからない。

久保木 浦賀でも一番から何十番という形で番号が振ってある。それを箱に置いておき、そこから八枚選ぶとか、そういう形もあったと思う。

浦賀の絵葉書を売っている店で、ずらっと絵葉書をぶら下げ、そこから選んで買う。大体八枚セット。そういう売り方が結構あったのではないか。横浜もそうじゃないんですかね。

斉藤 そうでしょうね。絵付けは前に新聞記事で見たんですが、大体女性の内職で、一日五百枚、絵付けをするというんです。八時間労働として、一分一枚というすごいペースで、一日働いて十七銭から二十銭。絵葉書自体が一枚五銭ぐらいですから一日働いて絵葉書四枚分なんです。

ただ恐らく絵付けは、一人一色だと思う。そうじゃないと、とても一分一枚はできない。青ばかり塗る人とか、赤だけの人とか。大抵赤は難しい。例えば花や実、あるいは紅葉とか、細かいところ。そういうところは別か、大津絵みたいにそこだけくり抜いてある型紙を使うのかもしれない。

そういう仕組みが横浜でできているから、無理して横須賀でやるよりも、横浜に注文したほうが安くできる。

久保木 着色の絵葉書は、横浜以外では、ほとんど鎌倉と江ノ島、箱根ですね。圧倒的に多いのは横浜ですが。

 

   箱根や鎌倉を旅行、帰りに横浜で購入した外国人

斉藤 着色写真の場合は、ほとんどが外国からの里帰りですから、買ったのは外国人だと思う。絵葉書になると、外国からもかなり出て来ているし、日本の旧家からも、もちろん出て来ていますから、日本人もだいぶ買ったと思いますが。

  
江ノ電藤沢停車場
江ノ電藤沢停車場
絵図屋・堀江虎一氏蔵
そうすると、横浜で集めるのが一番便利なので、一応、箱根も鎌倉も旅行して帰ってきて、帰り際に横浜で全部まとめて買う。鉄道ができてくれば、横浜だけではなく、ついでに鎌倉も箱根もという人がかなりいるでしょうから、そういう人たちの需要で売れたと思います。


外国から里帰りした多数の手彩色絵葉書

編集部 開港資料館の絵葉書のコレクションの特色は、海外で収集されたものが非常に多いんですね。

斉藤 開港資料館の絵葉書はいろいろありますが、大きいかたまりでいうと市史編集室が持っていたもの。それは、あるコレクターが売りに出したんでしょうね。その中に神奈川県内のが随分たくさん入っていた。つまり横浜というよりも神奈川県の範囲で収集されたものです。

もう一つはペドラーさんというイギリス人のコレクションが主体です。彼はあまり神奈川に関心はないようで、徹底的に横浜のものを集めている。神戸、長崎、函館もありますから、開港場とか港町とかという関心で集めている。東京もあります。ペドラーさんのものは、特に色のきれいなものが集まっています。

その二つのグループが中心です。ただ、今回、資料館にある絵葉書を初めて全部調べたのですが、旧家のいわゆる地方文書のかたまりの中に絵葉書が入っていたりする。それと有隣堂のコレクション。

編集部 有隣堂のコレクションは、サンフランシスコあたりで収集したのが入っております。以前にも出版しましたが、今回はそれ以後に入手したものも加えています。

斉藤 コレクターというのは病み付きになるところがあるらしくて、ペドラーさんは一回だけではなく第二期のも開港資料館に入っています。二期のほうは横浜以外が随分あると思う。第三期の話もありますので、集め始めると止まらないようですね。

ペドラーさんのも有隣堂のコレクションも、海外に流出していたものを購入していますので、”里帰り”したといえるでしょう。横浜の資料が関東大震災や戦災で失われているだけに貴重ですね。

 

   自分の町や村が百年間にどのように移り変わったか

編集部 久保木さん、いろいろお集めになっていて、絵葉書の面白さはどういうところにあるんでしょうか。

久保木 コレクターというのは、集めるというのも確かにありますが、基本的には自分の住んでいる町や村が、どのように移り変わってきたかを知るということがある。私は教員ですから、授業でそういうものが生かせればいいなという部分が動機としては結構多いんです。

そういうふうに集めてくると、コレクター的に広がってきて、何でも集めようという形が当然出てくる。

編集部 以前、地元紙に絵葉書と現在地の対比をしておられましたが、横須賀の様変わりはすごいですね。

久保木 やはり関東大震災で、横浜と同じように一変した。中心部は全部焼けましたから。蔵づくりみたいな町並みが、コンクリートビルみたいな町並みに変わってくる。ただ、基本的には町並みの絵葉書は震災以前が多く、以後は非常に少ない。これは、厚木とはちょっと違って、やはり軍の問題がかなりあって、オリジナリティーが震災以降はより乏しくなる。

編集部 横須賀は埋め立てが相当進んで、海岸線も変わってしまいましたね。

久保木
横須賀軍港
横須賀軍港 久保木実氏蔵
横浜の本牧から横須賀を通っていく景色は、江戸から来た旅人がほれぼれするようだったのが、今は一変してコンクリート護岸です。この変化は絵葉書から一番うかがい知ることができます。だから、今の米軍基地内の岬が、昔の道中記の中で非常にすばらしい景色として描かれている。横須賀軍港が写っている絵葉書があるんですが、要塞地帯ですから、これは奇跡的な一枚ですね。

 

   まだ個性を持っていたころの町並みを記録

斉藤 金沢は横須賀の近郊と考えてもいいのではないかと思います。横須賀の軍人の別荘もかなりあった。また保養地でもあるから昭和五年に京浜急行が浦賀まで開通すると、遊び場所が移ってくる。

小笠原 今になってみると、その記録の重要性ははかり知れないものがあります。こんな美しい景色がたくさんあったのかと、改めて実感させられます。そうなると、我々は本来の風景というものにかなり責任があったはずじゃないかと、思い知らされますね。

斉藤 着色絵葉書に撮られた風光明媚な場所は、大体戦後まであった。例えば根岸だと僕の生まれたころは、町はもちろん変わっていますが、海岸や山は明治時代とほとんど変わらない。根岸小学校の校歌は、「南の入江にさざなみ寄せて、背に立つ山には緑したたる」ですから。そのぐらい続いた。ただ、町並みは関東大震災あたりで随分変わった。絵葉書に記録されている明治末から昭和初期にはそれぞれの町の個性がまだあった。横浜だと、明治三十年代は日本人市街でもレンガづくりがふえてくるから、独特の町並みがある。厚木だと蔵の町。それが今はもう全くない。

まだ個性を持っていたころの町並みが写っているというのが今度の本の一つの特色です。今と比べれば美しいし、味わいがある。

 

   実際の風俗の資料としても貴重

斉藤 もう一つは、着色写真と比べると、絵葉書の時代はシャッタースピードが格段に速くなった。着色写真は人物は写っていますが、止めて写しているからぎこちない。伊勢佐木町の芝居小屋の写真も、人はたくさんいるけど、ほとんど動きがない。絵葉書になると、かなり自然な姿で写っているし、人口もふえたんでしょうが、写っている人が多い。

それでよく見ると、ほとんど和服です。あたかも明治十年代ぐらいから、日本人は洋服を着始めたみたいなイメージを持っている人がいるかもしれないけど、特に面白いのは、旧居留地にいる日本人はほとんど例外なく和服です。

三崎では明治二十年代で全員まげを結っていたという記録もあるので、写真は文献から入ったイメージを修正する点もあると思います。

さらに見てみると、例えばベアトが写した幕末の写真に写っている日本人の和服と、絵葉書に写っている和服を比べると、柄などもかなりモダンになって大変きれいになっている。そういう風俗資料としても貴重だと思います。

 

   新しい地方の歴史を掘り起こしていく一つのきっかけに

久保木 今、横須賀では、近代化遺産というのを市の博物館が中心になって調査をしています。その場合、よりどころは写真、絵葉書しかないんです。特に横須賀の場合は個人で町並みを撮ることはまずほとんどなかったから、西洋建築なりが横須賀でどう根づいていったかを再度見直すには、絵葉書が非常に大きな役割を果たす。

博物館で、町並みや建物の写真などをもとにして、どこにどの建物があったかをおこし始めています。絵葉書は新しい地方の歴史を掘り起こしていく一つのきっかけになるんじゃないでしょうか。

飯田 つい最近面白いと思ったのは、養蚕の絵葉書というか、要するに掃き立てから繭になり、糸にとって機織りをするまでの過程の十二枚ぐらいの絵葉書セットがあるんです。明治末だと思いますが、着色されていて、江戸時代の養蚕の錦絵と同じパターンなんです。

たまたま去年、福島県立博物館の養蚕の資料展で、在地から出た、某さんと書いた写真アルバムがあった。そこにその絵葉書と同じ写真があった。つまり、福島県の某さんが実際、養蚕をやらせで撮ったのが絵葉書になっているのがわかったんです。

 

   時代の移り変わりを記録した写真師の意欲の表れ

小笠原 絵葉書を撮影した写真師は、この時代、ほとんど在地の営業写真館です。当時は家族などを撮っていた肖像主体の写真館が主ですが、彼らが暗箱を担いで外を歩き回りながら撮っている。その時代の一番光っている地点を誇りを持って記録している。ですから非常に生き生きとしているし、その時代の発展を喜んでとらえている。そういう意味で非常にドキュメント性の高い撮り方をしている。

例えば関東大震災の被災者たちが竹やぶに避難して、そこで一晩明かしているとか、洪水で橋が壊れ、あるいは途中で汽車をおろされて人々が歩いているとか、こんなものまで絵葉書になっている。そういうドキュメンタリー性を買う人たちがいたみたいですね。それは単に配りものの範疇ではおさまらない、写真家の意欲が感じられる。そういう生な写真師たちの目と視点が、随所に表われている。

斉藤 今回、出版する本は東は川崎から西は箱根まで、明治後期から昭和戦前期の絵葉書を収録していますので、今、ご紹介いただいた地域のほかに、江ノ島や鎌倉、箱根などの観光地のものはもちろん、県内の砂利採りや、たばこ栽培などの産業や、大正期の藤沢駅付近の絵葉書など各地域の市町村史などにも紹介されていない珍しい絵葉書がたくさん入っています。これらの絵葉書から、身近な町の歴史をヴィジュアルに読み取っていただくことができるのではないかと思います。

また、関東大震災前の大正九年の横浜の地図と、小田急線が開通した時期に当たる昭和二年の神奈川県の地図を復刻して付録にしました。地図を見ながら場所を確かめることもできますし、これによって絵葉書を見る楽しさも増すのではないかと思います。

編集部 本日は、どうもありがとうございました。




 
いいだ たかし
一九四二年厚木市生れ。
共著『写真集 厚木市の昭和史』千秋社 9,073円(5%税込)。
 
おがさわら きよし
一九三六年東京都生れ。
著書『一枚の古い写真』小田原市立図書館
 
くぼき みのる
一九四八年横須賀市生れ。
著書『三浦半島の百年』(品切)。
 
さいとう たきお
一九四七年横浜市生れ。
共著『図説横浜外国人居留地』有隣堂 3,360円(5%税込) 他。
 




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