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有鄰


平成14年2月10日  第411号  P3

 目次
P1 P2 P3 ○座談会 中世の魅力を語る (1) (2) (3)
P4 ○アイデアの世界遺産一齣マンガ  牧野圭一
P5 ○人と作品  峯崎淳と『大欲−小説 河村瑞賢(かわむらずいけん)』        藤田昌司

 座談会

中世の魅力を語る (3)



中世のみなぎる力と美のあり方を問い直す

篠崎 五味先生は、第七巻の『中世文化の美と力』のご担当ですが、これはどういう内容になるのでしょうか。

五味 今回は中世の文化ということで、私自身は、絵巻物のほか、今まで歴史学のほうではなかなか扱えない史料を探ってきました。

ただ、中世の文化と言っても大変広がりがあるので、美術史の佐野みどりさん、国文学で芸能に造詣の深い松岡心平さんに加わってもらいます。中世文化史と言うと、宗教史の方では個別にはありますが、総体としてはほとんどなされていないので、かなり難しいことになりそうです。

手がかりは、鎌倉後期が、それ以前の中世前期とその後の中世後期との転換点に当たることから、そのあたりを一つのポイントに選び、前期と後期の文化のあり方を考えてみようかと思っています。刊行は八月です。

 

  『元亨釈書』を手がかりに音の芸能を探る

五味 その際に一つ手がかりにしたのは禅僧の虎関師錬(こかんしれん)が書いた『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』です。これは日本の仏教史を意図して書かれています。これを手がかりにしながら、声明や読経、念仏、唱導と言われるような、音の芸能から探っていこうと考えています。音の問題を扱うのは、現在でも音楽は時代の先端をゆくことがあるので、それが時代とどう関わっているのかを考えます。

もう一つは、中世にはさまざまな書籍がつくられているので、そういう書籍自体がどういう形でつくられ、文化が形成されていったのかも考えていきます。

現在につながる、いわゆる古典芸能、古典文化と言われる能、お茶、お花も大体始まりは中世です。しかし、それが中世で生まれたときは全く違うもので、もっと大きなエネルギーを持っていました。それが、時代の推移とともに整えられていって、力を失っていきます。本来持っていた中世の文化のみなぎる力、美のあり方を問い直し、現代に伝わってくるなかで失われていった力を発掘し直そうという意味合いがあります。

中世の文化には、以上の芸能だけではなくて、和歌を始めいろんなものがあるので、それらにある問題点もあぶり出しながら、文化の持っていた力を示すことができればいいなと思っているんです。

 

  琵琶法師の語りや能はもっと早いテンポだった

篠崎 具体的な作品ではどんなものがありますか。

五味 書物でいえば、『新猿楽記』に始まり、今様では『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』、故実書では『禁秘抄(きんびしょう)』、『平家物語』も説話集も取り上げますし、藤原定家の日記の『明月記』。今まで歴史のほうでなかなか手が出せなかった領域に積極的に踏み込んでいきます。

それと和歌ですね。和歌は読みとか解釈が独特なので、素人が手を出すとやけどをするんですが、定家の日記を読んでいるものですから、扱わざるをえません。

山形 和歌は朗詠するのが普通だったんですか。

五味 和歌会では読み上げます。その読み上げも現在、宮中の歌会でやっているものとかなり違うみたいです。例えば中世の平曲は現在の琵琶法師の語りとは大分違うと思います。当時はもっと早いテンポだったようです。能にしてもそうだというんです。江戸時代ぐらいになってスタイルが生まれてくると、だんだんゆったりしてきますね。そういうもとのテンポの問題が重要になります。

木村 早歌とか早物語とか特に「早(はや)」を付けますね。それは対置するものがあって、「早」を付ける。

五味 そうですね。ちょうど鎌倉後期ぐらいから「早」を付けることが多い。禅宗の影響かもしれませんね。


文化を支える人々に大きな広がり

篠崎 中世の文化というと、従来は鎌倉初期に重点がおかれていましたね。ところが今のお話では後期のほうが重要だとのこと。それは、いわゆる世俗化、大衆化というふうに考えればよろしいんですか。

五味
片瀬の浜を歩く琵琶法師
片瀬の浜を歩く琵琶法師
(『一遍聖絵』 歓喜光寺・清浄光寺蔵)
普通に言えば、鎌倉後期から大衆文化状況ですね。 文化を享受し、支えていく人々に大きな広がりがある。『一遍聖絵』などの絵巻にしても、みんな勧進でつくられる。人々に勧めて喜捨をお願いするために。

それ以前の絵巻は、例えば後白河院や貴族に見てもらうというような性格で、注文があってつくる。ところが、この時代から違ってきます。いわば古典的な美が体現されている国宝は、ほとんど鎌倉前期ぐらいまでで、それ以後はかなり大きく違ってきます。

ですから、写経などを見ても、現在残っている鎌倉中期ぐらいまでのものは非常に罫線がきれいで、装飾経の典型になりますが、その後のものは字はまばらで、罫線もきちんと引けていない。大衆化とは、それだけいろんな人々がそこの場に入り込んできて支えるようになっていくから、美のあり方も大きく変化していきます。

 

  村落の結びつきが強まり情報も密に

篠崎 中世後期に、例えば生産性が上がってきたということとも関係がありますか。

五味 それも一つはありますね。ちょうど中世後期ぐらいになると、都市的なものが各地に生まれ、地方の村々にもつながりができてきますから。石井先生はそこを人間の鎖の網の目という形で言われています。

村で言うと、村落の結びつきもかなり強くなって、村の掟もつくられ、地頭を追い出すこともあった。例えば「ミミヲキリ、ハナヲソキ」と脅迫する地頭に対して、紀伊の阿弖河荘(あてがわのしょう)の農民たちが抵抗するような事件もおきてます。そういう形で、大きくいろんな意味での変化がおこる。

大隅 交通の便もよくなり遠くの社寺に詣でる遠隔地参詣もふえてくる。

篠崎 経済的ゆとりが大きくなって、技術の進歩で田んぼでの収穫高があがったとか。

五味 そういう技術の進歩は大きいと思います。もう一つは情報の問題。あと、人口が、この時期に相当ふえていると思います。

ですから、石井先生が書かれていますように、最近、鎌倉の由比ヶ浜などから大量の人骨が発掘されています。それは合戦で亡くなった人を集中的に葬っただけではなく、さまざまな形で亡くなった人も含まれているようです。

山形 無住がいた長母寺も一つの情報センターだったんでしょうね。

大隅 そうだったと思います。ただ、仏教が日本人の間に広がったのは中世ですが、みんな仏教をちゃんと理解していたかというと、そんなことはないと思う。身内の者が死んだら、死体をそこら辺に捨てて平気でいたのが、坊さんを呼んでお弔いをするようになる。それで坊さんの需要が多くなると、いいかげんな坊さんもいっぱい出てきて、実際は仏教でお弔いしたつもりになっていても土着の民俗宗教風になっていき、仏教全体のレベルが下がっていく。


中世には古代や近世にはない面白さ

篠崎 中世という時代は魅力的で、近代史や近世史にはない面白さがあると思うんですが。

大隅 古代は古代史研究とか古代史学となると史料は限られていて、議論していることは細かいことばかりなんです。

近世は史料があり過ぎるからなのか、議論の立て方がかえって単調になっている。全体に史料の密度が濃いから、九州のある藩のことを研究している人は関東のことには関心がない。

私が中世を面白いと思うのは史料も古代に比べればたくさん残っていて、使いようによってはいろいろなことが考えられるというのが一番大きいと思うんです。中世史そのものが面白いのか、今の研究の状況が面白いのか、両方だと思います。先ほど言いましたように、百年前にレールが敷かれ、それはかなり大きな見通しを持っていたから、ここ百年間の日本史研究というのは、中世史をやれば古代のことも理解できるし、それ以後のことも見通しがきくという格好になっていたわけです。

文化の面でいうと、日本文化が中世から始まるという面が実に多いと思います。

 

  新しい見取り図を自分で書きかえることも可能

篠崎 五味先生は、いかがですか。

五味 社会史の研究が、例えば中世から起きて広がったように、日本文化や社会のかたちが明確に見えてきたのが中世です。ですから、日本文化を考えるとき、中世まできちっとさかのぼって考えないと、本来的なものは探ってゆけない。近世、あるいは近代を通じてかなり変わってきてしまっている面がありますので。

それと、私がなぜ中世が面白いと思うかというと、先ほど大隅先生が言われましたように、史料が適度に残っているので、自分で新しい見取り図を書いたり、その図の書きかえが可能だから、やっていて楽しいんです。

石井先生が『中世のかたち』と言われているように、形があるかないかのような、不定型という要素が多分にある。研究者にとってみれば、そこでどんなものをやれるのかという腕試しの醍醐味があるけれど、つくってもつくってもなかなか手がかりが得られない厄介な問題もあります。

これが古代ですと、律令があり、中央集権的性格で固定されている。近世の幕藩体制も、だれもそれに異を唱えようとはしない。近代も西洋の近代に通じて、性格づけがはっきりしている。そういう意味でも、中世は一番わけがわからない。

中世の図柄は、真っ白な所につくるんですが、自分のつくり方が下手だと、どうしようもない。そういう怖さみたいなのも一方でありますね。

ですから、研究がどんどん専門分化していくと面白くなくなってゆく。中世の中でもある宗教制度や行事の細かな事柄を問題にするようになっています。それは一方では研究の一つの進展なんですが、ますますそういう中に入り込んでいくと、知らず知らずの間にだれかがつくった枠組の中で仕事をしていることになりはしないかと思って、残念です。学生には、「もうちょっと広がりを」と言っています。

 

  中世には無文字の古代文化が文字化していく葛藤が

大隅 先ほどの自叙伝ですが、無住が八十を過ぎて文章を書いて、「嘉禄二年十二月二十八日の卯の刻に生まれたる也」と書くわけです。八十になっても自分の誕生日と、生れた時刻まで知っている。戸籍があるわけでもないし、どこかに記録されているわけでもないから、古代では大きかった無文字の文化が、中世になって文字化していく。その対立葛藤というのは、大変激しいものがあったと思います。その両方が均衡していたのが中世の文化だと思うのです。それが中世文化の面白さではないでしょうか。

『平家物語』が成立するのは、膨大な無文字の語りの世界があって、それをどうやって文字化していくかという話ですからね。

篠崎 文字化していく中世から、今度のシリーズになるわけですが、多彩な人々というか、固有名詞がわかる人もかなり出てくる。また商人や職人たちとか、いろいろな階層の人々の動きがわかってきますね。

五味 そうですね。ですから中世の人は、古代国家が崩れていく中での葛藤がすごくあるわけです。そういう葛藤の問題は現代とかなり似たような状況かなと思います。 ですから、現代とついついダブらせて見てしまうようなところがあります。もちろんそこから一度離れて、中世の視点から見ると、現代社会のいろんな問題も見えてくるという面白さも随分あるかと思います。

 

  商人・職人、女性など個別のテーマを社会史的に集成

篠崎 このシリーズ全体の構成などをお聞かせいただきたいんですが。

山形 石井先生も網野先生も言われましたが、中世通史を書くことは非常に難しい。もっといろいろな場面場面の個別のテーマをもとにして、中世を考える。そしてさらに日本の歴史を考えるとしたほうがいいというのが編集にあたられた両先生のお考えでした。まず、一巻から七巻までがテーマ別で、八巻から十一巻ぐらいが、ある意味で通史になっています。

五味 注目されるのは、これまでの社会史の中で中世の人々のさまざまな声や動きを取り上げているところです。商人・職人や女性、それから平泉、琉球などで活動する人人の姿、都市を舞台に生活する職能民、そういう社会史的な性格を扱うのは三巻から六巻です。

篠崎 今までと違った社会史的な面からの成果が入るので、とても興味深いですね。

山形 ええ。大隅先生の原稿を拝読しましても、本当に中世の野山を歩いているような感じでして、親鸞や日蓮といった有名な人ではなく、地味な人でも身近に感じられるんです。

今、グローバル化とローカルがせめぎ合っているような世界状況で、それこそ現代は新しい中世だと言われる政治学者もたくさんおられます。そういう中で、新しい文化や文明を築いていった中世の魅力を、このシリーズ全巻で各先生によってぜひ出していただければと思っております。

篠崎 最近、女性史の研究にはめざましいものがありますが、シリーズ中の一巻を女性や子供にあてるのは画期的な試みではないでしょうか。

山形  それもまた大変面白くて、例えば、あるお坊さんがずうっと結婚しないで年を取ったらどうするんだとか、介護は誰がするんだとかいうことまで、第四巻の『女人、老人、子ども』では書かれるはずです。

大隅 それは二巻にもあります。お坊さんが年取って中風なんかになったらみじめだから、その前に結婚しておいたほうがいいと。

五味 弟子どもが、もうこれは大変だからと、若い女性をつけた(笑)。そしたら急に元気になって長生きした。

篠崎 本日は、どうもありがとうございました。




 
おおすみ かずお
一九三二年福岡県生れ。
『日本の文化をよみなおす』吉川弘文館3,150円(5%税込)、ほか。
 
ごみ ふみひこ
一九四六年山梨県生れ。
『増補吾妻鏡の方法』吉川弘文館2,100円(5%税込)、ほか。
 




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