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有鄰


平成14年7月10日  第416号  P2

 目次
P1 ○明治の新聞にみる妖怪  湯本豪一
P2 P3 P4 ○座談会 福富太郎−私の絵画コレクション (1) (2) (3)
P5 ○人と作品  北原亞以子と『妖恋』        藤田昌司

 座談会

福富太郎−私の絵画コレクション (1)

   キャバレー経営者・絵画収集家   福富 太郎  
  横浜美術館学芸部企画課長   猿渡 紀代子  
    有隣堂会長     篠崎 孝子  
              

はじめに

篠崎
座談会出席者
左から猿渡紀代子さん、福富太郎氏と
篠崎孝子
福富太郎様は、約五十年にわたり、浮世絵を始め日本画・洋画など、ジャンルを問わず膨大な数の絵画作品を収集されております。今年一月には、ご自身の美術品収集についてつづった二冊目の単行本『描かれた女の謎』(新潮社刊)を出版されました。そこで本日は、収集された絵画について、収集の際のエピソードなどご体験を交えてお話しいただきながら、コレクションの全貌についてお伺いしたいと思います。

福富太郎様は、昭和六年(一九三一)に東京の大井町でお生まれになり、十六歳のときに銀座の喫茶店にお勤めになりました。その後、ダンスホールのバーテン、占領軍のPX関係の仕事、キャバレーのボーイ・支配人などを経て、昭和三十二年(一九五七)、二十六歳で独立されました。昭和三十九年に銀座八丁目に開店された千坪、ホステス八百人の大型キャバレー店は各方面から大変な反響があり“キャバレー太郎”の異名をとられました。

猿渡紀代子様は横浜美術館学芸部企画課長でいらっしゃいます。近代美術史を、幅広く研究しておられます。一昨年、同美術館で開催された展覧会「幕末・明治の横浜展」を企画、同展の担当チーフを務められました。


横浜に住んで、幕末明治期の洋画に興味を持つ

猿渡 
チャールズ・ワーグマン 「横浜大火」
チャールズ・ワーグマン 「横浜大火」
(福富太郎氏蔵)
横浜は近代洋画の発祥の地でもあり、ロンドンで発行されていた絵入り週刊新聞「イラストレーテッド・ロンドン・ニュース」の特派員であったチャールズ・ワーグマンや、 ショーヤー夫人らが横浜の居留地にいたこと、以前から洋画に関心をいだいていた日本人画家たちとの出会いがあったことなどが美術史の流れとしてあります。

ワーグマンは風刺漫画「ジャパン・パンチ」の作者としても知られていますが、画家でもあり、高橋由一や五姓田義松(ごせだよしまつ)に洋画の手ほどきをしてます。五姓田芳柳・義松親子の周辺には、山本芳翠、平木政次、 渡辺文三郎、二世五姓田芳柳などいます。

一昨年、横浜美術館で「幕末・明治の横浜展」を企画して、出品する作品を七百点のリストから二百点ぐらいに絞り込んだのです。前々から福富さんのコレクションについては存じ上げていましたが、ほかにはないようなものをお持ちなんです。福富さんは、なぜ幕末・明治の横浜に関連したものを集め始められたんですか。

福富  横浜に住んでいたことがありましてね。仕事のし過ぎで胃潰瘍で入院し、退院後に横浜に住んだんです。その前は店の椅子に寝て暮らしていたんですけどね。

篠崎  横浜においでになったのはいつごろですか。

福富  昭和四十一年ごろ、山手の港の見える丘公園のすぐそばです。

終戦後には、桜木町で電車を降りて、横浜公園で進駐軍からたばこを買ったことがあるし、野毛も行きました。それで昭和三十七年ごろに横浜駅西口にキャバレー「横浜ハリウッド」を開店したんです。現在は、ありませんが、ちょうど某カメラ屋さんが入っている所です。僕はキャバレーの店を開店するとき、ビルごと買い取るんです。家賃を払うのがいやだから。

 

  香港のオークションで買ったワーグマンの逸品

猿渡  なぜこんなにまでコレクションをされるようになったのですか。

福富  僕は五姓田義松が好きだからね。ワーグマンは、家の近所の元町とかを歩いているうちに興味を持つようになった。調べると僕が住んでいた家の近所の「山手一〇二番地」に日本人の妻と一緒に住んでいた。いうなればご近所のよしみみたいなものでもありますね。横浜美術館にお貸しした絵は香港のオークションで買ったんですよ。

猿渡  私も本当にびっくりしましたが、まさに横浜大火の場面だとか、生麦事件だとか、今までみたことのないような珍しい水彩画ばかり。

福富  最初に、香港でオークションがあって、ある博物館の人がまとめて「ワーグマン展」を開催する前に買われた。その時、僕は悔しくて、一億円やそこらあったら買えたのにと言ったんだ。ところが、それは中国のものがほとんどで、日本の国内が描かれたものだけが抜けていた。

それからずっと後に、今度は日本のものだけのオークションがあるというニュースが入ってきた。バブルだから、「じゃ、これだけで買ってこい」と安い値段を言ったら、「だめだ。そんな値段じゃとても入らない」と言われたけど、「大丈夫だから買ってこい」と言ったら、僕に落ちたんです。

香港での売り立てです。

 

  オリジナルの水彩画が出てきた「生麦事件」

猿渡  ワーグマンの遺族、あるいはワーグマンの親友の遺族かもしれないんですが、まだイギリスに住んでおられるようで、そのあたりから出るものは、多分本物ですね。こういうものはかなり貴重ですから、一体どういうふうにして出てきたのかなって。

「生麦事件」は、ベアトがワーグマンの水彩画を写した写真版でしか残ってなかった。ところが、その写真版とは背景が違う水彩画が出てきたので、びっくりしたんです。

福富  なぜ、いままで世間の目に触れられてこなかったのか。僕の推理では、「イラストレーテッド・ロンドン・ニュース」にワーグマンが描いて送っていたのを本国イギリスでボツにしたんだと思う。 このころはイギリスは、アヘン戦争で中国から分捕ったりしていたけど、日本ではトラブルを起こすなという方針になったらしい。生麦事件が起きたときには、議会ではこれは荒立てるな。賠償金さえ取ればいいんだからと。だから「イラストレーテッド・ロンドン・ニュース」には細かく載ってないんでしょうね。

猿渡  生麦事件の現場を後から写した写真は、ベアトの写真集の中に載っていましたね。

チャールズ・ワーグマン 「英国人への襲撃 生麦事件」
チャールズ・ワーグマン 「英国人への襲撃 生麦事件」 (福富太郎氏蔵)
福富  僕は、「イラストレーテッド・ロンドン・ニュース」の原本も随分買ったんですよ。

猿渡  英国公使館があった品川の東禅寺を攘夷派の武士(水戸浪士)が襲撃した事件がありますね。福富さんは、「イギリス公使館での幕府役人の野営」という、事件後の警備の人をワーグマンが描いた水彩画もお持ちですね。まさに浪士が乱入したときの図は、ワーグマンが床下に潜って描いたという有名なエピソードがありますね。高橋由一も由一の息子の源吉もそれを模写しています。乱入事件の後どういう様子だったかというのは、まさに「イギリス公使館での幕府役人の野営」の絵でわかるんですよね。

福富  ただ、市場では、ワーグマンの贋物と間違えるような絵画がありますね。その作者は、ワーグマンの贋物として描いているんじゃないんですが。

榎本武揚が軍艦に乗って函館に行った時に付いて行ったフランス人がいて、彼が描いたものを見ると、ワーグマンとそっくりだね。それがワーグマンとして通っているものもあるんですよ。

猿渡  サインを誰かが勝手に入れたか、あるいはサインがなくても、これはワーグマンですと。

福富  ええ。フランス人のブリュネです。仏陸軍砲兵大尉でしたが、幕府の軍事顧問団として来日した。絵画の才能もあったんです。ワーグマンも、全部ワーグマンというと危険ですね。

 

  自分で道が切り拓ける幕末か終戦後の時代が好き

猿渡  福富さんは、幕末・明治の時代の絵画だけでなく動乱の時代そのものがお好きだとか。

福富  ええ。今でもタイムマシーンに乗ってどの時代に行くかといったら、終戦後か幕末ですね。物騒な世ではあるだろうけど、自分自身で道を切り拓くことができる。あのころが好きだからね。

幕末に戻れるなら、清河八郎と出会って仲よくしたい。そして、あんまりむちゃをやるなと言ってやる。彼は新撰組をつくった人だから近藤勇の大先輩ですよ。見廻組の佐々木只三郎に暗殺された。

猿渡  福富さんの書かれた本を読むと、そのあたりの心情がすごくこもっていますよね。 

福富  そうなんですよ。いろいろ余計なことまで書きすぎて失敗しちゃうんです。

猿渡  さきほど五姓田義松が好きだと言われましたが、義松もすごくいいものを持っておられますね。美術館でもお借りしたんですが、園田孝吉の息子・文衛の肖像画とか。

福富  あれは横浜に関係があります。

猿渡  園田孝吉が、今の神奈川県立歴史博物館になっている横浜正金銀行の頭取を務めたというのも、福富さんの本で初めて知ったんです。

福富  お母さんが鹿鳴館のマネージャーと言われた人です。ダンスとか、西洋式の行儀作法を教えているんです。

猿渡  園田けいですね。山本芳翠が彼女の肖像画を描いていますね。園田親子のそれぞれの肖像画は、義松と芳翠がロンドンで描いたものです。

五姓田義松 「園田文衛像」
五姓田義松 「園田文衛像」
(福富太郎氏蔵)
 

  五姓田芳柳の娘渡辺幽香と渡辺文三郎の墓参りも

猿渡  渡辺幽香(ゆうこう)のことで福富さんのお宅にうかがったとき、谷中の全生庵で幽霊の絵を年に一度だけお披露目するという話を聞かせてくださいましたね。

福富  ええ。幕末から明治にかけて活躍した噺家、三遊亭圓朝が、怪談噺のために収集していた幽霊画を公開するんですよ。僕は、幽霊画なども描いている河鍋暁斎の絵を集めているから。

猿渡  五姓田芳柳の娘で、義松の妹である渡辺幽香と夫・文三郎のお墓は全生庵にあるんです。それで美術館の同僚と幽霊の絵を見に行ったのですが、知る人ぞ知る幽霊の絵ばかりを集めた展覧会でした。そのときやっと、念願だった渡辺幽香と文三郎のお墓参りができました。

夏の夕方でしたが、お墓の彫った文字は水をかけるとよく読めるというので、同行した二人が一生懸命にお水をかけて、私がその合間に一生懸命写すというのを、蚊に刺されながらやりました。

ご遺族の方も今や余りよく知らない方がいらして、お墓にこういうふうに彫ってありましたよというのを、清書して差し上げたら、すごく喜ばれました。



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