Web版 有鄰

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有鄰


平成15年7月10日  第428号  P2

 目次
P1 P2 P3 座談会 ファンタジーと現代 (1) (2) (3)
P4 ○湘南の20世紀  高木規矩郎
P5 ○人と作品  塩澤実信と『平成の大横綱「貴乃花」伝説』        

 座談会

ファンタジーと現代 (2)


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緊張感いっぱいの天敵同士オオカミとヤギの友情

藤田 どうしてそれだけ熱狂的な感動を呼んだんでしょう。井辻さんのお立場からは、どう思われますか。

井辻
『100万回生きたねこ』 表紙画像
100万回生きたねこ
佐野洋子:作・絵
講談社
佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』ってありますね。100万回死んで、100万回生きたねこの話。そのねこは100万人の飼い主がみんな嫌いで、一回も泣かなかった。そして、のらねことして生まれたときに白いねこを好きになり、その白いねこが死んではじめて泣き、死んでしまったという話ですが、『あらし』を読んだときに匹敵する衝撃だったんです。

どこが似ているのか。『100万回』は、輪廻転生という、乗り越えられない掟を使っていますよね。『あらし』も、ものすごくせっぱ詰まった状況の中で、必死に自分を抑える。会話も命がけのぎりぎり。ヤギはヤギで一生懸命だし、オオカミはすごく切実に食べたい。でもだめだという、何か業のようなものをしょっている感じがいいのかもしれないですね。それを二人が相手を思う愛で乗り越えるみたいなところに、むしろ、大人が感動する。オオカミとヤギのキャラクターと、その会話がいいんですね。オオカミの「〜でやんす」という。

藤田 どうしてオオカミとヤギにされたのですか。

井辻 ほかの絵本にもあるし、オオカミがお好きなんですね。

木村 基本的に言うと、オオカミが好きなんです。

 
  主人公同士が真実を知らない緊迫感

木村 講演で、ヤギの気持ちになって読んだか、オオカミの気持ちだったのか、その二匹を物陰から見ている者の気持ちか、手を挙げてもらうと同じぐらいいるんです。

普通は、すべて物語には主人公がいて、主人公に感情移入するものなんですね。

井辻 普通は、誰か一人の人物に焦点が絞られる。

木村 ところが、これはヤギになるか、オオカミになるか難しい。主人公同士が真実を知らないんですよ。

井辻 離れたところからそれを見ている。

木村 こっちから見ている読者しか知らないという構造がおもしろいので、それでやろうかなと。

それとお互いが天敵であることを知らないというのが浮かんだんです。オオカミが好きだからすぐにオオカミ。でも、天敵は、ぼんやりとでも見えたときにウサギじゃ小さいし、ブタじゃ丸い。ヤギだったら、大きさ的にも形も近いかな、と。ヒツジだと体を寄せ合ったら毛むくじゃらだし(笑)。それだけの理由でこの二匹がでてきたんです。

井辻 すごく緊迫感がありますね。会話が刃の上に立ってる見たいな。

木村 もうばれるんじゃないか、ばれるんじゃないかという緊張感がすごくある。

もう一つは、悪役はいないということなんです。ドキドキハラハラするのはほとんど悪役がいるんです。だけど、これは立場が違うだけなんです。食物連鎖の中で、この二匹は草食動物と肉食動物と、単に立場が違うだけで、悪くはないわけです。そこが書きたかったんです。悪いやつを出せば楽なんです。

井辻 グリムなどはオオカミは必ず悪いということになっていて、現実に、牧畜をやっている人がそう感じることはあるにせよ、オオカミは悪の象徴動物になっていますね。そのオオカミものでも、木村さんの本は、本当に動物そのものを見つめているところが新しいですね。

 
  オス同士だけれど描いているのはオスとメスの関係

井辻 ガブとメイは異性なんですか。ちょっとわからない。恋愛ものとして読んでいる方もいるみたいですね。

木村 メイはオスだと思いますか、メスだと思いますかというのも、手を挙げてもらうと半々なんです。

井辻 私はオスだと思っていたので、どうしてこれ恋愛ものなんだろうと。丁寧だけど、何かしゃべり方に芯があって、オスっぽいなと思ったんです。

木村 オス同士なんですけど、オスとメスの関係を書いているんです。食欲と同じ本能ですから、ある意味でここのやりとりがすごく近くなる。食べたい物を我慢しながら、いろいろしてみたりするところがちょっと近いので、そういうものも計算しているんですけれども、でも、ヤギをメスにすると、何だ、恋愛ものを動物にしただけかとなっちゃうんですよ。

井辻 露骨になる。

木村 オスにすることによって、見方がたくさん出てくると思って、あえてオスにしたんです。にもかかわらず、どっちとも書かなかったんです。イタリア語版でも、女性名詞・男性名詞があるから、どちらにもならないように翻訳してもらった。

それから、聞いただけで、どちらが話しているのか、わかるように「〜でやんす」とか「なんとかっすね」とか、オオカミのイメージに合わせた言葉をつくったんです。

井辻 ちょっとやさぐれた感じというか、それが格好いい。

木村 今度、英語版がでたんですが、そのニュアンスを何とか英語で出してくれと、何度もやり直してもらった。

井辻 6巻の先は、もうないんですか(笑)。全部読み終わったときに、うっ、先が欲しいとか思いました。実は生きていたとか。

木村 実を言うと、続編を書けというのがすごくてね。

井辻 でしょう。ガブは生きていましたと。この終わり方は、ちょっと子供には痛過ぎますね。大人だったら、これでズーンとかいって耐えられるし、この余韻がいいかなって、ちょっと思わないでもないけど、子供は耐えられないと思う。

木村 完結してほっとしたら、すぐに7巻目の構想ができちゃったんです。(笑)

『あらしのよるに (英文版)』 表紙画像
あらしのよるに (英文版)
講談社インタ−ナショナル
井辻 外伝をつくればいいかもしれない。ある日のガブとメイとかいって。(笑)

木村 でも、完結編と書いちゃったから(笑)。それにやはり、ここから先はそれぞれの人が想像するのがいい。


『ハリー・ポッター』までは『指輪物語』がバイブル

藤田 『指輪物語』(ジャンプ書籍リスト)が、映画化の影響などで最近また注目されていますが、どうしてこんなにロングセラーになったんでしょうか。

井辻 本が出た1950年代からしばらく、イギリスでは、学者が書いた割としち面倒臭くて長い話という感じで、そんなに評判にはならなかったらしいんです。それがアメリカで火がついた。アメリカは、ちょうどベトナム戦争などの時期です。

藤田 恐ろしい闇の力を秘めている黄金の指輪。はめれば姿が隠せるけれど、しだいに持ち主をむしばみ、虜にしてゆくこの指輪をめぐって小さいホビット族や魔法使い、妖精族たちの冒険と遍歴が始まるという話ですが、確かに導入部はちょっと難しいですね。

『指輪物語 1』 表紙画像
指輪物語 1
J.R.R.ト−ルキン:作
評論社文庫
井辻 ちょっと変な小説として入ってきたのを学生たちが、自分たちの新しい文学ジャンルを見つけたと思った。

世界を支配する野望に燃えて戦争を始める冥王サウロンにベトナム侵略している米国や、あるいは指輪に核兵器を見たり、のどかに暮らしているホビットはヒッピーやフラワーチルドレンとか。若者たちのカルト的作品だった。それに加えて、アメリカ人は神話とか伝承とかを持っていないので、実はすごく好きで飢えているんですよね。

 
  自由な発想とキャラクターのアメリカ、世界観に凝るイギリス

井辻 アメリカオリジナルのファンタジーは、1900年にF・ボームが書いた『オズの魔法使い』シリーズ(ジャンプ書籍リスト)ですが、これはほとんどメカニカルな、機械仕掛けみたいなファンタジーランドです。それまではみんなイギリスなどからの借り物だったんです。

で、トールキンが憧れのイギリスの伝承を持ってきたので、すごく喜んだと思うんです。しかも、作者が第二世界をつくっていいんだということにしたので、アメリカ人は自分たちにはないけど、つくればいいんだと思って、それで一気に亜流の異世界ファンタジーが出たわけです。

アメリカだとアドベンチャー志向が強いのですが、例えばル=グウィンの『ゲド戦記』(ジャンプ書籍リスト)は魔法や魔法使いを主題にして地道に世界の構造を問いかけた作品をつくった。

アメリカは伝承を持っていないだけに、いろいろ気楽につくるし、実験作もやる。あと、おもしろければいいじゃないかが徹底しているので、テンポが速い。

イギリスはトールキンだけでなく、伝統的に世界設定や背景にうるさい。アメリカでは、たとえば同じケルトを下敷きにしていても、キャラクターでしっかり引っ張る。世界設定もしているんですけれども、すごくわかりやすいアドベンチャー・ファンタジーになっている。それでも『指輪物語』は世界造りの原点というか、バイブルとしてずうっとあるみたいですね。

 
  エピック・ファンタジーの原点として紹介された『指輪物語』

藤田 『指輪物語』は読者の範囲が広いですね。

井辻 カルト的だった時代は、読者は一部だけれど、もっと熱狂的だった。今は、ファンタジーが結構認知されてしまったので、割といろんな人が読んでいますね。

藤田 今のファンタジーブームの原点と言っていいんでしょうね。

井辻 そうですね。あれだけの長さと密度と強度で世界をつくったのはすばらしい。そういう感じで見られているところがあるんじゃないでしょうか。

藤田 どのくらいの国で翻訳されているんですか。

井辻 80何か国かな。百まではいっていないかもしれない。日本で翻訳が出たのは73年ぐらいで、最初は荒俣宏さんがエピック・ファンタジーの原点と紹介した。それでSF系のオタクの人たちが飛びついたんです。

そのあと2〜30年、一回、エンデの『はてしない物語』(ジャンプ書籍リスト)のブレークがありましたが、『ハリー・ポッター』が出るまでは『指輪物語』がバイブル。で、世界設定に凝るファンタジーが続いていたところへ『ハリー・ポッター』でキャラクター優位が復活した。そしてトールキンも原点として読み返されるようになった。

 
  架空のなかにも日常との接点を常に意識して創作

木村 そういうふうなファンタジーが、一過性ではなく長く読まれるというのはどういうところなんでしょうね。

井辻 風俗などとは関係ないから、時代によって古くならないというのが一つあるんです。当時の風俗や社会の倫理とかを知らないとわからない話だと、その時だけは売れるんですけど、ファンタジーはそうではないわけです。

木村 物語の世界が抽象的だからこそ、逆に古くならない。そういう意味で、長く続くのかな。

藤田 それに、子供は大きくなって、どんどん読者が新しくなりますからね。

木村 僕もそう思っていたんです。でも、『100万回生きたねこ』の読者はほとんど大人なんです。いまだにベストテンに入っている。本質的というのかな、古くならない要素というのがあるからなんでしょうかね。

井辻 それが非常に普遍的なものを射抜いていればずっともつんです。

木村 僕は、ファンタジーが全く架空というより、話に身近な日常の部分との接点がないとおもしろくないと思っているんです。全部架空になると、それはいろんな意味での接点がなくなり、何か勝手にやればみたいな感じになっちゃうから、常に日常とのつながりというのを意識する。

『あらしのよるに』は日常とはもちろんつながらないんですが、架空なんだけど、この二人の中のあるところに日常を感じるものを常に入れようとすることを、僕は原点に考えているんです。

井辻 オオカミの鼻が詰まっていたから、においがわからなかったとか、すごくリアルですね。ファンタジーこそ世界の手ざわりは必要。

 
  普通の暮らしから異世界に行くパターンが多いファンタジー

藤田 ファンタジーのツールというのは、そういうことも考えられるわけですか。

井辻 最初に現実を書いておいて、そこから異世界に行くというパターンにするのが割と多いですね。小野不由美さんの『十二国記』(ジャンプ書籍リスト)でもそうなんです。

  『十二国記』というのは、平凡な女子高生が、十二人の王と十二頭の麒麟が治める十二の国々からなる、おとぎ話のような不思議な世界に連れて行かれる。そこは地球上ではなくて、「蝕」と呼ばれる現象によってのみ日本とつながっている。彼女は数々の疑問を抱えたまま、そこで生き延びるため見知らぬ世界での厳しい戦いを始めるという内容です。つまり、最初から異世界に行くと読者がその国になじむのに時間がかかるので、現実の高校生が行くことになっていたりするわけです。

木村 普通に暮らしている人が、ある日突然に何かのきっかけで行っちゃうとかね。

『月の影影の海 (十二国記) 上』 表紙画像
月の影 影の海 (十二国記) 上
小野不由美:作
講談社X文庫ホワイトハート
『はてしない物語 上』 表紙画像
はてしない物語 上
ミヒャエル・エンデ:作
岩波少年文庫
井辻 エンデの『はてしない物語』もそうです。いじめられっ子の男の子が、本を読んでいるうち、本の中の、正体不明の〈虚無〉におかされ滅亡寸前のファンタージエン国にすいこまれ、この国の滅亡と再生を体験する。一応、普通の暮らしという枠をつくっておくというのが確かに多いですね。

木村 『ハリー・ポッター』もそうですね。

井辻 あれは完全に半分っこですね。魔法界と、マグル(人間)の世界を行ったり来たりする。

木村 『あらしのよるに』はオオカミとヤギの世界なんだけれど、現実の小学生がヤギになるわけじゃないから、この話の中に接点をつくる。

藤田 読者が自分の心情を託して読むことができるということですね。

木村 そうですね。

井辻 オオカミとヤギが仲よくなることは現実にはあり得ないことだけど、寓話でなく、何かドライブする感情のドラマみたいなもので読ませてしまうので、ものすごくパワーがある。また、それを説得できるようにオオカミの仲間が出てきたりとか、いろいろリアリズムで固めてある。

それに『あらしのよるに』のような絵本の世界は、読者は、最初から現実そのままとは思わないで読みますよね。読む側の意識が、最初から現実から一つ転換して入って読んでいると思うんです。 最初からいろんなことを受け入れる状態になっていて、不思議なことはありだろうな とか、動物がしゃべるのもありだろうなとか、読者がファンタジーモードになって入るので、そのモードを利用しつつ、現実では描けないナマなドラマを入れる。これを「絵本」ジャンルでやったのはすごいと思いました。



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