Web版 有鄰

476平成19年7月10日発行

又吉栄樹と『夏休みの狩り』 – 人と作品

沖縄の小さな島に住む少年の、ひと夏の光景を描く

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又吉栄樹

体の中に残っている記憶から書く

1950年代の沖縄。物語の冒頭、小学5年生の主人公が珊瑚礁の原が広がる透き通った海で泳ぎ釣りをしている。周囲22キロの小さな島に住む少年の、ひと夏の光景を描いた瑞々しい物語だ。

「僕の体の中に残っている記憶から書きました。その記憶は沖縄の原風景そのものです。とても躍動した感覚で、思い出すと、今もワクワクする。夏休みの日記帳のように体に残るもので書いた、頭で書いていない話です」

夏休み。小学5年生の寛は、島の少年たちと遊び、ひとりで海に行ったりして過ごしている。珊瑚の縁に腹ばいになり、水に顔を浸して水中を見回すと、ブダイやハタ、ヤマブキベラなどがいる。ひそかに憧れている少女、鈴子が砂浜で宿題のために貝殻を集めていた。大きなチョウセンサザエを捕って、鈴子にあげ、気持ちが高揚する。

「筋はフィクションですが亀岩がある海、クロトンやムクゲの生垣に囲まれ、庭にパパイヤやグアバが植わった家々、ゴムカンや弓矢で遊ぶ光景は実際にあった要素です。書き出すと、遠くに去った波がまた押し返してくるように懐かしい風景や心情が湧き出てきました。僕は、失われたものを残したくて、ずっと小説を書いています」

還暦という人生の節目を前に、あえて書いた小説である。米軍統治下の沖縄に生まれた又吉さんは、72年の返還、左側通行に切り替えられた78年の「730」など、沖縄の変化をつぶさに見てきた。この物語のような光景は、もうないという。

「返還後、本土の資本が入り、素朴な風景が近代化されて、沖縄は“ミニ東京”のようになってしまいました。山が開発され、赤土が流れ込んで、自然の砂浜が壊されたことに対する無念さが僕の中にたまり、エネルギーとなって小説の中になだれ込む。僕はある種エゴイストなところがあり、惜しい、無念と、自分が思うこと以外は書く気持ちになりません。だから、登山者による山の環境汚染、地球温暖化などは、世界的な問題であっても書かないです」

寛の島には、83世帯248人が住み、集落を束ねる長老、突き抜けた雰囲気のおばあさんらがいる。長老の強権で“禁酒法”が作られ、男たちは酒が飲めずに狼狽する。人間同士の微妙なずれがユーモラスで、自然豊かな世界が広がっている。

「返還前の沖縄にいたような人たち、一人ひとりを拡大解釈して統合し、シンボル的な人物を作って小説の中で動かしました。僕は子供だったから長老やおばあさんとはつき合いませんでしたが、彼らには独特の雰囲気が漂っていた。村の支配階層は、怖い存在であり、かつ憧れ。“ああいう親分になりたい”と英雄願望を抱いたし、競争社会の仕組みが子供心に分かりました。小さい島でも、みんな外に出て、星を見、酒を飲み、波の音を聞いて三線を弾き、若い娘は踊っていたから、世界が広々していた。最近の沖縄の人は家に閉じこもるようになりましたが、この頃の子供らはじっとしていず、自然と一体となって遊んでいたから、忘れがたい思いを得られたのだと思います」

昨秋書き始め、子供時代の自分が乗り移ってきてなりふり構わず、速いスピードでスラスラ書けたという。

自由である小説で本当の沖縄を書きたい

47年、沖縄県浦添市生まれ。琉球大学文学部卒。浦添市役所に勤めながら小説を書き、77年「ジョージが射殺した猪」で九州芸術祭文学賞、80年「ギンネム屋敷」ですばる文学賞、96年「豚の報い」で芥川賞。『陸蟹たちの行進』『人骨展示館』『鯨岩』など著書多数。

「子供時代を思うと、自分の家の周囲、せいぜい半径2キロの中に、沖縄の世界そのものが詰まっていました。その世界に軸足をおいて書くと、小さな空間からどこか遠い場所の誰かへ通じていく、創作の手ごたえを感じます。自分のことを書いていても、世界的に普遍化する物語にできていれば、成功作といえるのでは。事実を正確に書かなければいけない論文と違い、小説は本当に自由で、嘘を書いてもよく、むしろ嘘を加味したときにリアリティが出てくる。マスコミが取り上げるような沖縄と違う、“これが本当の沖縄だ”と読者に思ってもらえるものが書けたらいい。ベトナム戦争の頃、戦争恐怖症で電柱にしがみついて泣いている米兵の姿を見ました。沖縄では改めて米軍問題がクローズアップされています。僕の立場から、米兵についての小説も書いてみたい」

(青木千恵)

『夏休みの狩り』・表紙

夏休みの狩り
又吉栄樹/光文社/1,600円+税

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