Web版 有鄰

475平成19年6月10日発行

石井桃子さんと子どもの本 – 2面

斎藤惇夫

今年、100歳に――いつも子どもたちに安堵感と歓びと勇気を

石井桃子さん関連書

石井桃子さん関連書

石井桃子さんが100歳をお迎えになった日、大変多くの方がたが、それぞれ年齢に応じ、あるいは年齢とは無関係に、深い感慨にふけったと思われますが、私は1950年の秋、故郷の長岡市で10歳の私に起こった3つの奇蹟的なできごとについて考えていました。1つは、その年に出版された英宝社の『ヒキガエルの冒険』(後の『たのしい川べ』岩波書店)に夢中になったこと。2つ目が、「日本少国民文庫」の『世界名作選』(新潮社)の「点子ちゃんとアントン」を胸踊らせながら読んだこと。そして3つ目は、クリスマスに岩波少年文庫の第1回配本の5冊『寶島』『ふたりのロッテ』『小さい牛追い』『あしながおじさん』『クリスマス・キャロル』が、本屋から届けられ、『点子ちゃんとアントン』と同じ作者の作品という気安さから『ふたりのロッテ』を読み、あまりに面白く、すぐに他の4冊も読んでしまったこと。この3つの経験は、私を生涯子どもの本と関わって生きていくように促し、また、子どもの本を考える基準にもなっていったように思います。

この年、朝鮮戦争が勃発しています。第二次世界大戦終結後5年、私たち子どもはようやく空襲の恐怖から解放され、戦争はもう起きないものと信じ、ひたすらのびやかに遊んでいました。朝鮮戦争は、そんな私たちの心を、また恐怖の生活に戻すのではないかと怯えさせました。ところが、3つの経験は、平和を希求し、守ろうとしているおとなが確かにいるということをもまた伝えてくれたのです。

戦前の「日本少国民文庫」は、あえて少国民という言葉を使いながら、実は、選ばれた物語や詩の質そのもので、戦争に向かおうとしている流れに棹をさそうとしていました。

「岩波少年文庫」は、その跋文に、

「一物も残さず焼きはらわれた街に、草が萌え出し、いためつけられた街路樹からも、若々しい枝が空に向かって伸びていった。戦後、いたるところに見た草木の、あのめざましい姿は、私たちに、いま何を大切にし、何に期待すべきかを教える。未曾有の崩壊を経て、まだ立ちなおらない今日の日本に、少年期を過ごしつつある人々こそ、私たちの社会にとって、正にあのみずみずしい草の葉であり、若々しい枝なのである。この文庫は、日本のこの新しい萌芽に対する深い期待からうまれた。この萌芽に明るい陽光をさし入れ、豊かな水分を培うことが、この文庫の目的である。幸いに世界文学の宝庫には、少年たちへの温かい愛情をモティーフとして生まれ、歳月を経てその價値を減ぜず、國境を越えて人に訴える、すぐれた作品が数多く収められ、また、名だたる巨匠の作品で、少年たちにも理解し得る一面を備えたものも、けっして乏しくはない。私たちは、この宝庫をさぐって、かかる名作を逐次、美しい日本語に移して、彼らに贈りたいと思う……」

と記され、私たちに、深い安堵感と、歓びと、勇気を与えてくれました。何よりも、まず私たち子どもが、生きているそのままで認められ、信頼され期待されていること。そして私たちの成長を願い、精一杯の努力を重ね、平和を守り、宝物としての文学を探し、贈ろうとしているおとながいること。それを2つのシリーズを通して、また『ヒキガエルの冒険』では、作者が子どもを一人前の読者と認め描いている文学の質の高さそのもので、知ったからです。そしてその3つのどれにも関わっていらしたのが石井桃子さんでした。『ヒキガエルの冒険』は翻訳者として、「日本少国民文庫」と「岩波少年文庫」は編集者として。

翻訳・創作絵本――ユーモアに富んだ美しい日本語

石井桃子さんの翻訳者としてのお仕事は、垣間見るだけでも、絵本では『子どもがはじめてであう絵本』、『ピーターラビットの絵本』のシリーズ(福音館書店)、『ちいさいおうち』『せいめいのれきし』(岩波書店)、昔話では『イギリスとアイルランドの昔話』(福音館書店)、童話では『クマのプーさん』『たのしい川べ』『ドリトル先生アフリカゆき』『ムギと王さま』(岩波書店)『ねずみ女房』(福音館書店)など、枚挙の暇がないほどです。どの本も長年子どもたちに読みつがれてきていますが、石井さんによって選ばれた物語の質の高さと、分かりやすく美しい、しかもユーモアに富んだ日本語を、どの時代の子どもたちも変わらずに愛してきたということでしょう。

また、子どものための文学の質的な基準とは何かを、純粋に具体的に説きあかしている概論、スミスの『児童文学論』(岩波書店)も忘れてはなりません。瀬田貞二さんたちと『子どもの本研究会』をつくり、私たちの国の子どもの本の多くが、子どもをなおざりにして作られていることを厳しく追及し、子どものための文学のありようを具体的に提示した『子どもと文学』(福音館書店)と共に、子どもの本の研究者、作家、図書館員、そして読者にも大きな影響を与え、子どもの本を考える時の指針となってきました。

石井桃子:著 『幼ものがたり』

石井桃子:著 『幼ものがたり』
福音館書店

創作絵本では『ちいさなねこ』『ありこのおつかい』『いっすんぼうし』『くいしんぼうのはなこさん』、童話では『ノンちゃん雲に乗る』『三月ひなのつき』『山のトムさん』、回想録『幼ものがたり』(いずれも福音館書店)、小説『幻の朱い実』(岩波書店)など。

文庫活動――ブックリストと図書館の重要性を

そして、ご自宅で開かれた「かつら文庫」に来る子どもたちの読書記録をもとに、子どもと読書の関係を具体的に記し、図書館員を鼓舞し、全国の家庭文庫の力になった『子どもの図書館』(岩波書店)、更には、子どもの本の評価が非常に曖昧な私たちの国で、一つの確固たる基準を示し、親や図書館員や編集者に本を選ぶ指針を与えたブックリスト『私たちの選んだ子どもの本』(東京子ども図書館編)の刊行など。

一つ一つを考えると本当に地味なお仕事ですが、しかし、荒野としか言いようのなかった私たちの国の子どもの本の世界を耕し沃野に変え、そこに花を咲かせようとするたゆまぬ努力が、子どもたちのための、壮観としか言いようのないお仕事となりました。

たとえば『私たちの選んだ子どもの本』を考えてみても、石井さんはすでに1950年の『図書』12月号に、「心をひろめ、想像力をのばし、自然に対する愛を目ざめさせ、昔からの人類の遺産をつたえるに適当な本」を選び、「アメリカの少年少女の読書指導のために『ゆく手の光』になった」キャロライン・M・ヒューイングのブックリストと、「戦争中、また戦争後の物資欠乏中、毛布を着、手足にあかぎれをきらせた時代に、図書館員、また出版社、印刷所に働く人びとの作りあげた資料」にもとづいて、パリの図書館員の「忍耐と勇気と愛情」によって選ばれた、フランスの子どもたちのためのブックリストを紹介し、優れたブックリストの必要性と図書館が充実することの重要性を説いていらっしゃいます。『私たちの選んだ子どもの本』は、1966年の誕生ですから、それから16年後ということになります。その年月を思うだけで胸が熱くなります。

編集――忍耐と勇気と愛情で創刊した「岩波少年文庫」

それに加えるに、編集者としてのお仕事があり、例えば「日本少国民文庫」をはじめとして、「児童文学全集」「国際児童図書文学全集」(あかね書房)、『復刻世界の絵本館—オズボーン・コレクション』(ほるぷ出版)の編集に加わり、また「岩波こどもの本」を創刊なさり、さらには主宰なさった「家庭文庫研究会」で、『シナの五にんきょうだい』『100まんびきのねこ』を編集し福音館から出版なさり、世界の絵本の出版の先鞭をつけられましたが、何といっても、子どもたちに、酌めども尽きぬ歓びとしての文学を贈ってくださったのは「岩波少年文庫」をとおしてです。

岩波少年文庫創刊40年記念号に、石井さんはこんなことを書いています。「…創刊40年と聞いて、その発刊に関係したものとして、常識なら往時茫々と書くところかもしれない。が、私は書かない…、あることが私の頭に甦ったからである…編集部の部屋の片すみに『少年文庫編集部』のための机がたった一つおかれた日のことである。…岩波書店の首脳部の人たちと編集会議をしたという記憶はない。とにかく、私にはそのみんなと離れた一つの机で『寶島』『ふたりのロッテ』『あしながおじさん』…と、私が読んで楽しめる本、私にとって『喜びの訪れ』と感じられる本のリスト作りに熱中していったということだけが確かなのである…」。

昨年、私はある大学の講義で、「どんなに本を読むのが嫌いな人でも『星の王子さま』『クマのプーさん』『風にのってきたメアリー・ポピンズ』『大草原の小さな町』『ドリトル先生アフリカゆき』『ふたりのロッテ』『クリスマス・キャロル』『あしながおじさん』『森は生きている』『あのころはフリードリヒがいた』のうちどれかは読んだことがあるでしょう。あるいは『ナルニア国ものがたり』『ホビットの冒険』『トムは真夜中の庭で』『時の旅人』『たのしい川べ』『お姫さまとゴブリンの物語』のどれかは」と言いました。これが、少年文庫ベストセラー10冊と、思いつくままに挙げたイギリスのファンタジーの傑作の6冊です。これが、少年文庫のほんの一部なのです!

いずれも、愛や歴史や芸術や戦いなど、人が生涯にわたって関わる重要な問題が、物語を通して、子どもたちが心踊る冒険をしながら辿り、経験できるように描かれている傑作です。

このシリーズを持っている限り、私たちの国の子どもたちは、今いかに家庭の崩壊とメディアの洪水とに挟撃され瀕死の状態にあっても、あるいは、私の子どもの頃とは違い未来が見えなくなってきている時代にあっても、何とか甦り、自分の足で立って生きていけるのではないか、と私は思っています。

編集者石井桃子さんが「忍耐と勇気と愛情」を持って創刊し、それを次の編集者が引き継いだ、子どもの本の殿堂とでも名付けたいこのシリーズを、心ある親が、教師が、図書館員が、書店員が守り、子どもたちに贈りつづけていくかぎり。

斎藤惇夫氏
斎藤惇夫 (さいとう あつお)

1940年新潟市生れ。
子どもの本の編集者を経て、作家・評論家。
著書『冒険者たち 新版』 岩波書店 760円+税、共著『いま、子どもたちがあぶない!』 古今社 1,800円+税、ほか。

『書名』や表紙画像は、日本出版販売 ( 株 ) の運営する「Honya Club.com」にリンクしております。
「Honya Club 有隣堂」での会員登録等につきましては、当社ではなく日本出版販売 ( 株 ) が管理しております。
ご利用の際は、Honya Club.com の【利用規約】や【ご利用ガイド】( ともに外部リンク・新しいウインドウで表示 ) を必ずご一読ください。
  • ※ 無断転用を禁じます。
  • ※ 画像の無断転用を禁じます。 画像の著作権は所蔵者・提供者あるいは撮影者にあります。
ページの先頭に戻る

Copyright © Yurindo All rights reserved.