Web版 有鄰

497平成21年4月10日発行

朝倉かすみと『ロコモーション』 – 人と作品

どこへ行っても浮いてしまう孤独な女性の半生を描く

朝倉かすみ氏
朝倉かすみ

豊満な肉体を持て余しつつ育ったアカリ

性格は地味だが、ピンナップガールさながらの「いいからだ」を持つ首藤アカリ。豊満な肉体ゆえに、どこへ行っても浮いてしまう孤独な女がたどる半生を描いている。

「何年か前にスーパーの帰り道で、思わず振り返ってしまうような素晴らしい身体の女性とすれ違ったことがありました。Tシャツとジーンズという地味な格好ながら、向かい風で豊かな胸と柔らかそうな二の腕、くびれたウエストを持つ肉感的なシルエットが分かり、本人は見られるのを迷惑そうにしていて、あんな身体を持ったら、大変だろうなと。その印象が、この小説の原点になりました」

生まれ育った小さなまちを出て、大きなまちに越したアカリは、ヘアサロンの受付係の職を得る。エステティシャンのさくらと友だちに、不動産会社に勤める飛沢郁夫と恋人のような関係になり、南の島に行きたいと思うが、それなりに楽しく過ごしていた日々は、ヘアサロンの上客で裕福な“ティナ”によって、あっけなく壊されていく。

「この小説を書こうとして最初に浮かんだのは、素晴らしい肉体を持った女の人が、男の人と2人きりで地球儀を回しているイメージでした。この人たちは、どこかへ行きたいと思っている、でも、たぶん、どこにも行けないんだろう……。例えばどこかへ旅行に行きたいと思うとき、お金のあるなしに関わらず、遠くまで行ける人と行けない人とがいると思う。人それぞれの移動距離は、実は決まっているんじゃないか。そんな感覚が何となくありました」

ロコモーションとは、“移動運動”のこと。さくらや飛沢の部屋を訪ねたり、小さく移動していたアカリの日々は崩れ、増水した川に投げられた葉っぱのようにみるみる流され、暗転し、衝撃的な事件へと落ち込んでいく。

「私は、目の前にあるもの全てが“移動の途中”なんだと思っています。全ての人が前へ、前へ、と移動の途中だからこそ世の中が動いているわけだし、小説でも、物語の始まる前にも、終わった後にも、登場人物の人生がある、世の中は動いている最中だと感じさせる小説が好きで、書きたいと思っています。父と祖母だけのアカリの身内、ヘアサロンの中など、人間関係は基本的に小さいところで営まれているものなので、小さな人間関係を正確に書こうと意識しました。場面が絵として読者の頭に浮かぶように、そこにある匂いが感じられ、質感が立ち上がるように描くことにもこだわりました。登場人物の心理に触れるようにするには、どう書けばいいの? 近寄ってみたらどうだろう?といったことは、いつも考えています。中学生向きのもの、50代を主人公にしたもの、面白いもの、シリアスなもの、書きたい小説はいっぱいあります」

結婚を機に改めて小説を書き始める

1960年、北海道生まれ。03年「コマドリさんのこと」で北海道新聞文学賞、04年「肝、焼ける」で小説現代新人賞。著書に『ほかに誰がいる』『そんなはずない』『好かれようとしない』などがある。昨年刊行の『田村はまだか』で、今年の吉川英治文学新人賞を受賞した。

短大卒業後、アルバイトを転々とした。1週間から10日ほど働いたお金で夏目漱石やスタンダールなどの名作文庫を買い込み、読み終わるとまたアルバイトをして文庫を買う生活だったという。30歳の頃、手に職をつけることを考え、31歳で小説を書いてみたが1、2年で中断。39歳で結婚し、改めて小説を書き始めた。

「結婚して、たった1人でも自分の味方がいる心強さを得て、思い切って小説を書けるようになりました。初めて書いたときは、可愛く思われたい、嫌な人と思われたくないなどの気持ちがあって、人物がお人形さんのようになっていたと思います。私はずっと、人との距離のとり方に躊躇して、社会と関わることに腰が引けていたんですが、あるとき、ご飯を食べに行こうと誘うのも、カラオケで歌うのも、みんなが実は、そんなに上手じゃないんだなと感じたんです。みんな、下手だけれど頑張って、自分の居場所を作っているし、作れるはずなんだと思った瞬間、とても楽になった覚えがあります。そんなごく些細な認識というのは、小説で書かれていないと思います。みんなが知っているんだけれど、まだ書かれていないために“ない”ことにされている事象。どんな題材を書くにしても、私はそこに目を留めて、物語にしていきたいと思っています」

(青木千恵)

『ロコモーション』・表紙

ロコモーション
朝倉かすみ/光文社/1,500円+税

※「有鄰」497号本紙では5ページに掲載されています。

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