Web版 有鄰

493平成20年12月10日発行

[座談会]読みつがれる『赤毛のアン』
—出版100周年にちなんで—

作家・翻訳家/松本侑子
青山学院大学文学部教授/高田賢一
モンゴメリ研究家/松本正司
有隣堂社長/松信 裕

右から、松本正司・高田賢一・松本侑子の各氏と松信 裕

右から、松本正司・高田賢一・松本侑子の各氏と松信 裕

はじめに

ルーシー・モード・モンゴメリ

ルーシー・モード・モンゴメリ
(1874〜1942)

松信1908年に、ルーシー・モード・モンゴメリ(1874年〜1942年)の『アン・オブ・グリーン・ゲイブルズ』(緑の切妻屋根のアン)がアメリカで出版されました。作者の故郷であるカナダ東部のプリンスエドワード島を舞台にマシューとマリラの老兄妹が暮らす緑の切妻屋根の家に孤児院からやってきた少女、アンを主人公にした長編小説です。この作品は、100年にわたり読みつがれ、日本では1952年、村岡花子さんの翻訳で『赤毛のアン』のタイトルとして初めて出版され、現在も多くの人々に親しまれています。

本日は、『赤毛のアン』の作者や作品にかかわるさまざまなお話をご紹介いただき、作品の持つ意味や、その魅力などについてお話をお聞かせいただきたいと思います。

ご出席いただきました松本侑子様は、作家として多くの作品がございます。さらに、近年、『赤毛のアン』シリーズの新完訳を手がけられ、「アン」に関するご著書もございます。またNHK教育テレビ「3カ月トピック英会話『赤毛のアン』への旅」では、講師も務めていらっしゃいます。

高田賢一様は、青山学院大学文学部教授で、英米文学をご専攻です。中でも英米の児童文学に関する多くのご著書がございます。

松本正司様は、モンゴメリ研究家でいらっしゃいます。日本プリンスエドワード島協会の設立にも携わられ、日本と現地との架け橋となる活動などにも取り組んでおられます。

日本では村岡花子訳で1952年に出版

『赤毛のアン』・表紙

村岡花子訳
『赤毛のアン』
新潮文庫

松信みなさんはどのようにして『赤毛のアン』と出会われたのでしょうか。

松本(侑)私が初めて読んだのは中学2年のときです。太宰治や川端康成と日本文学はよく読んでいたんですが、初めて北米の長編小説を読んで、全く新しい世界だったので、とても新鮮に感じました。

たとえば料理や衣服、日々の暮らしの楽しみとか、毎日を丁寧に生きる哲学、そういうことは、男性作家の日本文学には書かれていないんです。村岡花子先生の、古風でほっこりした独特のリズムのある訳に魅了されて、中学から高校、また大学時代も愛読しました。31年前から読んでおります。

松本(正)僕は中学の国語の教科書で出会いました。村岡さんの訳でしたが、1か所誤訳を見つけたんです。

庭のユリを摘んでいいと言われて、帰ってくると、水仙を抱えているんです。そこを読んでも誰も不思議に思わない。僕は手を挙げて「先生、これ違いますよ」と言ったら先生が怒っちゃいました。それで家に帰って、中学1年ですから、英和辞典を必死になって調べたら、水仙もユリもどっちも「リリー(lily)」なんです。そんなふうにして英語って面白い、翻訳って面白いなと思ったのは『赤毛のアン』が初めでした。国語の先生にはずっと恨まれて、通信簿に「授業を妨害する」と書かれて(笑)、忘れられない小説になりました。

きちんと読んだのは大学に入った19の年でした。通学距離が長かったので、電車の中で読める本をと思い、本屋さんをのぞいたら、なつかしい『赤毛のアン』が目につき手に取ったのが始まりです。アンのシリーズが終わると、モンゴメリのほかの作品を同じ村岡花子さんの訳でそろえて読みました。村岡さんの訳は面白いから、次から次に読みました。

年齢によって違う読み方ができる不思議な本

初版第1巻『赤毛のアン』(左)、第2巻『アンの青春』(右)

初版第1巻『赤毛のアン』(左)、第2巻『アンの青春』(右)
松本正司氏蔵

松本(正)「アン」と知り合って、もう40年です。あのころは、ちょっと変わった女の子だなという思いでしたが、今は、アンを育てたマシューやマリラの気持ちがわかるようになってきました。自分もそんな年を取ったんだなと思うとともに、いつ読み返しても自分の年齢に合った読み方ができる。いろんな切り口が見えてくる不思議な本です。

高田私の「アン」との出会いは、大学で文学史を教えるためでした。10年ほど前から児童文学も取り上げているので、読んでいないと納得のいく授業ができないんです。

また、「アン」について卒論を書きたいという学生を指導しながら、私も読んだということがありました。

松本(侑)私が本当の意味で『赤毛のアン』と出会ったのは、1991年に新訳のご依頼をいただいたときです。村岡先生のすばらしいお訳があるので、これ以上の訳は要らないと、お断りするつもりでしたが、英文の原書も読まずにお断りするのもと思い、ペーパーバックを買って読みました。

すると1ページ目に、今まで読んできた邦訳にはない詩が載っていたんです。また、最初の1行が、15行も続く長い文で、英文学史上、1番長いセンテンスらしいです。語彙も難しく、凝っていて、従来思われてきたような児童書ではないと知って驚きました。

引用の出典を明らかにし、全文を新訳

松本(侑)村岡先生が訳されていない場面も、かなりありました。

アンとダイアナが初めて会った日に友情の誓いをする場面、マシューが亡くなった日の夜、マリラが、「グリーン・ゲイブルズに来たときからずっと、アンは私の歓びであり、心の慰めだったんだよ。実の娘のように愛しているよ」と語る感動的なシーン、最後にアンが丘へのぼり自分の過去と未来を内省する象徴的な場面なども、原書で初めて知って、びっくりしました。

さらに作中には膨大に古風な1節があり、芝居の台詞のようなドラマチックな1節、詩のような優雅な台詞が出てきます。これらは、英米文学の古典から引用したものではないかと考えました。

そこで、従来の訳では省略された場面をきちんと訳した全文訳、かつ、古風な1節の出典を明らかにした訳注つきの正しい文学書を出さなければならないと思い、新訳をお受けしました。

シェイクスピアやバイロンなどの名句を引用

松本(侑)全文を訳すと400字詰原稿用紙で800枚。約半年かけて訳しました。また、引用ではないかと思われる古風な1節は、1年以上かけて100か所以上、出典を見つけました。

その結果、19世紀イギリスの詩人ブラウニングの詩に始まり、ブラウニングの詩に終わること。作中には、シェイクスピア劇の「ロミオとジュリエット」、「ハムレット」、「マクベス」、「ジュリアス・シーザー」、またワーズワース、バイロン、アーサー王伝説、イエスの聖杯探索などが登場していることがわかりました。ハーバード大学図書館と英国図書館で調査して、文庫化の際にも、大幅に訳注を追加しました。

このように、全文訳と引用の訳注を調べるようになって、私は初めて真実の『赤毛のアン』に出会ったと思います。

それまでも、家族の愛とか自然描写の美しさ、日常を大切に生きる幸福の哲学などの魅力は感じていましたが、知的な芸術作品としての奧深い面白さは、17年前、アンシリーズの訳注つき全文訳を手がけるようになって、初めて知ることができました。

モンゴメリは母と死別、厳格な祖父母に育てられる

『赤毛のアン』初版挿絵

『赤毛のアン』初版挿絵
第11章から

松信作者のモンゴメリはどのような生い立ちですか。

松本(正)1874年、カナダのプリンスエドワード島で生まれました。しかし、1歳9か月で母親が亡くなり、母方の祖父母の家に引き取られます。

松本(侑)モンゴメリの母の記憶は、柩に入って横たわっている姿だそうです。『赤毛のアン』には、アンが母を恋しがる気持ちが描かれています。父親は島を出て、カナダ中西部のサスカチュワン州へ行き、再婚して別の家庭を持ちました。モンゴメリは母と死に別れ、父とも生き別れているんです。

高田子供のころ孤児同様というのは人生にとって大きな意味を持つのでしょう。アンも孤児ですね。

松本(侑)現代人の感覚では、孤児というと小説の出来事という気がしますが、当時は抗生物質がないため結核やインフルエンザで20代で亡くなる人も多く、若い人が子供を残して亡くなることが絵空事ではなかったんです。

高田アメリカでの話ですが、南北戦争の前のニューヨーク市には孤児院が2つあった。それが戦争後は60に増えているんです。死別だけでなく、生き別れ、捨てられる子もいたのでしょう。

松本(侑)ただし、モンゴメリは島の名門3家に入る家系の生まれです。父方の祖父はカナダ連邦の上院議員で、初代首相マクドナルドと親友です。育ての母方の祖父も郵便局長でした。家柄はよく、きちんとした祖父母に養われ、教育も受けていますから孤児ではありません。

松信しかし、親の愛情には恵まれていない。

松本(侑)祖父母は厳格で、おしゃれも許さない。

高田それは女の子にとってつらいですね。

松本(侑)昔風の教育で堅苦しかった。祖父母の宗派はスコットランドで生まれたプロテスタントの長老派教会です。

松本(正)しかも、長老派の役員をやっていますね。

高田長老派はものすごく厳しいんですね。

松本(侑)このころの長老派教会は、禁酒禁煙、ぜいたく、華美は慎み、勤勉、労働に価値をおきました。

高田カナダはスコットランドからの移民が多かったから、長老派がかなり多かったんでしょうね。

松本(侑)島は今でもスコットランド系の住民が多いんです。モンゴメリもスコットランド系です。

松本(正)モンゴメリは10代のうちの約1年間だけ父親のところに行きますが、継母と折り合いが悪かった。

松本(侑)姉のように若い継母でした。

松本(正)継母の子で弟たちの面倒を見させられたりする。モンゴメリには作家になりたい思いがあり、勉強もしたい。ホームシックもあって島に戻ります。

祖母の介護をしながら書いた『赤毛のアン』

グリーン・ゲイブルズに立つ松坂慶子氏(右)と松本侑子さん(左)

グリーン・ゲイブルズに立つ松坂慶子氏(右)と松本侑子さん(左)
3カ月トピック英会話『赤毛のアン』への旅」より
NHK出版提供

松本(侑)島では、州都シャーロットタウンにあるプリンス・オブ・ウェールズ・カレッジに入って教師の資格を取り、19歳で、ビデフォードという村の先生になります。

しかし20歳の時、文学を学びたいと、本土ノヴァスコシア州・ハリファクスにあるダルハウジー大学で英米文学の講義を受けますが、4年間の学費を払ってくれる親がいない。アルバイトというわけにもいかない時代ですから、8、9か月で島に帰ってきて、また教職につきます。

このころの彼女は、すでに短編小説を新聞や雑誌に発表していました。『アン』発行前に、約100作の短編が活字になっていて、原稿料で生活ができるようになったカナダ初の女性作家と言われています。

1898年に祖父が亡くなり、祖母が1人残ったため、教師をやめて家に戻り、介護をしながら『赤毛のアン』を書きます。それをアメリカの出版社に送って本になりました。

松本(正)祖母が亡くなるまで面倒を見ることが祖父の遺言だった。でも周囲はそれを知らなかった。

松本(侑)1901年には介護をいとこに頼んで、またハリファクスに行き、新聞記者と校正係として仕事もしています。

行動力があり当時の最先端を行くニューウーマン

松本(侑)モンゴメリは、行動力のある女性だと思います。19歳で学校の先生になり、20歳で、自分の貯金で都会の大学へ行く。100年以上前の若い彼女の向学心、未来を切りひらく行動力に心打たれます。

高田19世紀後半は、カナダでもアメリカでも女子大学ができるんです。最初、大学は男子だけで、アイビーリーグは植民地時代にあって、それから100年近くおくれて女子大学かできる。

松本(侑)モンゴメリが入ったダルハウジー大学は共学で、寮は、ハリファクスの女子大の寮でした。

高田モンゴメリは、当時話題になっていた新しい女性です。新しい教育を受け、新しい生き方をする。

彼女の巻き上げた髪形は、ギブソンスタイルといわれていますが、それはニューウーマンと呼ばれた、当時の一番元気な女性のスタイルなんです。

松本(正)当時の最先端の格好をしていましたね。

松本(侑)服も髪もおしゃれです。

アンの赤毛と緑の目が意味するものは

松信アンは赤毛でそばかすというキャラクターですね。

高田プリンスエドワード島は土が赤くて、赤毛と響き合いますね。

欧米の小説では、髪の色は結構重要です。

松本(正)そうですね。それと、目の色ですね。

松本(侑)『赤毛のアン』はスコットランド人の話で、アンを育てるマシューとマリラもスコットランド系二世だと書かれています。

古くから、赤毛はスコットランド人に多いと言われてきましたが、実際に、遺伝子の研究で、スコットランド人の13パーセントが赤毛だとわかっています。モンゴメリも、アンがスコットランド人だと伝えるために赤毛にしたのでしょう。

高田赤毛すなわち情熱という連想がどうもあったみたいです。

松本(正)それより少し前は赤毛は悪役なんですよ。聖画では裏切り者のユダは赤毛で描かれているんです。

松本(侑)旧約聖書の兄弟カインとアベルの、嫉妬して弟を殺すカインも赤毛。キリスト教では赤毛は裏切り者というイメージでした。

松本(正)それがあってアンは自分の赤毛がきらいだといっているんです。

松本(侑)金髪が最も美人という時代の美意識もありましたし、金髪は信仰深い貞淑な妻、黒髪は奔放な悪女というステレオタイプのイメージもありました。

松信そういうことは一般的にいわれていることなんですか。

松本(侑)赤毛は、短気で癇癪持ちという当時の考え方は、作中で、隣人のリンド夫人も話しています。

松本(正)ピエロは赤毛なんです。何でピエロが赤毛なのか考えていくと、アンのイメージがわかってくる。

松本(侑)異端の人なんですね。

松本(正)アンの緑色の目が、宗教的な関係をあらわすという人もいますね。

松本(侑)シェイクスピア劇以降、英文学では、緑の目は嫉妬深いとされています。第2章でアンが「そばかすと緑の目とやせっぽちを気にしている」と言う。やせっぽちとそばかすはわかるとして、なぜ緑の目を気にするのか、日本人には通じにくいのですが、異界に近い魔物のニュアンスがあり、ハリー・ポッターも緑の目です。

松本(正)その辺がわかってくると、非常におもしろく読めますね。

言葉づかいや引用でスコットランド系とわかるアン

松本(侑)アンはスコットランド語をいろいろと話しています。例えば葉にリンゴの匂いがするゼラニウムに「ボニー」と名前をつけます。フランス語の「ボン」から来た「よい」という意味のスコットランド語です。

赤毛を黒く染めたつもりが変な色になって髪を切る場面では、髪がのびたら、頭にスヌードを巻こうと言います。スヌードも、その昔、スコットランドの未婚の乙女が、独身の証に頭に巻いた奥ゆかしいリボンです。

また、英国のエリザベス女王1世の時代に、ギロチンにかけられたスコットランド女王メアリの悲劇の詩を暗誦したり、16世紀初め、スコットランドとイングランドが戦ってスコットランドが大敗したフロッデンの戦場で、スコットランド国王を、自分の命を犠牲にして守る兵士の詩をアンは感情移入してそらんじてもいます。

誰が読んでもスコットランド系だとわかるように書かれているので、「アンはスコットランド系です」と言うのですが、『赤毛のアン』を40年読んできたという方は、「えっ!?」と言われるんです。

松信日本人は、そういうことは基本的にわからないのでしょうね。肌感覚で持ってませんよね。

高田日本人の読者は、知識としてはあっても、余り意識しないんでしょうね。現実で触れないですから。欧米であれば、異文化とか国籍とか人種とか、階級とかは見落とせない項目ですけれど。

反イングランドの意識を出したケルト人の物語

松本(侑)これはアングロサクソン、つまり、イングランドやドイツの金髪・碧眼の人たちの物語ではないのです。

マリラは黒髪、マシューも髪は鉄灰色ですし、親友のダイアナも黒髪です。ダイアナ・バリーはアイルランド系かもしれません。バリーという名字はアイルランドで3番目に多い名字で、彼女はアイルランドのアルスター地方の外套も着ています。つまり主な登場人物はスコットランド系とアイルランド系で、ケルト族なんです。続編もふくめたアンシリーズは、一貫して、ヨーロッパの先住民族ケルト族の物語として書かれています。

例えば「アーサー王伝説」の引用がいくつかあります。古代ブリテン島にアングロサクソンが上陸してきて、先住民族のケルト族が迎え撃って戦う。その指揮をとったのがアーサー王です。彼は円卓、丸いテーブルに騎士たちを配して王国を営むのですが、円卓の騎士のうち、ローンファルとランスロットという二人が『赤毛のアン』に登場します。

また『赤毛のアン』の舞台アヴォンリーは、架空の地名ですが、ケルト語にちなんでいます。前半のアヴォンは、シェイクスピアの生まれ故郷ストラットフォード・アポン・エイヴォン(アヴォン)のアヴォン川、そしてケルト語で、川という意味です。後半のリーは、詩の言葉で、草原という意味です。つまり『赤毛のアン』は、シェイクスピア劇に代表される英文学の世界、ケルト族の世界、草原という田園牧歌の世界の融合した土地でくり広げられる物語だと示唆されています。

主な登場人物がケルト族というだけでなく、引用も、アングロサクソンのイングランド人に虐げられ支配されてきたケルト族スコットランド人の反骨精神を詠う詩が色々出てきます。強烈な対抗意識を持って、反イングランド意識を出しています。

でも、その一方でアンは、大英帝国のヴィクトリア女王が大好きなんですけれど。(笑)

松本(正)そこまで読み解いた人って、あんまりいないと思います。

古典を読んだ人がわかる仕掛けで引用

松本(正)引用は散りばめられただけじゃなくて、全部物語に絡んでいるんですね。

松本(侑)作品が書かれた100年前の国語教育は、古典の暗記が主でした。『赤毛のアン』の引用は古典からただ美しい一節を持ってきた、という単純なものはほとんどありません。昔の教科書に載っていた古典を読んだ人だけがわかる深い仕掛けをこめて、引用がなされているんです。

例えばアメリカの文豪マーク・トウェインは、『赤毛のアン』を絶賛する文章を書いています。彼は学校教育を受けていませんが、独学で英米文学を読みこんだ作家だからこそ、引用の謎ときができたのです。

引用の一例を、ご紹介させていただきます。

『赤毛のアン』の最初のあたり、第2章で、マシューは、農業を手伝ってもらう孤児の「男の子」を迎えに駅へ出かけます。馬車に乗って行く道ゆきに、「小鳥たちは歌っていた。あたかも今日が1年でただ1日の夏の日であるかのように」という、美しい初夏の日を思わせる2行が出てきます。

この2行の出典はアメリカの詩人・ローウェルが、1848年に書いた「サー・ローンファルの夢想」という長い物語詩です。内容は、アーサー王の円卓の騎士、サー・ローンファル(ローンファル公)が、イエスの聖なる杯(イエスが最後の晩餐で使った杯)を探しに行くというものです。

ローンファル公は旅に出る前夜に夢を見ます。夢の中でも、彼はイエスの聖杯探索に出かけていて、その旅の始まりに、「小鳥たちは歌っていた…」という『赤毛のアン』と同じ2行が出てきます。やがて旅は冬景色となり、みすぼらしい貧しい男に出会います。ローンファル公が水と食べ物の施しをしてやると、それが赤ワインに変わったり、天から光が差したりして、貧しい男がイエスに変わる。

そしてイエスが言います。

「施しをもって自らを与える者は、3人を養う。施しをした本人、飢えた隣人、そして我イエス」

そこでローンファル公は目が覚め、聖杯探索の旅をやめます。イエスの聖なる杯は、特別な場所に隠された秘宝ではなく、自分が持っているものを、持たざる人に分けてあげるすべての器が聖なる杯だと、さとったのです。

マシューとアンが出会う「ブライトリバー駅」

マシューとアンが出会う「ブライトリバー駅」
松本侑子氏蔵

その詩が、マシューが男の子を迎えに行く場面で出てくる。この引用の意味はどういうことなのか。マシューは、男の子を迎えに行った先で、愛にも物にも飢えた貧しい孤児アンに出会います。するとマシューは、農業の役に立たない女の子を引き取ります。つまりマシューは、隣人愛の騎士ローンファル公として描かれているのです。

マシューは、隣人愛をもってアンを助けることによって、まず彼の心が養われて幸福な晩年を生き、アンの心も養われて幸せな娘に育ち、イエスも養われる、という示唆があり、人を愛することの大切さ、という物語の本質を伝えているのです。

少女小説と言われてきたのは不幸なこと

松本(侑)『赤毛のアン』の引用は、出典元の筋書きをそのまま使って、アンの物語の展開を予測させたり、あるいは正反対の意味を持たせたりと、工夫があります。

引用出典を探す方法は、今はインターネットで検索できますから割と簡単です。難しいのは、長い詩の原典を英語で読んで訳し、モンゴメリが引用した意図を考えることです。19世紀の詩は、古い言葉づかいが多く、簡単には読めません。引用の意味を、何週間も考え続けることもありました。

このような複雑な引用が多数あることは、残念ながら、カナダでもさほど知られていません。日本では全くといっていいほど知られてきませんでした。これまで、女子供が読む少女小説、児童小説と言われてきたことは、北米を代表する文学『赤毛のアン』にとって不幸なことだったと思います。

松信松本侑子先生の著作や研究は、今一番進んでいると見ていいんですか。

松本(侑)訳注つきの拙訳が出てから4年後に、カナダでは「注釈つき『赤毛のアン』」が発行されました。続編も私は訳注つきで出していますが、カナダでは出ていません。

当時の政治も描き、児童文学の枠をこえる

松信『赤毛のアン』には当時の社会も描かれてますね。

松本(正)赤毛のアンの時代は1890年前後です。

松本(侑)当時のカナダは、イギリス寄りの保守党と、アメリカと通商連合を作ってヨーロッパと対抗しようという自由党の二大政党制でした。アンは、「私は保守党よ」と言います。マシュー・カスバートも保守党、ダイアナ一家と隣人のレイチェル・リンド夫人は自由党支持です。

物語には、カナダの首相が島に遊説に来る章があります。その政治家の名前は出ていませんが、鼻が大きくて演説がうまい、という描写から、保守党党首でカナダの初代首相のアレキサンダー・マクドナルドだとわかります。また国の選挙、女性の参政権、オタワの議会など、政党と政治がくわしく描かれています。

当時のカナダの国家元首はヴィクトリア女王ですから、アンは「私は熱烈にヴィクトリア女王を信奉しているの」とも話しています。このように当時の社会、政治が描かれている点でも、児童文学という枠に入れると、作品の広がりを削ってしまいます。

高田児童文学では、政治に関心を持つ女の子が描かれることはまずありません。

松本(侑)当時の宗教生活も、くわしく描かれます。ことに第8章「アンの教育、始まる」は、ほとんどがキリスト教の教育です。マリラがアンに長老派の教理問答集(カテキズム)を教えて、お祈りの言葉を口に出して言わせて覚えさせます。

高田マリラの教育は、聖書の文句が体にしみ込んじゃうような感じですね。

松本(侑)そういうしつけなんです。またスコットランドの国教だった長老派教会のしくみ、仏系カトリックと英系プロテスタントの対立も書かれています。

『赤毛のアン』初版挿絵

『赤毛のアン』初版挿絵
第3章から

暮らしを丁寧に描写しているところも好きです。ケーキを焼くにしても、マシューが小麦を畑でつくる。バターはマリラが牛の乳を搾って、乳脂肪を分けて手作りする。ヒナから育てたニワトリの卵をとる。材料のうち、買ってくるのは砂糖とバニラシロップだけという自給自足の農場でケーキを焼くんです。

オーブンも、温度計もついていない、薪ストーブの上にある鉄の箱です。そこでシラカバを燃やすと何度くらい、マツは脂が多いからもっと高温になるなど、材質、炎の色を見てパンやビスケットといった焼くものによって使い分ける。マリラは料理や家事全般をアンに教えていきます。

アイロンも、アンは最初はうまくかけられなかった。それが上手になって、安心して任せられるようになったと最後にマリラが言います。そのアイロンも、ただの重い鉄のかたまりで、温度計もありません。ストーブで熱した後、水を何秒ではじくか見て、シルク、ウール、木綿と、温度を知る。電気も水道もガスもなくても、きちんと文明生活を営んでいる人たちの堅実な姿が描かれています。

高田それはすごく大事な点ですね。

松本(侑)今までは、かわいいケーキを焼きましょうという料理本しかなかったのですが、『赤毛のアン』のすばらしさは、家庭の主婦の賢さと知恵、家庭を自分の手で作りあげる誇りと喜びが描かれているところです。

児童文学の概念が変わり、卒論に取り上げる学生も

松信『赤毛のアン』はどうして児童文学と思われているんですか。

松本(正)それは翻訳が悪かったんです(笑)。村岡先生の訳を書き直しただけというものがすごく多いんです。完全な訳は松本侑子先生の本が初めてで、今まで本当のアンを知らなかった。そういう意味ではかわいそうな作品ですね。

高田児童文学の概念が今大きく変わっているんです。マイナーなジャンルだった児童文学はもう文学の立派な一つの流れというとらえ直しが1970年代以降、英米の研究者の間であります。『赤毛のアン』も一つの女性文学、あるいは文学として見られるようになってきている。

松本(侑)慶應義塾大学で2年間、『赤毛のアン』を教えましたが、卒論を書く学生がいたり、英文科で「アーサー王伝説研究」をしている学生が講義に来ています。

松本(正)僕の学生時代には英文科の学生が『赤毛のアン』をやりたいと言っても、先生に「あれは文学じゃない」と断られた。

高田『赤毛のアン』を読んでいる教師がほとんどいなかった。私も文学史を担当しなければ、ひょっとしたら読まなかったかもしれない。

翻訳の力というのは、すごく大きいと思うんですよ。これだけ出典があることが初めて分かって、作品の見方が変わってきた。

先進地だったプリンスエドワード島

プリンスエドワード島の赤土の道

プリンスエドワード島の赤土の道
松本侑子氏提供

松信舞台になっているプリンスエドワード島は、どんなところなのでしょうか。

松本(侑)かつて島はフランス領でしたが、英仏戦争でフランスが負け、イギリス領となって、英国の「エドワード王子の島」と命名されます。

エドワード王子は大英帝国の基礎を築いたヴィクトリア女王の父となった人で威光と権力を持っていました。そのエドワード王子の島ですから、カナダの中でも英国的です。今は田舎ですが、当時はヨーロッパに近い先進地でした。新聞が発行され、交響楽団もありました。教育も普及して、電話、ガス灯、電灯も広まりつつあって19世紀の北米でも文明的に進んでいる地域でした。

モンゴメリは「世界でいちばん美しい島」と『赤毛のアン』に書いています。

松本(正)もっときれいなところが世界中にいくらでもありますよ。しかし、何で彼女はそう言ったのか。

どこまでも緩やかに続く丘や、静かな内海。荒々しさがまずない。心が落ちつく。初めて行った人も、懐かしいとまず感じる。それが「世界でいちばん美しい」ということじゃないかと思います。

ただ、ネオンサインがないと暮らしていけない人には、ちょっと寂しいかもしれません。

松本(侑)私が島を美しいと思うのは、よく手入れされた美しい農場と畑が広がって、住んでいる人の心の豊かさが伝わるからです。安らかな気持ちになります。

松本(正)この島には、人の手が入ったパッチワークのような畑や森の景色が広がっていますが、いわゆる大自然、切り立った山や深い谷はほとんどないんです。

高田確かにきれいな島ですね。少し起伏があって、高いところに行くと緑と林が見渡せる。庭園にはイギリス式とフランス式の伝統がありますが、やはりイギリス的で、比較的ありのままで、余計なものだけを排除してある。

グリーン・ゲイブルズ周辺は国立公園に指定

松本(正)現在は、国立公園に指定されています。カナダの国立公園は、1州に1か所、連邦政府が指定しているんです。その制度ができたとき、プリンスエドワード島では、すでに『赤毛のアン』が有名になっていましたので、グリーン・ゲイブルズの周辺を、国立公園にしたんです。ですから、『赤毛のアン』の当時のものがよく残っています。

松信コンクリートの建物はホテルの1軒ぐらいしかないそうですね。

松本(正)湿気が少ないので、木造の家が長持ちするんですよ。200年前の家は当たり前だそうです。

松信街並みも美しいですね。

松本(侑)ふつうの家庭の庭を見ても、緑の芝がきれいに刈られて、花が咲いています。続編の『アンの青春』では、アンが景観改善協会を作って、若い会員たちが道ばたに花を育てたり、木を植えたりして、みんなで村の美観作りをしています。

松本(正)通りに紙くずも落ちてない。それがアメリカとの決定的な違いです。

あとは島の人たちのスピリットですね。農家に泊まった時、「おやつ食べる?」と聞かれ「うん」と言うと、おばさんが「20分待ちなさい」と言ってパイをつくってくれた。そういう手づくりのところがまだ残っていて、人々が生活を楽しんでいるのがわかります。

実際の生活はもちろん電化されていて、カナダはITが日本より進んでいます。みんな携帯電話を持ち、パソコンを使い、お店のレジも日本より早くPOSになっていました。でも、今の生活の中に昔の伝統を上手に生かし、捨てていないんですね。いわゆる生活の豊かさですね。

高田島の人たちはすごくエチケットがいいですね。

松本(侑)プリンスエドワード島では、日本人は大変歓迎されます。

ユーモア小説であり、家族の愛情物語

松本(侑)これまでのお話から、『赤毛のアン』は、堅苦しい、きまじめな話だと思われそうですが、最大の魅力はユーモア小説と愛情物語です。おなかを抱えて大笑いするこっけいな場面がたくさんあります。

松本(正)ケーキに痛み止めの塗り薬を入れてしまう話は実話です。

松本(侑)ダイアナとお茶会をしてラズベリー(木苺)のジュースを出すつもりが、間違ってスグリのお酒を飲ませて大騒動になったり、本当におもしろいです。

赤毛を気にするアンは、ぬばたまの黒髪にしようと思って染めたら緑色と銅色の入り交じった変な色になって、しかも根元が赤いから、もっと気持ちが悪いとか(笑)、おかしい場面が満載のユーモア小説なんです。

そして愛情物語は、「家族の愛」です。

松本(正)しかも血縁によらない家族ですよね。今の時代に通じるものがあると思います。

松本(侑)夫婦でも親子でもない家族の愛なんです。マシュー、アン、マリラは、3人ともキリスト教にゆかりの名前で、イエスの愛によって守られた聖なる家庭だと暗示されています。血のつながりもなく、しかも最初は農業をする男の子が欲しかったのに、自分たちにとっては役に立たない女の子を引き取り、その子を愛することによって大人が幸せになっていく。

アンの成長とともに大人も育ち幸せになっていく

松本侑子訳『赤毛のアン』・表紙

松本侑子訳『赤毛のアン』
集英社文庫

松本(侑)『赤毛のアン』は少女の成長物語であると同時に、大人が育っていく物語でもあります。小さかったアンの背丈が自分と並んだときの喜びと寂しさ、アンが進学のために家を出ていった日に泣いてしまう親のような気持ち。それまで、恋愛もろくにしたことがない不器用な兄マシューと妹マリラの心が、アンを育てることで豊かに耕され、情感豊かな、魅力的な大人へと劇的に変貌していきます。

大人の成熟が描かれているからこそ若い人だけでなく、60代から上の方々にも、長年、読まれているのだと思います。

高田確かに、アンは年とともにずっと「私の本」みたいなところがありますね。

松本(正)アンは、自分も幸せになっていきますが、周りの人をみんな豊かに幸せにしていきます。例えばマシューは、アンを「わしの自慢の娘だよ」と言って、命の最後のときに豊かな実を結んで亡くなっていきます。

高田登場人物は、おもしろいというか、変人・奇人ばかりです(笑)。破天荒な人物設定で、私が驚くのはその点です。こういうストーリーは、あまり例がないと思います。

松本(侑)そういう人たちがみんな生き生きと幸せに生きている。

高田アンがいることによって余計にね。

松本(侑)児童文学の枠に入らない登場人物ばかりですね。私たちの社会の縮図だと思います。本当にいそうな変な人がいっぱい出てくる。

松本(正)よく見ると僕たちの周りにいる、そういう人たちをないがしろにしないで、ていねいに描く。これはモンゴメリならではだと思います。

松信どうもありがとうございました。

※松本侑子さんは松本(侑)、松本正司さんは松本(正)としました。

松本侑子 (まつもと ゆうこ)

1963年島根県生れ。
著書『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』 集英社 1,900円+税、『赤毛のアンへの旅 ~秘められた愛と謎』 日本放送出版協会 1,200円+税、ほか。

高田賢一 (たかだ けんいち)

1945年兵庫県生れ。
著書『若草物語』 ミネルヴァ書房 2,000円+税、『アメリカ文学のなかの子どもたち』 ミネルヴァ書房 3,000円+税、ほか。

松本正司 (まつもと まさし)

1955年埼玉県生れ。
共著『やっぱり赤毛のアンが好き』 世界文化社 (品切)、ほか。

※「有鄰」493号本紙では1~3ページに掲載されています。

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