Web版 有鄰

492平成20年11月10日発行

北 康利と『九鬼と天心』 – 人と作品

明治初期、文化財保護に尽力した2人の姿を描く

北 康利氏
北 康利

文部行政に影響力を持った九鬼隆一

明治初期の廃仏毀釈運動により、日本の仏教文化が未曾有の危機に陥った。文部省の役人として文化財の保護に尽力したのが、九鬼隆一と岡倉天心である。日本の美の伝統を守り、新時代において新しい息吹を与えた2人はどんな人物だったのか。『九鬼と天心』は、神戸新聞総合出版センターから2003年に刊行された『男爵九鬼隆一 明治のドン・ジュアンたち』を加筆修正した本である。

「まち起こしを目的に、兵庫県三田市の歴史や人物を書いた『北摂三田の歴史』で九鬼隆一を取り上げたことが、この本の始まりです。三田藩で代々儒官を務めた家柄の出の白洲次郎も、三田ゆかりの人物として調べ、本にしました。その白洲次郎の本が全国的に読者を得たので、九鬼隆一の姿もより多くの人に知っていただきたいと、大幅に加筆して出版しました」

『茶の本』などの名著がある岡倉天心に比べ、九鬼隆一を知る人は少ない。九鬼は摂津三田藩の重臣の子として生まれ、織部藩家老・九鬼隆周の養子になり、明治4年に慶応義塾に入学した。〈読書は不得手なれども性質怜悧〉と世知に長けた才覚を福沢諭吉に見い出され、明治5年、前年に設立されたばかりの文部省に22歳で入省する。

明治新政府の要職は「薩長土肥」の出身者で占められていたが、九鬼は小藩の出身でありながら木戸孝允、大久保利通、松方正義ら実力者の知遇を得て、30歳で文部少輔(現在の事務次官に相当)に栄進。「文部省の九鬼か、九鬼の文部省か」と称されるほど、文部行政に絶大な影響力を持つようになる。

「小藩出身の九鬼が力を発揮するには、”コバンザメ作戦”も重要な手段でした。人間のどろどろした部分も含めた評伝を書いてみようと、欲についても書き込みました。九鬼も天心も自己矛盾に満ちた存在でしたが、強烈な人物は出世欲などの業も多く持ち合わせているものです。マイナス面をあげつらうよりも結果が大事で、全国の文化財を調査し、寺社の荒廃に歯止めをかけたこのコンビの仕事によって、今、我々が受けている恩恵は計り知れないものがある。”頑張り”よりも”実績”を見るところは、ずっとビジネスの現場にいた僕独特の視点かもしれません」

優れた仕事をしながら、愛憎劇も演じてしまう。天心は、九鬼の妻、波津子と恋愛関係に陥る。激しい性格の波津子は、天心の妻、基子の前でいきなり剃髪するのだが、これらの逸話は事実である。

「僕の本は、事実=ファクトで語ることを基本にしています。この時代の人々の人生の充実ぶりは凄まじい。良くも悪くも人同士のつながりが深かった。やはり三田出身の蘭学者、川本幸民は緒方洪庵と親友で、緒方洪庵を仰いで福沢諭吉が育ち、福沢の門下で九鬼が育った。抜擢が行われ、師から弟子へ、業績を積み上げて世の中を変えていく正のスパイラルがうまく機能し、優秀な人々がこぞって切磋琢磨していた時代でした。今は抜擢人事があると、嫉妬による情報が流れて引きずり下ろされてしまいますが、これからは少子化で人材の絶対数が減ってきますから、抜擢や適材適所、正しく機能する人脈や情報が、改めて大事になってくると思います」

父の死を機に両親の故郷の郷土史を執筆

1960年、愛知県生まれ。東京大学法学部卒業後、富士銀行に入行。資産証券化などのファイナンス理論を専門にしながら、98年8月の父の死を機に、両親の故郷である三田市の郷土史の執筆を始めた。著書に『ABS投資入門』『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』『同行二人 松下幸之助と歩む旅』『蘭学者 川本幸民』など。『白洲次郎占領を背負った男』で山本七平賞を受賞。08年6月にみずほ証券を退職。中央大学専門職大学院国際会計研究科客員教授でもある。

「急死した父のなくした時間を有意義に使うにはどうすればいいか、三田のことを書いたら喜んでくれるんじゃないかと、郷土史を書き始めました。父に背中を押されて、作家として独立したと思っています。人に会い、話を伺うと新たに見えてくることがあり、テーマが次々に生まれてきます。戦後、先人に学ぶ習慣が日本人から失われて、日本は評伝の数が圧倒的に少ない。事実を積み重ねて先人のことを書くことで、世の中を元気づけたい。書きたいテーマがありすぎて、非常に忙しい毎日ですが、本を書いている時間が一番楽しいので、作家の仕事は天職だと思っています」

(青木千恵)

『九鬼と天心』・表紙

九鬼と天心
北 康利/PHP研究所/1,800円+税

※「有鄰」492号本紙では5ページに掲載されています。

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