Web版 有鄰

492平成20年11月10日発行

有鄰らいぶらりい

オーケストラ、それは我なり
中丸美繪:著/文藝春秋:刊/1,714円+税

副題が「朝比奈隆 四つの試練」。オーケストラの世界的指揮者であり、関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)を創立、常任指揮者として50余年、93歳まで指揮棒を振った朝比奈の本格的評伝である。

四つの試練の第一は、「隠された出自」。日本経済新聞の「私の履歴書」など公表された記録では、東京・市谷の小島家に生まれ朝比奈家の養子になったことになっている。

しかし、朝比奈本人は、「養子というより貰いっ子」と著者による生前のインタビューに答えている。最初から朝比奈家の長男として役所に届けられ、養子縁組は行われなかった、というのである。

養父母が亡くなったあと、朝比奈は、自分の実の父親が日本土木史の父といわれる渡辺嘉一であることを知る。しかし、母親については語らず、著者は小島家とは別の女性の存在も示唆している。

京大出身という音楽界では異端児の朝比奈が、なぜ日本屈指の指揮者になったのか。著者は朝比奈本人をはじめ80余名に及ぶ関係者を数年にわたって取材、その音楽がテクニックを超えた全人間的なものであったことを克明で多彩な描写で伝えている。

良い小説には必ずミステリーの要素があるというが、良いノンフィクションも同様であると思わせてくれる力作である。

息の発見
五木寛之:著(対話者・玄侑宗久)平凡社:刊/1,400円+税

息は自律神経の働きだから普通は意識しないものだろう。しかし、ブッダ(釈迦)は息づかい=呼吸法について詳しく語っており、その教えをまとめたお経もあるという。

子供のころ、父親から剣道を教わっていて息の力に気づいたという五木氏が、息を重視する禅僧で作家の玄侑氏と呼吸について語り合っており2人の薀蓄の深さ広さに驚かされる。

玄侑氏が日本文化を紹介する催しでチェコに行ったとき着物を着た女性がパニックになったという話が面白い。女性の着付けは帯で胸を締め付ける。下腹部で呼吸している日本の女性は、さほど困らないが、チェコの女性は胸を固定されると全く息が吸えないと騒ぎになったという。

なるほど、日本の歌謡曲や演歌の歌手は、声を張るとき腰を落とすが、向こうの歌手はお尻をうしろへ突き出して胸を張ると、五木さん。

昔は腹にあると思われていた人の心は、近代では胸(ハート)となり、現代ではすべて脳にあると言われている。

「頭でっかちの人間が、ふらふら歩いていると言うのが、私の実感です」(五木)、「だから、もう一ぺん、人間のこころを腹のほうに下ろさなければいけない」(玄侑)という。

中国はチベットからパンダを盗んだ
有本 香:著/講談社+α新書:刊/838円+税

中国外交におけるいわば親善使節ともいうべきパンダの出身地は、中国の四川省ということになっている。

北京五輪の聖火リレーで、にわかに注目されたチベットの独立運動だが、中国のチベット侵略は、パンダの棲息地である東チベットから始まったという。のち「チベット自治区」を設けた際、豊かな森林があり、希少な動植物の宝庫だったこの地区は四川省に併合されたのである。

チベット問題は、ナチスのユダヤ人虐殺にも匹敵する非道であり、現在も進行中のおぞましい「民族浄化」だと、著者は言う。にもかかわらずマスコミをはじめとする日本がこの問題を放置してきたのは、先の大戦に対する贖罪意識と、可愛いパンダのすむ国中国という幻想が作用したものらしい。

—駐日大使館開設と同時になされなければならないのは、全日本人に中国への好感、親近感を抱かせるという群衆掌握の心理戦である。—

中国共産党が対日宣伝工作の方針・手法を指導するための文書「日本解放第二期工作要綱」といわれているものだが、ニセモノとの見方が多いらしい。

しかし、いかにもありそうな内容だし、事実、日本のマスコミや知識階級はこうした扇動に見事に乗せられていたのではなかろうか。

残るは食欲
阿川佐和子:著/マガジンハウス:刊/1,400円+税

『残るは食欲』・表紙

『残るは食欲』
マガジンハウス:刊

何やら情けないような、大胆ともいえそうな表題は「そもそも、だいぶ昔に悪友、ダンフミが呟いた言葉だ」と「あとがき」にある。

「愛欲と物欲を捨てた今、自分と俗世を結ぶ唯一の絆は食欲のみ」という言葉に、うまいことを言う女優だと感心したが、「私はそこまで欲を捨ててはいない」と思っていたという。この食べ物エッセーの雑誌連載に当たって思い出した言葉を冗談に出したら編集者から「アガワさんのイメージにぴったり」とタイトルにされたのだそうな。

手作り豆腐の旨さをつづった「一丁の至福」にはじまりお菓子作りの話「カヌレ君の功名」まで39編を収めている。「パブロフの蕎麦」はいつも迷った末に鴨南蛮を頼んでしまう話だが、ここにも名前こそ出していないが、ダンフミとしか思えぬ女性が出てくる。

遠い昔、「さる殿方」と蕎麦屋で待ち合わせ、後からやってきた男がメニューを眺めて長々と考えていると、彼女は突如、立ち上がって帰ってしまったという話である。「蕎麦屋に入って迷うなんて信じられない」という彼女自身は女優になって初めて蕎麦屋に入ったとき、何を選んでいいか分らず、周りを見てたぬきうどんにして以来、それ一筋という。

(K・K)

※「有鄰」492号本紙では5ページに掲載されています。

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