Web版 有鄰

473平成19年4月10日発行

第三の故郷 – 特集1

佐藤多佳子

故郷は東京 心の故郷は大阪 第三の故郷は神奈川

『一瞬の風になれ』・1~3巻表紙

『一瞬の風になれ』
講談社

私は東京生まれの東京育ちで、これまで一度も他の土地で暮らしたことがない。小学校の同級生の夫も同じなので、娘には、「いなか」というものが存在しない。娘の祖父母は、皆、徒歩10分以内の同じ町内に暮らしている。

同じ東京でも下町のほうだと、「江戸」を意識した「ふるさと」感覚があるかもしれないが、私が暮らしてきた、いわゆる山の手というところは、単純にただの町という感じだった。町から町へ近距離の引越しをし、住まいは何度か変えたが、元いた場所に対する郷愁というのは、ついぞ芽生えたことがない。母の親類縁者がそろって住んでいて、長い休みにはずっと滞在していた大阪のほうが、私にとっては、あらゆる意味で、よほど「懐かしい」土地である。東京というものをまるで意識せず、空気のようにただ消費しているというのが、あるいは、この町で生まれ育った人間の特色なのかもしれない。

正式な故郷は東京。心の故郷は大阪。そして、もう一つ、第三の故郷ともいうべき、思い入れのある土地がある。お隣の神奈川県である。

大洋ホエールズ遠藤一彦投手のファンに

東京で暮らしていると神奈川は普通によく行く場所だ。遠足で鎌倉に。海水浴で湘南に。中華を食べ、港界隈の散策に横浜へ。休日にどこか出かけようかとなると、行く先が神奈川県であることは多かった。始終遊びに行く親しいお隣さんという感覚だが、特別な意識を抱いたのは、大学時代に大洋ホエールズのファンになってからだろう。

当時も今も、あの球団は弱くて地味で、横浜出身の作家のYさんに「なんで、また? 私は地元だけど、ぜんぜんわからない」と半ば呆れられたくらいである。理由は単純。私と同時期にファンになった人には多いと思うが、孤高の大エース、遠藤一彦投手が好きだったのだ。後年ストッパーもやったが、先発完投型の本格派として、マウンドを守り抜く、長身、痩身の勇姿をファンは男も女も「美しい」と惚れ惚れと見つめたものだった。武器は速球とフォーク。

横浜でフォークを投げる投手といえば、第一に、後輩の大魔神佐々木だろうが、遠藤のフォークも、当時の広島の捕手達川が悪夢に見ると嘆いたほどキレが良かった。完封勝利も、打たれての敗戦もどちらも絵になった。勝っても負けても最後までマウンドに立つエースという印象が強烈で、負けてもいいけど途中降板だけはイヤだといつも思っていたものだ。

横浜を応援して、もう四半世紀になる。とはいうものの、実家から徒歩で神宮球場に行けたので、実は、横浜スタジアムに足を運んだ回数の極端に少ない悪しきファンである。

ハマスタの一番の思い出は、98年の優勝の時の日本シリーズ最終戦だ。あの頃、娘がまだ幼稚園児で、外野のチケットをあの手この手を使って一枚だけ手に入れたものの、行ける保証はなかった。実家の母に、留守番はするが娘が眠ってからだときっぱりと言い渡されていた。こんな日に限ってなかなか寝ない。家を出たのは、試合開始からもうずいぶんたった遅い時刻だった。ポケットラジオを持参し、途中経過を聞くつもりだったが、怖くてスイッチを入れられない。先発はシーズン後半になり力尽きたよれよれの川村。敗戦濃厚に思われた。球場についたのは、試合終盤、見上げたスコアボードにはすべてゼロが並んでいた。あの絶不調の川村が西武打線をここまでゼロに抑えるというのは奇跡に思えた。

わずかに空いていたレフトスタンドの通路に座った。厚着をしてきたが、10月の夜は意外と暖かだった。レフトスタンドなのに、まわりはすべて横浜ファン。どこを見ても横浜の応援風景しかないみたいだった。このシーズンも神宮球場には何度か行っている。ただ、この時に痛感した。自分のいるべき場所はここだ、と。この時ほど、自分がふさわしい場所にいると思った経験はない。ホーム・スタジアムというのは、ファンのいるべき場所なのだ。終盤に、得点し、失点し、結果的に横浜はこの日、日本一になった。試合終了と同時に360度のぐるりから投げ込まれた紙テープの光景を一生忘れないだろう。

球場を出ても、横浜の町は地元チームの優勝を祝っていた。クラクションを鳴らした車が道を行きかい、港の船は汽笛を鳴らしていた。来て良かったと本当に思った。ホーム・スタジアムに、横浜の町に。

葉山は何度でも訪れたい大好きな場所

私はサザン・エイジ、ユーミン・エイジなので、歌による湘南や横浜への憧憬というものも当然ある。ただ、神奈川県で一番好きな場所を問われたら、やはり、葉山ということになるだろう。

これまでに、二度、作品で葉山を書いている。おそらく、もっと本格的にもう一度書くことになると思う。

まるで縁がないわけではない。父が育った町である。ただ、親戚がいるわけではなく、父と共に訪れたこともない。初めて葉山に行ったのは、父の死後になる。不思議な気持ちがした。初めて来たように思えなかったのだ。

海と山が近く、そのどちらもとても美しいこの土地は多くの人を惹きつける。最寄りに電車の駅のない不便さも、その閑静な佇まいの一因だろう。有名な葉山マリーナのヨット・ハーバー、マリン・スポーツの土地でもある。天皇家の御用邸もある。御用邸近くの浜に邪魔なスポーツバッグを置き去りにして波打ち際をうろうろしていたら、警備員からあのバッグは何だと職務質問を受けた。爆弾でも入っているように見えるのか、私が何か過激派のようなものに見えるのか、とおかしくなったが、どんな細かいことも見逃さないようにチェックする厳しいシステムになっているのだろう。なるほど、そういう土地なのだ、と改めてしみじみと思った。

森戸神社の周辺の、狭い県道の両脇にひっそり建っている小さな古めかしい商店、その店と店の合間から見える海は、潮位が上がれば、石段の上まで波が届きそうに近い。山に向かって上っていく細道の脇に並ぶ民家。独特の静けさと落ち着きと気安さのあるこの界隈がしっくりと肌に馴染む。葉山は何度でも訪れたい大好きな場所である。

『一瞬の風になれ』の舞台は相模原の麻溝台高校陸上部

神奈川県立麻溝台高校陸上部の練習風景

神奈川県立麻溝台高校陸上部の練習風景

最新刊『一瞬の風になれ』の舞台が神奈川県なのは、狙ったわけではなく、偶然だ。高校陸上部の話が書きたいが、経験もなく、取材するにしてもツテがなかった私は、インターネットで高校陸上部のサイトを検索してみた。最近、こうした部のサイトはどんどん増えているが、検索した4年前は、そんなに多くヒットしたわけではなかった。その中で、取材に通える近さで、部の規模や雰囲気が書きたい話に近い、相模原の麻溝台高校に取材を申し込み、快諾していただいた。

それから4年。3人の指導者の方と、多くの部員の方に話を聞き、試合や練習を何度も見に行った。言葉に尽くせぬほど色々とお世話になり、元気や勇気を山ほどもらった。

高校があるのは、小田急線相模大野駅からバスで10分少々の相模原市麻溝台である。町田は友人が2人住んでいたので来たことがあるが、もう一駅先からバスに乗って行くこのあたりはまったく知らなかった。

近くに大学病院とゴルフ場のある、緑豊かな郊外住宅地である。静かで風通しがよく、景色がすっと開けている。いいところだなとすぐに思った。

まず、主人公の家を「探して」学校の周辺をうろうろ散策した。9割以上が自転車通学という地元の公立校。ただし、毎日50分かけて自転車を漕いでくる生徒もいるという話なので、かなり幅広く探せる。印象に残ったのは、実際に主人公の家の近くと決めた木もれびの森を抜ける相模緑道。その他は、相模川付近の幾つかの景色だ。

作中では使わなかったが、相模線、下溝駅の周辺は、小さな農家などもあり、牛の姿も見えるのどかな一角だ。この付近を流れる相模川は、小説で夏のイベントのバーベキューの場所とした昭和橋のたもとの河原よりは下流になる。三段の滝という、相模川の大きな展望が臨める見所がある。また、昭和橋から逆に上流に遡った高田橋の付近も景色のいい良いところだった。観光地というとびきりの華やかさではないが、地元の人々が気持ちよく休日を過ごすのにうってつけの気持ちのいい場所だ。

そして、県駅伝の行われる秋の丹沢湖、坂や階段をえんえんとのぼってたどりつく緑深い小田原城山競技場、ブルー・トラックが印象的な海老名運動公園陸上競技場……。

この小説を書かなければ出会わなかった数々の神奈川県の印象的な景色を、貴重なアルバムのようにいつまでも記憶に残しておきたいと思う。

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佐藤多佳子 (さとう たかこ)

1962年東京生まれ。作家。
著書 『イグアナくんのおじゃまな毎日』 偕成社 1,200円+税
しゃべれどもしゃべれども』 新潮文庫 670円+税
一瞬の風になれ』 全3巻 講談社 1,400円+税〜1,500円+税(吉川英治文学新人賞受賞)、ほか。

※「有鄰」473号本紙では1ページに掲載されています。

有鄰472号「人と作品」で『一瞬の風になれ』をご紹介しております。 あわせてご覧ください。

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