Web版 有鄰

468平成18年11月10日発行

ダニ学者のつぶやき – 特集2

青木淳一

ササラダニの研究に取り組んで50年

ササラダニの一種のコバネダニの大きな模型

「巨大なダニ発見? こんな大きいダニがいたらいいなあ」
(ササラダニの一種のコバネダニの大きな模型)

私の専門はダニの研究である。ただしダニと言っても、あの一度食い付いたら容易に離れない、いやらしい寄生虫のダニではなく、森の落ち葉の下にひっそりと暮らし、落ち葉を噛み砕いて豊かな土づくりに貢献しているササラダニ(簓蜱)類という善良な、可愛らしいダニたちである。

簓とは、竹の端を細かく裂いてバサバサにした道具のことで、ササラダニの胸から突き出している一対の感覚毛がこの簓に似ていることから付けられた名前である。

この50年間、私は日本列島全域の野山を駆けずりまわり、この「愛すべきダニ」の研究に取り組んできた。なにしろ体長が0.5ミリ前後なので、野外で肉眼で見付けることはできない。ただひたすら、多量の落ち葉をリュックに詰め込んで持ち帰り、ツルグレン装置という土壌動物の分離装置にかけてダニを抽出する作業を繰り返した。調査地点は日本全国2,900地点に及んだ。

こうして、日本ではだれも研究対象として扱わなかった未知の生物群とつきあううちに、私の採集したもののほとんどが新種であることが分かり、300種以上のダニの名付け親になったのである。

また、このササラダニは原生林から人工林、公園緑地、道路植栽にいたるまで、あらゆる環境の土壌中にすんでいるが、自然に対する人為的干渉の加わり方に応じて種組成を敏感に変えるため、環境の指標生物として最適であり、それを環境診断に用いることが可能である。

野外調査での楽しみや感動

研究者にとって、学問上の発見や珍しいものを見付けたときの嬉しさは格別である。私は、ハワイ・ビショップ博物館、上野の国立科学博物館、横浜国立大学、そして神奈川県立生命の星・地球博物館長として研究を続けてきたが、その間に発表した、専門のダニに関する論文の数は330編をこえた。

しかし、私のように野外で自然を相手に調査を続けている自然科学者には、論文には書けない、調査の途上でふと目に止まった美しい風景、可憐な花、可愛らしい動物、奥深い森の神秘、出会った人達の親切、宿で出された美味しい食べ物、などなど、楽しいことや感動することがたくさんある。

自然というデザイナーのすばらしい作品

ジンガサハムシ

ジンガサハムシ
高桑正敏氏撮影

自然界にはまだまだ人知の及ばない不思議なことが無数にある。そのことを最もよく知っているのは科学者なのである。動物や虫たちの体のつくりや配色、色彩なども不思議に満ちあふれていて、自然というデザイナーの作品はどれもこれもすばらしい。

木の葉の上で陽の光を受けてキラキラ輝く小さなジンガサハムシ。透明なガラス細工に金と銅の細工が施されているような円盤形のその姿は、小さな金属性のブローチとしか見えない。金緑色に輝く鞘ばねをもったミドリカミキリや深紅色のベニボタルなどの甲虫、などなど。

動物の足の数もさまざまである。哺乳類、爬虫類、両生類は4本で、昆虫類になると6本、クモ、ダニ、ザトウムシなどの蛛形[ちゅけい]類には8本ある。ワラジムシやダンゴムシは14本で、ゲジゲジは30本。さわると渦巻きになるヤスデの足は、何と46本から360本まである。一体、造化の神はどうやって動物たちの足を決めたのであろうか。

動物や人間から見れば植物も実に不思議な生物である。樹高60メートルにも達する巨木があるなど、その大きさもさることながら、屋久島の縄文杉は樹齢7,000年前後といわれる。動物の中での長寿記録はゾウガメの200年であるから、植物の寿命には及びもつかない。

老樹のウロや大木の梢をじっと見ていると、畏敬の念すら浮かんでくる。

オスとメスも自然界の不思議の一つ

ツルギイレコダニ

ササラダニの一種
ツルギイレコダニ

オスとメスも自然界の不思議である。カキという貝は、漢字で「牡蠣」と書く。いつみても牡[おす]しかいないようなのでこの字が当てられたが、カキは一生の間にオスになったりメスになったりという変身を数回繰り返すことが知られている。

魚のクマノミの場合はさらにおもしろい。クマノミのメスは何匹かのオスに囲まれて暮らしており、最も順位の高いオスがメスとペアになっている。しかしメスが死ぬと、そのメスの夫だったオスがメスになり、いままで第2順位だったオスとペアをつくるのである。

雌雄の出会いについても、一般に知られていないことがたくさんある。

私の専門であるササラダニにも、雌雄の区別があるのだが、外形的には区別が困難なほどよく似ている。その生殖法がまた一風変わっていて、雌雄が交尾をするということがない。

ササラダニの精包

ササラダニの精包

オスは、地面に脚を踏んばって生殖門からねばっこい粘液をたらし、体を持ち上げると、それは水飴のように伸びて空気に触れて固まり、その先端に精子の入った球形の袋(精包)を付着させる。まるでバスの停留所のような形のものを地面に立て終わると、オスはどこかへ行ってしまう。それを通りすがりのメスが見つけると、その上にまたがって生殖門を開き、柄の先端についた精子入りの球を胎内に取り込んで受精する。

ダニの世界では、このような間接的受精方法がごく当たり前なのである。

ダニ以外の動物でも、「接触のないセックス」はいくらでもある。魚の仲間が大部分そうである。

川にすむトゲウオのオスは何日もかかって水草の根や茎で巣をつくり、近くを通りかかったメスを案内して巣に入れ産卵させる。卵を生み終わってメスが巣を出ると、オスは巣内に入って卵に精液をかける。つまり、ササラダニは贈り物をするだけ、トゲウオは家を建ててやるだけ(しかも、妻はすぐに家出してしまう)なのである。

小さな妖精たちに出会えるブナの森

ササラダニがたくさんすんでいるブナの森は、私がもっとも好きな場所である。ブナの森に入ると実に気持ちがよい。林床の笹をこいで分け入り、太いブナの大樹にたどり着くや、幹に頬ずりする。ひんやりと冷たい樹肌には地衣[ちい]が着生し、一面に叢雲[むらくも]のような模様を描いている。

そんなブナの森の中で、私はよく妖精に出会うことがある。耳を済まし、目を凝らして佇んでいると、老樹の太い幹や倒木の上で小さな妖精たちとおぼしきものがキラキラ、クルクルと輪を描いて回っている。そんな妖精たちに出会えるブナの森が年々減っていくのが私には寂しい。

こんな話をすると、笑われてしまいそうである。だが、このような感性は子供にこそ鋭い。大人のように言葉に表わさないだけである。その感性を大切にしたいのである。しかし近頃、それを押さえ付ける風潮が出てきたことは悲しいことである。

「虫取り禁止」は自然の恵みや楽しさ、怖さを子供に教えない

あまりにヒステリックな自然保護、動物愛護、生命尊重教育が、本来子供たちが持っている自然物に対する感性を抑圧し、結果的に「命を大切にしない子」を育ててしまっている。「草花をちぎってはいけません」「虫を取ってはいけません」という教育は、自然の恵みや楽しさ、怖さを教えない。子供たちの心を自然から引き離し、自然が大好きな子が育つのを妨げているのである。

特別保護区域の中は別として、子供たちは自然の中で自由に遊ばせたい。子供が自然の中に入って生き生きするのは、「よじ登る、ちぎる、むしる、つかむ、もぐり込む、拾う、ほじくる」というような動詞で表わされる行為を身をもっておこなったときである。そのなかで、子供たちは自分で工夫すること、さまざまな危険から身を守ることを覚え、また、協調、忍耐、助け合いなどの人間関係を学んでいく。

ところがいま、自然は子供にとって見知らぬ人であり、怖い人であり、ときにはいやな人になっている。虫を見れば、「こわい、きたない」か「かわいそう」しかなくて、「かわいい、うれしい、おもしろい、楽しい」といった感動は沸いてこない。「自然を大切に」と言っても、好きでもないものを大切にできるわけがないのである。これでは本当に命の大切さなど、わかるはずがない。

子供が他人を傷付ける事件が頻発する昨今、「だからもっと生命尊重を」という声高な議論が逆効果になっていると、私は思っている。

宝物を見つけ出す感性があればもっと楽しくなる

アゲハチョウをめぐる天敵のいろいろ

アゲハチョウをめぐる天敵のいろいろ
子供は天敵の一つにすぎない

このような、自然の神秘や美しさ、生きものたちの不思議、自然保護教育への思いなどを、今まであちこちに書き散らしてきた。それらの中から気に入ったものを集め、このたび『自然の中の宝探し』として有隣堂から上梓した。

人間はヒトという生物の一種である。そのたった一種の生物が、いまや地球を占拠している。この地上に、たとえば都市のように、人間しか住めないような場所をあちこちにつくろうとしている。しかしこれは無理なことであり、すべての生物は複数の種と共存することになっている。

町の中にも人家の中にも、食品の中にも、さまざまな生物が入り込んでくるのが自然である。それを許さず、神経過敏になることは得策ではない。もう少し鷹揚に生きたいものである。

日本の自然は、まだまだ多くの未知の宝物を包含している。宝物を見つけ出す感性さえあれば、もっと楽しくなるのではないだろうか。

青木淳一
青木淳一 (あおき じゅんいち)

1935年京都生まれ。
横浜国立大学名誉教授、前神奈川県立生命の星・地球博物館長。
著書『自然の中の宝探し』 有隣堂 1,200円+税、『ダニにまつわる話』 筑摩書房 1,200円+税、ほか。

※「有鄰」468号本紙では4ページに掲載されています。

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