Web版 有鄰

468平成18年11月10日発行

有鄰らいぶらりい

わたしの普段着』 吉村 昭:著/新潮社:刊/1,500円+税

『わたしの普段着』・表紙

『わたしの普段着』
新潮社:刊

58編のエッセイは、著者生前最後の随筆集にふさわしく、氏の「人と文学」を物語っている。「人」でいえば、温厚で律儀な常識人として知られ、自分でも「小心者」と言っていた氏の意外ともいえる側面がうかがえる。

たとえば、強引な手腕で知られた老練な中間雑誌の編集者が、定年退職後、別の新雑誌に移り、氏に執筆を依頼したときの挿話。氏は、彼が前の雑誌にいたとき、他の雑誌に書かないのは節度があって立派、と言っていた言葉を守りたいと執筆を断る。

彼はさらに要請を重ねて険悪な雰囲気になり、最後に、「では私への香奠として書いて欲しい」と迫るが、氏は、「香奠は亡くなられたときにお持ちします」と断る。数年後この編集者が亡くなり、氏が香奠を持ち葬儀に行ったとき、作家はほとんどいなかったという。氏の言葉の大切さを守る内面の勁[つよ]さと律儀さを物語るエピソードである。

氏の家を訪ねてきたロシアの歴史小説家が「自分は所々にフィクションをまじえて書くが、どう思うか」と聞いたのに対し、「私は史実そのものがドラマと考えているのでフィクションは入れない」と答えたという。誰かが司馬遼太郎を史談派、氏を史実派と分けていたが、吉村文学の核心を物語る、興味深い話である。

十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。
遠藤周作:著/海竜社:刊/1,500円+税

この本のタイトルは、長さからいっても意味内容からいっても、前代未聞としかいいようがない。狐狸庵センセイ遠藤周作、今年、没後10年を迎えた。それを記念するかのように発見されたのが、この未発表エッセイである。

46年前に書かれたというこのエッセイ、カッパブックスの光文社から出版される予定であったが、折りからの同社の紛争にまぎれこんで行方不明となっていた。それがこのほど偶然にも発見され、陽の目をみることになった。

内容はタイトルほど奇抜ではない。「序」に「一寸したことであなたの人生が変る」とある。一寸したことの中で著者がもっとも力点をおいているのは“手紙”である。本書が書かれた時代と違って、いまや電子媒体全盛の時代だが、いやそれだけに、意志伝達の手段としての手紙の重要性は増しているといえるかもしれない。

本書はまず、手紙によって成功した例、失敗した例をあげ、さらに具体的に、さまざまな手紙の書き方をレクチャーしてくれる。もちろん狐狸庵閑話流に、ユーモラスで、読んでいて楽しい。「筆不精をなおす一寸したこと」「オリジナルな表現を身につける一寸した遊戯」など、参考になる点が多い。

殺人の四重奏』 藤本ひとみ:著/集英社:刊/1,500円+税

フランス革命などの歴史を得意とする著者の4章からなる連作ミステリー。第4楽章の「王妃マリー・アントワネットの首」から紹介しよう。主人公はパリでロウ人形をつくって展示する画廊の女あるじマリー。彼女が死刑執行人の倉庫を見学するところから始まる。

<マリーは、床に置かれている器具を見回した。壁際に沿って並べられているのは、処刑器具だった。太い血溝の刻まれた断頭用剣、斬首斧と首台、スポークがいく本かついた大型や小型の車輪、串刺し用の杭とハンマー……>

<部屋の奥の方には拷問器具があった。針の突き出した椅子、手・脚・胴のしめつけ具、釘を埋めこんだ鉄のマント、大きなペンチ、さらし首台、巻き上げ機……>

やがて革命が起こり、王妃マリー・アントワネットがみずからギロチン台にのせられることになるのだ。

第1楽章「寵姫モンテスパン夫人の黒ミサ」も脂汗がにじみ出てくるような話だ。ルイ14世の時代の宮殿。女官たちの出世をめぐる“女の闘い”。権謀術策が入り乱れ、毒薬が横行するなど、激しい世界が展開していく。

その他、第2楽章「詐欺師マドレーヌの復讐」、第3楽章「公爵令嬢アユーラのたくらみ」など趣向が一変して息つく暇もない。

警察裏物語』 北芝 健:著/バジリコ:刊/1,200円+税

題名からは、ちょっと品のないスッパ抜きを連想させるが、内容はさにあらず。警察の実態を内眼でとらえ、尊敬と愛着の持てるものとなっている。

まず、第1章の「伝説の警察官」がおもしろい。警察官の重要な任務の一つは凶悪犯をつかまえることだから、ケンカにも強くなければならないが、全国27万人の警察官の中でもケンカの達人といわれたF警察官はすごい。

Fが弁護士と酒場で飲んでいると、二人のヤクザが入ってきてケンカになった。二人は弁護士をなぐった。そこでFは二人のヤクザを一ぺんに倒してしまい、一人からはヘドを吐かせて、その掃除までさせた。空手五段、日本代表の一人だった。

職務質問の天才の話もいい。著者が先輩と夜のパトロール中に、タクシー待ちという一人の男をつかまえた。先輩は最初は非常にソフトに話しかけながら、男を交番に連れ込む。男はノビ(空き巣)だった。先輩の職務質問は硬軟両用、じつにうまい。ついに自白させてしまう。男は広域手配犯だった。

おまわりさんとして日常親しむのは交番だが、そこでの勤務も大変で、トイレに行ってる暇もないくらいという。

著者は早稲田大学出身の元警視庁刑事で、出世栄達は望まず、現場に徹した。このため多くの賞を受賞しているという。

(K・F)

※「有鄰」468号本紙では5ページに掲載されています。

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