Web版 有鄰

562令和元年5月10日発行

「るーみっくわーるど」誕生の物語 – 2面

白井勝也

鮮烈のデビューから「うる星やつら」の大ヒットへ

「うる星やつら」より

「うる星やつら」より
🄫高橋留美子/小学館

今年1月、うれしいニュースが飛び込んできた。漫画家高橋留美子さんの「第46回アングレーム国際漫画祭グランプリ」受賞だ。日本人としては2015年の大友克洋さんについでグランプリは2人目という快挙である。私は彼女と出会ってから早いもので40年以上、いつも「るみ子先生」と呼んでいるので、この稿でもそのままに彼女の漫画に対する取り組み方について振り返ってみようと思う。

るみ子先生は日本女子大3年の時、「勝手なやつら」という作品で第2回小学館新人コミック大賞に応募し佳作を受賞した。当時の『少年サンデー』のT編集長が「天才作家あらわる!」と大騒ぎし、担当の編集者をつけてサポート体制を組んだ。私は入社以来在籍していたサンデー編集部からビッグコミック編集部に異動になっていたが、噂は聞いていた。るみ子先生は大学で漫画研究会を創部して独自で漫画を描いていただけでなく、小池一夫先生の「劇画村塾」に入り漫画におけるキャラクターの重要性を徹底的に叩き込まれている。メインだけでなく脇にいたるまでしっかりとキャラクターを作り上げることで、作品の面白さが増すことを学びしっかりと身につけた。成果はこれまでの作品を見ればわかると思う。さらに編集部の紹介で楳図かずお先生のところで勉強した。楳図先生は一つのコマにぎっしりと人物を描き込む。デビュー前の絵は少し粗削りのところがあったようだが、楳図先生の近くで作品制作に携わるうちに、コマに密にびっしり書く技法も体得した。

1978年「うる星やつら」の連載がスタートした。応募作品をもとにキャラクターやストーリーを練り上げたもので、タイトルはT編集長が自らつけた。当時の『少年サンデー』は低迷ぎみだったが、「うる星やつら」の登場でたちまち人気をとりもどした。まさに会社中騒然となるヒット作の誕生だった。キャラクターとギャグ満載の世界観は「るーみっくわーるど」と言われ、以降るみ子先生の作品を示すコピーとして浸透していった。

脇役に至るまで躍動感が伝わるキャラクター

「うる星やつら」の登場でかわいいキャラクターが活躍するコメディラインの方向が見えてきて、さらに81年にあだち充先生の「タッチ」連載がはじまり以降サンデーは「ラブコメ路線」というコンセプトが確立され部数をどんどん伸ばしていった。あの「友情、勝利、勇気」のコンセプトで独走していた『少年ジャンプ』も一瞬ラブコメ路線に心を動かされたとか。るみ子先生とあだち先生は『少年サンデー』の独自カラーを確立させた立役者だ。

「うる星やつら」の連載は1987年まで続き、その年に「らんま1/2」の連載がスタートし1996年まで続いている。終了と同じ年に「犬夜叉」がスタートし2008年まで長い連載となった。スランプらしいスランプもなく、たまにストーリーについて担当編集者がアドバイスすることもあったが、彼女はその2倍も3倍も面白いアイデアを考えてくる。連載の終わりは自分で決めており、編集部が終わりましょうといった作品はない。自分がやり切ったと思うまでは、終わらない。「やり切った!」と思った後で、次を考えるというやり方で新しい作品を生み出してきた。

「めぞん一刻」より

「めぞん一刻」より
🄫高橋留美子/小学館

私がるみ子先生と直接仕事をしたのは、大学生向けキャンパスマガジン『ビッグコミックスピリッツ』創刊の時だ。1980年創刊当時は月刊誌で、目玉になる作品を書いてもらいたいと依頼にいった。すでに『少年サンデー』の連載を持っていたが、月刊誌ということで何とか承諾してもらったように思う。そうして誕生したのが「めぞん一刻」である。一刻一刻人生が変わっていく様を描きたいとのことではじめたが、次第にアパートの管理人である響子さんと下宿人の五代君の恋愛が中心の大人のラブコメとなり多くのファンを獲得していった。その後スピリッツは月2回刊から週刊誌になっていったが、「めぞん一刻」の連載はそのまま継続されていく。るみ子先生は「うる星やつら」と「めぞん一刻」の圧倒的人気作品2本の週刊誌連載を持っていた。これは天才だからこそできる偉業だ。

るみ子先生の描くキャラクターは躍動感がある。絵を描くとき紙に覆いかぶさるように手を動かして描く漫画家もいるが、紙を上から俯瞰するように腕を伸ばして描く。それによって線自体に動きと色気がでて、それがキャラクターの躍動感につながっている。今でこそ「MANGA」は世界に向けた日本発のサブカルチャーとして翻訳出版やWEBでの展開がされている。しかし現在翻訳出版されるはるか以前に外国人に人気がある作品があった。「プリティガール!(絵がかわいい)」といってアメリカ人が「うる星やつら」「らんま1/2」「めぞん一刻」などるみちゃん作品を購入していった。日本語の吹き出しで意味が分からなかったと思うが、言葉を超える作品の魅力が伝わったのだと思う。同じころ、池上遼一先生の作品も絵が素晴らしいということで、外国人の求めが目立った作品だ。

これからも広がり続けるるーみっくわーるど

少年漫画誌は毎年新しい読者を迎える。漫画家は年を取ってくるので、どうしても自分の目線と読者の目線がずれ、また少年誌には制約が多すぎる。かの天才手塚治虫先生も石ノ森章太郎先生、さいとうたかを先生も30歳代後半頃から『少年サンデー』での連載は苦しいといいだし、創刊されたばかりの成人向け漫画誌『ビッグコミック』に雪崩を打って移っていった。そうした中で、るみ子先生は『少年サンデー』一筋。途中スピリッツで描いたことは別として本拠地のサンデーから移ることはなかった。サンデーにとっては宝物のような人だ。サンデーを母船と思ってくれているのかもしれない。

るみ子先生はデビュー以来ずっと夜型で夕方から作品を描き始めるという生活をしている。食事の前には必ず胸の前で、手を合わせてから食べ始める。テレビでお笑い番組を見るのが好きで時間があるときは見ている。漫画を読むことも好きだ。デビューしたての新人から巨匠の作品まで本当によく読んでいる。数多くの作品から自分の好きな漫画をセレクトし、たまに私にも勧めてくれる。私も知らないとんでもない新人の作品だったりして、驚くことが多い。漫画が好きで、漫画家が天職で、漫画イコール人生という、ある意味うらやましい人生だ。漫画以外に好きなものはなく、旅行などにも関心がなく、アメリカのヨセミテ国立公園にお連れしたことがあったが、内心ではあまりうれしくなかったのかもしれない。旅行よりも漫画を読み、漫画を描き、多くの人に面白いと思ってもらうことのほうがずっと楽しいということなのだろう。

連載したすべての作品がアニメーションや実写映画やドラマになっている。そういう意味では本当にたくさんの人に愛される作品を描き続けてきたのだと思う。その結果として単行本発行部数もすでに2億冊を超えている。私の勝手な心残りとしては、「めぞん一刻」の実写映画化がある。1度映画にはなっているのだが、個性的な住人の群像劇になってしまった。王道のラブコメとして、大きなスクリーンで響子さんと五代君の恋の行方を見てみたいとまだ思っている。さていよいよ今年5月の連休明けの号からるみ子先生の新連載が『少年サンデー』で始まる。こんどはどんな「るーみっくわーるど」を見せてくれるのか今から愛読者の一人として心待ちにしている。さらなる漫画愛はより高みを目指しているようだ。

白井勝也(しらい かつや)

1942年東京都生まれ。『ビッグコミックスピリッツ』創刊編集長。

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