Web版 有鄰

466平成18年9月10日発行

高島嘉右衛門と「高島易断」
—明治の政局・横浜・占い— – 特集2

持田鋼一郎

伊藤博文など多くの政治家が出入りした横浜・富貴楼

明治の政局と横浜には深い関係がある。その関係の拠点となった場所は、富貴楼という名の会席料理屋である。

明治6年(1873年)に尾上町に富貴楼を開いた女将のお倉は、吉原の遊女上がりであったが、すらりとした長身の美人で機転が利く上に太っ腹で気風がよかったから、多くの男をひきつけた。長谷川時雨の『明治美人伝』には、お倉はつねに身だしなみに気を使い、老年になっても顔はつやつやとしていたとある。鳥居民の『横浜富貴楼お倉』をはじめ、お倉については多くの本が書かれている。

富貴楼には、開店と同時に伊藤博文、井上馨、大隈重信、山縣有朋など明治を代表する多くの政治家達が出入りし、政局を動かす密談がしばしば行われた。なかんずく、明治14年(1881年)の政変で失脚した大隈を女将のお倉が伊藤に引き合わせ、大隈再起のきっかけを作ったことが世に名高い。

この話からも分かるように、伊藤はお倉をとことん信用し、横浜で大事な話があるときはいつも富貴楼を利用したようである。

伊藤がここで頻繁に顔を合わせた相手のひとりに高島嘉右衛門がいたことは間違いない。

巨万の富を築いた実業家であり、政局を占う易学の大家

高島嘉右衛門

高島嘉右衛門
『呑象高嶋嘉右衛門傳』から

高島嘉右衛門は幕末から明治にかけて横浜を舞台に商才を発揮し、巨万の富を築いた事業家であったが、同時に易学の大家でもあり、易によって明治の政局を占い、その結果を伊藤をはじめ明治の政治家達に告げた。

高島嘉右衛門には自分の易断の結果を詳しく記した『高島易断』という大著がある。この中で征韓論、西南の役、日清・日露の両戦争など明治日本の国運を左右する重要な政局や戦局の行方を占い、その結果を詳細に記している。

たとえば、西南の役に関して立てた易については、「二個の塚」という意味がある艮為山という卦を得て、城山での西郷の自決はむろんのこと、その後の大久保利通の暗殺まで含めて的中し、政府の要人と「天命ノ畏ルベキ」ことを語り合ったと記している。

自らの易断の結果を記した『高島易断』

『高島易断』(明治19年)

『高島易断』(明治19年)
横浜市中央図書館蔵

とにかく、『高島易断』を読んでいると、嘉右衛門の易は国運を左右する政局から、投資の是非、子女の縁談に至るまで百発百中、外れたことが一度もない。

中国思想史の碩学である加地伸行氏は、易者にとって大事なことは、技術的な筮法の巧拙ではなく、卦を具体的な現実に当てはめるときに必要とされる人間的洞察力であると言う。

この説に随えば、大儲け、破産、入獄、大病、殺されかけるなど、人生の修羅場を人並み優れた洞察力によっていくども潜り抜けてきた嘉右衛門は、まさに易者にうってつけの人物だったと言えよう。

もっとも嘉右衛門は、筮竹を手にする際の精神の集中が易占にとっては一番重要だと述べている。易には合理的に判断する能力以上に、神意を得るための霊的能力が要求されるというのだ。

だから嘉右衛門は易の普及には心を砕いたが、この霊的能力の有無に関しての判断の難しさからだろう、易は一代限りのものだとし、免許を与えるようなことをしなかった。今日、高島姓を名乗っている易者は、全員、嘉右衛門の縁戚でもなければ門流でもない。

ただ、嘉右衛門が自他共に認める優れた易者であったとしても問題は残る。

『高島易断』に詳細に記されている易断の結果は、すべて嘉右衛門自身の述べるところであって、客観的な検証を経たものではない。嘉右衛門の易断の的中率をすべて信用するわけには行かないという見方が当然生じる。

暗殺の予言を押し切って満州へ出かけた伊藤博文

おそらく自分の長男、博邦の嫁に嘉右衛門の娘を迎えるほど親しい関係にあった伊藤博文にしても、嘉右衛門の易にすべてを頼って政治的決断をしていたなどということはありえないだろう。現に、ココーフツォフとの会談のための伊藤の満州行きは、暗殺を予言した嘉右衛門の反対を押して切って実行されている。

嘉右衛門の易の結果を伊藤がどれだけ信用していたか、はっきりした確証をもって言うことは難しい。

この点に関して、伊藤と親しい関係にあった外務省の役人、小松緑の著書『春畝公と含雪公』の中に興味深い言及がある。ちなみに、春畝は伊藤博文の、含雪は山縣有朋の雅号である。

外務省の小松緑の評は、「人も知る易断の大天狗」

政友会を創立してまもなく、山縣が投げ出した内閣を引き受け、再び総理の座に就いた伊藤は、組閣後に風邪を引き、しばらく熱海の樋口旅館で病後の体を養っていた。

このとき、外務省の役人だった小松緑は外相の加藤高明に呼び出され、外交上の重大案件についての伊藤と加藤との連絡係を命じられた。

伊藤は1か月近く樋口旅館に滞在したが、その間、高島嘉右衛門はしばしば伊藤の元を訪れ、いつしか小松とも親しくなった。

嘉右衛門は伊藤との用談が終わると小松の部屋にやって来て、碁の相手を強い、対局が一段落すると、決まって易の自慢話を始めた。

「人も知る易断の大天狗」と評しているところから、小松は嘉右衛門の易の自慢話に辟易していたようであるが、嘉右衛門は小松のそのような態度をまったく意に介せず、易の効用を説いた。

たとえば、伊藤の長男の博邦のところに嫁した嘉右衛門の娘が体の具合を悪くし、医者に見せたが一向に埒があかなかったので易を立ててみたところ、「尾」の字が出た。尾は交尾を意味するから、これはてっきり妊娠だと判断すると、まさにその通りだったといったことを、嘉右衛門は自信満々、小松に語って聞かせた。

さらにこうしたいささか下世話なことから天下国家の大事に至るまで、嘉右衛門が易を立てれば百発百中だと、『高島易断』を懐から取り出してとうとうと弁じたてた。

「政治は易などで予測のできるほど単純なものじゃない」

西洋的教養を身に着けた小松にとって嘉右衛門のこうした話は、にわかには信じ難いものであったに違いない。

あるとき、小松が嘉右衛門の易断についての疑問を伊藤に向かって口にすると、伊藤は苦笑いして次のように応じたと言う。

「高島はなんでも吾輩が易断に感服しているように言いふらすようだが、あれの書いたものは大抵事後における解説だ。政治というものは易などで予測のできるほど単純なものじゃない。」

小松のこの記述を信じる限り、伊藤は嘉右衛門の易をさほど信用していないように見える。また、嘉右衛門の著書『高島易断』に記されていることもすべて事後談で、信憑性に欠けるということになる。

日清戦争に関する占筮の結果などを新聞紙上にも発表

一方、『高島易断』を読むと、日清戦争に関する占筮の結果を大本営の伊藤に送るとともに、「国民新聞」や「郵便報知新聞」に発表したと記されている。

また、京都木屋町の料亭柏屋で、宮内大臣の土方久元と逓信大臣の渡辺国武に、日清戦争後の三国干渉についての占いの結果を告げたところ、事実もその通り推移したと記されている。これはもちろん事後になって記されたものであるが、内容は事前に第三者に告げられていることになる。嘉右衛門の易の話がすべて事後談であったとするわけには行かない。

とにかく、新聞紙上に嘉右衛門の易断が発表されているのだから、その易が的中したのか外れたのかは一目瞭然である。もし、外れていたとしたら、嘉右衛門はへぼ占い師として衆人環視のなかで大恥を曝したことになる。以後、嘉右衛門の易を誰も信用しないようになっていただろう。さらに、嘉右衛門の死後、縁戚でも門流でもない易者達が、競って高島姓を名乗ることもなかっただろう。

易断の結果を何らかの参考に

しかし、そうかといって伊藤が嘉右衛門の易断の結果に従ってすべての政治的決断を行っていたなどということも出来ない。ただ、何らかの参考にしていた事は間違いないであろう。

アメリカのレーガン大統領も、ロシアのエリツィン大統領も自らの政治的決断に際してホロスコープを参考にしていた。

戦後の日本においても、宏池会に「仙人」と呼ばれる易者が出入りし、池田勇人の総理就任と浅沼稲次郎の暗殺を予言していた。

占いを迷信と断じ、その信者を公開処刑した金正日も、実はひそかに占いに頼っていると、『アエラ』誌の最近号は伝えている。

政治権力を握るものの決断に呪術的要素が入り込むことは、近代合理主義の立場からすると、許すべからざることになるのだろう。しかし、政治の現場において日々国民の運命を左右する決断を迫られる権力者の心の闇の中に、占いへの深い関心が潜んでいることに何の不思議もないと私は考える。

持田鋼一郎

持田鋼一郎 (もちだ こういちろう)
1942年東京生れ。作家・歌人。
著書『高島易断を創った男』 新潮新書 680円+税、『ユダヤの民と約束の土地』 河出書房新社 1,800円+税、『世界が認めた和食の知恵』 新潮新書 680円+税、ほか。

※「有鄰」466号本紙では4ページに掲載されています。

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